「さや侍に斬り捨てられても、不思議ではない映画だったかな?」R100 Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)
さや侍に斬り捨てられても、不思議ではない映画だったかな?
私は、関西出身ではないからなのか、それとも別の理由に因るのか、原因は不明であった。しかし、この作品の笑いには全く着いていかれないのだった。
私は、普段TVを見ないので、松本人志がお笑い番組で見せているセンスをハッキリと認識している訳では決してない。しかし、この作品を見ている限りでは、お笑い番組で通常彼が見せているだろう、松ちゃんキャラクターがデフォルメされた形で、より一層濃い味で出ている作品だったと思う。
だから、通常TVで彼のお笑い番組を見て笑える性格の方には、本作は非常に受ける作品なのかも知れない。(試写会会場の一部では、大きな笑いの渦が有った。)
と言うより、この映画は、吉本興業が制作しているので、松本人志監督作品と言うより、あのダウンタウンの松ちゃんのギャグ特番を見ている感じがして、松本人志のお笑い芸人の頭の中をかち割って、その中身を並べただけの連続画と言う感じの作品だったと言った方がピッタリとくる感じの作品だったと思う。
そして、彼が監督した4作品の中では、この映画は最低の作品と私は思った。
だが、それより結局この作品を評価出来るか否かは、結局観客のお笑いの嗜好性の相違で、映画自体の賛否の分かれ道になるのだと思う。
音楽の効果的な使い方と、映画の導入部のロケ地や、セットの感じは、それなりの雰囲気が有って面白い映画だなと初めは思ったが、15分も過ぎた頃から、飽きて来る。
しかし、この映画はそもそも、SM趣味と言うマイノリティーな嗜好の世界観を描いているのだから、その辺りを見て、ギャグとして捉える事が出来るか否かが、運命の分かれ道だ。
この映画の主人公である大森南朋演じる片山貴文のキャラクターには、決して感情移入出来ない訳でもない。
ハッキリとした理由が決して語られている訳ではないが、もしも自分が、主人公片山の立場と同じ状況であるならば、彼と同様にSMクラブへ逃避したくなる心情も理解出来ない訳ではない。
だが、このSMクラブ入会時の説明に有るように、SM嗜好とは、初めは不快感に思っていた事でも、ある限界を突き抜け、その臨界点を越えると、不快感が、急激に快感へと反転すると言う説明があった。
それを言うなら、この作品は不快感の連続で、単なるアホの域を未だ未だ突き抜けていないだけの、単なる不快な画像の連続劇でゲームオ-バーと言う感じだろう。
その昔、「ソドムの市」と言うイタリア人監督パゾリーニに撮られたスカトロ嗜好のヤバイ映画が有った。この映画を撮った監督は後に、その映画が原因で、確か殺害されたと思う。
「R100」も、前半の40分で終わっていたのなら、もう少し高評価を出しても良かったのだが、同じギャグが何度も繰り返され、快感を得られない本作は、途中退場も有りの映画だ。SMクラブ退会は禁止でも、映画館の退場は許される映画だと思うのだがね?