「一瞬は楽しかったけど後に何も残らない残念な作品」スター・ウォーズ フォースの覚醒 007さんの映画レビュー(感想・評価)
一瞬は楽しかったけど後に何も残らない残念な作品
映画自体は映像もすばらしく、迫力もあり、観ているときは面白かったですよ。でも、見終わった後、なぜかむなしさだけが残りました。
大好きなスターウォーズを観た後なのに、なぜ???????
しばらく理由が分からず呆然としていましたが、1週間たってやっと分かってきました。
そもそもこの作品の主題(テーマ)が何なのかがまったく分からないし、
後で思い出に浸ることができない。感情移入もできないのです。
懐かしさやスペクタルに酔いしれても、劇場を後にしたら、何も心に残らない。
ああ、自分だったらどうするだろう、と主人公や大好きなキャラクターに思いをはせたいのにそれができない。
だめな理由は大きく2つあると思った。
一つは、世界観の欠如。
SFというのは、想像の世界での創作物。単なる作り話。
でも、観客を納得させ没頭させるほどのリアリティを持たせるのは、ある決められた法則(秩序や共通ルール)や確固たる世界観を提示しているからだと僕は思います。
スターウォーズシリーズは、過去6作すべてにそれらが首尾一貫して貫かれています。
ジョージルーカスがそれを徹底して守り抜いてきた。
だから彼が造ったものは偉大なんだと分かりました。
創造された大きな世界観の舞台のなかでそれぞれのキャラクターが懸命に生きていく。そういう姿が映し出されてはじめて、観客の共感や感動を得ることができる。
しかし、本作においては、それらの土台となるべき世界観や共通のルールたるもののすべてがだめになってしまったと思うのです。スターウォーズシリーズが持っていた広大な宇宙観・世界観がどこかに行ってしまった。
善(ジェダイオーダー)と悪(シス卿)という対立構図や、共和国(民主主義)と帝国(絶対君主)の勢力争いで、正義の民主主義が帝国の悪逆と戦うとか。
30年も前に帝国が崩壊したはずなのに、いまだに悪の組織が残っていて、それがなんの目的のために組織されているのか、分からない。
もう一回、帝国を作りたいのか?
共和国の星を武力で脅して、その後なにがしたいの?
なんの警告も要求もなくいきなり星を消し去っていますが、無意味。
正統な権力の帝国時代にすら苦労した究極兵器をさらに凌駕する代物をあの程度組織がどうやって作りだす?
納得のいく悪があってこそ、そんな悪い敵をがんばって倒さなきゃ、って思えるんですがね。
この映画のノリは、
悪の組織があっちにいて「ほらこんなに悪い奴らでしょ(虐殺シーンだけで語る)」で、一緒に乗り物に乗って、さあやっつけに行こうぜ。
それって、ディズニーランドのアトラクション程度の重さでしかない。
本当は時代背景が何も考えられていないんじゃないかという疑問も当然わいてくる。ここまで世界観を壊しておいて、どうやって次作以降で元の秩序ある世界に戻せるものなのか。
だめな理由のもう一つは重大なルール違反。
これが心得のある観客をしらけさせる。
(しょせん作り話って思い知らされるからね)
フォースやライトセーバーは正統な指導者によって継承され、教えられないと取り扱えないもの。
過去のジェダイやシスが苦労を重ねて会得したフォースって、簡単に使いこなせてはならない。だからフォースに威厳が生まれるし、ライトセーバーをもったジェダイ達が(シスでさえ)尊敬やあこがれの対象となる。
フィンやレイがよっぽど特別な設定なのかもしれないけど、もっと丁寧に説明してくれないとまったく観客には通じない。
これじゃあ単にルール違反にしか見えない。
あと、ハイパードライブは宇宙空間に出てきちんと軌道計算して発動し、何もない宇宙空間に戻ってくるもの。これ、SFの常識。
そうじゃないとどこからでも逃げられるし、どこからでも相手の懐に入り込める。「どこでもドア」じゃないんだから。
そもそもEP5ではハイパードライブが故障して大変な目にあったよね。ハンソロ君。EP4では、「計算もしないで簡単にハイパードライブできるか!」って青年ルークを叱ってたよね。
それなのに、自らああも簡単に壁を突き破ってしまっては。
惑星の防御シールド中に簡単に飛び込めたら、防御シールドの存在意味がなくなる。悪の組織が単なる馬鹿に見えちゃうでしょ。
クイズ番組で、今までずっと1問10点だったのに、最後だけ200点をあげちゃったら、がっかりして答える真剣味がなくなる。
そんなちんけなお笑い系バラエティ番組ごとき仕掛けを、こともあろうに、歴史のあるスターウォーズシリーズに入れないでほしい。
こういうルール違反をやればやるほど、作品の価値が下がる。
この先のエピソードはどんだけ価値が下がっても知らないからいいけど、その場限りの浅はかなアイデアで、過去の偉大なるシリーズの品性を勝手に壊さないでくれ。ディズニーよ。
クリッターさん
コメントありがとうございました。クリッターさんのレビューも拝見し、エピソード7として認められないという思いと、並々ならぬ旧作への愛情が感じられました。
私も高評価への疑問をひしひしと感じていましたが、同じ思いのファンの人達が国内にも海外にもたくさんいることが分かってホッとしてます。
ディズニーはルーカスの脚本を蹴ってしまった事からも、意図的にこうしていますよね。
こののちの新しくSWのファンになる人達が、目が肥えてきた時に、SWってこんなレベルの作品だったかと後世で見下げられることにやるせなさを覚えます。
まさしく核心を突いた的確なレビュー、お見事です。
このサイトの異様な高評価やYahoo映画の高評価レビューの膨大な役立ち度を見て自分がおかしいのかと思いましたが、自分と同じ意見の007さんや低評価の人のレビューで少しだけ救われました。
これ程までに作品を作る上で「テーマ」と言うのがいかに重要か、思い知らされる結果になったと個人的に思いましたね。
456はもちろん、酷評されがちな123だって一貫したテーマを持ってたと思います。
過去6作が持つ世界観は留まる事を知らない無限の可能性を感じましたが、今作品には一切感じれませんでした。
恐らくディズニーは今後もスター・ウォーズと言うビッグ・ネームを利用してどんどんこの偉大なシリーズを汚していくかと。
ルーカスの手を離れて喜んでるファンもいる様ですが、自分にとってはルーカスが手離した時点でスター・ウォーズは息絶えたのだと今回の作品を観て確信しました。
長文失礼しました。
007様
返信が送れて申し訳ございません。
昨日の、私の投稿に対するコメントをして頂き、ありがとうございます。
あの投稿は、ようやっと気持ちが落ち着いて、怒りと悲しみが消えないながらも、ご覧になる方々に理解して頂けるよう、書き込ませて頂きました。
ただ、あの「オープニング・クロール」だけは、ルークたちオリジナル・キャラクターに対する「最悪な扱い」に、怒りの感情のままに打ってしまったものでございます。
その証拠に、ハン・ソロの「あの結末」をどうしても許せず、「だったら、あの超人を出せ!!」と、ある「スーパーヒーロー」を、本名で出してしまいました・・・
でも半分以上は本気で、「できるなら実現してほしい」と、SWファンの方々からお叱りを受ける覚悟で打たせて頂きました。
上映してしまったものに何を言っても無駄なのは、承知の上です。
それでも中には「この作品を無かった事にしてほしい」と投稿された方もいらっしゃますから、私も「リブート(作り直し)してほしい」と願う一人です。