「喪失と再生を近距離ロードムービーで描く」ジ、エクストリーム、スキヤキ osm5555さんの映画レビュー(感想・評価)
喪失と再生を近距離ロードムービーで描く
喪失と再生
多くの映画に共通する、このテーマが本作品にも通底して流れている。
特に喪失からの再生に関してはその過程は見せずに、登場人物それぞれが持ち得る喪失感だけが時間を経た現在に時折顔を覗かせる。
しかしそこにあるはずの悲哀は経過した時間と同様、各々の人生のなかで消化され、醸成されてしまっているのも現実のなかでは致し方ないことだろう。
そういった意味で主人公は、その悲哀を反芻して生きてきてしまったのだろう。
人生の時計の針を進めたはずも、無理やりに進めた時計の針は、狂いの兆しを見せてしまう。そもそもが時計としての機能が備わる過程での喪失であっただけに、そこに足りない部品を得ようとしたところで、現在においても、その機能が得られることはない。
本人は無自覚ではあるものの、前半、合羽橋のシーンでの放浪〜買い物の一連の流れにその心理を読み取ることができるのではないだろうか。
かつての仲間は、半ば無理やり主人公に付き合う形でひととき日常から離れるが、その道程で過ごす時間は、かつてともに過ごした時間とは違い、見る景色の色合いも見方も変わってしまっている。
表層的な変化がないことがその事を余計に浮き彫りにしてしまい、悲しく描きだされる。
登場人物それぞれが喪失を経たのちに歩んできた現在と、主人公に不在する【現在】が冒頭オープニングへと繋がっていく。
近距離ロードムービーに落とし込んで、一見グタグタな会話を見せていながら、決して退屈にはしていない。
良い意味での安っぽさ、チープさを失わずにその演出で見せてくれた前田司郎監督、【横道世之介】の脚本も手掛けたその手腕は今後も期待したいです。
次作は映像表現を活かした心理描写も作品のなかで見てみたいと思いました。