「純真、純情、一途な男気の暴れ打ち❗」無法松の一生(1943) kazzさんの映画レビュー(感想・評価)
純真、純情、一途な男気の暴れ打ち❗
午前十時の映画祭12にて。
先にドキュメンタリーが上映されてから、本編がスタート。
どうしてもブツ切り感は否めない。
ドキュメンタリーの中で映画評論家の白井佳夫氏が、内務省とGHQから二度カットされたことで松五郎の純真が直接的に見えず、反って今の感覚で観ると彼の想いがより際立った…と、いうようなことを仰っている。
が、やはり物語展開が唐突になってしまい、特に松五郎の最期がよく分からないから、彼の一途な想いが明らかになるエピソードが活きてこない。
稲垣浩監督がリメイクに意欲を燃やしたのも理解できる。
感心したのは、戦時下で制作された映画とは思えないスタイリッシュな映像表現だ。
白黒でしかも荒い映像だからこそ、余計にそのセンスが映えている。
特に、人力車の車輪の影を使ったショットが印象深い。
坂東妻三郎や脇の俳優たちの演技は、無声映画時代を想起させるオーバーなもので愉快だ。
一方、未亡人を演じた園井惠子は基本的に静の演技で、松五郎が想いを寄せるに相応しい清楚な印象を与えている。宝塚歌劇団から新劇に転じた女優さんで、本作で人気を博したらしいが、広島で原爆投下に遭って亡くなったという。
無法松とは、無法者の松五郎のことで、つまり松五郎は俥引きとして働いてはいるが、喧嘩や賭博好きのチンピラなのだ。
だがその無法者は、子供に優しく、仲間内からも好かれている気の良い男でもある。
軍人である夫が急逝した夫人は、夫の墓の前で、自分一人で幼い息子を立派な男に育てられるだろうかと不安を松五郎に吐露する。
これは、松五郎でなくても自分を頼っているのだと思うだろう。
かくして無法松は、身分の違う未亡人と自分になついている“ボン”に献身的に尽くすことが生き甲斐となるのだった。
映画は、ボンの成長で時の経過を示す。
幼い少年は青年へと成長してゆき、未亡人への松五郎の恋慕は叶わぬまま増幅していったのかもしれない。
カットされたという告白の場面が、彼を孤独に追い込む結果となったのか、松五郎が未亡人にもボンにも看取られることなく逝ってしまう場面もカットされている。
一途で義理堅い松五郎は、その純情ゆえに孤独な一生を終えたのだ…。
合掌。