ラッシュ プライドと友情のレビュー・感想・評価
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今ひとつ伝わらず
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人気者レーサーのブラピと、そのライバルのストイックなレーサーの話。
年間2人死ぬくらいF1が危険だった当時、あるレースで大雨が降る。
そこでストイックが中止を提案するが、受け入れられず決行。
そしてストイックは事故って入院。でもすぐにレースに復活する。
ライバル・ブラピの存在があったからであった。
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多分実話ベースの物語。
70年代の話みたいやが、当時ってそんなに危険なスポーツやったのな。
すごい評価いいみたいやけど、あんまり良さが分からなかった。
二日酔いやったんで途中ちょっと寝てもたからかな?(場)
それと後から知ったけど、あの主人公はブラピじゃなかった!(場)
胸アツ最高傑作。画面から目が離せない。
鑑賞2回目、あらためて観てみました。
いや、これほんと、いい映画。2013年の映画。
私の超好きな胸アツ系。
一昨年のフォードvsフェラーリも大好きだけど、レーサーものではそれと互角だと私は思いました。
天才肌でプレイボーイ、破天荒なイギリス人レーサー、ジェームズ・ハントをクリス・ヘムズワース、堅物で頭脳勝負、メカにも超詳しい苦労人のオーストリア人レーサー、ニキ・ラウダにダニエル・ブリュール。
この二人の配役がピッタリだし、確かな演技力により作品に素晴らしい化学反応が起きてます。
レースシーンの迫力はもちろんのこと、性格や生き方が真逆と言ってもいい2人のぶつかり合いが見もの。長年のライバルとして確執があるものの、心の底では互いの事を認め合ってるからこそ、熱い言葉が飛び出します。
「賢者は敵より多くを学ぶ」
「ガソリンと隣り合わせで、車輪つけた爆弾の上に乗って270㌔で走るなんて正気の沙汰じゃない。まともな人間じゃできない」
「レーサーに魅力的な人間が多いのは、生を(ハントの場合は【性も】w) 謳歌しているから。生きるエネルギーが強いからでは。人は、死を意識するほど、生を謳歌するものだ」
レース事故でクラッシュし、400度の熱に1分間包まれたことで瀕死の重体となったニキが6週間後にレースに復帰するまでは、見ているこちらが唸ってしまうほどのつらい映像。まさに執念。この人、ほんまに強い人。
見守る奥さんもつらかっただろうなぁ。
本人も言ってますが、ハントの存在がなければ復帰できなかったかも、と。あいつに勝ちたい、その一心だったと。
『おまえムカつくけど、認めるわ。
お前のおかげでここまでこれた』って
2人で言える関係って、めちゃくちゃカッコいい。これぞ男の世界。
個人的に好きなシーンは、ニキが奥さんと出逢って途中で運転を変わるシーン。思わず私も「ヒャッホー!」と声出してしまいました(笑)
あと、火傷の顔の事でニキを侮辱した記者をハントがボコボコにするシーン。
いいとこあるやん…
F1を制し何度も世界チャンピオンになった2人のその後は、ハントはテレビキャスターに転身した後、45歳で心臓発作で急死、ニキは引退後は実業家として成功し、一昨年70歳で家族に看取られながら逝去。
これまた全く違う最期に、しみじみ思いを馳せる。
自分を偽らず、誇り高く、信念のまま【自分らしく生き抜いた】2人。熱い。
さすがロン・ハワード監督、じっくり人間ドラマとしても味わい深い。
大画面でせひまた観てみたい。再上映してほしい。
男の世界
ニキ・ラウダとジェームズ・ハント
途中からの友情が見所。
展開がドキドキで前のめり気味で視聴✨
マシーン、450馬力って💦💦💦
『宿敵を呪ってばかりじゃ意味がありません。
賢者は友人より敵から多くを学ぶ』
【でもまずは楽しみたいんだ
人生は楽しまなきゃ
意味がないだろ
自分が楽しくなかったら】
ひゃー(T_T)
最高💕
グサグサ自分に刺さるストーリーでした。
自分を楽しみます(*^^*)
reckless
F1レーサーJames HuntとNiki Laudaの物語。
オートレイシングは全く知らなかったのですが、彼らがF3からF1へと昇格していく過程やポイント制のチャンピオンシップから、どういったスポーツなのかを大まかに理解出来ました。意外と沢山レースがあるんだなぁと。
最後のシャンパンを、浴びるのではなく壇上から浴びせてやりたい。
チャンピオンという同じ目標を掲げながら、そのアプローチ方法も性格も真逆なこの2人。
楽しんだ者勝ち、とにかく楽しまなきゃ損!と生き急いだ感じのHunt。
“[Live] as if each day is your last.”がモットー。
酒に溺れ計画性がなく良い加減だけど明るくて人気者。
理論や確率、安全性を重んじ、努力と鍛錬を惜しまないLauda。クソ真面目で愛想がなく友人が少ないかのような描写。
Laudaの事故後のリハビリと驚異的な復帰には心を打たれました。自分の変わり果てた容姿に周囲が言葉を失うのを見ても、以前にも増して強気な発言をしてくる。別に気を遣わなくていいんだという彼なりの配慮のようにも映るけれど、むしろ本人自身が外見の復元なんかより一刻も早いレース復帰だけを目標にしてきたようで、死の淵に立たされてもF1への情熱が消えない真のレーサー魂の持ち主でした。復帰のレースシーンを観ていたら涙がぼろぼろ出ました。また、結果の出ないドライバー、故障したドライバーは、ほとんど使い捨てかのような残酷さも感じました。
最終決着が着く日本グランプリ。どう再現したのだろうというくらいの臨場感。更に視界を悪くするシャワーのような水しぶき。ただレーシングを見せるだけではなく、緩急のつけ方がとても上手いと思いました。レース中の無になる瞬間、バックミラーに映るライバルの姿…。劇場で観たかった…。
リハビリ中の励みになったのはHuntの活躍。
死ぬ気でレースに挑ませたのはLaudaの意地。
良きライバルであり友だった2人。
映画は闘志を燃やすようなrivalryに重点を置いていましたが、実際は一緒に暮らしたこともあるほどの親友だったということで、最後のご本人写真からは仲の良さが滲み出ていました。2人に加えて伴侶達まで結構似せているというか似ているというか、キャスティングも絶妙。James Hunt、人の良さが顔に出てる(^^)。
結果的にF1レーサーとしてはLaudaの方が上かしらという気もしましたが、Huntの最大の功績は、Laudaを不死鳥のように蘇らせたことですね。
5月にお亡くなりになったLauda。
御冥福をお祈りします。
感動的な実話ベースの作品でした。
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見ていてとにかく危ない、おっかない、ヒヤヒヤもののレース。軽量化が重要だろうから防御装備が少なくて本当に怖い。毎年2人死ぬって…(>_<)。生きてレースを終えるだけでも凄い。生きて帰れる運転の技術が凄い。
悪天候のためLaudaの他複数が棄権した日本グランプリ。“My life is worth more than a title." と。最悪の事故を生き延びたからこその決断ですし、Laudaの存在が他のレーサーの命を救ったかも知れません。
Niki Laudaの妻Marleneは夫の外見に相当ショックを受けたようですが、その描写の代わりに足された脚色があの無礼な記者の質問ということなのでしょうかね。その後Nikiの浮気で離婚。
Huntは引退後、経済的に困窮して(いかにもしそう)アル中に。Laudaが2回ほど金銭的援助をして立ち直ったと。
“..... the closer you are to death, the more alive you feel.”
“Stop thinking of it as a curse to have been given an enemy in life. It can be a blessing, too. A wise man gets more from his enemies than a fool from his friends."
“Some of life needs to be for pleasure. What's the point of having a million cups and medals and planes if you don't have any fun? How is that winning?”
【”賢者は敵から多くの事を学ぶ” 1976年の苛烈なF1 GPレースを舞台にした生き方も性格も違う二人の男が心を交わし合う姿を描いたヒューマンドラマ&アドレナリン大放出のレースシーンも見事な作品。】
ー性格も生き方も違う二人の男が、苛烈なF1レースを通じ、お互いを尊敬し、友情を育む姿を描いたカーレーシング・ヒューマン映画。-
■ニキ・ラウダ(ダニエル・ブリュール)
オーストリアの裕福な家庭で育つが、父親にレーサーになることに猛反対され、自力で資金を工面して、F1の舞台に立つ。
・綽名
”車のセット・アップの天才”
”走るコンピューター”
■ジェームス・ハント(クリス・ヘムズワース)
イギリス良家に生を受けるが、自由奔放で酒も煙草も好き。けれど一番好きなのは女性で、今作ラストの舞台となる1976年 F1 GP の2週間で“緊張を解くため”に英国航空33名のスチュワーデスと情を交わしたエピソードあり。今作でも同様のシーン多々あり。
・綽名
”F1界きってのプレイボーイ”
”壊し屋ハント”(運転が粗いため)
という、性格も生き方も違う二人が、F3時代からの確執、F1の多くのレースでの苛烈な戦いを通して、友情を育む物語。
■印象的なシーン
・豪放磊落なハントがレース前に必ず、激しく嘔吐する数シーン。
・ラウダが技術屋たちに車体を軽くするために、次々にアドバイスをするシーン。その車で走ったドライヴァーが走行時間が2秒縮まった事に驚く表情。
・ラウダが恋人、マルレーヌと結婚し幸せの絶頂の中、夜中”幸せは敵だ・・”と呟くシーン。
・1976年 ドイツ F1 GPレース ”世界一危険なコース”に降る雨。レース前のドライヴァーズ会議で、レース中止を訴えるラウダに対し、ハントは決行を指示し、ラウダは大クラッシュ。400度の炎に包まれ、病院へ。ハントの悲痛な表情・・。
・ラウダが病院で肺に溜まった膿を吸い出すポンプを苦しそうに加えたり、皮膚移植する姿の横で、TVに映るハントのマクラーレンのレースカーが快走するシーン。
・ラウダが顔面に大やけどを負った姿で記者会見に臨むシーン。彼に対して失礼極まりない質問をした記者に対し、ハントが怒りを抑えられず殴りつけるシーン。
ー 良い漢だなあ、ハント。ラウダに対して申し訳ないと思う気持ちも含まれているんだろうなあ・・。-
・事故後、僅か42日後にレースに復帰し、4位に入賞するラウダ。彼のフェラーリのマシンに群がる群衆。
ー 可成り、心に沁みるシーンである。-
・そして、ハントが総合点トップのラウダに、ポイントで肉薄する中、迎えた富士スピードウエイでのGP最終戦。コースには雨が降っている・・。
1976年の苛烈なF1 GPレースを制したのは・・。
■好きなシーン
二人が”ある飛行場のレーン”で再会し、交わす会話。
そしてモノローグで流れるラウダのセリフ。
”彼は、私にとって、尊敬に値するごく少ない一人であり・・・、”
<F1レースを舞台にした映画では、昨年の「フォードVSフェラーリ」に比肩する作品。苛烈なレースシーンではアドレナリンが大放出し、幾つかのヒューマンシーンでは涙腺が刺激される作品でもある。>
<2014年2月8日 劇場にて鑑賞>
<2020年6月14日 劇場にて再鑑賞>
<2020年6月20日 別媒体にて再観賞>
■補足
当時のパンフレットの中の、故今宮純さんのレビュー「”最速”と”最強”の邂逅~魂のサイド・バイ・サイド」には痺れます・・。
好敵手と書いて友と呼ぶ
F1はそんな詳しくないですけど、テレビでやってると、しばらく観てしまいます。
スピードへの憧れとか命をかけてるからみてしまうのかな。
最初はお互いに嫌な奴と思ってるけど、それがいつしかライバルとなり友となる。
ありがちな物語ではありますが胸が熱くなりますね。
ハントがニキの復帰会見で記者を殴り倒したのは気持ちが良かった。
最後のレース前に二人がアイコンタクトとってるのも、いいなと思いました。
最終決戦が富士の麓と言うのは日本人からすると感慨深い物がありますよね。
レースシーンを劇場で観ることが出来なかったのが少し心残りです。
プレイボーイのジェームスハントと 精密機械でありメカニックもやって...
プレイボーイのジェームスハントと
精密機械でありメカニックもやってしまうニキラウダその2人が時に認め合い、時に反発しそれぞれを高めていく。
実話ものは先にWikipedia見ちゃうとネタバレというかそれ以上がでてきちゃって楽しみが半減する可能性がある。
マルレーヌ(アレクサンドラマリアララ)とのシーンがいい。
レガッツォーニに屋敷に置いて行かれたラウダがマルレーヌの車に乗せてもらうが三流メンテナンスのお陰でエンスト。
ラウダのファンが止まってくれるがマルレーヌはラウダがドライバーだとは知らない。
そこでテクニックを見せつける。
ジェームスハントのプレイボーイ部分は金持ちの家の強がりな側面誰にも頼れない、信用できないからこその行動ともとれる。
ラウダが日本グランプリで棄権するのは何故?命が惜しくなった?守るものがあったので事故のような事をまた起こしてしまうのが怖くなった?と受け取れるが少しだけ悲しい顔もする。
思い出深い1976年の富士
筆者の世代にとって、1976年に日本で初めて開かれたF1は思い出深い。夢中で見たアニメ『ルパン三世』の初回はF1レースが舞台だったし、ちょうど世はスーパーカーブームだった。
そんな76年のF1選手権で覇権を争ったのが、本作で主人公となるニキ・ラウダと、ジェームズ・ハント。とくにニキ・ラウラといえば、80年代に日本でも大人気だったプロスト&セナの前の世代の伝説的ドライバー。この年は、頭脳派のニキ・ラウダが大事故に遭いながら早期復活し、最終的に暴れん坊のジェームズ・ハントが大逆転で選手権を勝ち取り年間王者となったが、最終戦である日本GPで年間王者が決まったのだから、印象も大きかった(もっとも、当時はまだF1GP選手権の仕組みもよく分かっていなかったが……)。
そんな2人の1年間の争いを描いたのが、本作である。
ライフスタイルも、選手としてのレース運びも、プロとしてのアプローチも、生まれ育ちの環境も、何も顔が正反対の二人。しかし、互いに信頼関係はあったと言われている。映画では反発し合う2人だが、実際には、レースを離れれば馬があい、もっと親しい面もあったらしい。まさに、ライバルという言葉にピッタリだ。
80年代以降に低迷する前のまさに「赤い跳ね馬」のフェラーリ、マルボロデザインに覆われたマクラーレン(そのほか、ロータスなどの名車も!)や、当時の富士スピードウェイが再現されるだけでも、監督のロン・ハワードに感謝したくなる。
F1好きには嬉しくなる作品だ。
ニキの闘志がすごい!
f1レーサーであり、ライバルでもある2人、ニキ・ラウダ、ジェームズ・ハント。会うたびに子供じみたケンカをするような二人であったが、ある日ニキ・ラウダがレース中に大事故を起こしたことがきっかけで、二人の関係はいがみ合う関係から友情へと変わっていく。
大火傷を負ってもf1に復帰したニキの闘志と奥さんとの絆に感動した。
至高のゲイムービー。
「RUSH プライドと友情」見ました。おもしれー、てか男臭くてたまんねぇー。
とにかく2人のキャラクターがホントにかっこいい。
無名の2人が世界のトップにのし上がる過程が素晴らしく爽快だし、どうして2人がトップまで駆け上がる事が出来たかという理屈もしっかりしている。実話だけあって、ストーリーとしては少しも可笑しいと思う所がない素晴らしい脚本でもある。
冷静で才気に満ち、それでいて強気な一流の勝負師であるニキと、ニキとは対照的に好戦的で命も惜しまない鉄砲玉のようなハント。このバランスも良い。こーゆーライバル関係を扱った映画だと、一方は好きだけどもう一方は嫌いとか、どちらかが悪役的な立ち振る舞いだったりするけど、お互い嫌味な所はありながらしっかり尊敬し合ってるのが伝わるし、両者とも好きにならずにはいられない。
ド派手なカーアクションを排した作りも、キャラクターを引き立てる上で重要だったとも考えたい。
ハントを演じたヘムズワーズは、この為にかなり体を作ったんでしょうか?マイティ・ソーの時のガチムチボディが、スリムなレーサーマッチョになっている。この変わりっぷり
は恐れ入りました。すごすぎる。
ラストの飛行場での、ニキとハントの打ち上げシーンも痺れましたね。
”宿敵の存在を呪わず神の恵みだと思え”、”賢者は敵から多くを学ぶ”なんてカッコ良くて深い事を言っちゃうニキ・ラウダ。抱きたい、そしてブン殴りたい。ありがとう。
総じて男祭りとしては最高の仕上がりだと思います。
KinKi Kidsの吹き替えはなかったことにします。
F1の事を全く知らなくても楽しめる作品。
冒頭のF1がうなるエンジンの音がズシズシ脳に響いて酔いしれた。
ニキとハント。この二人は相反する性格でお互いのことをライバルだと認識している。
この男達二人の闘いなのだけれど。
男の俺も見ていて痺れた。
映像も演技も音響もとても良かった。
ニキが火傷を負って額のガーゼを張り替えるシーンやヘルメットを被る瞬間は見ていられなかったが、ハントの走りっぷりを見て、また、F1の世界に戻ってくるのは、凄いことだし尊敬に値すると思う。
今年、初の映画でこれだけ胸に響いた作品を見れて今年はいい映画に当たりそうな感じ。
男性諸君、必見!
1976年当時、まだ小学生であった私は、少年ジャンプに連載されていたサーキットの狼に感化され、スーパーカーブームによりまさに踊らされていた。時に同じくして、F1が日本で第1次ブームを迎えようとしていた。
前年優勝したニキ・ラウダがやはり一番人気で、スタート早々リタイアして残念な序盤戦でありながら、雨の富士スピードウェイをテレビにかじりつくように観ていた記憶がかすかに甦る。
この時、ワールドチャンピオンとなったジェームス・ハントが深く脳裏に刻まれることはなく、むしろ印象に残ったのは優勝したマリオ・アンドレッティであった。
ところが、30年以上の時を経て、この映画を観ることで、ハントとラウダという二人のレースに対する熱き思いと友情関係が背景にあったことを知り、深い感慨を覚えた。
エンディング前に、二人が言葉を交わす場面で、お互いをチャンプとリスペクトしあうところが無性にカッコイイ。
展開が機敏で、まったくだれることのない、あっという間の2時間であった。
うーむ・・・
個人的にはラウダが火傷後の復帰レースで4位とったってのに恐怖を感じた。マジかい。
ラストのお前がいたから強くなれたって、例えば自分の周囲の人間関係で善き人だろうが敵や憎い人物だろうが、そいつを自分が飛躍するためのバネにする、だから強くなれる。という提言が気に入った。
ただし残念なのが、PG12指定にしてまでハントの情事のシーンは別にいれなくてもいいですよ。
「あなたの、生涯の1本を塗り替える」力を持たない凡作
日本語吹き替え版で鑑賞。
私は別にモータースポーツのファンではないし、その種の映画も「栄光のル・マン」くらいしか観ていないが、当時の「サーキットの狼」を起点とするスーパーカーブームの中で、ニキ・ラウダの事故と奇蹟的な復活は知っていた。
そのニキ・ラウダとライバルのジェームス・ハントを主役として、あのロン・ハワードが生命を懸けた極限の世界に生きる男達の戦いを描く。さぞかし熱いドラマが見られるだろうし、現代のCG技術を持ってすれば昔の映画では描けなかった迫力あるレースシーンも見られるだろうと大いに期待していた。しかし実際の映画からは、残念ながらそんな熱いドラマも、予想を超える迫力のレースシーンも見られなかった。
ニキ・ラウダとジェームス・ハントの、互いに正反対の性格のライバルが、お互いに反発しながら認め合う微妙な関係の中で、切磋琢磨しながら戦友に似た感情を育てるストーリーは分かるが、それは他のスポーツや格闘技を題材にした実話や映画・小説でも散々描かれてきた。実話を元にしていると言っても、この作品がそれらを凌駕しているとは言いがたい。
レースシーンも俯瞰やアップの切り替えが小刻みすぎて、期待したほどの迫力や臨場感に欠けている上、無意味なバルブのアップにも気を削がれる。
ジェームス・ハントの奔放な性格を表す為にSEXシーンが多用されているが、いくら何でも知り合ったばかりで、しかもより職務への忠実さが求められる専門職(看護師や航空アテンダント)の女性が、職務を放棄してSEXに溺れる等と言うのはあり得ないだろう。またハントがラウダの顔の事で心無い質問をした記者を殴るシーンも、あれは完全な暴力行為で本来なら警察沙汰になってもおかしくない。これらは明らかに過剰演出で無理があると思われる(もし事実であればゴメンナサイだが)。
ラウダの事故についてハントが責任を感じる事についても、そもそも開催に否定的であったにせよ、最終的に出走したのはラウダの自己責任であるし、事故の原因は(この作品では)雨によるスリップや視界不良ではなく、整備不良によるマシントラブルであることが分かっているので、感情移入することができない。
正直、私にとっては「看板に偽りあり」の凡作でしかなかった。
エンドクレジットの後に取って付けたように始まるKinKi-Kidsの歌は日本公開版だけかと思うが、まるでプロモーションビデオを見せられているようで、ファン以外には全くの蛇足でしかない。これから観ようと思っているKinKi-Kidsファン以外の人には、是非とも字幕版での鑑賞を勧めたい。
人生楽しまなくちゃ!!
自由奔放に人生を楽しんでいるハントと、慎重で生真面目なラウダ。全く正反対な二人が
徐々にお互いを理解していくというストーリー。
自分は、こういうヒューマンドラマを観たことがなかったのでとても新鮮でした。でも、
ちょっと前半は退屈だったかな。ま、ヒューマンドラマってそんなもんか(笑)
自分的に一番感動したのは、復帰直前のラウダに、記者がそのやけどについて問いたときにハントがその記者を殴った場面が感動しました。
最後らへんにハントと、ラウダが、実際に二人で写っている写真を映画に入れてて、そこが印象的でした。
単なるヒューマンドラマとして見ないで
映画ラッシュを見てきたわけですが、ここで拙筆を覚悟で感想を。
この映画は、まず「咆哮をあげて機銃掃射のうえを走りぬけるような自動車はサモトラケのニケより美しい」イタリアの芸術家で詩人の未来派の祖マリネッティの言葉のように自動車というテクノロジーそのものの美学が詰まっている作品として評価できるのではないでしょうか。響くエキゾーストノートからタイヤ、ステアリング、レーサーの装備に至るまで全てがスピードのために設計された無駄のないデザイン自体の美しさを「映像」として描く点は、これまでのハリウッド的ないわゆるカーアクションとは一線を画していて迫力満点でした。
この手の映画の定番パターンで「テクノロジーを描いてる中に熱いヒューマンドラマがある」という見方があります。この作品も現に邦題が「プライドと友情」となっていることや予告編の編集からその見解に図式化されてしまうのかなと思っていました。しかし、私が感じたのはむしろJGバラードが「クラッシュ」の中で述べたようなスピードというテクノロジーがむしろ人間そのものを変革し、自己の破滅への方程式を組み上げてしまうということでした。極限のスピードを生み出すハントとラウダという2人がテクノロジーを介して如何に変革されて行くかということについてのドラマだっように見えました。そして、前者が悪天候を顧みずアタックを続けるように、後者が大クラッシュの後の生還劇を演じるように、両者に漂う常軌を脱した「ヒューマンドラマ」であり、そこには人間としての肌と肌の交流というより、金属やタイヤの擦れる音や、エンジンオイルの鼻を刺す臭いといったテクノロジーの介入した交流という点こそがF1を描いて浮き上がる人間の新しい感性と言えるのではないかなと感じました。この感性を徹底したハントはチャンピオンとなり、妻との愛という古典的なヒューマン的要素が過ったラウダが敗れたということはF1を象徴しているラストシーンだったと思います。そして、それが享年45歳で逝ってしまったハントの死への媒介変数の設計の瞬間だったのではないでしょうか。
この映画をアクション映画の部分とヒューマンドラマの部分で分けて都合のいいように解釈するのではなく、その両部分が結合した最高に爽快であり、最高に不吉な物語として見てみることができるのではないでしょうか。
治療のシーンが痛々しい
一番心に残っているのは、事故にあって治療を受けているところ。
胃の中の膿を出すのが、すごく辛いという所。
父親が肺を患って今入院していて苦しい思いをしているので、そのシーンが重なって苦しかった。
これぞスポ根
F1が日本にやってくる。
昔の少年ジャンプには夢と正義そしてちょっとエッチなオカズが、大盛りの海苔弁当のように詰め込まれていた。
ジェームス・ハントはそんな少年ジャンプのヒーローそのもの。ニヒルで人懐っこいキラースマイルには女子が列をなす。一方ヒール役かのように仕立て上げられたようなニキ・ラウダ。炎に包まれた死のクラッシュから不死鳥のように蘇った。酷い火傷の痕跡のある顔の奥の瞳は暗く鋭い光を放っている。まるでウルトラセブンに出てきた悲劇のヒストリーで語られる怪獣のようだ。
そんな刷り込みではじまった1976のF1ジャパングランプリinフジ。テレビの生中継で観たのかなんだか記憶は定かではない。極東巡業の挙句のひどい雨でエントラントのテンションは低い。ずぶ濡れの大観衆。何とか盛り上げようと悪戦苦闘するメディア。まるで沈没寸前の豪華客船のような危うさは幼い自分にも伝わってきた。
その翌年の新聞一面を飾った悲惨な大クラッシュといい、つくづく運がなかったF1の日本初上陸。それだけではないが様々な理由によりF1の日本開催はホンダやフジテレビが仕掛けるまでしばらく封印された。近年初開催された韓国やインドのF1も上手くいかなかったのに似ているかもしれない。いずれにせよF1の風土を受容する国の器と精神的基盤が足りなかったのだろう。
「RUSH 」プライドと友情
糞みたいな日本のサブタイトルがついているがそれは気にしない方がいい。要約するとジェームス・ハントとニキ・ラウダを軸に展開されたスポ根ストーリーを1976のF1シリーズを舞台に、ドキュメント仕立てに精密なVFXをフルに活用して描いている。
劇中では何度もニキが中指を立て呪いの言葉を吐き、ハントは嘔吐した。名機DFVエンジンは地獄のラッパ手のように野太い叫びをあげ、排気の陽炎の先をグッドイヤーの極太タイヤはアスファルトをかきむしり縁石にぶち当たり土煙を上げ加速していく。巨大なリアウィングにはおそらく最高のプロモーションになったであろうマルボロカラーに彩られている。監督のロン・ハワードの完全再現主義のおかげで細部に渡る描写はギークの本領発揮で実に見応えがあった。
劇中での着地点となる大雨の富士。ニキは早々とリタイアした。
子供心にはチャンピオンかかってるのに何だよこいつは、皆走ってんじゃねーか、なんて思った。だがレースはそんなに簡単ではない。にわかの糞ガキにわかるわけがない。
RUSHではその答え合わせが期せずしてできた。
70年代のF1はまだまだ悪魔の手の平の上で躍らされているような危険な影の側面があり、全てを捧げる覚悟がないとその舞台に立つことは出来なかった。生き残るためにニキはここまではOK、でもそれ以上は二次曲線的に死ぬ確率が高まるからやらない、そんなガイドラインを設けリスクコントロールした。
しかしハントは真っ正面から恐怖に対峙し嘔吐しガタガタと震えた。
アイルトン・セナが不幸なクラッシュで亡くなった1994年のサンマリノGP。
F1史上もっとも獰猛といわれた1000馬力のエンジンとまだまだ過渡期だったシャシーと安全対策の時代で、1994シーズンは溜まったツケを悪魔に払い続けたようなシーズンで目を覆いたくなるようなクラッシュが続出し、セナも色んな事が上手くいかないシーズンを神に祈るように走り続けていた。
そのサンマリノの週末は悪夢のような出来事が続き、前日には死者の名がついたコーナーでローランド・ラッツェンバーガーが亡くなっていた。
「今日は走りたくないんだ」
セナは走る前に近親の者にそう漏らしていたという。レースはスタート直後のクラッシュで仕切りなおしとなった。こういう時は気持ちを強く持ち続けるのが難しい。リスタート後オンボードカメラは300kmオーバーでタンブレロへ飛び込んでいくセナを映していた。突然マシンがコントロールを失い一直線にウォールに吸い込まれていった。何か良くないことが起こったのは確実だ。空撮画像はコクピットの中で頭を垂れ微動だにしないセナを映し続けている。モニターの前のデザイナーのエイドリアン・ニューウェイは全てを悟ったのか泣いていた。
ゲームの最後はニキが勝負をおり席を立った。
「World fuckin' champion!」
青臭かったり哲学的だったりするフレーズがスパイスをきかせるように出てきて、中でもこのセリフは実に様々な事を揶揄しているようで印象的だった。
昆虫図鑑のような70年代のオリジナリティ溢れるF1マシンの魅力やちょっとサイケな風俗、大看板によじ登って穴を空けて骨組みに腰掛ける鈴なりの観客や、コースギリギリに迫るメディアなど、自由で奔放な時代がスクリーンいっぱいに描かれていた。
演じる人々、エンツォ・フェラーリ役もかなり似ていたし、ハント役もニキ役も雰囲気や表情まで見事に演じていた。ニキの奥さん役も。でもエンディングのニキの回想シーンで、実写の本人たちの映像が出てきた。リスペクトする意味もある演出だったのかな。
これは酷だけど本物にはやっぱり全然かなわないな。そんだけ本物がハンパなかったんですね。
現在のF1は高度に洗練され恐ろしくスピードも上がったが、コースを含め安全性はかなり向上した。マシンも電子制御の塊となり、かなりドライビングをアシストしてくれる。一発のシフトミスやオーバーレブでエンジンを壊すこともなく、クラッシュして炎に包まれる可能性は低くなった。
ニキはそんな現在のF1を「猿でも運転できる」と揶揄して物議を呼んだが、それは精神的な意味ということで昔ほどの覚悟の強さが必要ないということじゃないかな。
「RUSH」モーターレーシングの非日常の魅力をこれだけスクリーンから観ることが出来るなんて思わなかった。
ロン・ハワードにはアイルトン・セナも描いてもらいたいもんです。
よかった
ハントがちょっとへこむ出来事があっても、その時目についた女にちょっとムラムラすると次の瞬間にはセックスができているというのが羨ましすぎる。3Pなどどういうふうに誘えばできるのかとても気になった。
ハントがそんな人間なので断然つまらなく生きているラウダに勝って欲しかった。しかしそんなつまらない損得勘定をしている男がレーサーなどというクレイジーな職業をなぜ選ぶのか、もうちょっと突っ込んで描いて欲しかった。そういう意味では人間的な歪みが激しいのはラウダなのかもしれない。
人間性にスポットを当てて描いているとの事なのだが、車やテクニックについてもうちょっと焦点を当てて欲しかった。なぜラウダやハントが速いのか、なぜ連勝していたのか、この映画では単に運転が上手で命知らずで、車がいいからなのかなとぼんやり想像するしかない。実際そうなのだろうか。とにかく、そこが不満だった。
最近、MT車に乗っているのでクラッチ操作や素早いシフトチェンジは見ていてワクワクした。仲良く遊んでいるだけが友情ではないということや、嫌われ者やいかれた人間に対する優しさが描かれた素晴らしい映画だった。
全35件中、1~20件目を表示