「これぞスポ根」ラッシュ プライドと友情 いわしさんの映画レビュー(感想・評価)
これぞスポ根
F1が日本にやってくる。
昔の少年ジャンプには夢と正義そしてちょっとエッチなオカズが、大盛りの海苔弁当のように詰め込まれていた。
ジェームス・ハントはそんな少年ジャンプのヒーローそのもの。ニヒルで人懐っこいキラースマイルには女子が列をなす。一方ヒール役かのように仕立て上げられたようなニキ・ラウダ。炎に包まれた死のクラッシュから不死鳥のように蘇った。酷い火傷の痕跡のある顔の奥の瞳は暗く鋭い光を放っている。まるでウルトラセブンに出てきた悲劇のヒストリーで語られる怪獣のようだ。
そんな刷り込みではじまった1976のF1ジャパングランプリinフジ。テレビの生中継で観たのかなんだか記憶は定かではない。極東巡業の挙句のひどい雨でエントラントのテンションは低い。ずぶ濡れの大観衆。何とか盛り上げようと悪戦苦闘するメディア。まるで沈没寸前の豪華客船のような危うさは幼い自分にも伝わってきた。
その翌年の新聞一面を飾った悲惨な大クラッシュといい、つくづく運がなかったF1の日本初上陸。それだけではないが様々な理由によりF1の日本開催はホンダやフジテレビが仕掛けるまでしばらく封印された。近年初開催された韓国やインドのF1も上手くいかなかったのに似ているかもしれない。いずれにせよF1の風土を受容する国の器と精神的基盤が足りなかったのだろう。
「RUSH 」プライドと友情
糞みたいな日本のサブタイトルがついているがそれは気にしない方がいい。要約するとジェームス・ハントとニキ・ラウダを軸に展開されたスポ根ストーリーを1976のF1シリーズを舞台に、ドキュメント仕立てに精密なVFXをフルに活用して描いている。
劇中では何度もニキが中指を立て呪いの言葉を吐き、ハントは嘔吐した。名機DFVエンジンは地獄のラッパ手のように野太い叫びをあげ、排気の陽炎の先をグッドイヤーの極太タイヤはアスファルトをかきむしり縁石にぶち当たり土煙を上げ加速していく。巨大なリアウィングにはおそらく最高のプロモーションになったであろうマルボロカラーに彩られている。監督のロン・ハワードの完全再現主義のおかげで細部に渡る描写はギークの本領発揮で実に見応えがあった。
劇中での着地点となる大雨の富士。ニキは早々とリタイアした。
子供心にはチャンピオンかかってるのに何だよこいつは、皆走ってんじゃねーか、なんて思った。だがレースはそんなに簡単ではない。にわかの糞ガキにわかるわけがない。
RUSHではその答え合わせが期せずしてできた。
70年代のF1はまだまだ悪魔の手の平の上で躍らされているような危険な影の側面があり、全てを捧げる覚悟がないとその舞台に立つことは出来なかった。生き残るためにニキはここまではOK、でもそれ以上は二次曲線的に死ぬ確率が高まるからやらない、そんなガイドラインを設けリスクコントロールした。
しかしハントは真っ正面から恐怖に対峙し嘔吐しガタガタと震えた。
アイルトン・セナが不幸なクラッシュで亡くなった1994年のサンマリノGP。
F1史上もっとも獰猛といわれた1000馬力のエンジンとまだまだ過渡期だったシャシーと安全対策の時代で、1994シーズンは溜まったツケを悪魔に払い続けたようなシーズンで目を覆いたくなるようなクラッシュが続出し、セナも色んな事が上手くいかないシーズンを神に祈るように走り続けていた。
そのサンマリノの週末は悪夢のような出来事が続き、前日には死者の名がついたコーナーでローランド・ラッツェンバーガーが亡くなっていた。
「今日は走りたくないんだ」
セナは走る前に近親の者にそう漏らしていたという。レースはスタート直後のクラッシュで仕切りなおしとなった。こういう時は気持ちを強く持ち続けるのが難しい。リスタート後オンボードカメラは300kmオーバーでタンブレロへ飛び込んでいくセナを映していた。突然マシンがコントロールを失い一直線にウォールに吸い込まれていった。何か良くないことが起こったのは確実だ。空撮画像はコクピットの中で頭を垂れ微動だにしないセナを映し続けている。モニターの前のデザイナーのエイドリアン・ニューウェイは全てを悟ったのか泣いていた。
ゲームの最後はニキが勝負をおり席を立った。
「World fuckin' champion!」
青臭かったり哲学的だったりするフレーズがスパイスをきかせるように出てきて、中でもこのセリフは実に様々な事を揶揄しているようで印象的だった。
昆虫図鑑のような70年代のオリジナリティ溢れるF1マシンの魅力やちょっとサイケな風俗、大看板によじ登って穴を空けて骨組みに腰掛ける鈴なりの観客や、コースギリギリに迫るメディアなど、自由で奔放な時代がスクリーンいっぱいに描かれていた。
演じる人々、エンツォ・フェラーリ役もかなり似ていたし、ハント役もニキ役も雰囲気や表情まで見事に演じていた。ニキの奥さん役も。でもエンディングのニキの回想シーンで、実写の本人たちの映像が出てきた。リスペクトする意味もある演出だったのかな。
これは酷だけど本物にはやっぱり全然かなわないな。そんだけ本物がハンパなかったんですね。
現在のF1は高度に洗練され恐ろしくスピードも上がったが、コースを含め安全性はかなり向上した。マシンも電子制御の塊となり、かなりドライビングをアシストしてくれる。一発のシフトミスやオーバーレブでエンジンを壊すこともなく、クラッシュして炎に包まれる可能性は低くなった。
ニキはそんな現在のF1を「猿でも運転できる」と揶揄して物議を呼んだが、それは精神的な意味ということで昔ほどの覚悟の強さが必要ないということじゃないかな。
「RUSH」モーターレーシングの非日常の魅力をこれだけスクリーンから観ることが出来るなんて思わなかった。
ロン・ハワードにはアイルトン・セナも描いてもらいたいもんです。