スティーブ・ジョブズ(2013)のレビュー・感想・評価
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「僕は戻っていない。」戻ってもらいたくないかもね。
I love「◯ッキントッシュ」♥
「スティ◯ブ・ウォズニアック」と「スティ◯ブ・ジョブス」の青春時代。
A◯ple IからAp◯le Ⅱへ
そして、「りさ」が生まれる。GUI(Graphical User Interface)そう♥
つまり、見た通り「Click」
今じゃ当たり前だが、当時はそこがすごかった。
就職の時に◯pple Ⅱが販売されて間もなくで「りさ」が物凄く期待されていた。だから、Appl◯ の日本での販売をする会社へ就職をしようと思っていたが、日本では上場もしていなかった。だから、諦めた。
まぁ、それで良かったと思っている。
「マッキントッシ◯ クラシック」は買ったよ。高くて親父に凄く怒られたけどね。
「マッ◯」は僕にとってはマクダ◯ネルじゃない。当時はスゲ~馬鹿にされたけどね。「ファ◯キントッシ◯」ってね。
誰でも理想はある。でも、大概は出る釘は打たれる。
シリア対イスラエルが垣間見える。これ以上突っ込まない。
しかし、僕は
「ユトリロの真っ黒い窓♥」
に負けたと思っている。
世界を変えたいか
アップルの創設者スティーブ・ジョブズを、アシュトン・カッチャーが熱演。
可能な限り最善を尽くそうとするジョブズの姿が強く印象に残る。強い信念を持って突き進んで行く者が、世界を変え得るのでしょう。
父親の前で堪えきれず嗚咽する姿が沁みた。
ー誤った考えを振り払え
ー人生を変えろ
BS松竹東急を録画にて鑑賞 (吹替版)
スティーブ・ジョブズなる人物の本質に迫ろうと努力していた
ジョシュア・マイケル・スターン監督による2013年製作のアメリカ映画。
原題:Jobs、配給:ギャガ。
Appleとの関わりで言えば、Macintoshは短期間仕事で使っていたことがあるが熱心な信者では無かった。少し憧れる気持ちもあったが価格からMacもiPodも触らず、競合企業のものを使用。Windows系タブレットSurfaceを経て、あらためてiPADでiOSの良さを知り、iPad mini 2台及びiPhone購入といつの間にかAppleのヘビーユーザーで、使いやすく不具合少なく信頼性も高いことから、今やほぼApple信者になっている。
スティーブ・ジョブズの有名なスタンフォード大卒業式でのスピーチは、何度もiPAD mini 経由で視聴している。しかし、Apple設立の経緯やどうApple を追い出されたか、Appleに舞い戻ってからの権力闘争も知らなかった。そして、この映画で、異論挟む人間を即刻クビにする様な独裁者で、長い間のパートナーも退職させる闘争的な人間であったことを初めて知った。
ただ実感として、企業内で革新的な製品を産むには協調的な精神の在り様ではとても難しいことは良く分かる。そういう意味で、綺麗事の映画にはせずに、自分の有するビジョン遂行に狂信的なスティーブ・ジョブズの仕事の仕方をリアルに描いていると思われ、好感は覚えた。
ただ、妊娠したガールフレンドに対する仕打ちはあまりに理不尽で、自分にはさっぱり理解出来ず。実父母に捨てられたとの認識のジョブズが遺伝子検査で実子と認定されたのに、娘に親と同じ様なことをしている。若い彼には、子供や家庭の存在を拒否する何か激しい葛藤があったのだろうか?脚本家も監督も解釈を出来ずにいた様に思われ、そこはモヤモヤ感が残った。
映画により、初期Apple成功には共同設立者で天才エンジニアのスティーブ・ウィズニアックの存在が原動力であったことを初めて知った。前職でのゲーム製作でさえ、ジョブズは密かに彼に頼っていたエピソードが象徴的。ただ、一般人にはジョブズの偉大性だけが大きく残ってるのはかなり理不尽な気もした。ただ、企業成功に核となる二人の存在ありという点では、ソニーやホンダと共通していて、その点をきちんと描いていて感心はさせられた。
製作ジョシュア・マイケル・スターン 、マーク・ヒューム、製作総指揮ジェイコブ・ペチェニック、脚本マット・ホワイトリー、撮影ラッセル・カーペンター、美術フレディ・ワフ、衣装リサ・ジェンセン、編集ロバート・コマツ、音楽ジョン・デブニー。
アシュトン・カッチャー(スティーブ・ジョブズ)、ダーモット・マローニー(マイク・マークラ)、ジョシュ・ギャッド(スティーブ・ウィズニアック)、ルーカス・ハース(ダニエル・コトキ)、J・K・シモンズ(アーサー・ロック)、マシュー・モディーン(ジョン・スカリー)、レスリー・アン・ウォーレン、ロン・エルダード、アナ・オライリー。
自己啓発映画
やはりここまでストイックでないと、IT業界で名を残すことはできないか!夢を実現するためにリストラの嵐、学生時代の親友まで切るドライ具合と、半端無い努力に感服。
多少ドラマティックにしてるとは思うが、やはり人並みはずれた努力・発想・行動力等により、スティーブ・ジョブズの名は世界の歴史に名を刻まれたのだ、とあらためて思うとともに、自分も頑張らねば、と気が引き締まった。
自己啓発につながる言葉が多い。”今日から”をどう生きるか考えさせられた。
辛口な批評をしている人が多いように思えるが
僕は楽しめた。
iPhoneユーザーではあるものの
スティーブ・ジョブズにも、アップルにも、スマートフォンにも、
「こうあるべきだ!」的なこだわりがないからかもしれない。
この映画はスティーブ・ジョブズの人生を追った伝記的な作品だ。
学生時代から始まりiPodを生み出すまでの
サクセスストーリーが描かれている。
個人的には思わずハッとさせられるような
自己啓発的なセリフが印象に残った。
例えば禅に傾倒したジョブズが指導者から聞いた言葉。
「要は、何者であるかより、その一生で何をするかだ。
死の時は決まっている。人生とは、平穏への、生の完成への旅だ」
※セリフ引用
と言っている。
特に「何者であるかより、何をするか」という言葉は
心に刺さった。
世の中、肩書や社会的地位で人を判断しがち。
でも本当に必要とされる人は、「実際に何かをした人」だと思う。
チームリーダーを任されても、
年功序列で選ばれただけだとしたら求心力は弱いだろう。
行動することの大切さを実感するセリフだった。
他にも映画の〆でジョブズが全ての視聴者に対して
送ったメッセージは心を打った。
「大人になると、こう言われる。
”世界はずっとこのまま”
”その中にある人生を君は生きる”
”壁を強く叩きすぎるな”と。
それは狭い考えだ。
あることを知ればもっと人生は広がるんだ。
~中略~
君は人生を変えられるし、
好きなものを作り、皆に使ってもらえる。
与えられた人生を生きるという誤った考えを捨てて、
人生を抱きしめ、向上させ、足跡を残すこと。
それを学べば、君は違った人間になれる。
クレイジーな人に乾杯。
~中略~
世界を変えられると本気で思う人間が
世界を変えるのだから」
※セリフ引用
人生は与えられるものではなく、
自ら切り開き軌跡を残していくものだと説いている。
成功者が言うと説得力がある。
自分の人生を振り返ってみてどうだろう。
生きてきた足跡を残せているだろうか。
僕はうっすい跡しか残せていないと思う笑。
この映画を通してもっと自分の意志で、判断で、決断で、
より行動的に生きなければならないと思った。
このほかにも心に刺さるセリフがたくさんある。
自己啓発のつもりで見るのも面白いと思う。
愛人問題は欠点
2016年にも別の内容だろうが映画化されたようだが、2013年のほうの映画をBSTBSで吹き替えでやったもの。アップル社の創造の話は申し分もなにも無いくらいの、現在のパーソナルなコンピューターとの付き合いの恩恵を与えた偉人だが、それ以前にキャンパス時代に婚外性交相手がいたような面は、創造性と関係がなく、ドラッグも含めて、そうした時代のヒッピーの走りだとしても、
そこは人間性としては崩壊していた汚点だと見なければいけないと思う。視聴者はその汚点も成功者への付属物だと勘違いしてしまうとひどい事になる。ヒッピー的な生き方を支持していたからと裸足を路上で歩きまわっていたことなども成功者の共通項でもなんでもない。強情なところがビジネスの交渉として良い面もあったが、私生活では愛人を妊娠させてしまうと冷たくあしらう。これは明らかに人間性としてアウトなのだが、これを勘違いして成功者への特殊性と考えてしまうと間違う。
こうしたフリーセックスの人間は社会を汚した。ビジネスとは関係ない。関係ないからこそ、それはいけない。ビジネスの面では、ガレージから数人で、アップル2によって華々しいスタートが始まる。
フォントを入れるか入れないかで疑問を呈したスタッフを即クビにしてしまったシーンもあるが、これなどはそういう社長もいるのだろうという、会社の性格で、そうではない会社に移動すれば良いのだから問題がないが、妊娠させた相手に同じようなことをするのは犯罪的である。ビジネスは違う世界なのだし、特殊な会社があるだけで、才能だけを要求する会社ばかりあるわけでもない。新製品開発のための抑制のない振る舞いについては気力ある指揮官となった。俯瞰やデザインの目が違っていたのだろうか。そしてジョン・スカリーという天才マーケッターを招いたようなプロデュース力ということなのか。こうした社史というのか経緯はさっぱり知らなかった。1984年が大きく取り上げられている。私が17歳の時。マッキントッシュの頃。ビル・ゲイツに盗人と電話で怒りをぶちまけたシーンがある。大体私に最初からわかるはずがないが、2人で始めたウオズニアックが会社を辞めると別れを告げるシーンがあった。取締役会でスカリーから創業者であるのに解雇された。ここら辺うっすらとそういうニュースを思い出す。スカリーが93年頃か退任。ジョブズはネクストという会社をしていたらしい。そして後のCEOから請われてアップル社に復帰した。これもニュースになったのをうっすらと思い出すような。そして社内で敵対したりするビジネスという非情さの場所。だがそれは経営陣クラスの話でもあると思う。問題は私としては、映画では見せていなかったが、別の女性とは3人の子供ができて別れずに過ごしたようだが、婚外性交によって別の母子家庭を作ってしまったという過去があったということ。これはビジネスの話とは別として、決して称賛されるような生き方ではなかった。そちらのほうが私としては意味がある。ビジネス世界も世界は動かしても、なにかさみしい内部の人間関係をうかがわせたりする。
クレイジーな人生に乾杯。
映画「スティーブ・ジョブス」
(ジョシュア・マイケル・スターン監督)から。
実話とはいえ、ちょっと彼の伝記として考えると、
時期尚早だったな、が私の第一印象。
彼の波乱万丈の人生を127分では語りつくせない部分が多く、
マック教の信者としては、消化不良で観終わった。
鑑賞中のメモは多かったが、その中で私が選んだのは、
「クレイジーな人生に乾杯」で始まる、このくだり。
「はみ出し者、反逆者、問題児、場違いだと感じる人、
彼らは規則を嫌い、現状をよしとしない。
彼らの言葉を引用する人も、反対する人、賞賛する人、
けなす人もいるが、無視は出来ない。
彼らは物事を変え、人類を進歩させる。
クレイジーに見えるが、天才だと思う。
世界を変えられると、本気で思う人間が、世界を変えるのだから」
「2012年9月、アップルは株式時価総額が、世界一になった」
この事実から「クレイジーが世界を変えた」と言い切れる。
そういう意味で「クレイジーな人生に乾杯」。
ジョブズの情熱
ジョブズが大学生の頃から、アップルを創立して、解雇されるまで、そして、アップルに復帰する場面が映像化された作品。
ジョブズには作りたいモノがあって、こだわりがあって、夢があるが、それを遂行するには、無理をしなければいけない部分がでてくる。自分の世界に入りすぎて、周りの同意が得られず、孤独になる危険もある。
しかし、ジョブズの情熱に共感する人は必ずいて、その人たちが困難な局面でジョブズを助ける。
いかに情熱を表現して、多くの仲間を引き入れるか、この映画は成功に必要な鍵を提起している。
私のジョブズで好きなところの一つは、アップルを解雇されて、人生の最も暗い局面にいるとき、家族の大切さに気付く点だ。わずかではあったが、そのシーンが表現されていて、嬉しく思った。
尊敬できない天才…この角度からみたくなかった…
正直期待していたものとかなりのギャップがあってなんと感想を述べていいものやらという感じです。
ジョブズの本などを全く読んだことがないため、固定的な感情が全くないのですが、i macから始まるその後のi padやi phoneにつながる一連のプロダクトはまちがえなく新しい市場を作り出してきたクリエイティブだし、そのデザイン、宣伝は一連の哲学に基づいたとても良いものだという認識はあります。
冒頭のi padの製品発表は何と無くAppleの輝かしい姿が見られましたが、そこからジョブズの学生時代に。
Apple創業期は仲間とガレージで制作をする姿にと何百件と電話をかけて出資者を募っていた時代がきっと今のAppleにつながるものづくりのこだわりを作り出した時代だったのでしょう。
でもその後のリサ開発やMacintosh開発においては、そのこだわりで人を振りわし、予算を使い、そのことで失敗をすることを人のせいにする。
製品の性能の向上だけを目的に、高い理想を振りかざし、次々と創業時に仲間を失って行く。Macintosh開発後の解任までこの話を延々に繰り返している感じで、心に残る部分がとても少なく感じられました。
いや、ジョブズの哲学の強さや、目的遂行の為に仲間を切ることも辞さない姿勢はカールラガーフェルド達に通じるものがあるし、そのこと自体はやはり感銘は受けるものの、本当だったのかどうなのか、いささかわがままで独善的な面が強すぎるというか…車を障害者レーンに留めるシーンとかまさにそのことを誇張していて、すごく人としてどうかと思いました。
今のAppleの最初の成功作でもあるiMacのデザイン開発に少し触れるものの、その後に「2012年 Appleは世界で最も価値のある企業になった」みたいなテロップで幕を閉じる…そこからそこまでのダイナミックな成長と哲学の強さをを見たかったのですけどね…ここまで苦労をしてきたのだから…
きっと映画自体は、ジョブズとその創業メンバーの熱の高さと、ジョブズが独善的だったことをドラマにしたかったのでしょうが、今、世界に市場をつくったAppleの本質的なところ、ジョブズの本質的なところってこんなことなのかな?と若干拍子抜けてでした。
Macintosh発表のジョブズの演説はカッコよかったですけどね。物を作り生み出す仕事をしているなら、こうありたいとは思いました。
本人が見たら激怒すると思う
伝記映画としてひねりなさ過ぎ。
イノヴェーションを唱えてた人物描くのに革新性がない映画はどうかと。
盛り上がりほとんどない。(会社でクビ切られたりクビ切ったりだけ…)
ジョブズも魅力的には見えなかったなぁ。
押しもアクも強いだけの人物という感じ。(女性関係も酷いし)
ジョブズの事をあまり知らない人が見た時、この人のことをもっと知りたいとは思わないのでは…
周りの人物ももっと面白く描けたんじゃないかな。
ちょっと残念なデキ。
アシュトン・カッチャーの似せっぷりが良かったぐらいです。
父性の創造。
彼がこの世を去ってまもなくNHKでスペシャル番組が放送された。
おそらく彼の人生は映画化されると(当たり前のように)予感したが
まったくその通りで、その頃すでに映画化の話は持ち上がっていた。
じゃあこの番組を録画しておいて、映画化されたらもう一度見ようと
ずっと温めてあったので、映画鑑賞後にもう一度じっくり見てみた。
映画で描かれなかった彼がTV画面に広がって、終いに号泣した。
先般公開されたM・ザッカーバーグ映画のように、人格に矛盾のある
人間を掘り下げるテーマが大好きだ。立派な経営者が立派な媒体を
開発するのではないところが最大の魅力である。
ジョブズの場合は、生後まもなく養子に出され(実親は未婚の大学生)
自分は捨てられた子供だという執念がずっと彼について回るのだが、
その後できた自分の子供を認知しなかったことは実親とよく似ている。
一般家庭に汎用コンピュータを、老若男女が使うことのできるものを、
と謳いあげているにも関わらず、家族の在り方がまったく分からない。
元・恋人に対する仕打ち、自分に異を唱える人間を容赦なく罵倒・解雇
する冷徹さは、ひょっとして親譲りなのかもしれないな、とさえ思った。
だがそんな彼の創造力の豊かさは25年先を見据え大ビジョンを描く。
それを着々と実現させる実行力に於いて、誰も右に出るものはなかった。
普通技では出来ないことを次々と成し遂げていく彼を凄いと思うのだが
彼は自分が発明者ではないことを明言している。優れた先人の技術を
利用する(盗用という意味でなく)ことによって、新たな製品が開発できる
アイデアをこれだけ魅せる人って今までいなかったんじゃないだろうか。
経営面では失敗を繰り返した彼が、晩年に築いた温かい家庭。
死ぬまで仕事一辺倒だったかもしれない彼が、やさしい笑顔を見せた
ことが(映画では庭いじりのシーン)とても嬉しかった。彼は家族の為に
自身の技術を発揮し、喜ばれたことが何より嬉しいとTVで語っていた。
人格面での成長。父性の在り方。奥さんの影響はかなり大きい。
認知しなかった娘・リサを引き取って、当時は一緒に暮らしていたらしい。
映画では本当に一部だけ(仕方ないけど)というのが勿体ない作りだが、
A・カッチャーをはじめ、俳優陣はかなり頑張っていて申し分なかった。
実在した人間を描き切るのは難しいだろうが、例えば彼を全く知らない
人が観ても分かるように描いた方が、一般からの共感を得られたと思う。
今作では彼の一側面は見えるが、全体面が見えてこない。
ジョブズが開発した技術に人気が集まったのは、
使いやすい。分かりやすい。楽しい。面白い。ワクワクする…といった
一般人が欲しがるものを一番に考えて作られたからだと思う。
(ジョブズ&映画ファンとしては、ピクサー創設時の話も観たかったな)
残念至極
主演のアシュトン カッチャーの努力には敬服。
でも、脚本も演出も残念ながら入り込めるものではありませんでしたね。
どうしてアップルⅡが魅力的だったのか、iPodが画期的だったのか。ガジェットに対する説得力も説明もなし。
また、ジョブズの復活も淡々としたもの。ピクサーとかアイゼンバーグを描けないのが映画としての限界というものなのかもしれませんが。
ヒッピーの成り上がり映画になっています。誤りではありませんが、それってジョブズの本質ではないように思いますからね。
名場面の再現集
スティーブジョブズの人生に起こった名場面だけを切り取ったような構成で、その背景がさっぱり描かれていなかった。そんなのみんな知ってるんでしょというような意図なのかもしれないのだが、アップル1で一体何ができるのか、どのようにユーザーに届いたのかとか、ジョブズが開発予算で主にどんなことに無駄遣いをしたのかとか、不明だった。そういった当たり前と思われるような事でも面白く描くのが腕というものだろう。ガッカリである。
また、パソコン通信からインターネット、ブロードバンドへの通信の展開にも全く触れていなかった。
そういった背景を語らずに場面場面をつなげられても、ドラマとして成立していないのではないだろうか。
あんな自分勝手な男が最終的に子宝や家族に恵まれて過ごしていたのも腹立たしかった。孤独にむせび泣いてただ機械や道具にうっとりしたまま死ねばいいと思った。
役者さんは頑張っていたのだが、つまらなかった。
信者なら
この映画は、ジョブズの人となり・功績・生涯をあらかじめ全部知っている熱狂的なアップル信者が、まるでジョブズを取り巻く周辺の当事者になったような気分になり、ひたすら気持ち良くなれるようにと意図された「快楽映画」です。
なので、最もアガるシーンが「Apple1をガレージで組み立て、ショップに納品するシーン」と聞いて「おお!見たい!」と思えない人は、見るだけ無駄な映画です。
なお、私はアップルの熱狂的な信者なので、何でもないようなシーンで3回ほど涙が頬を伝いました。
そういう類の、気持ちの悪い映画です。いや、映画というより単なる「名シーンの映像化」と言ったほうが適切かもしれません。。。
賛否の分かれる作品だろうが、個人的には好感が持てる仕上がりだった
「えぇ、どう見ても、このスティーブをアシュトンが本当に演じているの?」と疑いたくなる。
どこから見ても、マスコミで流れていたスティーブ本人の様にしか見えないアシュトンには、今迄の彼の作品から受ける、イメージからは余りにも、程遠いのに驚かされる。
そして、彼のその芝居の迫力に圧倒され、私はファーストシーンからあっと言う間にこの物語へとどっぷりと浸り、虜になる。
それって、もしかしたら、アシュトンのファンだから興味が涌いただけなのか?
兎に角、スティーブが完全にアシュトンに乗り移っているようで、恐いくらいだった。
それはまるで、2011年に、まだ50代半ばで逝ってしまった彼が、夢を追いかけようとする、世界の若者達に、夢の実現の仕方を伝授するべく、アップルコンピューターの始まりの話をしてやろうと言って、あちらの世界から急遽戻って来たかの様に、本当にマスコミに顔をよく出していた彼の姿そのものの、ビジネスマンとしての彼が出現していた。
それ故に、ビジネスマンとして驚異的な指導力と、行動力・カリスマ性を持ち合わせていた天才仕事人間の日常を見事にこの映画は描き出していたと思う。
と言うわけで、スティーブの仕事人間としての姿だけを取材しているドキュメンタリー作品を、再現フィルムで見せられているようである為に、人間ドラマとして考えると、この映画の出来は、何ともバランス感覚の悪い、突っ込みどころが満載の後味の悪い作品であった。
だが、ファーストシーンから描き出していた、彼のキャラは、初めは身勝手で、絶対に自分は知り合いになりたくない、ゲス野郎に見えていたが、映画の終盤には、彼の人柄にも理解を示す事が出来るような仕上がり加減になっていたと言う事に於いては、作品的には、やはり、ジョブズの人間的な魅力と苦しみや、葛藤と言う物がしっかりと描かれていたと言う事も結果的に言えるのかも知れない。
しかし、地位と名誉と膨大な資産を手に入れても、人間必ずしも幸せな、楽しい人生とは言えないと本当に、この作品を観ていると思い知らされる。
この映画の終盤、アップルに再び戻って来た、彼が「クレージーな人達がいる、反逆者、厄介者、物事をまるで異なる目で見る人達、彼らは、クレージーと呼ばれているが、本気で世界は変えられると信じているクレージーな奴こそ、この世界を変えられる」と言うシーンが有る。
この言葉は本当だろう。多くの凡人は、天才と呼ばれる才能を発揮した人間の恩恵に預かりながら、平凡に生きている。
人間にとって、どちらの人生を選んで生きるのが幸せなのか?その事もその人の生き方の価値観に因るのだろうし、才能の有無にも因るが、しかしスティーブは全速力で彼の力の限りを尽くして人生を走り抜けたのだから悔いは無いのだろう!
アップルVSジョブズ?
意外に期待していただけに、ちょっとがっかり。
多分、実在する人物を忠実に描こうとしていたためか
細部のストーリーのつながりが悪く、
なんだかしっくりしない部分が多く残りました。。。
なぜ、認知していない子供の名前をパソコンに付けたのか?
あれほどまで、嫌っていた子供と同居するようになったのか?
いつ、結婚したの?いつ子供うまれたの?
などなど、映画が進むにつれ、疑問がわきます。。。
アップルとジョブズの関係だけにスポットをあてたと
認識しない限り、ちょっと不満が残りました。
ストーリーには、疑問が残りましたが、
主演のアシュトン・カッチャーの演技は素晴らしいです。
まさにジョブズ。あのひょこひょこ歩く姿なんか、
もう本人かとと見間違えます。。。
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