「今年1番の残念賞作品を貴方自身の目で確認して欲しい」ダイアナ Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)
今年1番の残念賞作品を貴方自身の目で確認して欲しい
「なんだかなぁ~この映画どうなっているのだろうか?」??が観賞後一番の印象だった。
1981年、当時未だ学生だった私は、ダイアナと王子のロイヤルウエディングの中継を家族揃って、TVに釘付けになり、喜んで観ていたあの日の事を、昨日の事の様に鮮明に思い出す事が出来る。
その後は、ダイアナ妃の不仲説に始まり、別居・離婚に続いて、ゴシップ誌の表紙を彼女は生涯に渡り、飾り続けていた。
そんな彼女はさぞや、気の収まらない、辛い日々を生きていかなければならなかった事だろう・・・
そして、亡くなって15年の時を経た後にも映画化され、彼女のプライベイトのスキャンダラスな部分のみがデフォルメされ、クローズアップされていく事は、お気の毒でならない。
この映画をご遺族が、ご覧になられたら、とても哀しまれるのでは?
ウィリアム王子やヘンリー王子は、この脚本をご存じだったのだろうか?と言う疑問が強く心に残る。
映画終映後は、数人の女性客が涙に濡れていたのは確かだったが、その涙が示す意味が何だったのか?気になる私だ。
シンデレラガールを地でいき、世界一幸運な女性と思われていた彼女が実は、とんでも無く、孤独で、淋しく、辛い生涯を送りながら、不慮の事故でその生涯を閉じる事となり、世界一の幸運な姫は、世界一不運な女性の象徴となる。
何と皮肉な彼女の生涯だろうか?確かに、あまりにも彼女の生涯はドラマじみていた。
この作品はダイアナが、事故に遭う少し前のホテルのシーンから始まり、別居をして淋しい生活をしていた日々から、彼女の死亡する日迄の約2年間の出来事が回想によって描かれていく。
この作品を観ていると、確かに、孤独で淋しがり屋の哀れな、力無き女性の象徴として、その儚い人生模様は、女性観客の涙を絞り出す事には充分に成功した事だろう。
しかし、この作品で描かれている彼女の女性像は、悲劇の主人公として祭り上げられるだけの軽薄な、淋しさから、愛だけを求める、幼稚で我がまま、バツイチ女にしか見えないではないか?
彼女は数々のチャリティー活動をして、自分の優位な立場をフルに利用して社会活動の場に自己の喜びを得て、献身的に世界を飛び回っていた筈だ。決して悲劇だけの側面では無く、別居・離婚後も彼女は立派に彼女らしい、生き方を模索しながら懸命に命有る限り精一杯生きて、短い生涯であっても、一般市民には経験する事が出来ない、数々の素晴らしい仕事を成し遂げた、自立した一人の立派な女性であると、少なくとも私は信じて疑わない。
この映画では、ダイアナ妃が成し得た社会貢献も描いてはいるものの、その事実に対する何の尊敬も、彼女自身の喜びも、誇りも露程しか描かれてはいないではないか?
映画「クィーン」では英国王室サイドから見た、ダイアナ妃の死を巡る、王室の人々の葛藤を見事に表していた作品と比較するならば、こちらはパパラッチのゴシップ記事の領域を脱していない、三文小説の様な映画で残念でならない。
ダイアナ妃の訃報を知った多くの人々が世界中で、彼女の死を心から悼み、冥福を祈ったのは、彼女が単なる悲劇のヒロインであったからではない。
彼女は彼女の力の持てる限りを尽くして、懸命に愛を伝えた強い意志を持った立派な一人の自立した女性で有ったからだ。そこには悲劇のシンデレラではなく、一人の立派に意志を貫き通した女性への尊敬と、ダイアナ妃自身の彼女の飾らない気さくなお人柄が相まって世界の多くの人々に愛されたのだ。
ファッションは華麗で素敵だが、ドレスを身に纏う彼女自身の美しさを描ききれない映画なんぞ、映画としての価値はひたすらゼロに近い。