アンチヴァイラル : インタビュー
B・クローネンバーグ&C・L・ジョーンズ、若い才能が見る映画産業の今
2012年カンヌ映画祭ある視点部門をはじめ、各映画祭で注目を集めた「アンチヴァイラル」は、鬼才デビッド・クローネンバーグの長男ブランドン・クローネンバーグが、気鋭俳優ケイレブ・ランドリー・ジョーンズを主演に迎えた異色サスペンスだ。ふたりにとって初長編作と初主演作となったが、クローネンバーグ監督にとっては「短編から長編を作るジャンプは難しい。それができたことは特別だし、一度長編を作れば(長編作品への)扉が開く」と今後へ導く作品となった。ジョーンズも「夢が実現した作品」だと目を輝かせ、「生まれたての赤ちゃんを抱えるような、何があっても落としてはならないという緊張感があった」。大海へこぎ出したふたりが、映画に抱く理想とは?(取材・文/編集部 写真/岩根愛)
自らを侵したウイルスを売るセレブと、物理的なつながりほしさにウイルスを体内に投与する人々。青年注射技師シド(ジョーンズ)は、とあるセレブのウイルスを注射したことから、裏社会で渦巻く陰謀にのみ込まれていく。
クローネンバーグ監督は、手を伸ばせば名匠の映画愛に触れることができる、この上ない環境で育ってきた。無意識のうちに父親の血が作品に流れ込み、「生体に切り込んでいくテクノロジーという視点」「グロテスクながら魅惑的な映像」といった特徴を継承。そこへ、現代社会がはらむセレブリティという現象をテーマとして持ち込み、奇抜な才能を開花させた。
セレブというアイコンへ向けられる異常なあこがれと執着、そしてウイルス感染。一見、共通項のない題材だが、クローネンバーグ監督は自らの体験をもとにふたつの要素をまとめ、ひとつの企画としてあたためていた。「映画学校に通っていた2004年にインフルエンザにかかって、うなされるぐらいの高熱を出したときに、病気の物理的な性質に夢中になってしまったんだ。今、自分の体で暴れているウイルスは、ほかの人の体で生まれたかもしれないと思うと、妙に親密に感じられた。そういった種類の親密さを感じるキャラクターってなんだろうと考えたとき、大好きな人と物理的なつながりを持つために病気を移されてもいいと思えるくらい、セレブに妄執を傾けるファンなんじゃないかと思い付いたんだ。結果的に、セレブカルチャーを礼賛する人のメタファーとしてうまくいったよ」。こうして動き出した脚本の一部を短編「Broken Tulips」(2008)として形にし、4年の歳月を経て長編を完成させた。
ジョーンズは、10代の終わりに出演した「ノーカントリー」(07)で銀幕の世界に飛び込み、「X-MEN:ファースト・ジェネレーション」(11)のミュータント・バンシー役で一躍注目を集めた。現在では“セレブ”の立場にあるが、本作で描かれる特異な世界についてどのように感じたのだろうか。「テキサスからロサンゼルスに出てきて、映画製作の裏では何が起きているのか、やってみて初めてわかった。なによりもショッキングだったのは、一回業界に入ってしまうと、いろんな徳をはぎ取られちゃうこと。映画産業の構造上、お金と欲望がからむ世界だし、自分が恩恵を受けていることはわかっているけれど、セレブを夢中になってはやしたてることに嫌悪感を感じてしまう。そういう映画業界に対して感じているメッセージを見事に体現してくれていたのが、この映画の脚本だったんだよね。でも、完ぺきな美しさは、いろんな不完全なものを寄せ集めて作るんだとも思う。表裏一体というのかな。これは、役者としてだけではなくて、人間として意識せざるを得ないことなんだ。日々意識しているよ」
外部から映画の世界に入り込んだジョーンズに対し、クローネンバーグ監督はいわば“根っからのセレブ”と言える。ジョーンズの意見を受ける形で、ハリウッドが抱える葛藤(かっとう)を分析してくれた。「映画はアートであり、ビジネスでもある。例えば小説家の場合、業界やビジネスにぐちゃぐちゃにからめとられながら執筆しなければならないのではなく、ピュアな創作活動ができるよね。でも映画は、ストーリー性やファンタジックな要素を入れようと思うと、ある程度の予算もしくは莫大な資金が必要になるんだ。それに、映画業界にはアーティスティックなものに関心がある人がいれば、ビジネスしか考えていない人もいる。もちろん、いろいろな作品をつくっている人がいるから『映画業界はこうである』と言ってしまうのは非常に難しいし、アートとビジネスの二極で論じてしまう簡略化しすぎだけれど、アートとビジネスのふたつがぶつかったときは両者のせめぎ合いが生まれるんだ」
本作では、センセーショナルなストーリーをはじめ、独創的な映像とカメラワークなどアート色が強く打ち出されている。すでに異才を放つふたりだが、思い描く理想の映画とはどのような形なのだろうか。ジョーンズは、「誠実で正直な映画」だとほほ笑む。「誠実というのはどういう意味なのか、また深い問題なんだけれどね(笑)。(映画は)見る人によってさまざまな解釈があると思うんだけど、それぞれが真実のような真心を感じられるような映画であればね。作り手の考えを正直に反映したものでなければならないと思うよ」と胸のうちを明かす。
クローネンバーグ監督は、「アーティスティックに作りたいけれど、ある程度お金がなくてはアーティスティックにできない。映画の成功というものが、中身はもちろんビジネスとしても成り立たなければならないことを考えると、アートとは公的な場で文化的な対話をディスカッションの形で実現することじゃないかと思うんだ。対話によって文化的流れが変わっていけばいいと思うけれど、残念ながらたくさんの人が触れなければディスカッションになることもない。そういう意味では、多くの人に見てほしいね。今後、どんな作品を作りたいと思うかわからないけれど、コントロールを失わなければ大きな作品も作ってみたい」と興味を示す。最後には、ジョーンズが「『スーパーマン』の話がきたらやる?」と興味津々で問いかけ、クローネンバーグ監督が「もちろんやるさ! ファイナル・カット権をくれればね(笑)!」と爆笑する一幕も。笑いがありながらも、そこには自らの手で作品を作り上げることへのこだわりが感じられた。クローネンバーグ監督とジョーンズ、若いながら映画へ傾ける情熱は並々ならぬものがあった。