私の男のレビュー・感想・評価
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気色悪い
時間をさかのぼる手法の原作と違い、順に、花が大人へと進んでいく。
同じような境遇の、実の父と子。
凛々しい青年が自堕落な初老の腑抜けへと変わり、素直そうな少女が妖艶な大人の女へと変わる。
まあ、他人からはそう見える。
実はおぞましいことに、はじめっからふたりの体の中には、獣が棲んでいるだ。
娘をひとりの人格と認識できない父は、自慰行為に耽るように娘を求め、たいして娘は、父の精魂を吸い取って成長してしまったようだ。
とにかくエグイ。演技も、絡みも、演出も、映像も。
この監督、『夏の終り』のときほどではないが、原作未読の観客を、平気で置いてきぼりにする印象が強い。かといって、食い入るように引っ張られたかっていうとさにあらず、ダレるように感じてジレることもある。
言葉ですべてを説明するのも野暮の極みだが、わかるやつだけ付いて来いっていうのもいただけない。
万人受けしない、というが、つまり僕はその受けないほうだ。しかも、嫌悪感さえもって。
淳悟の気持ち?花の気持ち?
わかるわけがない。
このふたりが身近にいたら許せる?自分もこうなりたいと思う?
思えない。だってただの鬼畜だから。
むしろ、大塩のおじさんや小町の気持ちこそよくわかる。
花…
わりと好きな二人だから・・・
悪夢的快楽スペクタクル
原作の息の根止めてこそ、映画。そんなことを山中貞雄が80年も前に言っている。
原作最大の特徴の時間である時間の遡りという技法は原作にもヒントを与えたイ・チャンドン「ペパーミントキャンディ」だけでなくもっと前にはジェーン・カンピオン「ルイーズとケリー」など、いま映画でそれをやられても、それ自体驚くものでない。むしろ原作を読んだとき、映画としてのエモーションのかかりづらさをどうするのかと思ったら、こうきたか、というその大胆な取捨選択に驚く。まさに息の根止めて、再構築。
ということで、その最大の魅力、北の果ての田舎町、流氷、血、疑似親子、男と女、という映画的モチーフを再構築して徹底化した。
凡庸な小説家なら怒り狂うかもしれないが、さすが映画マニアの桜庭一樹はそれを当然のように受け入れる。その関係もいい。
さらに、時折はさまるフラッシュフォワード、映画は時系列に進んでいるように見えて、実はラストシーンの銀座まで、全部が過去回想で、ラストシーンが現在、という構成にも見え、反芻すると、とんでもないアクロバットをみた感じ。
ストーリーではなく、風景と男と女を描き出すために練られた構成。
見世物としての映画をここまで極めた邦画は本当に貴重だ。
危ない浅野忠信
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