劇場公開日 2014年6月14日

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私の男 : インタビュー

2014年6月13日更新
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熊切和嘉監督が「私の男」でたどり着いたひとつの頂上

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映画製作には膨大な時間と労力を要する。だが熊切和嘉監督にとって、直木賞受賞のベストセラー小説「私の男」と出合ってからの約4年という月日は、至福の時間だったのではないだろうか。タブー視されているから、難易度が高いからこそ挑戦したいと腕を撫すのが映画作家としての矜持(きょうじ)。浅野忠信、二階堂ふみら理想的なキャストを得た。結束の固いスタッフにも恵まれた。撮影は「自分のフィールドという感じで気合いが入る」という地元・北海道でクランクイン。結果すべての条件が調い、常に寄り添いすべてを享受し合う男と女のいびつな愛の叙情詩が誕生した。(取材・文・写真/鈴木元)

知人から小説を薦められたのは、同じ北海道を舞台にした「海炭市叙景」がひと段落した2010年頃。禁忌を犯す父娘の鮮烈で生々しい描写に心打たれた。さらに時代背景として盛り込まれている北海道南西沖地震や北海道拓殖銀行の破綻など、熊切監督が大阪で大学生活を過ごしていた1990年代の世相にも興味をひかれた。

「文学だと描けているのに、映画、特に今の日本映画では恐れてやらない。そういうところに挑戦したいなと思いました。その背景にある北海道の負の歴史というか、自分が離れていた時期の北海道に興味があった。まさにドンピシャな舞台だったので描きたい、映画にしたいと思いました」

だが映画化に際しては、いきなり大きな壁が立ちはだかる。主要な舞台はオホーツク海を臨む冬の紋別。ストーリー上、どうしても外せない流氷のシーンだ。脚本の宇治田隆史とシナリオハンティングに出向き、映像などの資料も検討したが、返ってきた言葉は「流氷、無理じゃない?」だった。

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「そう言われると僕もむきになるので、何としてでも撮るから書いてよって言って。でも実際、初稿が上がってきたら、流氷のシーンがガッツリ書いてあったので、どうやって撮ったらいいのかさっぱり分からず、本当に途方に暮れましたね。何度か紋別に行って、クランクインの1年前にプロデューサーやカメラマンと流氷ウォークというのを体験しに行き、本物の流氷にも乗ってみて、ここさえクリアすれば何とか撮れるかなというのが見えた気がします」

天災で家族を失った少女・花と、彼女を引き取った遠縁に当たる淳悟。2人は紋別でひっそりと暮らしていたが、やがて禁断の関係が周囲に知られることとなる。そして、ある事件をきっかけに逃れるように東京へと向かう。淳悟は小説を読んでいる時から浅野を想像していたという。学生時代から憧れていた俳優で、これまで何度か打診したこともあったがタイミングが合わず、ようやく念願がかなった形だ。

「日本の俳優であんなに格好いい人はいないと思っていましたから。初めて意識したのは『眠らない街 新宿鮫』の犯人の時。浅野さんは10代で、得体の知れない魅力というか、それまで映画で見てきた俳優とは異質の凄みを感じました」

一方の二階堂とは、3年ほど前に別の作品のオーディションで顔を合わせている。その時点で「私の男」の企画も水面下で動いており、そこで当時16歳の「花」と出会えたことは僥倖(ぎょうこう)と言える。

「既成のというか、あの頃の10代の女優さんの中では、正直花役でピンとくる人はいなかったんです。そんな時に行った別作品のオーディションで二階堂さんが現れた時は、本当に『あ、花がいる』と思いましたね。女子高生役のオーディションだったんですけれど、みんな割ときゃぴきゃぴしている中に、1人だけ不機嫌そうな美少女がいて、全然前に出ようとしないんだけれど、明らかに周りの同年代の女優とは違う雰囲気で目を引きましたね。だから勝手に通じ合える気がして、二階堂さんの履歴書だけはずっとデスクの横に置いていたんですよ」

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核となる2人が決まったことで相当な手応えはつかんだようだ。3人で初めて食事をした時に「並びがいいなと思って、なんとなくイメージは共有できている感じはありました」と振り返る。

「確かその時に言ったのは、普通の親子に見えてある瞬間に男と女に見えるように、それを1カットで撮りたいという話。あとは現場がけっこう狭かったので、ナイーブな話でもあるので2人と僕とカメラマンだけで芝居を探って、見えてきたところで皆を呼んで撮るというぜいたくな撮り方ができたことで、濃密な感じが出たのかなって気はしています」

そして最大の難所となった二階堂が飛び込む流氷のシーンは、まさに“地に足のつかない”撮影。湾内に浮かぶ大きめの安定した流氷を決め、そこまでの動線にパイロンを立てるなど慎重に慎重を期した。そこで、二階堂の女優魂がさく裂する。

「僕もやるつもりではあったけれど、どうしてもできないとなったらしようがないと思っていたんです。でも本人は当日、『私は流氷の海で死ぬ気で来ましたから』って気合い十分。これはいけるなと思って、結果、4回くらい入ってもらいました(苦笑)」

撮影当時18歳の本気、すごみを目の当たりにし、熊切監督もうなることしきりだ。

「やっぱり彼女の中にあるイメージがすごい。イメージをつかんで肉体として表現できた時はいいですよ。くるなって感じがだいたい分かるので、いまいち表にそれが出なかった時はもう1回って例もありました。そのイメージが型通りじゃない。こなれた俳優だと型にはめようとするけれど、彼女は自分の中からわき上がるイメージでやろうとするから、普通よりだいぶ難しいことをやろうとしている。それが意識的にじゃなくて本能的にやっている感じがするんです」

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浅野との邂逅(かいこう)にも刺激を受ける部分が多々あったという。

「もちろん台本にあることをやっているんだけれど、浅野さんはそれをより“生もの”にしてくれますから。僕が映画ってこういうもんだと思ってやっていたことが、浅野さんのフィルターを通すとより生の迫力を持って迫ってくる。当たり前に思っていたことが、こんなに面白くなるんだって気づかされることがたくさんありました」

帯広出身で、「自分が一番分かっているから強気になれるというか、誰に何を言われようとあまり流されない感じはあります」と断言する通り、北海道の映像はどれも雄大で荘厳ささえ漂わせる。半面、身にしみる寒さの中での2人の息吹は熱く、身もだえするほどの質感で迫ってくる。その秘めた激情は東京に舞台を移しても冷めることなく、圧倒的な密度で全編を支配する。

「ここ何年かやってきたスタッフが集まって、いろいろあった反省点やもっとこうした方が良かったというものが積み重なって生まれた感じがしています。今のチームでの集大成になったのかなって気はしています」

宇治田をはじめ撮影の近藤龍人、音楽のジム・オルークら「海炭市叙景」、「夏の終り」を生み出してきた熊切組の精鋭たちがたどり着いたひとつの頂上。コンペティション部門に選出されたモスクワ国際映画祭は、新藤兼人監督の「裸の島」や「生きたい」がグランプリを獲得したように、人間の業や欲を掘り下げた作品が評価される印象が強い。「私の男」が日本の、そして世界の観客にどのように受け止められるか楽しみでならない。

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