カサンドラ・クロスのレビュー・感想・評価
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コロナ禍を予見したような映画
「午前十時の映画祭」で鑑賞。
まず、オープニングにグッときた。空撮の映像と哀愁ただよう流麗なテーマ曲に感動。
同じような題材を扱った『復活の日』の冒頭(潜水艦が氷の海を進むシーン)にどことなく似ている。「ひょっとしたら、本作のこの空撮によるオープニングが深作欣二監督にインスピレーションを与えたのかもしれないな」などと思っていると、やがて曲調は不穏さを増してくるのだった。
現代のコロナ禍を予見したような本作。ダイヤモンド・プリンセス号の騒動を想起したりもして……。
そして「正しく怖がろう」というところに落ち着くのも同じ。
見どころはなんといっても、豪華キャストの共演。ソフィア・ローレンがとにかくセクシーで魅力的だ。マーティン・シーンは『地獄の黙示録』の精悍さはなく、ちょっと別人のよう。
凝ったシナリオでまあ楽しめたけれど、悲惨な結末にはこころ暗くなった(観たのが正月の4日だから、能登の震災のこともあって、なおさら)。
しかし、濃厚接触者である医者たちが列車の中をうろうろするという初期対応はまずいですね。
まあまあだった
コロナ禍を経て見ると、感染者との接触が無防備だ。マスクをしなければ手洗いもしない。また、警備の兵士が変に職務に忠実で無益な銃撃戦が起こる。お互いに殺し合うほどの理由はないはずだ。また、食堂車を爆破するのだけど特に意味がない。退屈はしなかったけど名作映画かと思ったら全然違った。こういうのは日曜洋画劇場で見ておくべきだ。
傑作。バイオ危機のシミュレーションとしても優秀
いつだったか忘れたが、年少時にテレビで見て私の嗜好を決定づけた作品の一つ。これと「未知との遭遇」の市民を強制退避させる防疫装備(白装束にガスマスク)の米軍の兵士たちに、政府の陰謀を実行する尖兵としての不気味さと裏返しのスタイリッシュさを感じてしまった。往年の大作とはいえ、劇場で観られるとは思わなかったので感激である。午前十時の映画祭に感謝したい。
今の目線でみても、CGのない時代、セットと肉体のアクションと特効だけでこれだけの緊迫感ある映像を創り出せることに感嘆する。特撮(ミニチュア)の落下シーンもモンタージュの巧みさと相まって、怖さの方が先だって違和感を覚える暇がなかった(テレビで見たときは実物だと思っていた)。
加えて、機能的に整ってはいるものの猥雑な列車内と対照的な、国際保健機構(WHOならぬIHO)の米作戦室の、シンプルモダンで人間味を感じさせないデザインと静けさが冷酷な感じを引き出している。
ストーリーの背景はバイオテロだが、コロナ禍を経た今見ると、驚くほど現実の事態―客船の寄港拒否、乗客の隔離と支援の両立困難、隔離施設や移動手段の欠如、情報の不均衡など―を先取りしていて秀逸である。
また、危機を管理する立場では、トロッコ問題(欧州のパンデミックを防ぐために千人の乗客を犠牲にするか)に直面するリーダーという側面もある。この点、隔離作戦の指揮を執る米軍情報部のマッケンジー大佐は、計画を冷徹に進める有能な指揮官であるとともに、(治癒の可能性があるという)新たな状況にもリスクをとれず一度決めた計画を変更しない頑迷な官僚的人間(あるいは命令を逸脱できない軍隊の構造的問題)を体現している。
そして、パニック防止に名を借りた秘密保全(そもそも米国が国際機関内で違法に危険な病原体を扱っていたことが発端)優先の姿勢が、隠蔽と証拠隠滅のために「全てを消し去る」という思考をもたらす。それを結果的に推し進めた大佐自身も隠蔽の対象であることが恐ろしい。
年少時には見飛ばしていたチェンバレン(元)夫妻のエピソードも、展開によく織り込まれていて、医師が銃撃戦をやるに至るまでの心情に過剰な飛躍がなく受け入れられた。ヤノフに行きたくないユダヤ老人、ヒモの登山家を含め、皆の役割がストーリーに嵌まっていくのが心地よい。(帰結は悲しいが)
なお、「非常宣言」のレビューで本作を観たいと書いたが、見返すと思った以上に(映像だけでなくプロットも)共通点が多いと感じた。ある意味マスターピース的な存在かもしれない。ストーリー上の大きな疑問(長いので後述)はあれど、傑作である。
ここからは妄想的考察:
凄みあるスリラーの一方で、瑕疵もある。初見のときから「列車が落ちて壊れればそこから病原体が漏れるのではないか」と思っていた。酸素火災で燃え尽きるのを期待するのは楽観的過ぎるし(実際、爆発までタイムラグがあった)、川を流れ下る遺体や動物を介して拡がる可能性はあるだろう。
今回疑問に思ったのは、なぜポーランドなのか?である。ヤノフに隔離施設を準備することになったのは(描かれていないがおそらく)スイス国鉄のオーナーたるスイス政府およびIHOとポーランド政府の合意によるもので、米側の選択ではないだろう。冷戦期であり、東側のポーランドとそこまで迅速に折衝できないだろうし、病原体が東側陣営に渡って解析されるのも望ましくない。
そこで、前述のようなリスクがありながらも、途中にある「悲劇的事故」が起こり得る橋を利用したのではないか。だが、当時の技術ではポーランド国内をリアルタイムで監視するのは難しい。実際、大佐は二等車に生存者がいることを知らないまま「全員死亡」と報告してしまった。
通過国の西ドイツをもっと利用する選択肢もあったのでは?NATO加盟国で在独米軍もおり、米国の政治的影響力もある。ニュルンベルクで列車の隔離工事をしたのは駐留米軍部隊だろう。それならいっそ、隔離後運行を打ち切らせ、そのまま現地(あるいは米軍基地内)に留め置いて厳重監視下においた方が秘密保全上よかったのではないか。長期間米軍が関与し続けることが憶測を呼ぶと考えられたか、あるいは西ドイツ政府が工事のための停車を超えて国内に留めることを拒否したのかもしれない。
ちなみに大佐はニュルンベルクでの作業をテレビ映像で中継させる(ひげ剃りのシーン)ほど慎重だった。命令には従うとはいえ、情報管理できないポーランド行きは本意ではなかっただろう。
1970年代半ばのスイス・ジュネーヴ。 世界保健機構の施設に3人の...
1970年代半ばのスイス・ジュネーヴ。
世界保健機構の施設に3人のテロリストが侵入。
目的は米国が開発している新型ウィルス。
短期間で感染が広まり、重度の肺炎を引き起こし、死に至らしめるという代物。
2人がウィルスに感染したが、ひとりは現場で確保、残る1人がストックホルム行きの列車に潜伏した。
米軍将校マッケンジー大佐(バート・ランカスター)は事態を収めるべくジュネーヴの指揮所に着任。
感染者を乗せた列車を、ポーランドの第二次大戦中の収容所跡地に隔離する命令を受けた。
が、その手前には、老朽化して放置されたままのカサンドラ大鉄橋があった。
マッケンジー大佐は、運を天に任せるべく、列車を導いていくが・・・
といった物語で、初公開当時、大鉄橋から列車が転落・・・といったパニック映画めいた宣伝と、白い防疫服姿の顔がわからない人物がメインのポスターデザインで、10代前半の少年には、なんだかよくわからない映画のような印象でした。
ただし、バート・ランカスターをはじめ、ソフィア・ローレンやリチャード・ハリス(当時は、それほど人気ではなくて、誰?って印象でしたが)、ベテランのエヴァ・ガードナーやアリダ・ヴァリ、若手で人気が出てきていたレイモンド・ラヴロック、さらに大作映画の黒人といえばこのひとO・J・シンプソンらのオールスターキャストは、地味目ながら興味を集めました。
映画は、列車の乗客を隔離もしくは抹殺しようとするマッケンジー大佐側の対策指揮所と、疫病が広まる列車側の現場と、ふたてに分かれた作り。
この手の映画では、往々にして、離れた場所でのサスペンスが盛り上がらないことも多いのですが、本作ではまずまず上手くいっている部類。
マッケンジーの指揮所側をシンプルに設定したのが功を奏しているでしょう。
一方、現場の列車側ですが、疫病が広がる描写がやや生ぬるく、緊迫感が乏しいです。
特に、ソフィア・ローレンやリチャード・ハリスなどのメインキャストは罹患することなく(しなくてもいいんですが)、罹患の恐怖に怯えずに活動するあたりはリアリティに欠くかなぁ。
リアルとは別に、サスペンスを盛り上げる要素は織り込んでも良かったかも。
で、映画中盤までは、ほんと平凡な出来。
なんですが、中盤、白い防疫服の一行が線路わきで待ち受ける中間地点から緊迫感が盛り上がります。
ここ、脚本も上手く、第二次大戦のユダヤ人ホロコーストを生き延びたカプラン老人(リー・ストラスバーグ)が、妻子を失ったポーランドの地へ列車が向かっていることを知り、当時の悪夢がよみがえる。
白い防疫服たちはナチスと同じ・・・
というのが背景にあっての緊迫感。
これは、初公開時は見逃していました。
第二次大戦時の統制下の恐怖が・・・ということを背景にしての、リチャード・ハリスらのレジスタンス、抵抗戦。
そして迎える運命のカサンドラ大鉄橋。
最近のエンタテインメント映画だと、たぶん大方は助かるのが定石なんだけれど、そうならないあたりが、まだまだ第二次大戦の記憶を残している1970年代の映画。
短いながらも阿鼻叫喚の描写がやって来、「運を天に任せる」というマッケンジー大佐の気持ちにシンクロ・同調していく次第。
この事件が収拾できたのかどうかはよくわからない。
そういう含みを持たせたラスト。
任務を遂行したに過ぎないマッケンジー大佐が、映画のいちばん最後に映し出される人物なあたり、米国ハリウッド製のエンタテインメント映画とは、かなり味わいが異なります。
監督は、本作が監督2作目のジョルジ・パン・コスマトス。
製作は、ソフィア・ローレンの夫で数々の話題作をつくったカルロ・ポンティと、『さすらいの航海』『ドミノ・ターゲット』『レイズ・ザ・タイタニック』などを手掛けた英国のルー・グレイドと、製作をみると明朗なエンタテインメント映画でないことはわかるかもしれません。
ジェリー・ゴールドスミスの音楽も耳に残ります。
46年ぶり劇場で!興奮!
46年前、小学生だった頃、母親同伴(独りで電車に乗って名古屋駅に行った事が無かったので)で新春の毎日劇場大ホールで鑑賞。当時は2本立てでラスト・コンサートがやっていた。この映画でリチャード・ハリスを知り、後のオルカや黄金のランデブー、ワイルドギース等々をアクション映画の主人公として観まくった。
映画は小学生の自分を興奮させるに充分でしたが、あの当時、ラストの橋崩壊、列車転落が約30秒と短時間で終わってしまい、呆気に取られた事、ナバロ(地獄の黙示録のマーティン・シーン)が何故屋根移動を拒んだのか?屋根に警備兵の監視がいないにも係わらずである。窓枠クライミングの横移動が見せたかった為?死なずに済んだのに…と子供ながら思っていました。
しかし、大人になって46年ぶりに劇場で観て、ワイドスクリーンこそ無かったが当時の事の記憶が映画と共に蘇り、興奮しました。
まさに、映画はタイムマシーン!
最近はミッション・インポッシブルでの列車転落シーンを思い出す。これもトム・クルーズの映画愛、カサンドラ・クロスへのリスペクトか?
とにかく、映画が好きで良かったと思う映画で私にとっては大脱走同様、エヴァー・グリーンなのです。しかし、ソフィア・ローレンは美魔女ですね❗
今コロナ禍は一段落しましたが、まさかカサンドラ・クロスの防護服姿を現実世界で見るたとは思わなかった!!
映画館より自宅で見た方が迫力あった!
高校生のとき、大画面でこのカタストロフを味わおうと映画館に行ったのだが、初日で満席。しょうがなく最後尾で立ち見・・・全然迫力がない!という悔しい記憶だけが残っている。その後、何度も地上波で放映されているのに、悔しくて見れなかったものだ・・・
アメリカが秘密裏に細菌研究していたため、ジュネーブ協定違反の発覚を恐れたマッケンジー大佐(ランカスター)が処理するというもの。乗客には高名な神経外科医、兵器産業の女、麻薬密売人、等々色んな人が乗っていた。前半では病人=犯人を見つけ、感染したらしい犬をヘリに乗せるところ。
子供や女性が最初に発病。やがて列車は止められ完全に閉じ込められる。ポーランド行きがわかった時点で、ユダヤ人のカプランじいちゃんが家族を殺されたことを思い出すのが痛々しい。
若き日のマーティ・シーン。登山家を装っていたけど、彼が麻薬密売人だった。髪型など風貌は山本圭みたい。
犬も治ったし、乗客も続々と病状が回復に向かっていた。酸素が特効薬!と明るい兆しが見え始めたが、無線が通じない。カサンドラクロスの危険性もマッケンジーの嘘によって通過せざるを得ない状況。乗客たちは列車を乗っ取ろうとするが、防護服をきた警備員が手強い。最後の手段は列車を真ん中で切り離すことだった。しかし銃撃戦。シーンも殺されるし、神父を装っていて実は刑事だったOJシンプソンも。そして、カプランじいさんはオープニングでジッポを売りつけようとしていた伏線が活かされ、うるうる・・・
何はともあれ、機密事項をすべて消し去ろうとしていたアメリカ軍の非情な行為。しっかり社会派要素を見せているが、半数が生存したわけだから大ニュースになるんだろうなぁ~
懐かしい
子供の頃に見て、橋から列車が落ちるシーンに衝撃を受けて、映画って凄い‼️と映画好きになったきっかけの映画です。ずっともう一度観たいと思っていました。
今見てもやっぱり面白かった。スピードとか、アウトブレイクとかダイ・ハードとかの原型を見た気分です。
今みたいに、簡単に連絡がつかない時代なのも面白さを増しているし、最後にあんなに威張っていた大佐にもじつは監視が付くと言う皮肉の効いた終わりもよかった。
アメリカ菌
衝撃的な作品でした。
テロリスト逃亡による疫病の感染拡大阻止、そして他国で細菌兵器を研究していたアメリカ軍の隠蔽工作。
当時の試写会ではブーイングだったそうですが、日本では良好な興行成績を収めたようで、評価が二分するのも分かる気がします。
IHO全体のセキュリティの甘さは勿論、生物兵器開発の割には開発担当の研究者も不在でお粗末な設備ですが、アメリカ部門を狙うテロリスト達の計画も稚拙です。ともかく感染したテロリストが長距離列車で逃亡、いかに感染拡大を食い止めるかというのが前半の焦点で、猛スピードでヨーロッパ大陸を走り抜ける疫病列車という設定にはゾクゾクしました。
乗客を一人残らず車内に閉じ込めたまま隔離するにはどうするか。乗客には車内の方が安全だと伝え行き先をポーランドのJanovに変更し、列車の窓や出入口を外から封鎖。抵抗する者には射殺許可の命令。ユダヤ系ポーランド人乗客の激しい動揺や、目的地そして列車の外観、どれもナチスの強制収容と重ねているのは明らかでした。
テロリストは死に、車内での罹患者隔離も済んだ頃、1948年以来廃線となったKasundruv Bridge 通称 the Cassandra Crossing を通過することが判明。この橋渡って大丈夫なの?というのが後半の焦点です。
アメリカ軍が、列車ごと全員見殺しにすることを予測して反撃に出る乗客達。ここで観客もアメリカ軍の思惑を察しないと、車内で軍人相手に銃撃戦を始めることが愚かに見えてしまいます。Mackenzie大佐も内心無事に橋を渡れる方に賭けているのかなと、性善説を信じて(^^;)観ていましたが、いやいや軍の上層部は本気で列車事故を起こす気だったんですね〜。
良識を見失った大佐による決断の正当化は、まるでホロコーストの責任を問われた軍人達の戦後の言い分です。そして命令に忠実なだけで何も判断を下さない車内の大尉は部下と共に列車もろとも川底へ。
著名人だからこそ専門外でも白羽の矢が立ってしまう脳外科医(^^;)。1000人も乗客がいれば、他にも医療従事者の1人や2人いそうですが。
原因菌は字幕で肺ペストと訳されていて、確かにpneumonic plagueと言っていますが、抗生剤ではなく?酸素で治るペストって??この「飛沫感染する疫病」は発症も早く治るのも早い。長期的には分かりませんが、曝露量が少なければ子供や乳児も(犬も)大丈夫!ある意味生物兵器として成功しているのではないでしょうか(゚o゚;;)?!開発担当者なら、願ってもいない貴重な人体実験!として、全てを「原因不明の病を持った」テロリストの責任にし、罹患者を強制入院させ治療法の研究も含めて長期的に観察するでしょうね。
計画通り、軽くなった先頭車両はぎりぎり橋を渡れるのかしらと思って観てましたが…、乗客達による作戦がなかなか上手くいかず、主要登場人物達も大勢の乗客も相次いで犠牲になるといった容赦ない描写がむしろ現実的に見えました。
著名な医師と小説家の(元)妻(3度目の再婚?!)の2人によってアメリカ軍の隠蔽工作は明るみに出るのでしょう。
お水はテロリストに飲まれ、ヘリからぶら下がった籠に乗せられ災難でしたが、唯一早々に助かったワンちゃん!(^^)
ウイルスとはなんだったのか
細菌ウイルスの存在を列車ごと消そうとする軍隊に抗う乗客の話。
ウイルス感染モノかと思いきや傲慢な軍隊に抵抗する話でした。
前半と後半で話の展開が変わるので、飽きる事なく楽しめました。
パニック映画にウィルスと密室と陰謀のサスペンス…お腹いっぱいの面白さ!
ジュネーブの世界保健機構本部をテロリストが襲うも失敗、一人が逃走。襲撃の際、感染力の強いウィルスに感染、列車に乗り込んでしまう…。
1970年代にブームになったパニック映画の一つ。1976の作品。
日本では1977年の洋画第3位のヒットとなった。
感染が広がっていくウィルスの恐怖、巻き込まれた人々の混乱…ウィルス・サスペンスとパニック映画を織り交ぜ、一粒で二度美味しい。
移動する列車内というまるで「オリエント急行殺人事件」のような密室劇が、さらにサスペンスを盛り上げる。
映画の中盤で感染したテロリストは確保されるが、時既に遅し、乗客に次々と感染し始める。
乗り合わせていた医師は感染を食い止めようとするが…。
…と、大方予想通りの展開だが、ここから物語は急変する。
ウィルスは秘密裏の代物。
米軍は収容所に列車を丸ごと隔離しようとするが、その為には老朽化したカサンドラ大橋を渡らなければならない。
事故に見せかけ、隠蔽しようとしていた…!
それに気付いた乗客たちは協力して必死に抵抗する。
ウィルスの感染を防ぐ為に立ち向かっていた乗客たちが、陰謀に立ち向かう事に。
一番恐ろしいのは、人の命を軽視する権力側。
感染した乗客たちに思わぬ変化が…?
そして遂に、列車はカサンドラ大橋に迫る…!
リチャード・ハリス、バート・ランカスター、ソフィア・ローレン、エヴァ・ガードナーら大スター共演。
若き日のマーティン・シーンも出演。
CGが無い時代。今こういう映画を作ったら見せ場のほとんどをCGで表現出来るが、CG無くとも面白い映画は作れる。
ツッコミ所もあるが、見応え充分のエンターテイメント。
自ら責任を負って決断することの大切さ
総合:85点
ストーリー: 85
キャスト: 85
演出: 80
ビジュアル: 70
音楽: 65
災害に巻き込まれた人々を描く優秀作。人々の生命をかけた重大な決断を、限られた情報と時間のうちにくだすという重さがいい。決断を他人まかせにし政府の言うことをそのまま聞いているだけの人々には、このような危機を乗り越えられない。自分の力で情報を集め冷静かつ冷徹に決断するということの大切さがこの映画の鍵となる。政府の決断に逆らい彼らの送り込んだ兵士と撃ちあいをして彼らを殺すということは、相当の覚悟がいるし自分の分析にも責任を負うということである。
それは事件に巻き込まれた人々の決断だけでない。ここでは一方的な悪役であるが、他の部署の失態の尻拭いをして人類への感染を防ぐために感染した可能性のあるものを全員殺すことにした政府側の決断もまた、彼らなりの重大な決断であった。実際細菌が広がれば極めて深刻な事態になっていたのだから。
主人公たちは感染していなかった。また有効と思われる治療法もあった。だがもし自らもが感染し治療法もなかったとしたならば、主人公たちはどのような判断をしたのだろうかとふと疑問に思った。
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