レイルウェイ 運命の旅路のレビュー・感想・評価
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この程度で「反日映画」と騒ぐ連中がいるとは驚いた。
狭苦しい向こう三軒両隣りの世間話をせっせと映画化して、
恥も外聞もなく国際映画祭に出品している某国と違い、
イギリス国は某国が「世界はすでに忘れている。」と思い込んでいる
犯罪をいまだ告発する映画を作り続けている。
夏なお冷涼で曇り空が続くスコットランド、
初老を迎えた男が抱える心の傷とは・・・。
舞台はスコットランドとタイ、
過去と現在が交互に交差する。
画面の切り替えを考慮してか、熱帯のはずにも係らず
タイの風景の画像はスコットランド同様暗めのトーンが多い。
このため観客は違和感なく、場所・時間を一緒に切り替えられる。
映像は実に工夫されている。
トーンの統一ばかりでなく、
現在(設定は1980年ころ)のタイの田園風景に
案山子のように宿敵の若い日の姿が見えているなど、
画面切り替えの妙。
前半、さまざまにはりめぐらされた画像の伏線が
後半一挙に解き放たれる映像表現の妙。
実に計算されている。
「蓮實重彦先生ならばどう評価するだろうか。」と
思わずにはいられなかった。
誰も書かないだろうから書くが
主人公がタイを再訪した時に
タイの田舎町に流れていた曲、
絶対にディスコの名曲「怪僧ラスプーチン」のタイ語版です。
これで「現代」が1980年前後と観客は理解できる。
ラスト、モデルとなった二人が
共におそらく同時期の出征時に写されたであろう
奇妙に似た雰囲気の軍服に身を固めた
写真(そしてそれは遺影になっていたかもしれない)
が映し出されると、場内は静かな感動につつまれた。
休日の都心のミニシアターで観たが観客は20人程度か。
やはり「忘れたい」のでしょうね。
某国を今悩ませている「いじめ・パワハラ」同様
受けた側は「忘れる」はずはないのに。
本人たちにしかわからない
実話をもとにした話。
ローマクスの思いも、ナガセの思いも、本人たちにしかわからない。少なくとも彼らは分かり合えた、そこに希望が持てる。
捕虜になってするのがラジオを作ること。その時点でもう敵わないと思ってしまう。
受信機なのに送信機だと言い張って自白を引き出そうとする日本側はいかにもすぎる。
日本の敗北が近いという情報がラジオで流れていたという本当のことをローマクスだけが言ってくれたのだというナガセ。
通訳は戦争犯罪者ではないのか。考えさせられる問題だった。
やられた側の憎悪と怨嗟は長く残るというお話
第2次大戦、東南アジアで日本軍の捕虜となった英国人が受けた暴力・屈辱・恥辱。
終戦後数十年経てもそのトラウマは拭えぬものがあり、せっかく掴んだ結婚という幸福にも暗い影を落とす。
その暗い影を拭い去ろうと、自分を苦しめ辱めた日本軍関係者に復讐を果たそうと立ち向かう!!
なんて書くと勇ましいリベンジ劇風だが、物語は極めて静的トーンでしずしずと展開する。
日本人としては当時の邦人がなした残酷非道な行為にヒリヒリ痛いものを感じながら、「では一面的には戦争被害者であるあなたがたは世界の侵略地で現地人に何をなしてきたのか??」と反発心がむくむく頭をもたげてくる。
という風になかなか複雑な心境にさせられながら見続けたわけだが、本作品は実話ベースの個人対個人の話でありながら、そこから想像を膨らませると、個人を取り巻く「現在や過去の同国人たち」の加害行為に嫌でも直面せざるを得なくなる。
映画の出来としてはあまりに静的に過ぎたかもしれないけれど、上のような考察に到らせてくれたという意義は大なるものがあったのではと思う。
しかしあれだね、上のシリアスぶったコメントはさておき、主役白人の結婚に至る出会いエピソードはあんなとんとん拍子に行くものなのか??と目を丸くしてしまったよ。笑
パンチが少し足りない
全体的に淡々と描かれており、パンチが足りない
しかし、風景描写が異様にヨーロピアンで可憐でのどか
正直ラブロマンス系の映画作らせたら最強なんじゃないかと思った。
それ以外に思ったことは、戦争って誰もとくしないってこと
赦し
シンガポール陥落の話の後は鉄道の話すらしないローマクス(ファース)。心配になったパトリシア(キッドマン)は退役軍人仲間のフィンレイ(ステラン・スカルスガルド)に尋ねる。
通信兵だった若きローマクス(アーヴァイン)は日本兵の目を盗み、仲間とともにラジオ作りに励む。鉄道好きの彼は近辺の鉄道地図を作ったりもして、それがスパイ容疑へと繋がる。ラジオにしても敵国との通信機と疑われたのだ。そして2週間に渡る監禁・・・どんな拷問を受けたのか本人は語らなかったという。
フィンレイを通じて、通訳でもある憲兵隊の将校永瀬(石田淡朗)が生きているという事実を突き止めた。制裁を加えることによって平安を取り戻せると考えたのだ。しかし、フィンレイは鉄道で首をつって自殺・・・墓の前では仲間たちがかつて捕虜だった頃のように番号を唱える。
生きていた永瀬(真田広之)はタイの寺院で観光ガイドをしていた。拷問の後、永瀬は戦争で多くの人が殺された現実を見て、戦争の悲劇を伝えるために巡礼していたのだ。彼に対して腕を木刀で折ろうとするも中断。檻の中に入れたときには、苦しかった水攻め拷問を思い出すローマクス。しかし、決定的な復讐はしなかった・・・
妻のもとへと戻ったローマクスはあらためて永瀬の訪問を受ける。和解のために尽力した永瀬のことを赦すというローマクス。その後は友人として永瀬が2011年に死ぬまで続いた。
この最後の赦しがなければ、単なるつまらない映画となっただろう。フィンレイが自殺してまでローマクスに託したのだから、復讐はきっちりやらなければ!と思わせておいて、正直で贖罪を負った永瀬の人物あってこその友情の芽生え。復讐の連鎖はもうたくさんだ・・・
凄いものを観てしまった
ホントにそう思う。
これが実話に基づくストーリーだと言うことに
驚くしか出来なかった。
コリンファースが好きで観たっていう簡単な動機だったのだけど、最後の最後に実話だと解って更に涙が溢れた。
第二次世界大戦中の出来事だったのだけど、
残酷で悲惨、人々を永遠に苦しめ続けるのが戦争だと改めて感じた。
ドンパチやってるだけが戦争ではない。
アメリカンスナイパーでもそうだったけど、
戦争が終わってからもまだ当事者たちの中では終わって居ない。
ローマクスが永瀬を心から赦したって、、、
本当かよ、と。
私は無理だ。
そして拷問を受けている最中にもあんな風に強くは居られない。
本当に凄い人だ。
もう言葉になりません。
個人的には「彼は僕とは違う。彼には君が居ないんだ」
がナンバー1セリフでした。
戦争の記憶は消えない…。
人のこころ
淡々と
英国軍がタイで日本軍の捕虜になる話。
戦争の悲惨さを描いている映画としてはかなり生々しいものの、殺されるには至らずともひどい扱いを受けた、というのが肝ですが、その拷問もそれほど痛々しさは無く、痛めつけている日本軍の態度が理不尽極まりないのは仕方ないが、永瀬の感情がいまいち理解し辛く、後々懺悔の気持ちを表されても「それ本心?」としか思えず、何だか消化不良な作品でした。
戦争当時の内容も淡々としてるし、本国帰ってからのローマクスも、時に錯乱はしても基本的には淡々としてる。全体的に盛り上がりに欠ける内容でした。
(「シングルマン」「裏切りのサーカス」のコリンファースがそのまま演じてる感じ。心の闇に埋没して周囲が理解不能みたいな)
史実としては勉強になったし、ラストの二人の邂逅は良かったので、鬱屈したコリンファースが観たい人にはお勧めです。
苦しみと憎しみの“死の鉄道”の先には…
退役軍人のローマクスは、列車の中で同席した女性と知り合い、結婚。
が、妻は、普段穏やかで真面目な夫が時々精神が錯乱する事を気にかける。
彼を長年苦しめているのは…
第二次大戦中、日本軍の捕虜となり、タイ~ビルマ間の泰緬鉄道の過酷な労働に従事させられたイギリス軍人の自叙伝の映画化。
鉄道建設の秘話が語られると思っていたら、見ていて非常に、時に胸が痛く、苦しく、そして胸打つ作品であった。
ローマクスを苦しめていた過去の記憶。
それは、日本軍による拷問。
木の棒で殴打、水責め…その描写はかなりの鬼畜の所業。
だから見ていていい気分のもんじゃない。
日本人が悪く描かれているからではなく、ローマクスの苦しみがあまりにも悲痛だから。
ある時ローマクスは、当時通訳だった日本軍人・ナガセが、かつての忌まわしい場所で、戦争の悲惨さを伝える案内人をしている事を知る。
ローマクスと共に捕虜だった友人は復讐を考えるが、ローマクスは反対する。
その矢先、友人は自ら命を絶つ。
何かが吹っ切れたように、ローマクスはナガセに会いに行く…。
やはりここが最大のハイライト。
コリン・ファースと真田広之の二人の名優の名演で、非常に緊迫感ある対峙シーンとなっている。
今度はこちらが優位に。
積年の憎しみをぶつけるかのように、ナガセを咎める。
ナガセは通訳だった事を理由に、戦争の罪から逃れていた。
ローマクスにしてみれば納得いかない。
確かにナガセは通訳で、直接拷問に手を下した訳ではないが、自分たちを苦しめた罪を償っていないとは。
が、彼も苦しんでいたのだ。
だからこそ、今もこの場に来て、自分たちの行いを伝え続けている。(ずっと日本に帰らなかった訳ではないが、何処か「ビルマの竪琴」の水島を彷彿)
きっとナガセは自分の罪を罰して欲しかったに思う。あの覚悟は紛れもなくそう。
ローマクスが下した決断は…
共に苦しみを抱えた二人の男が、長い歳月を経て、会っただけでも意義があると思う。
勿論咎めたい、罰したいだろう。
でも、いつまでも憎しみ、苦しみを抱いたままでは戦争は終わらない。
もう戦争は終わったのだ。
だからもう、憎まなくても、苦しまなくてもいいのだ。
最後の二人の姿に救われた。
ずっしり重い
重い
ある意味実話映画は怖い。
基本実話映画を元にした映画は感動を覚えるがこの映画に関してはちょっと違和感を感じた。実話だけにほとんどが大英帝国よりの感情が多すぎのような気がしました。これがフィクションなら当たり前でも良いのだが実話になるとその人寄りや映画制作側よって戦争への歴史が人によって真実が変わって来てしまう恐さを感じました。この映画も基本白人主義的なストーリーになってて過去に拷問を受けた主人公が素敵な奥さんを見つけ当時の仲間の友情や死、ほぼ9割りはそっちの美談や葛藤シーンで、ほぼゼロに等しい過去に拷問を便乗した日本兵のその後の葛藤や苦しみは全く画かれて無かったので「結局お互い戦争で苦しんだ。」とは程遠い気がしました。
結局この実話を書いた人のエピソードにしか観れなかった。個人的にはこんなエピソード映画に日本を代表する真田広之を使って欲しくなかった。
キャスティングの問題か、演出か
死ぬほどの目に合わされた人間が、時を経て復讐の意志を持ち、絶好の機会を得る。生かすか殺すか。
映画的だなあ。とても映画的な要素が多いのになあ。何と言うか、もったいない。
過酷過ぎる状況を生き抜いた男の、当時と現在の闘いにこそ見るべきものがあり、ラストに至るサスペンスの質は、その描かれ方如何であろうと。つまり演出ですね。その部分ではかなりいい線いっていると思う。コリン・ファースの線の細い壊れた感もいい。
しかし、収容所でのシーンにずっと違和感があって、何だろう、リアリティに乏しい。とたんに作り物っぽくなる。
問題は、真田広之だろうか。この役には、もっと軟弱で善人に見える(実は姑息な悪人なのだが)役者を当てるべきだった。真田はまんまソルジャーやん。いつ逆襲するのだろうと思ってたよ。
個人の和睦
ミッドウェイ海戦に負け、インド洋への海上ルートが閉ざされた日本が物資輸送のため着工したのがタイとビルマを結ぶ泰緬鉄道。地形的に困難を極め過酷な労働を強いられたため、後に英語圏からは「死の鉄道」と呼ばれる。
この鉄道建設を扱った映画で有名なのが「戦場にかける橋」だ。
「戦場にかける橋」は娯楽作品としても名作だが、この「レイルウェイ 運命の旅路」は中々に見るのが辛い映画だ。「戦場にかける橋」もニコルソンと斎藤という個人の対峙があるが、あの作品は国と国の意地の張り合いのようなものが根底にある。それに対し、本作は完全に個人の確執を扱った作品だ。戦争が遺す傷跡は国家よりも個人を蝕むという観点から作られている。
日本兵による捕虜に対する酷い仕打ちは目を覆うものがあるが、戦争とはそういうものではないだろうか。当時、捕虜の待遇を保障するジュネーヴ条約に日本は加盟していなかった。だから捕虜に対し残虐な行為をしてもいいということにはならない。また、協定を結んでいるからといって、戦時下に敵国の兵に対して紳士たる振る舞いができるのか、それも甚だ疑問である。作戦本部の机上で兵を捨て駒のごとく動かしている上層部と違い、戦地の人間は死ぬか生きるかの瀬戸際で行動している。戦争は人を狂わせる。人を狂気に走らせるのが戦争だ。
その狂気の犠牲になった一人の英国人を通して、戦争の残虐性を訴え、心と身体に遺された傷の癒し処が見つからない切なさが描かれていく。
元英国兵エリックが、背負った傷の多くに関わった元日本兵・永瀬と再開し、思いの丈をぶつけるシーンは見ていて切なくなる。
そして、最後は同じ時代を生き抜いた者通しとして交流する姿にほっとする。やっと個人として和睦が成立した瞬間に立ち会った思いだ。
真実を知ること、真実を受け止めることは大事だ。その上で、今後も日英や日豪の関係が一層良くなれば、過去の過ちで失われた命も少しは報われる。
「ごめんなさい」という言葉がどれだけ大事か、この作品が教えてくれる。「ごめんなさい」が言える関係こそが未来を切り開く。
だが、一旦話し合いで定めた協定や条約を破断にし、「ごめんなさい」を言おうものなら、執拗に保障させようとする外交を繰り返す一部の国に対しては素直に「ごめんなさい、悪かったね」とは言えないのだ。こうした国が欲しているのは“謝罪の気持ち”なのか、それとも単に“カネ”か、よく分からない。
トランスレイター
原作が実話でも小説でも映画の出来には関係ない。心に刻まれる価値のある話かどうか、映画を見た時間が無駄だったのか無駄ではなかったのか、映画はそれだけで判断されるべきだ。正直、実話かどうかはどうでもいいのに、「これは実話に基づいた映画だ」ということを前面に出しているところが、この映画の限界である。
戦争という個人の責任を超えた問題と、個人の憎しみ。この映画の原作を読んでいないが、個人の追想記だと見て間違いないだろう。個人の著作であればそれで良いのだが、これを映画にすると、少し話が違ってくる。第一に多くの人と金が関わるので、映画が原作より力(権力)を持つ。第二に個人以外の第三者(しかも社会的経済的に力のある第三者)が原作を妥当と認めたと判断され、原作より映画は客観性を持つ。つまり、映画製作は原作を出版するよりも責任が大きいはずである。
日本人兵士を槍を振り回す未開民族のように描くのは問題だということ以前に、プロット自体に欠陥があることを指摘したい。戦争「加害者」と戦争「被害者」の和解がテーマなのに、なぜ、和解する「加害者」が通訳なのか?しかもこの通訳は「自分は通訳しただけで被害者に拷問などしていない」と宣言しているのだから、本当の意味で加害者ではないのである。
この映画を見て空しくなるのは、本当の加害者は被害者と和解していないのだなあ(あるいは和解できないのだなあ)という脱力感に襲われるからである。通訳という立場の「加害者」と被害者が「真の和解」を成し遂げるという実話を映画化した時の影響を考えるならば、実話を曲げて、拷問した日本人兵士もしくは上官を和解の当事者に据えて欲しかった。それこそが、実話の作者にとっても、観客にとっても、本当に願っているストーリーである。もしくは、通訳が拷問に加わっている情景を嘘を承知で描写すべきであった。もちろん、フィクションであることを明記して。
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