くじけないで : インタビュー
八千草薫&武田鉄矢が語り尽くす“生きる源”について
64歳。八千草薫の息子役を務めた武田鉄矢は「幸せな仕事だったねえ」と相好を崩した。隣で八千草も、「武田さんはね、撮影の合間も『八千草さん』ではなく『おっかさん』と呼んでくださって、すっかり息子になっていましたね」と嬉しそうにほほ笑む。90歳を過ぎて初めて詩を綴り、その詩集が200万部超のベストセラーとなった柴田トヨさんの生涯を描いた映画「くじけないで」で、主人公のトヨと息子の健一を演じた2人。決して順風満帆な人生を歩んだとは言えないが、それでも常に深い愛情でつながっていた親子を体現してみせた。(取材・文・写真/黒豆直樹)
実在のトヨさんは、惜しまれながら撮影開始の約3カ月前の今年1月、101歳で亡くなっており、八千草は生前のトヨさんと直接会うことはかなわなかった。「普段は、あまり事前にプランを立てずに現場で肌で感じて演じる方が好きなんです。でもこれまで小説の中の人物を演じることは何度もあったけど、今回は実在の方。遺された詩集やお話、亡くなってからのトヨさんから受け取ったものから、何とかトヨさんになろうと考えて現場に入ったんですが、大変でした。ほんの少しでもお話させていただくことができたらよかったのに、とは思いましたね」と残念そうに語る。
演じながら八千草の心を捉えたのは、息子の健一にこれまでやったこともない詩の執筆を勧められた時の言葉だった。「健一に『おっかさん、詩を書きなよ』と言われて、トヨさんが『そうねえ、いつだって人生、これからだものね』と言うのはとても印象的でした。でも人間、そう思ってもなかなかできないものですよね。それでも、この言葉を心の隅に置いておきたいなと思いました」。
武田が演じた健一は、お世辞にも出来が良いとは言えない息子。仕事は長続きせずに競輪場通いの毎日で、還暦を超えてもトヨに小遣いをせびり、しっかり者の妻に責められ「おふくろなんていっそ死んでくれた方が」と口走る。それでもどこか憎めず、トヨも何があっても変わらず健一に愛を注ぐ。
「(デビュー作の)『幸福の黄色いハンカチ』以来だよね、こんな役。ずっと公務員だ、教師だってやってきたから、無職の役なんて久しぶり。やりにくいったらありゃしない(苦笑)。『学校のウサギの世話をする』という設定があったから、深川(栄洋)監督に『“緑のおじさん”みたいな感じで幾らかもらっているってことにできないか?』って聞いたら『いや、無職です』って。監督にとってそこが大事だったんでしょうね、おっかさんにヒモ1本で持たれている風船みたいな心細さを出すには」。
実在の健一さんはいまも健在で、武田は撮影前に顔を合わせたという。健一さんもトヨさん同様に詩を書いており、武田はその詩集をプレゼントされたというが、数多くの楽曲の作詞をしてきた武田は親しみを込めてこんな感想を漏らす。
「読んでみると技巧的には健一さんの方が上手い。小椋佳さんやさだまさしさんを思わせるの。でも、おっかさんのは売れて、彼のは全く売れなかった。職業的とも言える上手さを持っているけど、だからこそ売れなかったんだと思う。トヨさんの詩を買い求めた人はその率直さを買ったけど、健一さんは中途半端に上手いから、それなら世の中は小椋佳さんやさだまさしさんを買うわけ。だからこの人は恵まれなかったさだまさしさん、銀行員にならなかった小椋佳さん……いやいや、ツキに恵まれず、フォークを歌わなかった武田鉄矢なのかもしれない。僕に舞い込んだ幸運や出会いを全部差し引いたら、健一さんになるんだよ。本当にツイていない人だけど、でもおっかさんと嫁さんにだけはツイていた。でも人生、そこでツキがあるってすごい幸せなんです。本人も『おれくらい運のいい男はいない』っておっしゃっていました」。
「根が優しくて憎めないところは武田さんとそっくり。本当に合っていらっしゃるなと思いながらご一緒しました」と八千草が言えば、武田も「八千草さんなら深いおばあちゃん、そして心の広いお母さんになってくれるだろうし、シンプルだけど強い映画が出来るだろうって予感めいたものがあった」と振り返るが、映画を見ると、この2人だからこその情の深さが伝わってくる。
代表曲の「母に捧げるバラード」をはじめ、これまでことあるごとに母とのエピソードや思いを語ってきた武田。実母が亡くなって10数年を経て、映画の中で「母」と呼べる存在に出会えたことに感慨は尽きない。「お芝居で母ちゃんに呼びかけるのも久しぶりでね。もちろん、ウチのはこんなかわいらしいおばあちゃんじゃなくて、憎たらしいババアだったんだけど(笑)。それでもね、『おっかさん』と呼ぶたびに母と重ね合わせたし、自分で口に出した言葉が胸に響くんだよね」。
トヨさんは90歳にして詩と出合い、人生をより豊かにしたが、八千草も同様に、年齢を重ねても休むことなく映画、ドラマへの出演をこなし、輝きを放ち続ける。「私はね、怠け者なんですよ(笑)」と年に複数本の作品に出演している82歳は言う。「私は、過去やこれまでの仕事に対してあまり執着がないんです。かといって将来――と言ってももうあまり長くはないけど(笑)――に対して、展望やこうありたいというのもない。元来が怠け者だから、いまが楽しいと幸せなんです。いま、こうして自分の思うことを気持ちよく話せれば楽しいし、幸せ。そうやって今日が良かったと思えばまた明日、生きる元気が出てくる。それが大事なんですね」。
武田にとって代表作どころか“分身”、いや本人とも言える「3年B組金八先生」が終わりを告げたのが2011年。時を同じくしてドラマ「ストロベリーナイト」では職人気質の刑事、そして本作では原点回帰とも言えるダメな男と、還暦を超えて新たな境地を切り拓いている。武田はなんとも嬉しそうに、そして洒脱に「脇役修行が始まったんだよ」と笑う。
「幸せなことだけど、(『金八先生』で)61歳まで主役をやらせてもらって、これまでも何度か自分の味の出し方を変えようとしたことはあったんだ。でもね、主役というのは登山で言うと頂点を目指して登り続ける仕事。長くやっているとそういう意識、体つきになっちゃうんだよね。脇役には山を“下りる”技術が必要なんです。この映画も見終わった人が武田鉄矢のことなんて頭の片隅にもなくて『八千草薫、よかったね』と言ってくれるのが理想。それは最初の『幸福の黄色いハンカチ』でやったことなんだよ。いま見ると、おれは高倉健さんの周りをクルンクルン回ってうるさいんだけど(笑)、あの時、映画館を出た人はみんな『あの高倉健を見たか?』って言っていた。そういう仕事をまたやらなきゃ。土手の真ん中を歩きゃいつでも主役やれると思ったら大間違いだぞって(笑)」。
インタビューの終了間際、武田が思い出したように尋ねてきた。「『ストレイト・ストーリー』って映画、見た?」。デビッド・リンチが普段の“狂気”を抑え、かつて仲違いした兄にトラクターを運転して会いに行く老人を描いた穏やかなドラマだ。「おれはあれが好きでね。真緑の景色の中を泥だらけになって、州をまたいで真っ直ぐに進む。あれだけで詩だよね。そういう物語をまた八千草さんと一緒にやれたらいいな」。八千草は何も言わず、静かに優しい笑みを浮かべた。