マッドマックス 怒りのデス・ロードのレビュー・感想・評価
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トンデモナイ映画
はじまってすに良い意味でトンデモナイ映画だと思った。
アニメみたいなキャラが登場するが、それがリアルに感じられる世界をつくったのが素晴らしい。
味方になる敵が、序盤、病気で死にかけている時に、デスロードで死にたい!と叫んでいる狂信的なシーンがあるから、その後のイカれた攻撃シーンも納得ができるようになるし、さらに、敵が顔にスプレーをふりかけて自爆することに名誉を感じている描写で、この敵側の行動が納得できてみれるようになった。
ただ、味方になった敵と、片腕の女は存在感があるが、マックス自体はCGの子供が出てくることでしか、内面を感じさせる表現がないので、行動原理に若干わかりづらいことが、後半の盛り上がりに欠ける原因か。
この後半の問題は、同じ砂漠と車の繰り返しになってしまっているからだろう。(テコの攻撃は後半でてきたが)
状況に違いを出すか、もっと強力な敵の車が登場することが必要だったか。
まあなにわともあれ面白い映画だった。
赤・黄・青・白・灰・シルバー・黒
ごちゃごちゃしてそうなギミックたくさんのモノがいっぱいなのに、画面スッキリ過不足なし。
意外と色調が心地よく、汚くない。
この地上でロケーションされたとは思えないような別世界に連れて行かれる。
これが美しい。
泥やら砂やらで汚れているのに美しい。
説明も詳しくないのに、なんとなく汚染された環境が伝わる。
人間も健康・不健康の差があり、持てるモノ・持たざるモノの差もある。
それが説明されずにいきなりマックスは輸血袋として戦闘用車両の先にくくりつけられ。
だいたいは往きて帰りし物語。
夜の色ではフィルムの色調が明らかに変わって、静かな賢者タイムが訪れる。
戦闘時はどうかしてると思うくらい、キレキレでバカバカしい。
ビートルの車体を生かした見張り台が私は好きだ。
おばあちゃんたちがあと少し生き残ってほしかったな。
最後の者たちの国で
鑑賞から丸1ヶ月経ってようやくレビュー。
うーむ、公開から1ヶ月足らずでレビュー300件超って恐ろし。
流石に全てのレビューを読んだ訳じゃないが、もうレビュー書いても新味のあることは書けない気がする……。
と、逃げの一手を打った所でレビュー開始。
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まだ2015年も半年近く残っている訳だが……あのぅ、
もう今年一番のアクション映画だと言い切っちゃって良いんじゃないんすかねコレ?
すっげえ! ムチャクチャ燃えた!!
ストーリーはシンプルだ。恐ろしくシンプルだ。
最終戦争後の世界をひとり生き延びてきた男が、暴君の
手から逃れて新天地を目指す女たちの手助けをする。
以上。ホントにそれだけ。あとは延々カーチェイス。
だが、シンプル=内容が薄いということには全くならない。それどころかこの映画は、
『凝ったシナリオ無しでも映画はこれだけ面白くできる』というある種の証明だ。
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安息の地を求め、ひたすら走り、ひたすら闘い、ひたすら逃げる。
たったそれだけの物語に、どうしてここまで心を動かされるのだろう?
故郷の夢を打ち砕かれて砂漠でひとり泣き叫ぶ女に、
植物の種を抱いたまま死んだ老婆の安らいだ表情に、
出会ってまだ1日か2日ぽっちの恋人たちの別れに、
そして、最後に交わされる2人の戦士の頷きひとつに、
どうしてこんなにも胸が熱くなるのだろう?
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スプレンディッドの死の場面。
マックスが親指で『よくやった』のサインを出した直後、
マックスに撃たれた傷からの血で足を滑らせ、彼女は死んでしまう。
きっとマックスはあんな因果な死の場面に何度も何度も遭遇してきたのだろう。
自分の力不足、あるいは自分のミスで死んだ人間を山ほど見てきたのだろう。
死と狂気のみが支配する熱砂地獄でマックスはフェリオサに語る。
「分かってるはずだ、希望を抱くのは間違いだと。心が壊れたら、あとは狂うしかない」
だがそんな無慈悲な世界においても、
いやそんな無慈悲な世界だからこそ、
人はほんのわずかな心の拠り所を大切に大切に胸に抱いて生きる。
とうの昔に心が壊れてしまったマックスですら、
人としての良心や、過去を贖いたいという希望を完全に棄て去ることはできなかった。
この映画は過酷極まりないハードアクションだが、僕にはそれと同時に
『どれだけ過酷な環境にあっても人間は希望を見出だす/あるいは希望を棄て切れない』
という、愚かしくもいとおしい人間という生き物の考察であるようにさえ思えるのだ。
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耳タコだとは思うが、アクションの凄まじさについても書かずにはいられない。
生身の人間が体を張っているアクション映画は、
それが過酷であればあるほどに、キャラクターの血と肉が伝わるように僕には思える。
スクリーンの向こう側にそのキャラクターが存在しているように思える。
本作では極力生身の役者がスタントを演じたと聞いているけれど、
ハイオク血液袋マックスがカーチェイスの“特等席”でブン振り回されるシーンやら、
キャストのすぐそばで次から次に爆発炎上&キリモミ回転する車両やら、
それこそ作り手の正気を疑いたくなるレベルの壮絶さ。
この決死のアクションがあってこそ、この映画のドラマは心に迫るものになったのだと思う。
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フェリオサ率いる女性キャラ達もしっかり個性が出ているし、
イモータン・ジョー率いるイカれたキャラ軍団もインパクト強すぎ。
盲目の“死の天使”や、ウォードラムならぬウォーエレキ(爆)とかはユーモアなのかマジなのかもう分からん(笑)。
他にも色々書きたいが、長くなるのでこの辺でやめておく。
“ウォーエレキ”といういい加減な造語を書けた時点で僕はもう満足だ。
以上!
ムチャクチャ面白かった! レビュー終わり!
<2015.06.20鑑賞>
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余談:
『マッドマックス』シリーズは1,2作目は観てるが、
マックスの妻子が賊に轢き殺された、という過去設定の説明すらハショる潔さはスゴい。
編集しながら「過去作知らない人大丈夫かな……」と不安に駆られそうなもんだけどねえ。
余談2:
レビュータイトルは好きな小説のタイトルから拝借。ビミョーに漢字は違う。
内容はずいぶん違うのだけど、フェリオサ帰郷後の夜のシーンで相通じるものを感じた次第。
とにかく迫力が凄い
迫力が素晴らしい!ヤバイ奴、爆発、加速、ヤバイ奴、爆発、ばあちゃん、ヤバイ奴、加速といった具合に全く勢いが落ちない。
アクションの迫力が物凄く、殆ど実写と聞いて驚愕した。
ヤバイ人たちも魅力的。強烈に印象に残るのはブレッドファーマーとコーマドゥーフウォリアー。強いばあちゃん達も心底応援せざるを得ないキャラクターだった。
地平線に改造ビークル軍団がチラチラ見え出すシーンに思わず懐かしさも感じた。あのヤバイ奴軍団に追いつかれたら死ぬゾクゾク感、正に醍醐味である。
勢いが止まらない凄まじいアクション映画。
むせ返るその先にあるもの
確かにアクションは凄い。今時よくここまでやったという気はする。しかし、過大評価気味じゃないかというか、何か乗り切れないモヤモヤしたものが残った。
一番引っかかったのがニュークスの存在だ。死期の迫っているウォーボーイズは戦いで派手に死ぬことに憧れを感じている。極端な過激思想に洗脳された者が挫折とちょっとした女性との交流でコロッと改心するのは一言で切って捨てれば『童貞はチョロい』で済んでしまうだろう。しかし、これはこの映画全体についてもメタ的に似たような構造を感じてしまうのだ。
一時期流行った『童貞力』のような言い方はサブカル的であまり好きではない。しかしこの作品全体にはどうしようもなく充満しているむせ返るような『童貞力』としか言いようのない何かが横溢している。それが一部の人を熱狂させるのは理解出来なくはない。だが逆に『お前らはこんなのが好きだろ』とチョロく見られている気にもなってしまうのだ。
こんな見方は拗らせ過ぎなのだろうか?
疲れた〜
会社帰りに「マッドマックス」をレイトショーで。一週間のシメにアレは迫力満点で激しすぎた^^;
でも冷静に考えるとA地点かB地点までドライブして帰ってくるだけだったような…
でもやっぱり深く考えずに楽しめるっていうのがいーんだな。
凄かった
今はCGがと思うから、昔までの戦慄はない…ないが…その発想が昔を遥かに凌駕してる。
ぶっ飛んでる。
スカッとするとかしないとか、楽しいとか楽しくないとか、そんなのどうでもいいくらい、ガチャガチャしてる。
観終わった充足感はある。
ただ、全編にわたりコマ落としをしてるようなカクカク感には最後まで慣れなかった。
まあ、とにかく凄かった。
色々と。
冒頭の砂嵐を超えるとこまでがキモ。
あそこを楽しめたら、最後まで楽しいと思う。
どうやら、続編もあるんだろうなあ…ちょと疲れてるけど、観に行くんだろうなあ。
衰え知らず。
監督が好き放題やってます映画の洋画版は、あのシリーズが
なんと30年ぶりに復活!!凄いねぇ~御歳70歳だって、監督。
それでこのレベルだもの。全然衰えてない!マッドな爺さん!
突然始まる超絶バトルはそのまんまずーっとラストまで続く。
冒頭から観ていても何でこうなっているのかよく分からない^^;
怒涛の追いかけっこと殺し合いが続くデス・ロードは、結局は
来た道の往復という、エー!?的な一本道ルートにも拘らず、
ヒャッホー白塗り軍団や鉄バイク婆さんや火吹きギター男など
もうバカみたいなキャラしか出てこないので理屈でも語れない。
来た道帰ったらまた危ないじゃん!?と子供でも分かりそうな
疑問を一蹴するマックスも実際バカなのか?なんて思うくらい、
今回の彼は最後の最後まで受け身。だってC・セロンが女戦士
なんだから仕方ないじゃない!?と納得ずくで観るのが正解。
まぁセロン姐さんがいつもの「誰ですか!?」メイクで奮闘する
アクションとしても楽しめるけど、一作目の敵役HKバーンの
不気味な風貌も凄味あるし、個人的にはあら~こんな役を?と
思ったN・ホルトもなかなか似合っていた。メルギブの出世作
だった本作だけど、シリーズ後半は圧倒的に男子向けだった。
妊婦連合の皆さんはほとんどモデル体型(当たり前か)で美しく、
あんな華奢じゃ逃げられないだろ~?と思うばかりなんだけど
砂漠にモデルって素材として映えるなぁなんて感心してみたり。
CGやVFXを極力排除して実写に拘ったというのもさすがで、
それであの超絶スピード感が出せるなら文句のつけようがない。
一体何考えてんだ!?と思うほどの狂気がノンストップで続き、
2時間後は一気に力が抜けて身体がグッタリすること請け合い。
(こちらのトムも公開続きますね。優しい表情がK・コスナー風)
利尻昆布と本枯れ節の最高級のダシを使ったハバネロ料理
この映画をイマイチと感じている人はまだしも、喜んでいる人の中にも「ストーリーのない単調なB級バカ映画」扱いをしている人が多いことに少しがっかりしています。
本作は、そんな薄っぺらな作品では全くありません。
まあ、料理にたとえれば、一見「ハバネロ大量投入の激辛料理」みたいな、過激な刺激にまみれているのは事実ですし、そこだけでも十分楽しめる作品ではあります。
しかしその一方で「コンブとかつおのダシもちゃんと利いてます」「しかも最高級の利尻昆布と本枯れ節を使ってます」とでもいうような、考え抜かれた設定と確かな技術、そして映画の王道とも言うべき物語性に裏付けられた、深みのある作品であることも事実なのです。
人によっては表面的な「辛い味しか分からない」のも無理はありませんから(鑑賞時の体調などにも左右されるでしょう)、以下に本作の「最高級のダシ」の部分を指摘しておきますので、本作に対する再評価の参考になれば幸いです。
※ ハバネロ部分は明らかなので割愛します。
***
本作のストーリーは実にシンプルなものです。
核戦争によって文明の崩壊した世界、元警官のマックス(演:トム・ハーディ)は過去に救えなかった人々の幻覚に悩まされながら、逃げるように荒野をさまよっていた。
しかしイモータン・ジョー(演:ヒュー・キース・バーン)率いる狂信的カルト集団によって捕らえられ、戦闘員たちのための「血液袋」として拘束されてしまった。
貴重な水資源を通じて人々を支配するイモータン・ジョーは、同時に子供を産む女たちも資源として監禁し、支配していた。
しかし、ジョーの部隊を率いる大隊長フュリオサ(演:シャーリーズ・セロン)はフュリオサの五人の妻たちをひそかに連れ出し、武装トラック(日本語字幕ではウォー・タンク)に乗せて「緑の地」へと脱出を図る。
これを知ったイモータン・ジョーは軍団を率いて追跡を開始、戦闘員のひとりニュークス(演:ニコラス・ホルト)の車に「血液袋」として鎖でつながれたマックスもまた、この争いに巻き込まれたのだった・・・
・・・というような具合ですが、これは明らかに
出エジプト記
を原型としたプロットですね。
預言者モーセがエジプトで奴隷とされていたユダヤ人を率い、荒野の厳しい環境に耐えつつエジプト人の追撃から逃れながら約束の地を目指すという、よく知られた物語です。
チャールトン・ヘストン主演『十戒』(1956)を見たことがない人でも、海が割れる有名なシーンがある、ということくらいは聞いたことがあるでしょう。
ちなみに、同じようなプロットは西部劇でかなり使われていますね。まあ、人民ではなく輸送車両を警護しながら逃げる、という物語が多いのですが、それこそ『大列車強盗』(1903)や『駅馬車』(1939)のような名作をはじめ、繰り返し繰り返し使われているところ。
その「繰り返し使われる」にはもちろん理由があります。
それはチェイスシーンで見せ場を作れる上に、緊迫した状況に置かれた人々のキャラクターや人間関係を描くことで、作品に深みを持たせることが出来るから。
要は映画に向いている話なのです。
たとえば。
もとの『出エジプト記』自体がそもそもそういう話なのですが、逃げてる途中にブーたれるやつが必ずいるんですね。「こんな苦しい思いをしながら逃げるくらいなら、エジプトで奴隷だった方がマシだ」と。それで一行の中に意見対立や反目が生まれる。
そういう内部からのクライシスに指導者たる主人公がどう立ち向かうか、つまり亀裂の入った集団をどうまとめ、目的に向かって集団のモチベーションをどう盛り上げるか、いわばリーダーシップを試される場面であり、それが追いすがる敵(外部からの脅威)との対決とは異なる、静かで深みのある見せ場を作ることが出来るわけです。
その際、単に主人公が逃げるだけでなく、弱者を守りながら逃げるというプロットのほうが、主要人物のヒロイックさを描きやすいことはいうまでもありません。
まあ、モーセの場合は宗教的に問題を解決するわけですが・・・つまり奇跡という宗教的手段を通じて人々を導くわけで、だからこそ彼は宗教的指導者、預言者であるわけですが、映画の場合はそれをやるとご都合主義だと叱られます(チャールトン・ヘストン除く)。
ですから主人公の役割は危機に陥った人を言葉で奮い立たせ、そして自らが人々のために犠牲的行動をとる、それによって英雄性を表現するわけです。
というか、その深みを持たせられるかどうかで作品の質が変わっちゃうんですけどね。
もちろんチェイスシーンだけでも客を楽しませることは出来るので、そこに特化して95分くらいの映画を作ることも出来るでしょう。でもそれはB級にしかならない。
逆に、邦画にありがちなダメ映画は犠牲的行動なし、主人公の演説だけで済ませちゃうものが多かったりします。
一見立派そうな(しかし大して中身のない)セリフをモデルあがりのイケメン役者に絶叫させて、それで他の登場人物が納得したことにしちゃう。
「オレは仲間を守りたいだけだ!」とかいう薄っぺらいのがよくありますよね。15歳くらいの観客ならまだ心がキレイですから、それで感動してぼろぼろ泣くかもしれませんが、大人の観客はそうはいきません。
「この主人公は口ばっかりで何もしてねえな」「ていうか他の連中もそんな薄っぺらなお題目で納得してんじゃねえ」と思って、余計に鼻白んでしまうだけです。
では本作『マッドマックス 怒りのデス・ロード』はどうかと。
本作のモーセにあたるのはシャーリーズ・セロン演ずる女戦士フュリオサですが、抑制をきかせつつも要所要所で感情がこぼれ出るような質の高い演技によって、偉大な指導者を見事に演じていました。
過去のジャンル作品を振り返るに、従来はB級アクション映画における女戦士の類型というべきものがありました。
たとえばブリジット・ニールセンやグレイス・ジョーンズ、近いところではミシェル・ロドリゲスあたりが典型ですが、いずれも男勝りの闘士で、向こう見ずといえるほど攻撃的な性格をしているのが普通です。
おそらくウーマン・リブ時代の、男の偏見と戦う女闘士という類型からでているのでしょう。
しかし、本作でセロンが演ずるフュリオサは、そうした類型から一歩も二歩も抜け出すものです(もちろんアクション映画にありがちなヒロイン像からも)。
彼女は純然たる指導者として描かれており、仲間を失った厳しい場面における決断や、希望を失った絶望的状況においても立ち上がり、リーダーとして前進し弱者たちを率いることを放棄しませんでした。まさにモーセのように。
彼女は逃避行の最中でマックスやニュークスら異者を受け入れますが、その度量もまた指導者たるにふさわしいものといえるでしょう。見ようによっては聖書の預言者たちより寛大かもしれません。
そして、その彼女の姿は本作の主人公(?)であるマックスを蘇らせます。
ハーディ演ずるマックスは作品のはじめのころは心の折れた戦士であると同時に、人間性を失った野獣に近い振る舞いをする存在です(冒頭のモノローグ以外、ろくに言葉もしゃべりません)。ジョー軍に捕らえられた際も「血液袋」、つまりモノ扱いされていることはいうまでもない。
その彼が徐々に人間としての心を取り戻し、他者のために戦うという英雄性を取り戻すのはフュリオサに感化されてのことであるのは明らかです。
ここで重要なのは、従来のB級映画にありがちな「女としての慰撫」がマックスを奮い立たせたのではない、ということ。つまりフュリオサとマックスは男女の関係ではありません。
これはニュークスと妻たちの一人の間に淡いロマンスがほのめかされるのと対照的です。守るべき女性の存在が男を戦士として目覚めさせる、というのはごく普通のパターンですが、それと対比することでフュリオサとマックスの関係が余計に浮き上がるようになっているわけです。
とはいいながら、本作においてフュリオサが女性であることは作品上の必然といえます。監督自身がインタビューで言っていますが、もし男だったら「男に支配された女たちを、別の男が奪う」という話になってしまうからです。
しかし、本作が出エジプトのような「奴隷状態の人々の解放」、もっといえば「人間性の回復」の物語であるとするなら、指導者は逃げる人々と同じ属性を持っていなければならないのです。
つまり、ユダヤ人を率いるモーセがユダヤ人であったように、女たちを率いるフュリオサもまた女でなければならなかった、ということです。
***
そして、フュリオサによって人間性を取り戻し、戦士として「復活」したマックスが、今度はフュリオサの窮地を救います。
ともに戦うことはもとより、気胸を手当てし、自らの血(=生命)を分け与えることでフュリオサを蘇らせますね。
つまりフュリオサが民を率いる預言者モーセだとすれば、マックスは死から蘇り他者に永遠の生命を与える聖者、すなわちイエス・キリストをモチーフとするキャラクターだと言えるでしょう。
カトリックの聖体拝領がキリストの肉と血に見立てられることはいうまでもありませんし、死んだラザロを生き返らせる有名な場面で「私はよみがえりであり、命である」と言ったように(ヨハネ伝11章)、キリスト教の救世主とは生命を象徴する存在なのです。
もっとも、そんなのはお前の勝手な妄想だという人がいるかもしれません。
そういう方は、ニュークスの車に縛り付けられたマックスが、どんな様子だったか思い出してください。
十字架に磔にされたイエスと同じポーズだったでしょ。
なんでわざわざあんな邪魔な取り付け方をしたか、あなたは不思議に思いませんでしたか?
あのポーズ自体に象徴的な意味があると考えれば理解できるはずです。
つまり本作のマックスは、十字架にかけられるまでのイエスというより、十字架にかけられてから復活するイエスというキャラクター類型と見るべきでしょう。
だからこそ、エンディングで彼は荒野に去っていく。
私が脚本家だったらこれ見よがしに "Quo vadis?" とでも入れてしまったに違いありませんが、この作品ではそんなベタで下品なことはしません。
極端に言えば、この映画はモーセとイエスの競演する映画なのです(もちろん大げさに言ってますが)。
その点、この作品が荒野を舞台にしているということ自体が非常に象徴的じゃないですか。
聖書的な世界では、聖者は荒野に現れるものですからね。
***
もちろん、この映画がキリスト教の宣伝目的で作られたといっているわけではありません。
そうではなく、キリスト教文化圏の人ならごく普通に気づくような、そしてそれ以外の社会(たとえば日本)においても知識階級なら当然気づくレベルの一般教養を下敷きにして、この物語は成り立っている、というだけのことなのです。
ですから、「この作品に物語がない」というのは誤りです。
ちゃんと物語はあります。
ただし、日本のテレビドラマのように「バカでも分かるようにセリフでぜんぶ説明する」ということをしていないのです。だから分かる人にしか分からない。
そして何より、冒頭述べたように本作はハバネロ的な刺激に満ち溢れており、そういう「ちゃんとした物語」の部分が見えにくくなっていることも間違いありません。
ですから、あなた方がそれに気づかなかったからといって責めるつもりは毛頭ありません(残念だとは思いますが)。
私が言いたいのは、
世の中には一度では味わいつくせない作品がある
そして『マッドマックス 怒りのデス・ロード』もそうだ
ということだけです。
私自身もあと何度か見ようと思っています。
そして、そのたびにまた新たな発見があるはずです。
前シリーズの味をシッカリ受け継いでる!
毎度お馴染みカーチェイス追いかけっこ、バイオレンスなアクションシーン、ヒャッーハーな人達の元ネタの悪党、マックスが着る肩に片っぽ付いたプロテクター革ジャン、フリークスの人、暴発する二連式ショットガンなどなど…前作の味をシッカリ受け継いでくれていてとても良かったです。後は「犬」が相棒だったら最高だったかな?
後、もう少し人喰い男爵とかサブ悪役の活躍シーンが欲しかった。
クライマックス手前でマックスが元の場所に戻ろう発言は聞いていて「マジか!あの道を引き返すんか?てか、解決するんか?」って思っちゃいました。でも、引き返してから始まるラストの最終決戦は最高!行きにかかったアノ時間はなんだったんだ?って思うぐらい元の場所に戻れる。
「帰りは行きより短く感じる」ってこのことか!(違うか笑)
とにかく今回のマッドマックスは楽しめる良い出来でした2の次に好きです!
逃げる!そして、帰る!話
主にTwitterで、マッドマックスがおもしろい!最高!との声をたくさん見まして、自分基準では選ばない題材なのだけど、ポイント貯まってたし、見てきました。
2Dで字幕でただ見です。
バイオレンスでアクションで車でシャーリーズセロンが出てるってゆう前情報で見ました。
メルギブソンが主演したシリーズがあるってゆうのも耳にしてましたけど、もちろんみてましぇん。
で、なかなか楽しく観られました。
あまり銃口が画面に向くような絵がなく、むやみやたらと観客をだまし討ちするような手法もなかったので、びびらされずに楽しめたということです。
ストーリーはあってないような感じですが、マックスがなんとかジョーの組織に捕まって輸血袋にされてたところ、なんとかジョーの手下の女将軍フュリオサが、なんとかジョーの、子産み女達を連れて砦から逃げて、フュリオサのふるさと緑の地を目指しました。
その道すがらマックスもフュリオサチームに混ざり、緑の地にたどり着くも、その地は荒廃しており女達絶望。
でもマックスが西の砦に戻って生き直したら?と提案。なんとかジョーとかは帰り道でぶっ潰せばいいじゃんってことで、元緑の地の女達も一緒に西の砦に逆走、なんとかジョーも殺して、フュリオサは怪我するけどマックスの輸血で生還!めでたしめでたし。
というお話です。
そんなにバイオレンスはきつくなく、まぁ見てられる感じでした。
白塗りボーイズたちが短命で、なんとかジョーもなんか満身創痍ってゆうか、毒々しいし、太った女たちから絞った乳が牛乳みたいになってるし、デザイン、世界観は目を引きました。車にくくりつけられたギターメンとか。
子産み女達がみんなビューティフルでした。
鉄のトゲトゲついた貞操帯を外して、それを蹴っ飛ばしてたり、子を産む道具にされるだけの人生に命がけで抵抗するという女の戦いの映画という側面もあり、そこらへんが私がフォローしてる方々(おもに女性)が、これは面白い!見るべき!ってゆってた所以かなぁと思いました。
マックス影薄いと思いました。
砂漠は割とフォトジェニックだなーとも思いました。
爽快
ストーリーは単純と言うか、あまり大事な役割では無くて、
完全にド派手なアクションを、何も考えずに楽しむ感じ。
登場人物(脇役)がやや気持ち悪かったりするので、好き嫌いは分かれるだろうけど、私はかなり爽快な気分になり劇場を後に出来ました。
そして曲も良かったな。
核戦争後の荒廃しきった世界はまさに「マッド」
最新のマッドマックス、ほぼリアルで再現したジョージミラーの代表作!
長時間にわたって迫力あるカーバトルアクションで疲れる映画だった(笑)
メルギブソン時代から見ているので違和感なく楽しめた。
微妙な早送りを駆使している事で、リアルに迫力が増しているのかもしれない。
北斗の拳の荒廃した後の世界観はマッドマックスを参考にしたそうです。
すごかった!
何となく毛嫌いして観る気が起きなかった作品。
いざ観てみると、始まってから終わりまで息もつかせぬ展開に「なんじゃこりゃ~!メッチャおもろい!」との思いが頭の中をグルグルと。
それにしてもマックスの憂いに満ちた表情。
自信が犠牲にして死なせてしまった愛する子供や家族のやり切れない思いを十字架として背負いながら生きている哀愁を感じられて泣けたなぁ~。
シャーリーズ・セロンもカッコよくて仕方ない!
いやぁ~、最高でした。
芋誕生
30年ぶりの続編は・・・、十分楽しめました。
前3作見ているから、という補足を付け加えておきます。
今回はマックスがMADというより、映像や世界感がMADでしたね。
またシャーリーズ・セロンが良かったですね。
監督が同じシリーズ物だから、ストーリ性はお決まりコースですが。
久しぶりにあの世界感を見て、若い頃はただアナーキーな描画と見ていましたが、強く生きるというジョージミラー監督のメッセージを読み取り、自分も少し成長したたようなそんな気分になりました。
凄すぎる
・前知識なしの初見から、9年経過して改めてU-NEXTで鑑賞。当時は遅れそうになって焦って映画館に向かってしまい事故りかけた思い出と共に色々と衝撃的なシーンが多くて引いた。北斗の拳みたいな世界観が怖くて…女性の扱いの暴力的な感じに落ち込んで、ディストピアすぎて不安になってとかだったと思う。色々とショックなシーンが多くて概ね憶えていたつもりだったけど、流石に2時間の映画を丸々記憶できてるわけではなかった。
・見ごたえのあるシーンが2時間ぶっ通しで観られるという感じで度肝を抜かれた。この9年の間でそれなりに映画を観てきて群をぬいて凄い映画だったと知った。世界観も演出もガジェットもカーアクションも、何もかもが、とんでもなく凄まじい。アクションでは断トツかもしれない。
清く正しいハリウッド映画
楽しいよ。元々の《マッドマックス》は観てないから、それとどう違うかは解かんないんだけど。
前半は、楽しいは楽しいんだけど、ちょっとテンポがいま一つという感じでのりきれない。後半で戦いのシーンに入ると楽しくなってくる。
しならせた棒から攻めてくるのは、観てて楽しいし。
悪役に囲われてる女たちが逃げてきて、マックスと仲間になるんだけど、この人達が単なる綺麗なお嬢さんじゃなくて闘うのが良い感じ。
戦いにちょっとあっさり勝ちすぎるかなという気もするけど、すっきりハッピーエンドで終わるから、良いのかも。
「独裁者を倒して、少し民主的な体勢になるぜ!」とみんな喜んで終わるんだけど、あの世界で民主制は、他の地域につけこまれるだけじゃないかなという気もしたな。
MX4Dで観たんだけど、気が散った。MX4D向けに作られた映画じゃないから、色んな動きが後付けになってんだよね。それで「ここで水飛ばさなくても・・・」ってところで飛んできたりして冷める。MX4Dじゃなくて普通の3Dで十分だと思うよ。
単純だけど
子産み女や母乳女や輸血袋は自身が搾取されている事に自覚的だけど、ウォーボーイズって洗脳されて自分の命が搾取されている事に気がついていない部分が悲しいなぁ。ニュークスのキラキラした女達って発言や、5人の美女を追う時のウォーボーイズの性的に無反応な感じを見ていると洗脳だけではなくて、幼い時に去勢済みで少年のまま時間が止まっているのかもしれない。最後の「俺を見ろ」のシーンはいろいろ考えて少し泣けました。単純だけど意外と深い話だな〜。
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