「戦争をしない国の誕生」終戦のエンペラー マスター@だんだんさんの映画レビュー(感想・評価)
戦争をしない国の誕生
私は戦後生まれだが、父は海軍で母も軍人の娘。子供の頃は戦時中の話をよく聞かされた。田舎の親戚を尋ねると、どこの家でも床の間の鴨居に天皇と皇后の写真(肖像画だったかもしれない)の額が飾ってあったものだ。
物心がついた頃には米軍は撤退した後だったが、駐留軍がいた町には横文字の看板が多く残っていた。母は、女学校のとき英語が禁止されたせいで、今でもすべてのアルファベットを読むことができない。
日本だけではなく、世界がまだ自国を大きくすることに躍起となっていた時代。そのうえ燃料の流入を阻止され、自ら開戦に踏み切った日本。やむを得ない事情もあるが、戦を仕掛けたうえ残虐な行為をしたことも事実。
だからといって、日本という国にとって、誰が善で誰が悪だったなどということはできない。けれども敗戦国として、領土の没収、戦勝国から見た戦犯の処罰は受け入れなければならない。誰かが責任を取らなければ示しがつかないのだ。
そうしてアメリカから日本に送られてきたのがサングラスにコーン・パイプのマッカーサー元帥だ。
日本は他国に例がない世界で最長の君主国家だ。戦後、天皇は国民の象徴という立場になったが、その地位は世襲で受け継がれていく。
この作品は、アメリカ主導の戦後処理に於いて、日本国民の“よすが”である天皇の処遇をどうすべきか、その判断に費やされた10日間を追ったものだ。
話の上では、調査を命じられたアメリカの将校による、日本人女性との恋の回想の絡め方がやや強引だ。ただ、マッカーサーが決して日本を潰しに来たのではないという、彼の心のなかにあるものを推察するための間接的な表現と見ることもできる。
今の日本があるのは、マッカーサーの決断が大きい。戦勝国による領土没収もなく、日本は焼け野原から立ち上がり、 世界第二位(現在は三位)の国にまで成長した。そもそも敵国どうしだった日米が友好国になるなどと、だれが想像しただろうか。
マッカーサーと昭和天皇の会見では、天皇の言葉に胃がぎゅっとしめつけられた。
日本は来月15日で68年間、他国との戦争はもちろん、内戦もない。この作品が描いた日本、戦争をしない国が生まれた原点がそこにある。
第二次世界大戦以降、一度も戦争をしていない国は世界でも一桁しかない。アジアでは日本とブータンだけだ。どうか、戦争をしない国のことはそっとしておいてほしいものだ。