バーニー みんなが愛した殺人者 : 映画評論・批評
2013年7月9日更新
2013年7月13日よりヒューマントラストシネマ渋谷、新宿シネマカリテほかにてロードショー
おかしくて不気味な映画。寓話を巧みにかわしている
テキサスが「5つの異なった地域からできている」とは知らなかった。ダラス一帯とサンアントニオ付近とオースティン周辺とでは、土地柄や気風がまったく別物らしい。
「バーニー」の舞台は東テキサスのカーセージという小さな町だ。人口は6500。「暮らしたい町」の上位にランクされているが、ただの平和な楽園ではなさそうだ。どこか不穏。
そんな町に漂着した中年男のバーニー(ジャック・ブラック)は、葬儀社で働きはじめる。彼は素晴らしく人当たりがよい。死者は鄭重に葬り、遺族にはとても親切に接する。聖書の朗読は滑らかで、ゴスペルも巧い。
バーニーは、ニュージェント夫人(シャーリー・マクレーン)という未亡人とねんごろになる。裕福で孤独で攻撃的な夫人は、周囲から鬼婆呼ばわりされているのだが、バーニーは彼女の心と財布に潜り込む。が、小さなもめごとから事態は一気に暗転し……。
ここから先が、リチャード・リンクレイター監督の腕の見せどころだ。俗物図鑑や昆虫記の様式を借りるのも一法だが、その手口で押しつづけると、「黒い笑い」が紋切型に陥りかねない。愚行とムラ意識のもたらす混乱なら、観客はすでに見飽きている。
むしろリンクレイターは、明と暗のブレンドに心を砕く。楽天的なのに疑わしく、コミカルなのに棘のあるトーンを設定することで、観客に微妙なゆさぶりをかけるのだ。
すると観客は迷う。笑うべきか、ひるむべきか、自身の無意識をつい覗き込んでしまう。
実は、どちらの反応もまちがっていない。「バーニー」はおかしくて不気味な映画だ。善意と残酷は隣り合っている。寛容と偏狭も紙一重だ。それでも、この映画に説教臭は少ない。オチに頼った寓話もめざしてはいない。見終えて眼と耳に残るのは、楽天的でいかがわしいジャック・ブラックの顔であり、能天気でのびやかな彼の歌声なのだった。
(芝山幹郎)