GODZILLA ゴジラのレビュー・感想・評価
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破壊神は?
ガメラ4かな?仇役の怪獣も造形、設定特に繁殖するところなんかマンマでは?でも、1998版に比べれば格段にいい出来。とは言っても白目の破壊神が良かったと思うのは私だけ?ゴジラとガメラは明確に役割を分けましょう。次回作もあるようなので、破壊神復活を望みます。
ゴジラファンも納得か
『GODZILLA』を鑑賞。
ハリウッドリメイク2作目となる。
予告編ではあえて内容に触れず、ゴジラの姿を小出しにしながら、街が破壊され人間が逃げ惑う映像のみ。
これではゴジラが街を破壊し、人間を襲う映画だと思う人が大半だと思うが実はそうではない。
どこからがネタバレか微妙ではあるがこれくらいは良いだろう。
先にムートーと言う怪獣が出現し町や人を襲う。基本的にはこのムートーと人間との戦いが主軸となっており、そこにゴジラが登場する事になる。よってゴジラの登場シーンは少なめ。
放射能だ原子力だと理屈をこねても初代ほどの説得力もなく、基本的な内容は単純な怪獣映画となってしまっているのが少々残念。
渡辺謙をはじめとするキャストによる人間ドラマもあるものの内容は薄くおまけ感覚。あくまで主役は怪獣。映画タイトルも正しくは「ゴジラ vs ムートー」なのである。
ただし最新CGにより映像は迫力満点で、怪獣同士の戦いは見応え抜群である。
続編も決定しているとの事。ハリウッド版のモスラやキングギドラも観てみたいものだ。
ハリウッドに行って少し太ったゴジラが果たして破壊者か救世主か、是非とも劇場でご覧あれ。
賛否両論。ある意味、突っ込みどころ満載。
1954年の日本映画『ゴジラ』のリメイク。
う~ん、これは何とも・・・。間違いなく、ゴジラ映画です。かつて、1998年に、マシュー・ブロデリックとジャン・レノの出演により作成された『GODZILLA ゴジラ』は、“ゴジラ”と言うよりも、巨大なトカゲと言って良いような姿形だったわけですが、今回の“ゴジラ”は、まさしくゴジラ。その意味では、リメイク成功だと思います。
ただ、変な言い方ですが、ストーリーもゴジラ映画なんですよねぇ。街を、破壊しつくします。って言うか、破壊したのはMUTOであって、ゴジラではないのかもしれませんが。でも、ゴジラやMUTOへの(何ともいえない、無駄な)攻撃シーンは、ウルトラマンなどにも共通して見られる、ある意味、言葉を選ばずに言えば、滑稽な攻撃シーンなんですよねぇ。ハリウッドで、こんな滑稽な攻撃シーンを描き出すとは思いませんでした。
それと、1998年ゴジラは、口から放射能を噴きませんでしたが、今回のゴジラは違います。って言うか、目を疑いました。そこまでするかと。今回のゴジラは、口から噴きます。ビックリです!いやぁ、こんな日本的な描写をハリウッドでするんだと。
ぶっちゃけ、突っ込みどころ満載です。海軍のEODが、そんなに都合よくHALOの訓練を受けているのか?とか、空母サラトガって、どういう事?とか。あまりにもいっぱいあって、突っ込みきれませんでした。
ところで、冒頭の、日本における原発事故の件は、これは、福島第一原発事故を下にした話ですよね?たぶん。1954年の最初のゴジラは、当時の核(兵器)開発競争への警鐘という意味合いもあったと思いますが、今回のゴジラは、同じ核関連でも原発事故を描いているとは、時代を感じます。もっとも、1950年代・1060年代の核実験の事もきちんと説明はしていますが。
渡辺謙演じる芹沢猪四郎は、1954年の作品の芹沢大助博士と監督であった本多猪四郎の名前の合成。初代のゴジラ作品へのへのオマージュだそうです。
ギャレス・エドワーズ監督が「これは怪獣映画でもモンスター映画でもない。ゴジラ映画だ。」と評したらしいですが、まさにそのとおりだと思います。突っ込みどころは満載ですが。
ゴジラ映画は難しい
ゴジラ映画は難しい。本家日本でも乱作され過ぎてネタ切れの感。もはやいじりようがないところまで変容した。前宣伝ではゴジラ復活とある、当時ゲテモノ扱いの怪獣映画に本物の制作者たちが結集し渾身の大作を産み出したのは第五福竜丸の被爆事故が契機になった。原爆、水爆と2度までも核の悲劇に見舞われた日本人としての平和への悲痛なメッセージが託されていたからであろう。原点回帰といってもハリウッドにとっては反核のテーマが重いだろう。娯楽映画と割り引いてもマグロ好きのイグアナもどきのあつらえでは怒りさえおぼえる。今度のゴジラは巨大、立って暴れているようだ、期待はしないがこれは見ずにはいられない。
3D吹き替え版で観たのだが後加工の疑似3Dなのか前の席に座ったせいか迫力がない。オルセンの吹き替え役があまりにも棒読み過ぎてひっかかる。これなら通常字幕版の方が良かった気もする。
(ここからネタバレ)
先ずは核との向き合い。なんとビキニ環礁の水爆実験はゴジラを抹殺するためだったとの論外のすり替え。ウーンここまで譲らないとハリウッドの重役陣は認めなかったのか。怪獣抹殺に仕掛けた核爆弾の解除に翻弄されるマッチポンプ的筋書で皮肉ってはいる。渡辺謙扮する芹沢博士が広島で死んだ父の形見の時計を持ち出して核使用に反対するシーンも弱い。黒を白にしてまで描きたかったゴジラとはなんなのだろうか。至近な大事件、事故を引き合いに出すのは映画の常套手段とはいえ原発廃墟や津波襲来もどきのシーンは福竜丸の意趣返しか。こじれてきたな。斯様にゴジラ映画は真面目に考えると作るのも観るのもしんどいのである。
邪推はさておき見どころはゴジラとなるのだが、これが出番が少ない。当面の人類の敵役はムートと呼ぶ昆虫もどきのゲテモノ雌雄にあてた。ゴジラはこいつらを倒す役回り。SFはもっともらしい嘘が肝、科学的な非科学の程度が没入力を左右する。巨大とはいえ所詮生物、傷を負わない設定は無理がある。そこで放射能をエネルギーとして太陽風、電気うなぎばりの電磁放射で近代兵器を無効化するというSFではおなじみの仕掛け。名前にGODがあるがゴジラを荒神、救世主には描けない、におわせるだけ。ムートとは太古からの宿敵だからやっける、芹沢博士は怪獣たちは本能の赴くままに動いているだけと言う。ギャレスエドワース監督はわが道を行くとばかりに怪獣よりはフォード大尉の人物像づくり、活躍に力を入れている、これは「モンスターズ」からもうかがえる彼の流儀なのだろう。
もちろんスタッフにもオタクがいるのだろう。ファン向けのサービスもセンスが光る。過去の大作のパロディ、稚拙だとパクリ、品良ければオマージュの挿入はこの種の映画のお約束で面白い。
怪獣が高架鉄道を襲うのはキングコング、ゴジラにつながる定番。普段の生活に突如割り込んでくると恐怖感が増すというリアリティ演出のお手本シーンである。ムートの産室もまさにあれもどき、焼き払うシーンでは溜飲が下がる。ゴジラがムートの口を裂き放射線をぶち込むシーンは初代キングコングが恐竜にとどめをさしたシーンを彷彿とさせる。モーションキャプチャーで着ぐるみゴジラが蘇った、立って歩き放射能を吐く、咆哮あげ敵を倒し静かに海に帰っていく。やっぱりあれはゴジラだったのだろう。
怪獣王
ゆうべ鑑賞したけど、あのアメリカ人家族を無理やり関わらせすぎのように見えた。クローバーフィールドやミストぐらいのその場その場にいた人達の実体験の割合も増やしたら、良いじゃないのかな。物語はパシリムより重々しいし、トランスフォーマーダークサイドムーンより、物語の締めくくりの継ぎ足し感はないかな。23時50分の回だったが眠くはならなかったな。
ゴジラではないが、これもゴジラなんだよ
ゴジラ第1作のエッセンスが詰まっていると聞いていたので
結構期待していましたが、その思いは完璧に裏切られました。
このゴジラは、第1作のゴジラではなく、平成VSシリーズのゴジラにずっと近い。
というか、立ち位置的にはガメラと言ったほうが近いかもしれません。
まず、ゴジラの設定が「人類の愚かな核実験によって生まれた怪物」ではなく、「超古代から存在し、自然の調和を守護する地球神」という位置づけだったのが、
一番の肩透かしでした。
「放射能を食う」という設定はあるものの、それは別に人間のせいではなく、生来の習性らしいです。
「あんな恐ろしい化け物を作ってしまったのが、他でもない我々人類だなんて!」という、現代人類に対する強烈なアンチテーゼがない。
「この設定なら、ゴジラじゃなくていいじゃん。。。」と思いながら見てました。
人類の過ちが怪物を作った、という意味では、ゴジラの他に出てくる「ムートー」という怪獣のほうが、それに近いです。
このムートーも放射能を食う怪獣で、原発のエネルギーで成長して暴れ回ります。
ただこのムートーも、人類の技術の誤算によって生まれたのではなく、あくまで人類は成長を促したに過ぎません。
ストーリーに原子力が大きく絡んでいるにもかかわらず、怪獣の出自そのものに(人間の作った)原子力が絡んでいるわけではないのです。
ゴジラと人類は劇中でほとんど全く戦いません。
人類が敵視しているのはムートーであり、破壊シーンもムートーの方が多い。
原子力によって成長したムートーを、何とかしなきゃならないと焦る人類。
しかしムートーには全く歯がたたない。
その戦いに、横から「地球神ゴジラ」がやってきて、ムートーを葬り去って帰っていく。
ゴジラは人類のことなんて眼中にありません。
実際、平成VSシリーズのゴジラも似たような感じだったので、これはこれでゴジラなのですが、
第1作を期待すると完璧に当てが外れます。
人類に明確な敵意を持ったゴジラと、それに蹂躙される人類、という構図が見たかった。
ではムートーがその役割を負っているかというと、それもまた全然違う。
ムートーも、人類のことなんて眼中になくて、ただ単に「繁殖したい」という欲求だけで行動しています。
そして、ゴジラが「てめーらすっ込んでろ!」とムートーを蹴散らす。
つまり、この映画の基本構造は「勝手気ままにやりあう怪獣と、それを傍観するしかない人類」なのです。
もちろんそういうスタンスも、怪獣映画の王道なので、悪くない。
悪く無いですが、でもこれを「ゴジラ」でやる意味はない。
ただ、では直ちにこの映画の製作陣が「ゴジラのことをわかっていない」ということになるかというと、そういう話にはなりません。
そもそもゴジラのアイデンティティをさんざんに破壊してきたのは、ほかならぬ日本であり、東宝であり、本多猪四郎です。
この映画よりもはるかに「ゴジラらしからぬゴジラ」は数えきれないほどありました。
ゴジラ映画の歴史自体が、ゴジラ像の破壊と、原点回帰しようとしては中途半端に終わった失敗の連続の上に成り立っているので、ある意味この映画はゴジラの歴史をよく踏襲しているのです。
そして、第一作のあの痛烈なアイロニーのこもったゴジラ像の復古を求めること自体が、とても儚い希望であるということも、ゴジラが好きな人であればあるほど理解していることだと思います。
私は「こんなのゴジラじゃない」という言葉を並べてきましたが、冷静に考えるとゴジラの歴史自体「こんなのゴジラじゃない」の連続だったと思うので、
私は少し「ああ、ゴジラが帰ってきたな」という嬉しさも持っているのです。
ハリウッド版の続編が出たら、絶対に見に行くと思います。
「今度のゴジラはゴジラなんだろうな」と確かめにいくために。
さて、文句ばかり書いてきましたが、良い所もたくさんありました。
まず、ゴジラの咆哮にはジーンと来るものがありました。
特に初めてゴジラの全体像が映り、雄叫びを上げたシーンは、涙が出そうだった。
「ああ、ゴジラお帰り」って思いました。
あの姿には、理屈抜きにゴジラを感じました。
だから、私はこのゴジラをゴジラではないと切り捨てることはできません。
また、終盤のゴジラの圧倒的強さにも満足しました。
「この世界観で熱戦吐くのかな?」と心配していましたが、ちゃんと吐いたので満足。
ゴジラの戦闘シーンが少ないという人も多いようですが、私はその点は不満はありません。
(ただ、ムートーの破壊シーンの方が圧倒的に多いのは、なんだかなあ、とは思いました。)
次に、音楽はとても良かった。あの重低音の鳴り響き方、単調なフレーズの繰り返し。
伊福部音楽をリスペクトしつつ、ハリウッドらしくまとめてきたな、という印象です。
映画が終わったあとも、しばらく口ずさんでいました。
また、前半の、まだ怪獣が出てきてない頃の不気味さは秀逸でした。
だいたい筋書きは読めるものの、「この先どうなるんだ?」という子供ながらのハラハラ感が持てました。
ムートーが動き出そうとし始めるあたりは本当にドキドキしました。
あと、ムートーという怪獣の気持ち悪さが素晴らしかった。
私は今まで、一番気持ち悪いゴジラ怪獣はデストロイアだと思っていましたが、ムートーはもっと気持ち悪かった。
本能的な嫌悪と畏怖を同時に呼び覚ますあの造形には、拍手を送りたい(嫌味じゃないですよ)。
最後に、人間ドラマはなかなか良かったです。
特に、執念にとりつかれたお父さんの正しさが証明されるあたりのくだりは。
とにかく、失望と不満はたくさんあったものの、なんだかんだで楽しんでしまった自分がいるし、次回に期待したいという思いもまたあります。
どうか、またゴジラをスクリーンで見たい。
デデデン デデデン デデデデデデデデデン
私はゴジラ作品を全て鑑賞している訳ではない言えた口ではないのですが、このテーマを使って欲しいくらいゴジラ映画でした。
いつも通り予告を確認する程度で、事前情報をほぼ仕入れずに観に行ったんですが、冒頭からゴジラ以外のカイジューが登場し「対決あるのか!」と驚き楽しみが膨らみました。
ゴジラ、放射能、原発。
初作から切り離せないテーマを外してないのがまず高評価。
加えてゴジラではなく敵役カイジューに関与させる事によって、登場人物や我々の直接的な悪感情を誘導しているのも中々です。
しかしゴジラの登場で津波が押し寄せ、街が破壊されていくシーンはやや辛かった。やはり自然災害という事なんでしょうか。
余談。
主人公フォード・ブロディ大尉は幼少の頃は日本に住んでいたわけですが、この手の在日外国人の生活描写も割と良い雰囲気で好印象でした。
さて往年の日本の着ぐるみから、ハリウッドの本格CGに生まれ変わった怪獣達ですが、ともかく彼らの過ぎ去った道は正に自然災害そのもの。
特撮特有の味わいはなくなりましたが、反面凄惨さはよく見て取れました。
ただ「イントゥ・ザ・ストーム」「パシフィック・リム」「トランスフォーマー」「マン・オブ・スティール」といったような近年の大作系統を見るにつけ、「リアルな壮大さ」は割と当たり前の演出であり、評価に対しては大きく影響はないと考えています。
3D鑑賞も有りだなと思わせるくらい凄かったことには変わりないです!
またこれらの怪獣達ですが、どうも人間描写に重きを置いてしまったため、全体的に怪獣シーン数が少ないような印象でした。
肝心のゴジラの登場シーンについても、
ズンと巌のようなゴジラの影が差し込む。
ティルト?と言うのでしたか、徐々に上へ上へとカメラが上がり、その堂堂たる姿がついにあらわになる。
そして咆哮!!
「おぉ!」と圧倒されたと思ったら一瞬で次のシーンに。
……とんだ肩すかしだ(゚Д゚)ゴルァ!!
もっとカイジューを映せカイジューを(゚Д゚)カイジュー!!
要所要所で怪獣達は出てくるものの、肝心の怪獣対戦シーンも削りに削られやや物足りなさが出てきます。
人間描写はしっかりしてるのでそんなに酷くはないのですが、難しい所。
しかし、この焦らしを抜けた先の先にようやく最終決戦。
敵は何処かで見たことがあるような、いかにもハリウッドデザインなカイジューが2体。
それでも流石に心得ているのか、この決戦は確りと描かれており、
ゴジラの尻尾で敵を撃墜!Σ(゚∀゚ノ)ノキャー
ついに背びれが光りが!Σ(゚∀゚ノ)ノキャー
放たれた放射熱線!Σ(゚∀゚ノ)ノキャーキャー
下した敵は千切って捨てる!( ´ー`)y-~~ヒュー
圧倒に次いで圧巻。ようやく怪獣映画らしくなり盛り上がりは最高潮に。
ここで強いて文句をつけるとしたら、放射熱線が自分の記憶にある限りの光線ではなく火炎放射と言うべきもので(熱線という意味では正しい?)、個人的にはちょっと残念なイメージでした。
もっと! もっと威力を!!
それでも貯めに貯めた分、満足のいく闘いでした。
カイジュー達を倒したゴジラも力尽き倒れ伏す。
真っ白に燃え尽きたようなゴジラに死んだか? と思いましが鼻息をフンッ吹かすとと目をパチリ。ご無事でした。
人を見つめるその瞳はちょっと可愛く見るという。
そして街を背にして海へ帰るその後ろ姿はまさしく怪獣王。まさしく威風堂々。
……なぜだか少し泣きそうになりました。
次回作、期待したいです。
※追記。
渡辺謙さんは真実そこにいらっしゃったかな? と思わざるを得ませんでした。
何か起こるたびにメガネを外す謎動作。
芹沢博士(渡辺謙)よりも素人(主人公の父)の方が余程重要な事実に気づいていた。
ゴジラを戦わせようというセリフは「これを待ってました!」でしたが如何せん他が……。
脚本の問題だと思いますが、日本の代表作だから特別に出演させて頂いた感があり、とても残念でした。
後は、引き込み易くするためなのか行く先々で主人公がカイジューに遭遇して、しかもその度に危険な目に遭い生き残る。
軍人にしてもちょっと特別扱いしすぎじゃないかと、気持ちが落ち着いた状態で改めて感じました。
しかし、やはり次回作を期待したいです。
ハリウッド版東宝お子様映画
子供の頃はゴジラ映画好きでした。
小学生の頃。
しかし成人してからは全く興味なしです。
ハリウッド版は以前の作品でうまく作ってあってリアリティが多少あったんですが・・・。
ハリウッド版は見に行く価値があると思っていたんですがねぇ。
今回の作品は50年前の日本版をリメークしたようなもの。
全くのお子様向け映画です。
目が光る怪獣、放射能?を吐くゴジラ、デタラメなストーリー。
思い出すだけでも酷すぎる。
ハリウッドで作ったので迫力はありましたがそれだけ。
子供のころに戻ってノスタルジーに浸れる人は良いんですが大人になった今では受け入れられないストーリー。
やりすぎです。
15歳未満にお勧めということで
R15-(マイナス)なんて表記してはいかがでしょう?
がっかりしました。
シリーズから逸脱しない、極めて無難なゴジラ
1954年、水爆という人間の手によって葬り去ろうと企て、失敗した「ゴジラ」。
全生物の祖となる、“神”に等しいものとして畏怖する存在。
その神を殺そうとした人間の蛮行の反面教師のような存在として現れたのが、今回ゴジラの相手をする「ムートー」だ。
放射線を糧に繁殖、成長するムートーの存在は、ぶっちゃけて言うとゴジラよりゴジラらしい。
というのも今回のゴジラは、姿形は極めて巨大かつ壮大で圧巻する神の肩書きに相応しい描かれ方をしているが、一方でオリジナルの日本のゴジラのような世界の暗部を表現したような存在としてゴジラを描いておらず、
俯瞰的に地球を見据えた、本当に神という存在として描かれている。
俯瞰的な視点から見る存在という点では、もののけ姫のシシ神に似ている。そのぐらいこの映画のゴジラは大人しめな印象を受ける(咆哮は暴力的だが)。
そんなゴジラと戦うムートーは、まさしく原子力発電に使われている核物質そのもので、劇中ムートーを必死にコントロールしようと奔走する人間たちの思惑をことごとく壊していく。
「自然をコントロールすることは出来ない」と劇中でも登場する台詞だが、そのムートーは勿論(と言っていいのかな)ゴジラという神によって息を引き取る。
俯瞰的な視点から地球を見る神のゴジラが、人類の無謀な挑戦の相手であるムートーを殺すという結末は、一種の楽観的にも見え、ラストのゴジラのヒーロー的演出がその見方に拍車をかける。
ようは人類が負うべき後始末をゴジラが引き受けたようなもの。
都合のいい・・・と言ってしまってもおかしくないが、
別の見方をすれば、あのゴジラでさえピンチになるぐらい、ムートーという存在が大きかったというふうにも取れる。
神でさえ苦戦、神でなければ止めることが出来ない自然の暴走を、ラストの人類はどう見たのか。
「怪獣王は救世主か」
この言葉と海へと帰るゴジラの姿を見た人類が、なおゴジラに対して核を使うのかどうか。
そういう一つの分岐点を表したとも言える。
一方の人間ドラマのほうは残念というより、怪獣という伝達媒体として不自由なのを補うために設けられたような、目立たないものになっている。
渡辺謙なんかは特にそう。ゴジラという存在を解説するだけ解説したら、あとは本当に目立たずに空気な存在に。
もっぱら家族愛を想起させる主人公達を描いたもので、怪獣達から醸し出されるナチュラリズムなバックグラウンドとは別のラインで進行した物語といった感じ。
そのため蛇足感が否めず、ゴジラという強大な存在に対してパニック映画によくある普通の物語を展開されて、安っぽさを演出してしまっている感がある。
渡辺謙だけに絞ることはできなかったのだろうか・・・。
全体的に見れば、ゴジラシリーズの中に収まることが許される、極めてゴジラ映画らしいゴジラ映画になっており、
そこから超えたゴジラではない、良くも悪くもゴジラの範疇に収まった、無難なものに仕上がっている。
往年のファンには嬉しいものではあるが、初代ゴジラの思想的、社会的インパクトがない、演出面を追求したローカルな部分の出来に素晴らしさを感じた娯楽作。
少し残念だった気分もあるが、
この映画におけるゴジラの描き方は、拍手ものであることは間違いない。
熱線吐くシーンなんかは「来るぞ・・・来たぞ・・・」と興奮しました
ヤバかった。
日本のゴジラを忠実に再現しており、そして敵もオリジナルのモンスターでとても見応えがあった。というよりか、今年の名作とも言えるほど面白かった。これは見るべきだと私は考える!
これぞゴジラ映画!!
ゴジラしびれるかっこよさ!
日本人の知るゴジラっていう感じで。
でも、描写はかなりすごいので、東北の方や、津波のトラウマな方は視聴注意!
でも、電車や建物ガンガンぶっ壊すのゴジラじゃん!
手に汗握ってゴジラ頑張れ〜って叫びたくなる感じ。
主人公のヒューマンドラマとかむしろいらないけど、それを入れてくるのがメリケンだな〜って思う。
ここは邦題を「ゴジラ対ムトー サンフランシスコ大決戦!!」とかにしちゃえば、
往年のファンも見そうだけどねw
ネタバレになっちゃうかな。
この映画の見せ過ぎないプロモも好きです。なので大したネタバレないけど、敢えてネタバレ注意しておきます。
結果大好き。
是非大画面で見てください。
う、うーん…
IMAXにて鑑賞。
なかなかに微妙…
ゴジラの造形は良いし登場さえすれば描き方も良い。
しかし、寸止め感酷すぎ…
クローバーフィールドの怪獣みたいなヤツは見せておいて、ゴジラが出てくると切り替えちゃうとか、しかもそれが何回も…
テレビ画面に映す素材としては作ってるんだからちゃんと見せてよ!
フラストするわ〜…
ストーリーも設定も無茶苦茶だし…
原発事故のくだり、要るか〜?
日本の景色(あの強引な富士山!)の後に地震と原発事故と津波を見せたかっただけとしか思えない。
電子機器使えないとか言いながら何故か原爆探すときのナビはOKだし。
ゴジラって怪獣プロレスよね、ていう理解はある意味正しいんだから余計なストーリーと描写は省けば良かったと思うよ…
サンフランシスコに移ってからの戦いは結構良かったんだからさ…
最後の勝ち方とか、結構良いのに…
でもこれは、今年60周年という第一作ではなくて、東宝チャンピオン祭りになってからのゴジラの系譜と思った方が良いかもですね。
またもハリウッドがB級のGODZILLAを作ってしまった。
日本の「ゴジラ」ファンから見たら失望を感じてしまう 「GODZILLA」映画がまたもハリウッドで作られました。
ハリウッドが作った前作のイグアナというかカメレオンというか爬虫類的なGODZILLAと比べれば容姿や形は確かに日本のオリジナルゴジラに似てはいます。 しかしながら 今回の「GODZILLA」はストーリー的に破綻しています。
ゴジラの持つ破壊性や迫力、現代的視点での社会性への投げかけなど日本のゴジラ映画の持つテーマなどを捨て去り 意味の無い人間ドラマを盛り込みながら、その配役 登場人物の係わり合いも中途半端で見所もありません。
GODZILLAが主役なのに アメリカ版のラドンをイメージさせる「ムートー」と名づけられた怪獣ばかりが目立ち 主役であるはずのGODZILLAの登場シーンは10分程度あるかどうか・・・
GODZILLAそのものの迫力もそれほど感じさせず、放射能光線を吐く場面は 取ってつけたような演出で・・・・
チープな家族愛を盛り込み、福島の原発事故や 東日本大震災の大津波をイメージさせる日本との関連付けを見せつけ 日本人としての渡辺謙を登場させるも その役回りは何をさせたいのかも判らず、活躍も何も無く 広島原爆の話題を一言出して関連つける。
ラストシーンではアメリカ映画のお決まりのような 安易な核爆弾の取り扱い。
メガトン級の核が爆発することの恐怖も現実も表現せずに ピカと光らせて、GODZILLAそのものは無傷で、、、、、
はっきり言ってこの GODZILLAは失敗作品です。というか安易なB級作品でしかありません。
ゴジラとはまったく違う題名だけの前作のハリウッド版ゴジラがNYの街を破壊した姿のほうが 本来の日本の「ゴジラ」の破壊性を見せ付けていたように感じてしまいます。
ストーリー、演出、音楽、映像 すべてにおいてみるべき点はありません。
この映画を 現代の中高校生や大学生あたりのこれまで日本の「ゴジラ」作品を見たことも無い人たちが初めて見て 「ゴジラ」を見たと勘違いしたらこれほど不幸なことはありません。
加えて 3Dの吹き替え版などまったく見る価値もありません。
3D映画でGODZILLAの放射能光線が劇場を飛び交うことも無ければ、その迫力で身構えるシーンもありません。 2D版で十分です。
怖くない
せっかく楽しみにしていたがさっさとゴジラ出さんかい!いかにもハリウッド的なストーリーがダラダラと続き肝心の怪獣の格闘が殆どない。これじゃゴジラじゃなくてもいいんじゃない?
Godzillaの筈が
Godzillaを観に来た筈が平成ガメラでした。私は初めて映画館で観た映画が「ガメラ対ギャオス」というおっさんですが……雄はギャオスに見え、雌はレギオンに見え、怪獣のキャラ付けもレギオンっぽく感じられ、卵のくだりも平成ガメラ1作目を連想しました。別にそれが作品の評価を左右するものではありませんが、何というか微妙なモヤモヤ感(・ω・) 人間と怪獣の戦いが少ないのも残念でした。(スーパーX的な意味で)
もちろん映像は素晴らしいです。音響も。
今観終りました
あの日本が生んだゴジラが、
どんな映像になるか期待半分以下で観ましたが、
期待を裏切らずに、
あのゴジラが現れました。
確かに日本ゴジラ熱狂ファンからしたら、
一言も二言〜もあるでしょうが、
私は最後は拍手感激でした。
思わず、握り拳から、やったぁ‼︎です。
ゴジラの相手をギャオスと観えたのは、
私だけ?
最後に、3.11の震災を思い出す、
衝撃な映像が…しかし、あの震災を、
風化させてはいけなく、
少しでも早く復興を!と感じました。
あのゴジラの声(声と言うのか?適切な表現が、
分からなくてすみません)が、まだ耳から離れません。
最高!
あのゴジラのおたけびが強烈で、ちょっと怖く、最高!
伏せが笑えた。(^^)
コジラv.s.ムートーの戦いが凄く、終盤戦のゴジラの光線が炸裂するシーンがたまらなく、超最高‼︎
最高の出来ばえ。
ゴシラよ、良くやった!
最後、ゴジラは・・・。
最後の最後、観ていて体がしびれた。
スーパーヘビー級でカムバック!
今回のゴジラは、ローランドエメリッヒ監督によるハリウッド版1作目のようなジュラシックパークやエイリアンみたいではなく、ニューヨークの街を走りまくったりもせず、地下ではトカゲのように移動したりもせず、卵からかえって大量発生したりするよーな事もなく、僕らのイメージするゴジラとは程遠い設定は全てなくなり、噂通り日本のゴジラに近いものになっていました。
やっぱりゴジラは一匹でドッシリとかまえてほしいし、走ったりせず、のっしのっしと重く歩いて欲しい。僕はゴジラの熱狂的なファンというわけではないけど、ゴジラの存在感はそこが基本形だと個人的には改めてそう思いました。
今作ではその辺りがしっかりと演出されていたのは嬉しかったです。
ただここまで日本的にしてくれたのなら、あのお馴染みのテーマ曲は流して欲しかったなと。
しかしゴジラの対戦相手をちゃんと用意してくれたのは良かった。
プロレスファンの自分としてはそいつの名前が「ムートー」って所に
これって「グーレトムタ」からきてるのではとニヤついてしまいました!
このムートー2匹とのハンディキャップマッチの末、遂にゴジラの口から放たれた放射能ビームにはもう盛り上がらざるをえません!
そして「フルハウス」で赤ちゃんだったオルセン嬢が今作では立派に母親役を演じていたのも見所です!
夏休みにふさわしい楽しいお祭り映画でした。
ゴジラは神か?
ストーリーは
1999年、フィリピンの原生林生い茂る森の中に深い洞窟が見つかり、中に巨大な生物の化石が発見された。セリザワ博士とグラハム助手は、現地に飛んで調査するが、その化石に何か生物の繭が寄生していることを発見した。繭の一つはすでに孵っていて巨大な生物が原生林をなぎ倒しながら海に這い出て行った痕跡がある。同じころ、日本のジャンジラ市にある原子力発電所が何者かによって襲われて大地震が起き、原子炉が破壊され、多量の放射線が放出される。被害を抑えるため発電所は原子炉の中に調査に入っていた3人の技術者を、原子炉の中に残したまま防護塀を閉じなければならなかった。犠牲になった3人の技術者の一人は、同じ技術専門家のジョー ブリデイの妻サンドラだった。ジョーは、妻を失い傷心のまま息子のフォードを連れて本国に帰る。
15年経った。子供だったフォードは、結婚して子供を持ち、アメリカ海軍に勤務している。妻はサンフランシスコの救急病院に勤める看護士だ。ある日、日本警察から電話が入り、父親のジョーが、放射能汚染で立ち入り禁止区域になった元の原子力発電所に潜入して逮捕されたという。フォードは父親の身柄を引き取りに、日本のジャンジラ市に向かう。ジョーは15年前に妻を失った原子炉破壊事故が、地震によって起きたという結論に疑いをもっていて、現地に潜入しては調査を続けていたのだった。ジョーに言われて、フォードも一緒に、もとの家のあった封鎖地域に潜入してみると、意外にも放射能汚染地域とは名ばかりで放射能はなく、空気はきれいだった。しかし二人は 警察に逮捕される。日本警察は何かを隠している。
二人が連行された原子力研究所では、セリザワ博士が、フィリピンから持って帰った巨大な繭が捕獲されていた。繭は強力な電磁波を発しているが、繭から巨大な昆虫のような生物が孵り、研究所は破壊される。それを見て、ジョーは15年前に原発を破壊し、妻の命を奪ったのは、この生物だったということを知る。しかし、このムートーと呼ばれる怪獣が暴れまわり、建物を破壊したときにジョーは、他の多数の人々と共に命を失う。原発を襲った大地震は自然災害ではなく、この怪獣が起こしたものだったのだ。ムートーは、海を渡り、ハワイを破壊して暴れまわり、米国西海岸に向かう。フォードは、父と母の命を奪ったムートーと対決するために海軍に戻る。そのあとを、宿敵ゴジラがムートーを追う。
セリザワ博士によると、2億7千年前の古生代では地球は放射能に覆われていて、放射能をエネルギー源とする怪獣ゴジラが生息していた。しかし放射能濃度が低下したため、ゴジラは地底に深く潜み、多くは死滅していった。しかし第二次世界大戦を契機に人々が 核開発を始め、繰り返し核実験を行ったために、ゴジラが目覚めて地上に姿を現すようになった。ゴジラにはムートーという寄生生物がいて、ゴジラの体に卵を産み付けて繁殖する。ムートーのエネルギーも放射能だ。いま、このムートーの雄と雌が繁殖のためにアメリカネバダ州の放射性廃棄物処理場に向かっている。彼らの進路となったハワイ、カルフォルニアの街々は破壊され被害は大きく広がるばかりだ。
フォード達、海軍特別班は、ムートーの巣を探し出して爆破し、無数の卵を破壊する。怒ったムートーが米軍を襲い、あわや軍隊は壊滅か、、、という時にムートーを倒すために追ってきていたゴジラが雄と雌のムートーを倒し、自分は海底へと戻っていった。ゴジラが人々を救ったのか。ゴジラは神か。というお話。
映画が始まる前に、米軍による太平洋上で1959年代から盛んに行われた核実験の写真が次々と映し出される。広島、長崎のきのこ雲も出てくる。放射能被害も出てくる。日本製オリジナルのゴジラでは、米国が繰り返し海洋核実験を繰り返すので海底に生息していた生物が突然変異で巨大化し、人間社会に復讐するために文明社会を破壊しにやってくるのかと思っていた。それだったら米国の核開発や、日本への爆弾投下、強引な日本への原発の売り込みなどに批判的で、被害国日本としては、きわめて政治的な反核というメッセージを含んだ映画になったはずだ。でも実際はそうでなくて、ゴジラはもとは古代ジュラ紀から白亜紀にかけて生息した巨大生物だったが、ゴジラは海底で眠っていたのに、人間の核開発にともなって起こされて出現する、というお話だった。アメリカは、眠っていた子を起こしただけだったという責任逃れのストーリーになっている。
暴れ回って放射能が欲しいだけなのに、原発を襲ったり、核廃棄物処理場をめちゃめちゃしたり、米軍から核弾を盗んで核弾頭を丸呑みするムートーは 人間に敵でもゴジラの敵でもある。これに向かっていく勇気あるフォード(アーロン テイラー)が不死身で戦う。アメリカの安全は俺が守るとでも言わんばかりに捨身の攻撃だ。フォードの妻も破壊されたビルの下敷きになったり、火傷を負った人々の救助に当たる。幼い息子などサッサと学童疎開のバスに乗せて先生にまかせてバイバイ。職業意識の強い軍人を父に、看護士の母をもった子供は可哀想だ。
この映画ではフォードの一家が主人公なので渡辺謙の影は限りなく薄かった。核弾頭を打ち込もうとする米軍と激論を交わしたり、ゴジラをもっと擁護して欲しかったけど。英語の台詞を最小限に絞られていたので活躍する場面がなかった。やはりこの俳優さんは、丁髷に着物姿で馬に乗っている姿が’サマになる。映画の最後で名前が出て来たので、宝田明も出演しているはずだが、どこで出て来たのかわからなかった。ゴジラは日本製なので、日本に敬意を表して日本人俳優を使ったようだが、映画の中で、お飾りみたいな存在で、残念。ジャンジラ市という、限りなく中国名に近い名前も、どうにかジャラジャラ整理して欲しい。
今回のゴジラでは、2匹のムートーにやられて、死んだと思ったゴジラが、むっくり起き上がって人間どもに興味を持たず、すたすたと海に消えていくところなど、思わずゴジラが大好きになってしまう。ゴジラはやっぱり英雄だ。大きくて力持ち。日本、ハワイ、カルフォルニア、ラスベガスと沢山の都市を破壊してくれるが、それはムートーの息の根を止めるため。放っておいたら沢山の原発が襲われて放射線が漏れ地球に死が蔓延することになる。人間の敵ムートーを倒してくれてゴジラ、ありがとう。ゴジラ、おまえ可愛いぞ。ミニチアのフィギュアが欲しくなった
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