「『GODZILLA』を弁護する。」GODZILLA ゴジラ ko_itiさんの映画レビュー(感想・評価)
『GODZILLA』を弁護する。
意外にも否定的な意見が多いので、弁護の方向で書きます。
今作はハリウッド映画にしてはめずらしいアプローチを二つしている。
① 怪獣を原始的(非信仰的)な神として描いている。
② アメリカの核をネガティブとして描かれている。
① は神が通った後は破壊と死が残されるといった意味での神である。簡単に言えば“自然”そのものといえる。(ムートーが通った後がそれを端的に表している)そして、それとは矛盾しているかのように思えるが、いや、矛盾しているからこそ崇高な存在になり得ているのが描写されている。フォードが最初は「怪物」といっていたゴジラにクライマックスでは言いようの無い感情にとらわれる場面がそれを示している。それなのにゴジラは傍若無人に振舞う。(ラストシーンの「何だよ?」の目にそれが表れている)それから観ればこれは『平成ガメラ』より『大魔神』寄りの映画だ。
② は少し込み入ったつくりになっている。ゴジラを核で殺そうとしたが殺せない → 怪獣三体を核で一気に殺す。「今度はメガトンだからうまくゆく」→ 芹沢の告白 → ムートーに核を奪われサン・フランシスコに現れる → 核の回収。の流れは非核を支持した田中友幸イズムをアクションに落とし込んだ段取りだとわかる。
以下、気がついたことを書いてみる。
〇 怪獣を自然=災害で括るなら、ラストで家族が再開するのはデザスター映画の定番。
〇 作中で銃を発砲しないフォードが最後まで生き残るのは力で解決するやり方を暗に批判している。
〇 怪獣が登場する場面には子供がいるのは怪獣映画が誰のものか分かっている証拠だ。
〇 怪獣映画定番の電車で遭遇もある。
〇 提督役にリベラル寄りの作品に良く出演するデイビッド・ストラザーンが演じているのは興味深い。
〇 渡辺健が演じる芹沢博士は志村喬が演じた山根博士を参考にしたものだろう。
ゴジラファンには二種の人がいると考えている。それは……
「ゴジラ映画が好きな映画(一般)ファン」
「ゴジラが好きなゴジラ(映画)ファン」
今作はあきらかに後者のために作られている。そして私は紛れもなく後者だ!