かぐや姫の物語のレビュー・感想・評価
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傑作だ
かぐや姫の物語 そう、まったくその通り、かぐや姫の物語であった。 一番の見どころはやはり「牛」だろう。 (牛かよ!) CG好きの俺にとっては絵的に期待はしていなかった。 しかしこれは、傑作だ。 プレスコ&あの作画…あれは手間かかりそうですね。 新しいんだか、古いんだか、 温故知新というか、 知ってるはずの、かぐや姫の物語がこんなに面白かったのかと思い知らされた。 (日本最古の物語なのに、ぶっとんだストーリーだな) 登場するキャラクターの性格がそれぞれよかった。 平安時代というのも感じられた。 かぐや姫の体の成長と知識の成長 世の中の非常識な常識 罪と罰… それが罪というのであれば、 それが罰というのであれば、 優しすぎるじゃねーか もう僕達は昔のようには生きられない。 そう、もう手遅れ 引き返せない
映画にした価値があった
竹取物語をほぼそのまま映画にしている印象。でもただただ圧倒されてしまった。 脚本だけでない、映像としての魅力。いい映画ってこういうものだよなと再認識させられた。 それにしても宣伝のやり方には疑問。テレビで流された映像はかぐや姫の疾走シーンだったが、あの映像のトーンはあそこだけ。罪と罰もメインのコピーにする必要があったのか。
なぜいままで映画 ドラマ化されなかったのか?
あまりにも有名な作品だがアニメ 実写化はほとんどのされなかった。ジプリらしく男女関係や女性の本音など大人向けにつくられていた。天から迎えに来るシーンはオリジナルでさんぴが分かれるとこだがぜひ美しい日本の風景を現代の技術で1度実写化してほしい。 87年沢口靖子のUFO が迎えに来た作品もぜひご覧になって欲しい!!
こんなに映画で泣けるのか
泣かせようと演出をかけてくる映画では底が見えてしまい、一歩引いて涙が出てこなくなることがある。こんなに自然に涙が出てくるものなのかと、上映後は拍手をしたくなる。 シンプルな内容にあっさりとした絵は日本昔話。 しかし、こんなに情緒豊かに生きていることの辛さや幸せをかぐや姫を通して表現しているところは天晴である。 両親のそれぞれのかぐや姫を想う気持ちにも泣かせられた。 基本は静かな作品なので子供っぽいのが好きな方はお勧めしません。 DVD欲しい。
最高
高畑監督の14年ぶりの最新作ということで期待して観にいきました 文句無しに良かった 特に絵がとても良かった 柔らかくも荒々しく描かれていたかぐや姫が本当に可愛かった 桜もものすごく綺麗でした… 音楽は聞いてて自然と涙がこぼれる ストーリーは原作とそこまで変わりはないものの僕はものすごく楽しめたし こんなかぐや姫を今まで観たかったのかもしれない 好き嫌いあると思いますが僕は大満足です
原作に忠実です。
誰もが中学校の国語の時間に暗唱したであろう「竹取物語」。原作にとても忠実です。忠実すぎて物足りない部分も。もうちょっとストーリーにジブリ作品要素を入れてもらえたらうれしかった。かぐや姫に仕える女童がいい味出しててあたし的にお気に入り★
人それぞれかと思いますが
心が揺さぶられました。 ジブリ作品の劇場鑑賞は、「千と千尋の神隠し」以来です。 特に理由も無いのに遠のいていたのですが、この作品には、何かを感じて衝動的に行ってしまいました。 いやはや…感嘆と溜め息しか出ません。 作品の絵からは、喜怒哀楽の想いが溢れ出し、その絵が連続することで、まるで命を紡ぎ出しているようです。 ストーリーは、最小限の脚色だけで、竹取物語そのものです。 「アナザーストーリー」や「新説」ではないのに、近代的な感性と全く違和感がない事に驚きました。 音楽も秀逸です。 クライマックスのシーンでは、恐怖を感じた程です。 私は涙もろいと自負しているのですが、この作品では、何故か最後まで涙を流す事はありませんでした。 だけれども、心が揺さぶられたのです。 他の方のレビューを見る事で、新たな発見も出来る作品だと思います。 映画を見て色々と想像する方にオススメです。
素晴らしすぎる!
おじいさんは親ばか過ぎて笑えるし、他の登場人物もたくましかったり、ずるかったり、必死だったり、自分勝手だったり、とても豊かに描かれている。 この映画はかぐや姫を通してこの世の全てを肯定している。 我々の生きているこの世の中もそんなに悪くないし、意外と素晴らしいんだよと気の遠くなる作業を経て伝えようとしている映画だと感じられました。 ぶっちゃけ、最後のエンドロールで二階堂和美の名曲が全てを包み込んでくれちゃうのでなんの心配もいりません!
こんなに時間がたってたんだ
見終わって、2時間20分も立っていたのにびっくりしまった。そのくらい集中してみてしまいました。 月の住人かぐや姫が、現代的な感性を持っていたら…、というコンセプトで『竹取物語』という誰もが知る古典文学を解釈したんですね。観客は現代人ですから、ものすごくかぐや姫に感情移入してしまうんです。 うまく整理はできていないんですが、清濁入り混じる地上の世界で、泣き笑いしながら生きていくことこそが、人に許された無二の価値なのだ、と思いました。でも、清らかな月の住人である彼女が、それにあこがれることは罪であり、その世界を経験させておいて、「自ら望んで」月の世界に帰ることを望んでしまうことが罰なのか、と解釈しました。 事前にCMにも出ていた、桜の木の下の場面ほか絵の素晴らしさは8年間の月日の重みが感じられました。「山田くん」で会社を傾けた甲斐があったのではないでしょうか。 全然関係ないですが、映画館の予告編で『武士の献立』という映画のCMで、すてまる役の高良健吾が出てきて「こうら けんごです」と名乗っているのを聞き、この人は「たから さん」じゃないんだ!と一番の衝撃を受けました。
“食わず嫌い”が多い映画
『竹取物語』と聞いて誰もが「知ってるよ」と答える。それぐらい浸透している最古の物語を題材にした作品だが、 大多数の人は本来の竹取物語を知らず、児童文学止まりな人もたくさんおり、人によって知っている『竹取物語』が違ったりする。 更に原文が存在していない『竹取物語』は、今日までに様々な人間によって改変されており、 誰もが知ってる『竹取物語』は本来の『竹取物語』ではない可能性もあるうえ、様々な描写不足、矛盾点、謎が未解決のまま。 それに1つの決着をつけようとしたのが、この『かぐや姫の物語』だ。 子供に読み聞かせていた物語として馴染み深く、絵本などでは物語として成立しているが、 『竹取物語』はその時代の風刺も加えられた、大人な作品でもある。 故に、私達の目に触れる媒体になった時には子供向けとして設定の一部が省かれたり、心理描写を付け足したりして、世の中に浸透した。 だから、この映画に対して「竹取物語そのまんま」という評価は相応しくない。そもそもの竹取物語に物語としての欠落部分が多過ぎるからだ。 なぜ姫は地球に来たのか、姫が犯した罪とは何か、地球に来て姫は何を思っていたのかなど、それらの疑問点を真っ正面から受け止めた映画であり、1つの解釈を作り上げた傑作と言ってもいい。 全体的に“悪”の描写が漂っており、むしろやり過ぎなくらいのものを演出している。 それは逆に言えば姫だけが“正”であるように見えるが、どちらも断言出来ない物語が繰り広げられており、人に寄っては“正”が“悪”に見えたりする。 この曖昧な状況に陥った人間は悩み、苦しむものだ。この映画のテーマはそこにある。 乱暴な言い方をすると、この映画の中では、まともな人間はほとんど存在しない。皆何かしら観ている人に不快感を与える人間ばかりだ。 その構成に疑問を抱く人がいないはずがない。けれども登場人物は皆、あの時代に沿って生きているだけだ。 1000年も前の人間に現代の価値観など通用しないと考える人もいれば、道徳論から否定する人もいるだろう。 2つの時代で抱える価値観の違いは、心の違いであり、この映画はその心の違いが大きな意味を含む。 度重なる姫の苦悩を、あなたはどう見たか。 「かわいそう」と感じる人もいれば「わがまま」と感じる人もいる。人は自分の心を抱いて生きている。 もし、その心が無い存在がいたとして、あなたはそれらを「生きている」と見るか「死んでいる」と見るか。 その不完全であるからこそ“生”を実感できることを伝えるに足る存在は、物語のあの月にいた「かぐや姫」しかいない。 そしてそこに、誰もが知ってるあの結末が加わった時、あなたはこの「かぐや姫の物語」の「かぐや姫」に何を思ったか。 避けられない結末の中で、姫は本当に地球に来て幸せだったのか。不幸だったのか。 ラストの姫がそれを教えてくれた。 「風立ちぬ」と同様のテーマを醸し出し、そしてどちらの主人公も、この世のありとあらゆる矛盾を抱き、理解した上で生きようとする。 どちらも伝わりづらい側面を持っているため理解されないのは仕方ないことなのかもしれないが、既知の物語だからとこの映画は観る気がないと思っているならば、むしろそれはチャンスと捉えるべき。 あなたが抱いていた「かぐや姫」とこの映画の「かぐや姫」。 見比べ、考えることで、より一層この映画の登場人物に共感又は反感を抱き、そしてラストであなたの答えが出るはずだ。
最古にして最新、そして最後の……
「はっきり言って間違いだと思ってる」 高畑勲は『もののけ姫』に対してこう言い放った。そして作り上げられたのが『ホーホケキョとなりの山田くん』であり、テーマは『もののけ姫』の「生きろ」に対して「慰め」であった(その当時の「癒し」ブームへの反発もあったのだろう)。そしてそれから14年、『かぐや姫の物語』は我々の眼前に現れた。夏に公開された『風立ちぬ』のテーマが「生きねば」に対して、この物語にはテーマがなかった。ただ地にあるものを体全体で受け止めれば、自ずと生きる理由になるということを伝えるため、高畑監督はただひたすらに美しい地上と、それを真正面から享受するかぐや姫と子供たちを描いたのである。これは作品の根底に流れる思想の違いとも言える。宮崎監督が自分の内面へ意識を集中させ(恐らく)最後の作品を手がけた一方で、彼は外部に意識を開放し(多分)最後の作品を作り上げたのだ。なんというか、いい加減還暦などとうに過ぎているというのに、心枯れずにここまで激しいライバル関係を続けていること自体に恐れ入る。しかし、この二つの作品に優劣を付けることは簡単にできることではないだろう。両作品には「生きる」美意識における方向性の違いがあるのであって、これはあくまで観客の好みの問題にもなってくるからだ(興行収入に関してはゴニョゴニョ)。だがただ一点、声優起用に関しては断然にこちらに軍配があったのではと思う。この作品で用いられたのは、あらかじめ俳優に演技をしてもらいその後に絵をつける「プレスコ」という、海外では割と多用されているものらしいのだが、この手法で作られた本作はとにかく絵に生命力が溢れていた。聞き覚えのある声のはずの地井武男の声はちい散歩してるそれではなく、間違いなくスクリーンの翁の五臓六腑から発せられた声であり、そして気持ちの悪かった帝(顎)はパンフレットの中村七之助の写真を見るなり二重に説得力を帯びた。もし『風立ちぬ』がこの手法で製作されたならば声優に対する批判の一切はなかったのではないだろうか(あの声の堀越二郎なら、容姿は猫背で動きももっさりしてて若干目が鯖みたくなってるはず)。 また高畑監督の本作へのこだわりとして、声優と同時に音楽の存在も見逃してはならない。本作の音楽は挿入歌や主題歌というくくりには収まりきれない、まさに作品の必須要素として歌が存在し、高畑監督が作詞作曲した劇中歌の「わらべ唄」はこの歌なくしては作品が成立しない、というよりも、見ようによっては映画自体が歌の壮大なPVですらあるのではないかという趣すらあるのである。かぐや姫は歌によって四季を愛で歌によって成長していくのだが、その時々の風景によってそれが懐かしい童心をくすぐるものであったり、過去の悲しい思い出を喚起するものであったりと、同じものでありながらその歌は常に表情を変え続けるのだ。その歌の存在価値が最高潮に達するのが物語の最後、月の民がかぐや姫を連れ去ろうとするシーン、月の民が奏でる機械の打ち込みのような胡散臭い音楽を、女童(めのわらわ)が声だけで奏でるわらべ唄で迎え撃たんとする時だ。女童が歌うのはわずかたった数秒の唄だが、地上の美しさと穢に苦しむかぐや姫をそばで見続けた彼女がその唄を歌うその瞬間に、二時間の物語が圧縮されて観る者にフラッシュバックされるのである。具体的な風景は何も出てこない、ただかぐや姫が地上の世界で何を感じ続けていたか、それが荒波として押し寄せてくる、静かだが激しいクライマックスは是非とも劇場で観覧してほしい。 日本最古の物語をもののあわれの美徳を失わず現代の鑑賞に耐えうる作品として完成させた高畑勲、宮崎駿とは違う形で(きっと)最後の花道を飾るに相応しい作品を残したのではないだろうか。
1人で大泣き…
最初に、姫の犯した罪と罰 というサブタイトルの意味が正直わからなかった。 でも、見てるうちに自然と涙がボロボロと。 1人で見に行ったので恥ずかしかった///笑 でも、それほど姫に見入ってしまって… ジブリでこれほど泣けるのは久しぶりに見た 宮崎駿さんにもやめてもらいたくなかったな。でも、これからもジブリは進化していくと思う(*゚v゚*)
人間の罪と罰とは?
子を持つ親として、子の成長を喜び、日々を慈しむ家族の姿に幸福を感じた。 親を持つ子として、親の庇護や愛情を一身に受けた幼少の日々を思い出し、もう二度と戻すことが出来ない時間の流れに悲しみを感じた。 自分らしく生きるとは? 社会生活を送る中で、他人との摩擦を避け上手に生きる方法を一つずつ見つけてきたが、ずっと心の奥には自分らしく生きるとは?という疑問を抱えていた。 何かの価値観に縛られたくない。 普遍的な価値観を見出したい。自由に自分らしく生きて行きたい。 一方でそう願うことを否定し軽視する自分もいた。 かぐや姫の「罪」が自由に自分らしく生きて行きたいと願ったこと だとすると、「罰」とは、そう強く願ったことにより他人を傷つけ、自分も傷つき。そう強く願ったことにより生み出した他者との摩擦から逃れようと思ったこと。 その摩擦こそが生きるということかもしれないが、幸せな日々の記憶と引き換えに摩擦や苦しみのない世界へと戻っていく。 多くを望まず、純粋で無垢だった幼少期のような幸せな日々をただ夢見ただけ。自分らしく生きたいと望んだだけなのに。。 そんな彼女の姿は悲しい。 しかし、その姿が逆に、苦しみや悲しみも含めて、人間らしく自然に生きることの素晴らしさを伝えている。
まったく共感できない
姫に現代的な考えを取り入れたことで 当時当たり前だったであろう考えを持った翁とのすれ違いを強調しており、 それに苦悩する姫にメインにおいた構成になってます。 その心理演出が過剰すぎてうるさいです。 わがまま→傷つく→大人になる→わがまま→傷つく→大人になる ずっとこの繰り返し。 振り回される周りの人達の方がよっぽどかわいそうだし、人生も苦労してそう。 昔のままでいられないのは何も姫だけじゃない。 翁に従うと決めたからには過去の未練を捨て、新しい幸せの形を見出していけばよかったのでは? 終盤では「妻子を捨てて金持ち美人をとってもいいよね♪正当化ダンス」を長々と見ることができます。 この映画を見て残った感情は、落胆と気分の悪さだけ。 かぐや姫の思考や仕草の描写も いかにもおっさんの考える「可憐な愛らしい女性(娘)」 という感じで引いてしまいました。
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