「作品のメッセージは・・・」かぐや姫の物語 tochiroさんの映画レビュー(感想・評価)
作品のメッセージは・・・
私は高畑勲のファンである。「火垂るの墓」もそうだが、何よりTVシリーズ「赤毛のアン」がこよなく好きだ。そんな巨匠の14年ぶりの作品、しかも製作期間8年、製作費50億という超大作と聞いては、いやが上にも期待は高まる。
しかし正直大きな感動はなかった。決して凡作ではない。作画一つとっても他のアニメとは違うことは私にもはっきりと分かる。ただこの作品をどう評価するのが正しいのか、私にそんな理解力があるのか確信が持てないのが正直なところだ。
CMやチラシでは「姫のおかした罪と罰」が強調されているが、それがはたして作品の中でどれほどのインパクトを持っているのだろうか。私の単純な頭ではこの作品の月世界は天上界の象徴のようで(最初に姫が筍から現れた時に蓮座にいたことからも)、その静謐で平穏な世界に生まれながら喧噪と欲望にまみれ穢れた地球(地上界)に憧れたことが罪で、その罰として「一度体験してこい」とばかりに落とされたことが罰という理解しかできない。もっともその後に黄金や着物を送ってきたところをみると、流刑にした訳ではなく常に見守っているとみるべきなのだろう(何しろ仏様だから)
そして幼いころは自由を満喫するだけでよかった竹の子が、成長して「なよ竹のかぐや姫」になって次第に自分を自由にさせてくれない翁の愛情が重荷になり、最終的に欲にまみれた御門の抱擁を受けて思わず「月に帰りたい」と念じたことで罰は解かれ、天上界からの迎えが(文字通り)鳴り物入りでやって来る。彼らは争いをしない平穏な世界の住民らしく、迎え撃たれた矢を草花に変え、兵士を眠らせ、一滴の血を流すことなく目的を達して去っていく。
「自由に生きたい」という姫の願いは単純なようでいて、実際には不可能に近い。何故ならそれを突き詰めれば「他を不幸にする自由」をも認めることになるからである。
この作品の翁と媼の間には子がいないようで、自分の子ではないが「天からの授かりもの」として姫を託された翁は、それこそ全身全霊で姫を愛し自分の信じる幸せのありかたの最高を求める。それは翁の信じる愛であり自由である。かぐや姫の「自由に生きたい」という気持ちを突き詰めるなら、その翁の愛と自由を否定し、更に捨丸の妻と子供を不幸にすることをも認めることになってしまう(余談だが、かぐや姫の誘惑に負けて何の躊躇もなく妻子を捨てようとする捨丸は、男として最低である)。
しかしこの作品は声優陣が素晴らしい。作画にとらわれないプレスコ方式のためもあるのだろうが、特に翁を演じた地井武男は大熱演賞ものである。また媼を演じた宮本信子はもちろん、相模を演じた高畑淳子もまさに適役であった。その他のキャラの中では、妙に出番の多いパタリロに似た猫顔の女童が印象に残った。
この作品のメッセージは「庇護者から罰を与えられようと自由を求めるべき」なのか、「過度に自由を追求すると利害の衝突が起こり、人々に幸せをもたらさない」なのか、或いはまた別のものなのか迷うばかりである。