「巨匠の遺した功と賞。アニメ史に残る渾身の一作、そして60年のキャリアを総括する完璧な遺作!」かぐや姫の物語 たなかなかなかさんの映画レビュー(感想・評価)
巨匠の遺した功と賞。アニメ史に残る渾身の一作、そして60年のキャリアを総括する完璧な遺作!
日本最古の物語と言われる「竹取物語」を、新しい解釈に基づきアニメーション化した作品。
竹から生まれた少女、かぐや姫の深層を描き出すファンタジー・アニメ。
監督/原案/脚本は『火垂るの墓』『平成狸合戦ぽんぽこ』の伝説的アニメ監督、高畑勲。
かぐや姫の幼馴染、捨丸の声を演じたのは『蛇にピアス』『ソラニン』の高良健吾。
第40回 ロサンゼルス映画批評家協会賞において、アニメ映画賞を受賞!
巨匠・高畑勲の最後の監督作品。
製作費50億円以上、製作期間8年という完全に頭が狂っている作品。
製作費の3倍稼いでやっと成功と言われる映画業界だが、本作の興行収入はたった20億円。DVD &Blu-rayの売り上げが加算されるとはいえ、まぁ完全なる赤字なのは間違いない。
正直なところ、高畑勲の映画がヒットする訳ないことぐらいジブリもわかっている筈で、ずるずると50億円も投資するくらいなら、途中で制作中止、あるいは監督交代をした方がスタジオのダメージは少なかったことぐらい素人でも想像がつくのだが、たとえ赤字になろうが高畑勲に映画を作らせてやろうというジブリの心意気には驚嘆するしかない。
完全に義理と人情の世界。とても資本主義社会に根ざして商売している一企業の判断とは思えない。
まぁ「利」よりも「個」を取るというのがジブリのバカなところかつ愛すべきところなんだけど😅
とはいえ、呆れるほどの製作の遅れや、それによって生じた膨大な製作費には、ジブリの金庫番である鈴木敏夫も流石にブチ切れたらしい。
制作スタッフに恐ろしく高いレベルの要求をし、心身ともにボロボロにしてしまうのが高畑勲流。「高畑勲の下について生き残った人間は自分だけ」というのは宮崎駿の言葉。
そんなわけで新しいスタジオを創設し、内部のスタッフを使わせずにほぼ外部のスタッフだけで作ったのがこの作品。
ほぼ全ての作品でプロデューサーを務めてきた鈴木敏夫が、本作では企画でしかクレジットされておらず、自分の部下である西村義明にプロデューサー業を押し付けているところからも、本作の制作がどれだけの修羅場だったのかが伝わってくるような気がする。
「竹取物語」を新しい解釈で描いた作品として、自分が思い浮かべるのはテレビドラマ『怪談百物語』という作品。
2002年のドラマで、1話完結というスタイルで古典的な怪談を描いていくというもの。「四谷怪談」や「雪女」などのお話があり、そのうちの一話が「竹取物語」だった。ちなみにかぐや姫を演じたのは女優のりょう。
このドラマが面白かった!20年前に観たきりなので、細かいところは覚えていないのだが、「竹取物語」を「怪談」として捉えるという斬新な切り口に驚いた記憶がある。この作品DVDとかあるのかな?
新解釈「竹取物語」の先行作品とも言えるこのドラマを観ていた自分としては、切り取り方次第で「竹取物語」はいくらでも面白くなるということを知っている。
なので「物語の面白さ」という観点から言えば、本作は想像の範囲内と言った印象を受けた。
可もなく不可もなく…というよりは「知ってっしー、このお話知ってっしー」という感じ。
捨丸というオリジナルキャラはいるものの、基本的には原典に忠実な話の筋なので、退屈しなかったといえば嘘になる…🥱
とはいえ、本作で大事なのは物語の内容ではない。
本質はアニメーションの質と新しい解釈にある。
まずアニメーションのクオリティ。これは誰が観ても驚くであろう、とんでもないことになっている。
特にアニメを体系的に鑑賞しているオタク気質の人なら、従来のアニメーションとは一線を画す本作のクオリティに驚愕する筈。
東西問わずキャラクターを描くという性質が強いのがアニメ。
セルアニメの制作方法とも相まって、背景美術とキャラクター、つまり静的なものと動的なものが別々に存在しているような感じがするのが従来のアニメ。これはデジタル制作に移行した現代においても変わらない。
この観念にNOを突きつけた高畑勲。背景もキャラクターも同じ温度で画面に映し出す。
絵柄は日本最古の漫画とも言われる「鳥獣戯画」的な、ふにゃふにゃした絵巻物風。
この絵巻物風の絵を動かすことの難しさは、絵描きではない自分にはわからないことだが、あえて手書きの線を残しているような荒々しい描線を持ったキャラクターを扱かっている作品は、少なくとも長編アニメーションでは観たことがない。おそらく、恐ろしい程の手間暇がかかることなんだろう。
この線の感じは時代劇である本作とマッチしているし、何よりあのかぐや姫の疾走シーン、あそこの迫力が半端ないことになってる💨
動きに特化したアニメという意味では、まぁ本作が日本最高峰でしょう。
そして何より大事なポイント。「竹取物語」の新解釈ですが、ここが素晴らしかった!もう涙ボロボロ😭
かぐや姫と翁、そして媼の描き方が、もうズルい。
悲劇的な最後を迎えたのは誰のせいか?子の幸せを自分の価値観に当て嵌めて考え、それを押し付けた翁か?その翁の間違いに薄々気づきつつも、それを窘めなかった媼か?流されるまま生きてしまったかぐや姫か?
現代に通じる親と子の問題として、この3人の関係は描き出される。
お人形さんのように扱われるかぐや姫。
本質としてのかぐや姫は虫や獣を愛し、野山を慈しむ「虫めづる姫君」である。
「虫めづる姫君」は「堤中納言物語」という平安時代の物語集の中の一編。ナウシカのモデルの一つとして、ファンの間ではよく知られている。
おそらく高畑勲の中では『アルプスの少女ハイジ』の頃にはもうこの「虫めづる姫君」が、理想のヒロイン像として存在していたのだろう。
少々乱暴な言い方をすると、ジブリ作品全てのヒロインは、この「虫めづる姫君」のキャラクター像の焼き直しである。
そんな「虫めづる姫君」を、ここにきてどストレートな形で提示してくるとは!
飢饉、飢え、疫病、争い…。当時の人々の暮らしぶりを考えると、かぐや姫は恵まれすぎているほど恵まれている。
お屋敷に住み、綺麗な着物を着て、好きなものを食べられる。貧しさとは無縁の世界である。
そして、誰もが魅了される容貌を持つ。最大権力者の帝ですら、彼女には骨抜きにされてしまう。
彼女は全てを持っている人物だといえる。しかし、それによりもたらされるのは終わりのない不幸。「虫めづる姫君」としての生き方を否定され、「かぐや姫」として生きることを強制される呪いでしかない。
これを今日的なフェミニズム論に落とし込むことも出来るが、もっと普遍的な問題を扱っているようにも思える。
すなわち物質的な豊かさと精神の幸福が釣り合うことはないし、表層的なものに対する他者からの評価では自己肯定感は得られないということである。
平たく言えば、自分自身を裏切り続ける限り、幸福は訪れないということか。
これをジブリヒロインの根源である「虫めづる姫君」に突きつけるのは、観客が求めるジブリのイメージに振り回され、評価されることを第一に考えた作品を作ろうとする宮崎&鈴木に対する皮肉である、と考えるのは深読みのしすぎかな?
終わることのない苦しみから逃れる術として、かぐや姫は月へ帰りたいと望んでしまう。
月からの使者の姿を見れば一目瞭然なように、月の世界とは「死の世界」を意味する。
月へ帰る=自殺というメタファーが、本作の深層には横たわっている。
一時の迷いで死を選ぶが、それが間違いであったことを今際の際で悟る。しかし時すでに遅し。一筋の涙を流してかぐや姫は死出の旅路へと…。
若年層の自殺問題が、「竹取物語」の中へそっと隠されている。
こうであったかもしれない過去、存在しない現在、もう訪れることのない未来、そういう思いは誰しもが抱えている。
そのことが生きることを諦めさせることもある。
だが、苦しみを生み出す心の汚れ、それこそが命の本質であり、その思いを胸に抱きつつ歩を進めることこそが生きるということである、という強烈なメッセージを、かぐや姫の「罰」を通して観客に教えてくれている。
60年に及ぶキャリアの中で、おそらくはコレが最高傑作と言って良いのではないだろうか?『ハイジ』『火垂るの墓』『おもひでぽろぽろ』『ぽんぽこ』etc…。
高畑勲作品のエッセンスが全て詰まっているまさに総決算的な作品だと思う。
生きるとはなんだ、愛するとはなんだ、自分にとっての本質とは何か、ただの娯楽を超越した学び考えるツールとしての映画を遺してくれた高畑勲に最大限の称賛を贈りたい。
ぷにゃぷにゃさん、コメントありがとうございます😊
常識的に考えて、こんな作品が生まれることはもうないでしょうね😅
花見のシーンは素晴らしかったですね!🌸
そして悲しかった〜…😢