「昔話を描いてるわけじゃない」かぐや姫の物語 たまねぎ なきおさんの映画レビュー(感想・評価)
昔話を描いてるわけじゃない
毎回緻密な隠しメッセージというか、言われてやっと理路整然としたロジックが見えてくる作品を作り出す高畑監督。
こっちも身構えて視聴。
●作品の物語やメッセージ性について。
【第一層】通常ストーリー
まず、かぐや姫の一般的なストーリーが第一層に流れています。ほぼオリジナルと同じです。
【第二層】アンチ女性差別と見せかけて
女性差別と思える扱いに【怒りを感じるかぐや姫】が描かれてますが、同時に【大喜びするかぐや姫】も描かれています。
その瞬間のかぐや姫は社会に従わなければいけない不満より、目の前の贅沢や特別な扱いに対して ただただ喜びを感じているのです。
そこを見逃してはいけません。
自分に取って得な事であれば女としての特別扱いを受け入れているのです。
女性差別の否定が今作のメインテーマでは無いことが分かります。
【第三層】人間讃歌
おそらくここが高畑監督の今回の落とし所だと思います。
この世の広さ面白さと、自ら手放した自由と可能性、叶わなかった夢への絶望。
人間界はなんと辛いのか、、でもこの世に生まれ落ちなければ、何も感じることすら出来なかった。
人生の失望や希望の全てをひっくるめて人の一生は素晴らしく、何物にも変えがたいものだと訴えてるように感じます。
【第四層】かぐや姫は結局なんなのか
自分が思う月の世界とは
【現代人の末路=自由主義の行きつく先】
として描いたように思います。
その理由としてはかぐや姫が自由主義のメタファーとして登場している節が作品中 いたる所にあるのです。
●まず自由主義とは
1970年中盤よりアメリカから世界中に広まった主義。
『人は皆 平等に価値があり。何にも囚われず自由に生きる権利がある』という主義。
個人の幸せの権利を追求出来る主義とも言われます。
自由主義がもたらした功績
◆社会主義や共産主義等の宗教原理国家や軍事主義、王族政治等の独裁権威からの個人の解放
(地位に関係なく発言、職業、住居を選択できるようになりました)
◆女性差別の打破(女性が政治に参加、結婚相手を選択できるようにもなりました)
自由主義の副産物
◆浮気や不倫、中絶の正当化
(自分の幸せを優先して良い主義なのだから、結婚相手や子供よりも、自分の幸せを追及するという考えの蔓延)
◆自己の幸せの為に他者へかかる不利益と、その責任の放棄。資本主義。
(自由を得る為の行動により、誰かが損をしたとしても責任は無い。という考えの蔓延
例えば、株で自分が儲けるために誰かが損をしたとしてもそれは仕方ない )
荒っぽく言えば 自由主義とは
『自分の自由(幸せ)を得る権利があるなら 何をやって良い』という考え方です。
勘の良い方は既にピンと来てるかも知れませんが
【かぐや姫は自由主義のメタファーだ】と考察する理由はここにあります。
↓
◆翁は成金の金で立派な御殿を立て、都に引っ越します。(住居の自由の権利) 翁を成金として描く所にも意図を感じます
◆かぐや姫は軍人、宗教、王族主義や富豪の全てを拒否し、否定します。
(権威からの解放)
◆社会から受ける女性差別(強制婚)に屈することはありませんでした
(女性の自由の権利)
◆自分が自由でいる為に若い貴族を死なせましたが、お婆さんは『あなたのせいじゃない』と慰めています。
(自由の権利の行使による被害への責任放棄)
◆さらにステマルという既婚者との不倫愛も一瞬の幻とは言え自分の物としています。
(個人の幸せの追及)
上記で書いた、自由主義の功績と副産物の全てをかぐや姫が体現しているのです。
特にステマルのくだりは、あの時点で かぐや姫は月に帰る事が決定していたのだから、ステマルが独身であった方が【掴み損ねた純愛】として効果的に悲恋を描けたはずです。
既婚者にした事により、『え?』と感じる人が増える事も分かっていながら、監督はわざわざステマルを既婚者として描いているのです。
ここからは映画外の話になりますが
現在提唱されている自由主義の行く先
【個人の自由(幸福)と権利を追求しつづけた未来】とは
AI技術や医学の発展により人と人とのコミュニケーションは無くなり、飢えや老いや病や労働からの解放された苦しみの無い分、喜びも無く、資本を持つ物がコントロールしていく世界が人類の行きつく先だと言われています。
子供も生むこともなく、死もなく、ただただ平穏な世界。
それはまさに月の世界と同じではないでしょうか。
つまり高畑監督が今作で仕込んだメッセージは
自由主義者として かぐや姫を描き
自由主義の末路として 完璧な月の世界を描いたのでは無いかと考えます。
『個人は自由に、心のままに、思った通りに生きる』ということが まるで素晴らしい義務のように言われていますが、自分を優先することを第1にした場合、
人間は人と関わる事が最も苦痛だと感じ人との関係を完全に閉ざしていく方向へ進んで行きます。
実際現代は既にそうなりつつあります。
しかし、人との関わりを持たなくなった人間はどうしようもないほど世界や人との繋がりを持ちたくなり、
自分優先の世界を捨てて素朴に生きる事を望むのですが、それでも目の前の贅沢や優越、楽を選んでしまう性を描いているように思えます。
●余談
なぜかぐや姫がアンチ自由主義なのかと考えたのには別の理由もあります。
高畑はアメリカ軍の空襲を受けたことが人生最大のインパクトだと言っていましたし、その後はアメリカとの安保闘争、学生運動が盛んだった世代で、高畑は主戦場となった当時の東大出身でアナーキーな世代です。
宮崎の方もアカデミー賞を取ったのに、日本男児がアメリカで賞を取ったからと行ってノコノコ行ってヘラヘラ出来ない。私はきっとヘラヘラしてしまう。だから行かない!とジョークまじりですが、そういう思想の二人です。
しかし、
彼らが若い頃に抱いた日本という国の理想は実現せず、一番嫌悪していたアメリカの資本主義(自由主義)が日本の政治体制と癒着し
社会主義や共産主義などのメッキも剥がれ幻滅して来た世代です。
余命を感じ取っていた高畑監督は自分が生きて感じてきた日本の問題点を改めて提示し「本当にそれでいいのか?」という問いかけを残したのではないでしょうか?