風立ちぬのレビュー・感想・評価
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美しいこと
これまでにないくらい、美しいものを詰め込んだ映画。
この映画を見て私(20代です)は、あまり知らない結核の時代の文学や
日本近代史、そう遠い昔のことじゃなく私たちの国で実際にあった出来事、
かつて生きた人たちのことをもっと知りたいなと思いました。
さてこの映画、夢と恋というありふれたテーマを
とても美しく描かれていました。
二郎の夢はただ美しい飛行機をつくること。その夢を見失いかけた時
菜穂子が白い紙飛行機を受け取ってくれて、二人は子供のように
紙飛行機を飛ばして遊んでいます。本物の飛行機じゃないけれど
その紙飛行機こそ、二郎が描いた美しい夢に近かったのではないかと思います。
菜穂子は、結核を発症したあとも二郎がきれいだよ、大好きと
言ってくれたから、病気の辛さも弱音も漏らさず、美しく優しくいられる強さを
持てたんでしょう。高原のサナトリウムで一人涙ぐんでる菜穂子はどこか幼くも見えますが
二郎のそばにいる時の菜穂子ははっとする程大人びていて美しいです。
恥ずかしくなるくらい、シンプルで分かりやすいラブストーリーに見えますが
見る人の人生経験や恋愛経験に応じて、抑制された表情やセリフ、物語の行間に
実はいろいろ感じるものがあると思います。
震災の時、菜穂子が自分たちの荷物を持って行くのをあっさり諦めて
代わりに二郎のトランクを一生懸命運ぶ健気さに驚きましたが
大人になった彼女も、いつも自分の荷物は何も持ってなかったですね。
電報で菜穂子が喀血したことを聞いて、転げながら鞄に仕事の資料を詰め込む二郎の
姿も心に留まりました。他にはあれほど取り乱すこと無かったのに。
ふたりとも、大人だけど、子供のようにまっすぐに、
自分の分身みたいにお互いのことを思いやっていました。
国同士の思惑、前線で死んでゆく人々、罪もなく犠牲になる人々、
日本で戦争のあった時代を描く映画ですが、それらはあまり描かれません。
私はそれもありだと思います。
時代を捉える目線はいろんな角度があり、同時にすべてを知る人はいないから。
国が戦争に向かっている時、いつも通りの日常を過ごし
自分の目の前の仕事に集中し、出会った人と真摯に向き合う。それは愚かなことじゃない。
ひと一人の生きる世界や世の中を見る視野ってそんなに広くはないと思います。
テレビで見るほど、現実は単純ではなく分かりやすいストーリーがあるわけでもない。
一人一人の人生や、生きる意味、夢とかいうものは
世界の大きな動きに比べたら、すごくちっぽけなものかもしれないし
でも自分自身にとっては、何よりかけがえのないものになり得る。
そんなことを思いながら、自分が出来ることを精一杯生きた人たちの物語を見た気がしました。
どんな人も、自分が生きている時代や周りの環境と関係を持たざるを得ないけど
それでも、美しいものを達成することはできるのかな。
不思議な余韻が残る
何回も見たくなる映画ですね.
傑作 - 怪作というべきか.
とにかくディテールが素晴らしい.
ディテールの良さは,あいかわらず他の追随を許さない.
まさしく,神は細部に宿る.
ストーリはかなり単純で,起伏もわざと少なく作られているが
それがこの不思議な余韻を作り出している気がする.
号泣とはならないが,体が熱くなる感じがする.
いろいろと言われている,主役の二郎の声を出している庵野秀明
は,意外というべきか,当然というべきなのかピッタリであった.
作中,当時そうであったのであろうが,家族,兄弟の間でも,お辞儀を
し合うなど礼儀正しく描かれていて,家族や恋人に対しても
敬語を使って話をするなど,ある意味で,よそよそしいやりとりが行われるが,それがこの声に非常にマッチしていた.
もはや,あの役は,庵野以外考えられない.
たぶん,この映画は,一回見て,ストーリーがわかったあとで
もう一度見たときの方が,面白いと感じるのではないかと思う.
(まだ一回しか見てないので想像です)
どなたかがスルメ系の映画と表現していましたが,私もそう思います.
スティーブジョブズが,どこかの大学の卒業式の講演で
明日死ぬとわかったとしても,今自分がやっていることと同じことを
続けてするだろうか.
つまりは,何事も死ぬ気でやれという主旨のことを話していたが,
この映画にも通ずる.
いざいきめやも と言うことか.
ヒットするといいですね.
単なる感動だけではない、不思議な余韻が残る仕掛け
単なる感動だけではない、不思議な余韻が残る仕掛け
予備知識は必要ありませんでした。理解できる仕掛けがあります。
冒頭少ししてから菜穂子と接点ができるきっかけとなる震災のシーンがあります。
ここで自分は違和感が少し残りました。
まず短い、あっさりしている、何よりもまったく悲惨さがない。
モブのシーンで逃げ惑う人を追ってみました、
すると血を流している人がいないんです(たぶん)。
これは明らかになんらかの意図があることが分かる。
そこからしばらくして、カプローニとの会話
「君はピラミッドのある世界と無い世界、どちらを選ぶかね?」といわれ
しばらく思案して「うつくしいものがみたい」と返答する主人公。ここでハッキリわかります
つまり宮崎は美しいものしか描かないつもりなんだなと。
これは二郎の飛行機にたいする思いともリンクする訳です。
人が生きると言うことは綺麗なことではありません、
これは経験則からよくわかることでしょう。
その中で綺麗などといえるものは精々上澄みの数パーセント程度のものです、
その数パーセントしかこの映画では描かないと宣言しているわけですね。
がその中に狂気を潜ませる訳です宮崎という人は。
これは二郎や宮崎だけに当てはまることではないのです。
前半までは二郎のみの話しです、ここまでは二郎に共感する人は少ないでしょう。
というよりもこの美に呪われた会話すらできない人間に共感してはいけないという、
心理まで働くような仕掛けが見え隠れします。
それはシベリアを子供に与えようとするシーンでも分かる。
9.11の時ビルが炎上する姿をTVでみて、「美しい」といった音楽家がニュースになりました。
それ聞いたとき自分は非難することができなかったわけです。
自分もあのとき一瞬「何かに使えないか?」と思ったのが正直な所です。もちろん不謹慎の極みです。
職業人とはそういうものです、とくに芸術家なんてのは美しかない、
科学者にとっての人間倫理とは真理の次にある物なんです、
芸術家にとっては倫理は美の次にあるもの、それが正直な告白です。
宮崎はその告白をしている、戦争の道具である零戦を美術工芸品として上書きを試み、
関東大震災まで美しく上書きするのです。
同様に菜穂子の喀血までも美しく描くのです。
普通あのシーンでは横顔が写るはずです、が表情は見えない、
悲惨さなどの要素を排除しきって、花が散るような描写で描いてる訳です。
それをみて自分は「美しいな」と思う。
再開するシーンもすばらしいです。
今の時代とは違い女性から誘うことはできません、なので作戦が必要なんですね。
そのための間があの声を掛けないで見つめている部分です。
毎日通るであろう道の前に絵の道具をおき、
涙を流しながら「命の恩人に会うために、泉に毎日願掛けをしていた」とウソをつきます。
本当なら初めの段階で声を掛けるはずだからね。
で駄目押しで「彼女は結婚してもう子供は二人いるのよ」と聞いてもいないことをいう、
今風でいうなら「私に乗り換えて」ですが、そうはいわない訳です。
前半は共感できない心理が働く二郎のキャラクターなので、もんもんとしてしまいます。
がそのあとに菜穂子が出てきて飛びつく仕掛けになっているわけです。
彼女は狂気がない人間ですからね。
彼女は二郎の一切を肯定します、終始笑顔なんですね。唯一拒む場面がある、
それが手を離すか離さないかという所、要求はそこだけなんですよ。そこがまたいじらしい。
婚約が性急すぎるという意見もありますが、自分は十分です。
その前の戯れがあるのでそれで十分説明が付いている
二郎は「貴方のもとに届きますように」と紙飛行機を飛ばす、
菜穂子は懸命に受け取ろうとする、このシーンは重要です。
菜穂子には重要な意味があり、彼の飛行機は美の結晶な訳です、
それを受け取ることができるならば私はそこに並べるかもという淡い希望の心理が見て取れます。
普通あのように落ちそうになりながらとろうとしますか?しない。
彼女は病人だしね。受け取ると言う意味は菜穂子にとって非常な価値があるということです。
でキャッチすることができ、その後に期待の予感が残ります、
と同時に不安が残される訳です。紙飛行機はいったっきりで戻ってはこないですからね。
二郎にとって菜穂子は零戦と並ぶことができるのかというとそれは成就します。
ここにカタルシスがある。
二郎は結婚をあげるときにみたこともないような表情をする。そこは菜穂子の勝ちです。
最後に両方とも文字通り紙飛行機のように風にのって、いったっきりとなります、
そこで二郎は感謝の言葉を初めていう。
これは宮崎の言葉でもあるわけですね。それは観客に対するものではないと自分は思います。
そこもまたすばらしかった。傑作です。
「生きねば」
・「結核で可哀そうなヒロイン」が「お涙頂戴」な手法として安易すぎて気分が悪い、という批判が出るのは、ごもっともだと思った。
・この映画の中では、主人公の泣き顔が直接描かれる事は無いし、グロいシーンも無い。宮崎駿監督の画風だと、そういうシリアスなシーンが、コミカルになりすぎるのだ。かといって、その為に全体の画風をがらっと変えたのでは、宮崎駿監督の映画では無くなってしまう。ここは困っただろうなぁ。で、そういう宮崎駿監督が不得意なシーンはカットされ、代わりに間接的に描くと言う手法があらゆる場面で採られている。
・例えば主人公が唯一泣くシーンでは、それはノートに落ちる水滴として描かれている。もし、あの時の泣き顔を宮崎駿監督の画風で直接描いて見せてしまったら、意図せずコミカルになりすぎるということが容易に想像できる。ヒロインが死ぬシーンを直接的に描かなかったのも、そういう理由だと思う。ゼロ戦に乗った兵士が死んでいくシーンを描かなかったのも。だから、この映画を見るにあたっては、宮崎駿監督が「描きたかったけど描けなかったシーン」というのを、観る側で補完して想像する事が出来ないと、意味が解らない話になってしまう。それって映画としてどうなの、っていう批判は、覚悟の上でしょう。
・そういう、映画としてテクニカルな面での批判が出るのも承知の上で、鈴木敏夫プロデューサーがこれを映画化した意味というのは、やっぱりポスターにもある「生きねば」に全て集約されるんだと思う。
・この映画を「つまらない」という人は、「生きねば」などというテーマの映画を観る必要が無かった人という事であり、幸せな人だ。それはそれで、何も問題ないではないですか。そんな人でも、いつか、この映画が必要な時が来るかもしれません。
映像は流石だけど、、、。
この時代に、こういったモチーフを選び、憲法うんぬんに口出しながら発表するということは、作品にある程度メッセージがこめられていると受け止めるべきでしょう。
私は20代ですが、この映画に感じたのは、ジェネレーションギャップというものでした。流石に年か、と。
子供向けのファンタジーを描き続けてきたからこそ、今までは私も楽しめていたのだな、と思いました。
この映画で描かれているのは、"古きよき日本"という幻想ではないでしょうか。
欧米という先進国の真似をしていればよく、幻想の腕の中に抱かれてただ葛藤していればなんとかなった時代の、
非常に幼い日本人像が浮かびました。誰もが受動的で、責任をとらず、感情、雰囲気、にまかせるだけ。
私が感じている今のリアリティとしては、物理的な距離も、そして情報的な距離も近づいた現代の、
国際社会のある一つの国である日本という風土が持つそうした性質をいかに乗り越えるか、
が問題ではないかと思います。3.11で明らかになった日本の民主主義の未成熟さにも繋がってます。
そこを単純に右傾化、戦争、などととらえるの正直あまりに幼いと思う‥‥。
というか、団塊以上ぐらいの世代って、そういう捉え方するんですよね。まぁ生きてきた時代があれだから、
そういう反応が染み付いてるんだと思いますけど。自己主張と議論が下手で、意見と人格攻撃の区別がつかないというか‥‥。
誰も決断せず、問題を先送りにする、葛藤してる私、という姿勢こそ批判すべきものだと思います‥‥。
それを「生きること!」って全肯定する姿勢にはちょっと疑問があります。もちろん否定はしませんが。
しかし、それはそれで一つの日本のリアリティを描いたということだと思います。
賛否両論あるのもその証拠ですし、作品内からは戦争に関する問題や政治的なメッセージを排除しながらも、
現代の日本の中である問題提起になっている点は、やはり"巨匠"ということでしょう。
ストーリーに関しては、やっぱり宮崎駿のラブシーンはちょっと私的には共感できないなぁ、という感じ。
というか、恋愛ものでないのに、ちょっとお涙頂戴的な演出に流れちゃったのでは?売り上げ的なあれなんでしょうか。。。
声の効果音はすごくよかったと思いました!もうちょっとそっちで凝ってくれたらもっとよかったけど、
これも売り上げ的なあれなんでしょうか。。。
庵野さんの声はダメでしょ。あれ、、、。棒読みうんぬんじゃなくて、アニメにはまってないですよね。
本当はもっと全編ああいうので素朴なのがやりたいんでしょうけど、それにしてももうちょっと良い人いたと思うけど‥。
色々好き勝手書かせていただきましたが、それだけ口出ししたくなるぐらい、思うことのあった映画でした。
作品自体は、やはりいい出来栄えだったと思います!><
風を吹き込む
先週の土曜日封切りだというのに、もうレビューは80を超えている。
これは宮崎駿という男の実績に対するものだろう。
ただ、その評価については賛否両論あることが注目される。
宮崎作品のロマンがない。独りよがりだ。
一方、こんな純愛を描けるのはさすがだ。
ヴィジュアルが美しく、素敵だ。
などなど。点数にすれば1と5が多く極端に分かれている。
でも、僕はそのとらえ方は間違っていると思う。
宮崎さんが言いたかったのは、戦争に巻き込まれていった時代と、
それに翻弄される二人の主人公ということではないか。
時代性は現在の日本と似ている、という。
僕もそう思う。
なにしろ、普通に戦争ができる国にしようとしている政権を選んだのだから。
そう、国連脱退の政治家を歓喜で迎えたのだから。
そして、次郎と菜緒子の純愛。
ここにはいいところだけを見せたいと思った。
できるだけ、不純なものを排除したつくりになっている。
そして、ゼロ戦開発者としての次郎。
これは宮崎駿の矛盾を描いている。
戦闘機が好きな自分と戦争反対の自分。どこで折り合いをつけるのか。
という問題。これは僕ら自身の問題でもある。
原発はやめたいと思ってるのに、再稼働するという政権を選んでしまう。
そんな矛盾・・・つまり絶対矛盾の自己統一的世界。
美しい青空にあこがれるだけでなく、人間の苦悩。
そして日本の将来は?
そんなものが描かれている映画だと思う。
余計な登場人物。宮崎駿の汚点。
7月24日、TOHOシネマ海老名にて鑑賞。
この映画を観る前に、既に82ものレビューが寄せられ、なかには相当、厳しい意見もあったので、余り期待せずに臨みました。前半の一時間はまあまあ。しかし、後半、菜穂子が再登場してから様相は一変します。極めて退屈なベタベタした恋愛映画に様変わりするのです。陳腐な科白に安易な筋立て。小学生の、ませた女子児童が描きそうな映像の連続に私はいたたまれなくなりました。菜穂子と二郎が事あるごとにキスをしていましたが、その度に私は「欧米か!」とタカトシ並みの突っ込みをいれていました。結核が移ったらどうするんだよ! 安易な恋愛話にうつつを抜かすとは、宮崎駿もヤキが回ったのでしょうか。恋愛の映画なら他の凡百の監督にでも任せておけばいいのですから。もし、私が監督なら、後半部分を設計者たる二郎と戦闘機のパイロットとの交流を描いていたと思います。勿論、菜穂子なんて登場させません。途中でゼロ戦が空を飛ぶ実録の映像を挿入していたかもしれません。ゼロ戦に搭乗し、出撃していった人間の心情のひとつくらい、描いても良かった筈です。菜穂子の姿が空に溶けていく最後の場面を観たとき、「そりゃないだろう、宮崎さん」と思いました。ゼロ戦に乗って最期を遂げた多くのパイロットの命よりも、結局はひとりの女の方が大事だったのかよ、との怒りにも似た感情が込み上げてきました。宮崎駿監督はこの映画を観て、泣いた、とのことですが、私は、退屈さの余り、欠伸が止まらず、おかげで目に涙が浮かんできました。この映画はおそらく全世界で公開されるのでしょうが、宮崎さん、なんとも恥ずかしい映画を撮ってしまったものです。
宮崎さん、この映画をご自身の最後の映画とせず、本気で、あと一作、渾身の一作を撮り上げて下さい。是非、死に花を咲かせて下さい。
感想文
「今」を生きるボク達へ。
本作の意図は『現代よりも更に苦境にあった1920年代を生き、「夢」という希望のために精一杯生きた人を描くことで、その人達の生き様から何かを得て欲しい、考えて欲しい』ということです。
だから「難病モノ」「ラブストーリー」「ノンフィクション」などを期待して見に行った人は期待外れでがっかりしたと思います。なぜならその各々のファクターやエピソードは、テーマやメッセージを伝えるための一要素に過ぎないからです。
例えば後半で二郎が寝ている菜穂子に「たばこを吸いたい」というシーンがありました。きっとみなさんの中には「愛している人が病気なのに、その人がいる場所でたばこを吸うなんて彼女を蔑ろにしている。一分一秒でも菜穂子が長生きできるようにするのが二郎のすべきことだろう」と思った方もいらっしゃるはずです。怒りを覚えた方もいらっしゃるはずです。
ですが、宮崎監督はこの時代の人達をこうとらえています。
「昔の人は生き方が潔い。必死に生きようともがく感じではなく、与えられた時間を精いっぱい生きている」(パンフより)
このとき、菜穂子の願いは「良き妻として、できるだけ二郎といたい」ということで、
二郎の願いは「飛行機を完成させたい」ということでした。
だから菜穂子は必要もないのに二郎のために毎日化粧をし、二郎も仕事に打ち込んでいます。
けれど二人には時間が残されていませんでした。
もちろん菜穂子に残された時間も少ないですが、実はそれは二郎も同じです。
作中で宮崎駿がカプローニに代弁させるように「人が創造的なことができるのは10年」です。すなわち、彼がクリエイターとして真に創造的であることができるのは10年だという縛りがあります。
そして彼がプロダクトチーフになった時点で入社5年が過ぎていますから、残りは5年を切っています。
つまり言い換えれば、飛行機設計者としての彼の余命も5年なのです。だから菜穂子が倒れたという電報を受けて汽車に飛び乗ったときも、涙でぐしょぐしょになりながらも設計の手を休めることはしません。
そしてまた、作中のセリフに「両立は無理だ」「男は仕事だ」とあるように、「妻のために仕事を置いて付きそう」ことと「飛行機の設計を続ける」ことは両立できません。
しかし、彼らはそこを無理して両立しているのです。その姿が彼らの同居です。
そして、つまりお互いに無理を承知で、なおかつ互いの願い(夢)を妨げてはならないとお互いにわかっているから、二郎は彼女の手を握りながらたばこを吸って仕事を続け、菜穂子はそのことを咎めないんです。
つまり、この彼らの姿こそが宮崎監督の言う「必死に生きようともがく感じではなく、与えられた時間を精いっぱい生きている」1920年代の人の姿なのです。
おそらくこの何気ない姿も現代人に宛てられたメッセージなのでしょう。(まあ、監督インタビューの最後でも思いっきり触れられてることですが)
さて、正直、映画を見終わるまで私は「宮崎監督はあざといな」と思ってました。「『難病』や『悲恋』なんてファクターは、零戦を作るというだけの話だと集客力が弱いから挿入したサイドストーリーなんだろう」と。けれど、映画を見終わって「いや、どうもそういう意図で作られてないな」と思い、パンフレットまで買って読んだら私の邪推は全くの検討はずれでした。いえ確かに、この美保子とのラブストーリーと難病と悲恋には商業的な意図もあったと思います。ですが単なる金儲けではなく、宮崎監督はそこにきちんとテーマを込めています。予告とはだいぶ違った本編に対し期待を裏切られた方は多いと思いますが、決して斜に構えて見ないでください。ラピュタの時のようにテーマをセリフで語るのではなく、一見バラバラに見えるエピソードやシチュエーションを通して語っているからわかりにくい作品になっているだけです。
本作のメッセージは「苦境にある現代の人達に夢や希望に向かって懸命に生きて欲しい」ということ、ただそれだけです。
蛇足ですが、だからこそ娯楽性のあるフィクションを描くのではなく、実際に過去の苦境を生きた人をモチーフにとったんです。
どっちか一つに
理想の設計士や理想の嫁を描きたかったのなら主人公を犬や土竜にでもしておけば良かった。
なまじ人の形をして実在の人物を名乗っているもんだから物語に現実が割り込んでくる。
意図を理解しようと物語の背景を知れば知るほど「二人に敬意を捧ぐ」って言葉が嘘臭く思える。
人生を語るならありのままを描けばよかったのでないか、何故改変する必要があったのか。
理由次第じゃ、故人の生き様に対して非常に冒涜的な作品じゃなかろうか、コレ。
どうにも他人の人生の気に入らないところに加筆修正を加えてるように思えてならない。
ちなみに物語の最後はまるであの世のような風景ですが、現実の堀越二郎は戦後も生き続け三菱重工に在籍し、その後東大と防衛大学で教鞭を取っていたようです。
高評価は、ジブリ教の信者か?
良かったのは、ラストで、零戦が沢山飛んでるシーンは、天使たちが、天国に向かい、一直線に飛んでるようで涙が出ました。
印象深かった言葉は、「飛行機に爆弾を乗せなくて良い時代が来たら、人を沢山乗せる事が出来る」と、「機関銃を外せば、もっと早く飛べる」です。
恋愛物語と監督の飛行機オタク趣味を無理矢理一つの映画にした、残念な映画でした。
映画の中でも、イタリア人の飛行機設計家に、「良いデザインを産み出せるのは、仕事を始めて10年間だ」と言わせているのに、監督自身が、あまりにも長く監督を続けているのが、矛盾しています。
それにしても、登場人物のほとんどが、タバコばかり吸っている酷い映画でした。
『風立ちぬ』というより、『宮崎駿去りぬ』という感じの映画でした。
小学生には、タイトルの堀辰雄の『風立ちぬ』の言葉の意味も解りません。高校の古文法で習ったと思います。
ジブリは好きですがこの映画は不可
私にとって本作品の第一印象は、トレーラーにて関東大震災とその直後の混乱を極める東京の描写と、そこで流れている「まことに生きるのに辛い時代だった。」というテロップでした。そこで早くも疑問が沸きました。過酷な現実を大部分度外視したファンタジーを得意とするジブリが果たして闇を描けるのかということです。
実際に観てみると悪い予感は的中していました。主人公の堀越二郎は汽車乗車中に関東大震災に遭遇し、偶々乗り合わせていた里見菜穂子を実家に送り届けることになります。そこまではいいのですが、その後、二郎本人の生活に焦点を当てた場面が皆無なのが大問題です。銀行の取り付け騒ぎを友人と目撃する場面があるものの、彼らはまるで他人事のように眺めているだけです・・・。東京の復興についても二郎の妹である堀越加代が上京したときに、これまた自分たちには関係ないことであるかのように語っています・・・。もちろん、彼らの生活は磐石なのか、金銭的な厄介事はこれっぽっちも出てきません。挙句の果てに妹が医者になりたい旨(特にこれといった理由もなく)を言い出す始末です。
この時点であの予告編は一体何だったのかと問いたくなります。主な登場人物たちに、「まことに生きるのに辛い時代だった」という表現は全く馴染みません。
関東大震災の描写はここまでで終わりです。これまでのシーンで重要な伏線となって後半に影響を及ぼすことはありません。関東大震災がいつの間にか収まると、知らない間に二郎は三菱重工に就職が決まっており、ここから更に庶民感覚とは無縁な生活が始まります。
設計士として二郎は職務に邁進し、留学を重ねて会社において一目置かれる存在になっていきます。そして、別荘地(軽井沢とのこと)で菜穂子に再開します。二人はすぐに恋仲になり、二郎はあっけなくプロポーズまでしてしまうのですが、ここで菜穂子は自分が結核であることを告げます。ここから先はよくあるお涙頂戴の話なので割愛します・・・。
ちなみに本作の思想としては当然反戦なわけですが、登場する大日本帝国の軍部やドイツ第三帝国のドイツ人に特に酷い人物が登場するわけではありません。ヒトラー政権のことを「ならずもの」と批判する人物がいますが、この批判は個人的には浅薄だとは思いますが、一般的には妥当なところでしょう。
しかし、本人が意図したかどうかとは無関係に、主人公たちは軍需産業の人間として、軍部と癒着し、兵器を開発していたのです。それをはぐらかすようなやり口は非常に気に入りません。この映画を観ていると、技術には非がなく、使う人間が悪いという思想が垣間見えます。特に誰かを槍玉に挙げているわけではありませんが、それも主人公たち、戦闘機設計士を擁護するためのように感じざるを得ません。
この映画はこのように掴みどころがありません。極限に置かれた人間が取る必要ではあるが汚い手段は全く無視し(生活苦の描写がありません)、そして戦争に関しては脇役を使って反対の旨を主張させているくせに、その戦争に大いに加担している主人公たちには罪がないように観客に思わせてしまっています。庶民と軍部の二項対立で考えるならば、主人公は確実に後者に属しているのです。それなのに映画全編に溢れるフワフワした反戦の空気は一体何なのでしょうか。私には皆目理解できません。
感動!
映画ならでは
生きねば・・・・って?
主人公二郎、映画から伝わってくる感じでは
それほど挫折もなく、また裕福で苦労してるようには見えない。
それ故に、どうも感情移入ができない・・・
お話自体は、僕にはあまり魅力的ではなかったのが
素直な感想です。
ただ、底抜けなほどの青い空や海上を飛ぶ飛行機・・・
こういうキラキラした映像はさすがでしたね!
すばらしい色彩感覚やなぁって思った。
あと、徹夜明けの旦那さんに布団を掛けてあげるシーンで
二郎の頭をまるで子供のようにナデナデするところ・・
こういうちょっとしたことが、監督の経験とかが出てくるんやろうな〜
このシーン、すごく共感できてしまった・・・
パンフレットを見てて
「生きねば!」って筆文字のコピーがものすごく
違和感があった。
この激しさは二郎の口から発するような文字ではない。
このお話はそれを言いたかったの??
どう見ても、作者以外の人のワークって印象。
まあ、いつもの小判ザメプロヂューサーの仕業だと思う・・・
あの人は好きになれんなぁ・・・
感動
なんかこの映画はよかった派と悪かった派に分かれていますが、僕はス五億よかったと思いますよ。
あの最後のシーンが泣ける。サバのところとかこいつ変人か!とか思いました(笑)
ジブリによくある主人公をサポートする役の人、今回はあの外国人と同僚(名前忘れた・・・アハハ)ですかねぇ。二人ともすごく重要でジブリ名言がたくさん生まれましたね。あと恋人も。
風立ちぬを楽しく見るための6つのポイント
この作品はジブリということもあり入口は広い。しかし、他のレビューを見るとかなり極端に評価が分かれているようだ。
私はとても楽しませてもらったので、これは何故なんだろうと考えてみた。
悪い評価の方の多くは、ジブリ作品が好きでそれに対しての自分なりの概念がしっかりと出来上がっている人が多いようだ。今回の作品は、今までのジブリ作品のように受け手の目線に合わせた表現方法を執っていない。そして淡々と物語りは進行していく。低い評価の方はそこに違和感を覚え拒絶してしまったのではないだろうか。
また、大正から昭和初期の風情を実写やCGよりある意味リアルに描き出している故、現代の社会を是とし過去は暗黒であるという考えの方もこの作品に良い評価を与えないだろう。その匂いだけで辟易し拒絶反応を起こしてしまうだろうから。
そして、これは主題にも絡んでくるので最も重要だと思うのだが、自分で夢を持ったことが無く、ゼロから何かを創り上げたことが無く、その楽しさと成功後の寂莫とした感覚を知らない人は、主人公に感情を移入することは難しいかもしれない。
そこで、これから見られる方にアドバイス。”風立ちぬを楽しく見るための6つのポイント”
1、見る前に、これから見るのは”ジブリのアニメ”ではなく単に”作品”という目で見ることを自分自身に言い聞かせましょう。
2、大正、昭和にかけての街の風情、匂い。障子の桟までぬくもりが感じられる実写を超えたリアルな感触を楽しみましょう。
3、他国の場面ではその国の においまで感じられます。その技術力と製作者の粋を楽しみましょう。
4、カプローニがでてくる夢は夢、そこに現実との空間的連続性を求めてはいけません。教条的象徴的意味合いを考えて見ましょう。
5、当時の家屋、道端の木々、草花、トタン屋根等の、これでもか!どうだ!というまで書き込まれたスタッフの方々の心意気美意識を感じましょう。
6、主役は堀越二郎です。彼に感情移入できるかできないかが非常に大きなポイントです。もしそれができれば、他の登場人物たちの立ち位置が芋づる式に理解できます。
以上。もっとあるかもしれないが、とりあえず今書ける事を書いてみた。
そして、変な色眼鏡をかけずに、まっすぐに、とりあえず見て、聞いて、感じてみれば、きっと感動して、泣いて、元気になれると思う。
商業的に成功するかしないかは、その作家活動の持続性に影響はするかもしれないが、その作品の本質とはまったく別の物であろう。
創造されたものの意義は、万人が理解できるかできないかに左右されるものではない。難解なものでも素晴らしく永久に賛美されるべきものはあるし、万人に理解されても陳腐な即座に消滅してしまうものもある。
そして、本当に感動したければ、感動できるような作品を感動できるように、自分自身に準備をさせるべきであろう。それが、作品を味わう作法である。
本来そこまで大上段に構えなくても、これは十分にやさしい作品なんだが....。
祭りの後の寂しさを知っている方、自分が書いている図面に涙の跡が付いた事がある方、世の理不尽さに涙しそれでも一歩でも前に進もうと気力を振り絞ったことがある方。
そんな方は、この作品をなにも意識しないで楽しめることと思う。
全548件中、461~480件目を表示