風立ちぬのレビュー・感想・評価
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「生きねば」
・「結核で可哀そうなヒロイン」が「お涙頂戴」な手法として安易すぎて気分が悪い、という批判が出るのは、ごもっともだと思った。
・この映画の中では、主人公の泣き顔が直接描かれる事は無いし、グロいシーンも無い。宮崎駿監督の画風だと、そういうシリアスなシーンが、コミカルになりすぎるのだ。かといって、その為に全体の画風をがらっと変えたのでは、宮崎駿監督の映画では無くなってしまう。ここは困っただろうなぁ。で、そういう宮崎駿監督が不得意なシーンはカットされ、代わりに間接的に描くと言う手法があらゆる場面で採られている。
・例えば主人公が唯一泣くシーンでは、それはノートに落ちる水滴として描かれている。もし、あの時の泣き顔を宮崎駿監督の画風で直接描いて見せてしまったら、意図せずコミカルになりすぎるということが容易に想像できる。ヒロインが死ぬシーンを直接的に描かなかったのも、そういう理由だと思う。ゼロ戦に乗った兵士が死んでいくシーンを描かなかったのも。だから、この映画を見るにあたっては、宮崎駿監督が「描きたかったけど描けなかったシーン」というのを、観る側で補完して想像する事が出来ないと、意味が解らない話になってしまう。それって映画としてどうなの、っていう批判は、覚悟の上でしょう。
・そういう、映画としてテクニカルな面での批判が出るのも承知の上で、鈴木敏夫プロデューサーがこれを映画化した意味というのは、やっぱりポスターにもある「生きねば」に全て集約されるんだと思う。
・この映画を「つまらない」という人は、「生きねば」などというテーマの映画を観る必要が無かった人という事であり、幸せな人だ。それはそれで、何も問題ないではないですか。そんな人でも、いつか、この映画が必要な時が来るかもしれません。
映像は流石だけど、、、。
この時代に、こういったモチーフを選び、憲法うんぬんに口出しながら発表するということは、作品にある程度メッセージがこめられていると受け止めるべきでしょう。
私は20代ですが、この映画に感じたのは、ジェネレーションギャップというものでした。流石に年か、と。
子供向けのファンタジーを描き続けてきたからこそ、今までは私も楽しめていたのだな、と思いました。
この映画で描かれているのは、"古きよき日本"という幻想ではないでしょうか。
欧米という先進国の真似をしていればよく、幻想の腕の中に抱かれてただ葛藤していればなんとかなった時代の、
非常に幼い日本人像が浮かびました。誰もが受動的で、責任をとらず、感情、雰囲気、にまかせるだけ。
私が感じている今のリアリティとしては、物理的な距離も、そして情報的な距離も近づいた現代の、
国際社会のある一つの国である日本という風土が持つそうした性質をいかに乗り越えるか、
が問題ではないかと思います。3.11で明らかになった日本の民主主義の未成熟さにも繋がってます。
そこを単純に右傾化、戦争、などととらえるの正直あまりに幼いと思う‥‥。
というか、団塊以上ぐらいの世代って、そういう捉え方するんですよね。まぁ生きてきた時代があれだから、
そういう反応が染み付いてるんだと思いますけど。自己主張と議論が下手で、意見と人格攻撃の区別がつかないというか‥‥。
誰も決断せず、問題を先送りにする、葛藤してる私、という姿勢こそ批判すべきものだと思います‥‥。
それを「生きること!」って全肯定する姿勢にはちょっと疑問があります。もちろん否定はしませんが。
しかし、それはそれで一つの日本のリアリティを描いたということだと思います。
賛否両論あるのもその証拠ですし、作品内からは戦争に関する問題や政治的なメッセージを排除しながらも、
現代の日本の中である問題提起になっている点は、やはり"巨匠"ということでしょう。
ストーリーに関しては、やっぱり宮崎駿のラブシーンはちょっと私的には共感できないなぁ、という感じ。
というか、恋愛ものでないのに、ちょっとお涙頂戴的な演出に流れちゃったのでは?売り上げ的なあれなんでしょうか。。。
声の効果音はすごくよかったと思いました!もうちょっとそっちで凝ってくれたらもっとよかったけど、
これも売り上げ的なあれなんでしょうか。。。
庵野さんの声はダメでしょ。あれ、、、。棒読みうんぬんじゃなくて、アニメにはまってないですよね。
本当はもっと全編ああいうので素朴なのがやりたいんでしょうけど、それにしてももうちょっと良い人いたと思うけど‥。
色々好き勝手書かせていただきましたが、それだけ口出ししたくなるぐらい、思うことのあった映画でした。
作品自体は、やはりいい出来栄えだったと思います!><
風を吹き込む
先週の土曜日封切りだというのに、もうレビューは80を超えている。
これは宮崎駿という男の実績に対するものだろう。
ただ、その評価については賛否両論あることが注目される。
宮崎作品のロマンがない。独りよがりだ。
一方、こんな純愛を描けるのはさすがだ。
ヴィジュアルが美しく、素敵だ。
などなど。点数にすれば1と5が多く極端に分かれている。
でも、僕はそのとらえ方は間違っていると思う。
宮崎さんが言いたかったのは、戦争に巻き込まれていった時代と、
それに翻弄される二人の主人公ということではないか。
時代性は現在の日本と似ている、という。
僕もそう思う。
なにしろ、普通に戦争ができる国にしようとしている政権を選んだのだから。
そう、国連脱退の政治家を歓喜で迎えたのだから。
そして、次郎と菜緒子の純愛。
ここにはいいところだけを見せたいと思った。
できるだけ、不純なものを排除したつくりになっている。
そして、ゼロ戦開発者としての次郎。
これは宮崎駿の矛盾を描いている。
戦闘機が好きな自分と戦争反対の自分。どこで折り合いをつけるのか。
という問題。これは僕ら自身の問題でもある。
原発はやめたいと思ってるのに、再稼働するという政権を選んでしまう。
そんな矛盾・・・つまり絶対矛盾の自己統一的世界。
美しい青空にあこがれるだけでなく、人間の苦悩。
そして日本の将来は?
そんなものが描かれている映画だと思う。
余計な登場人物。宮崎駿の汚点。
7月24日、TOHOシネマ海老名にて鑑賞。
この映画を観る前に、既に82ものレビューが寄せられ、なかには相当、厳しい意見もあったので、余り期待せずに臨みました。前半の一時間はまあまあ。しかし、後半、菜穂子が再登場してから様相は一変します。極めて退屈なベタベタした恋愛映画に様変わりするのです。陳腐な科白に安易な筋立て。小学生の、ませた女子児童が描きそうな映像の連続に私はいたたまれなくなりました。菜穂子と二郎が事あるごとにキスをしていましたが、その度に私は「欧米か!」とタカトシ並みの突っ込みをいれていました。結核が移ったらどうするんだよ! 安易な恋愛話にうつつを抜かすとは、宮崎駿もヤキが回ったのでしょうか。恋愛の映画なら他の凡百の監督にでも任せておけばいいのですから。もし、私が監督なら、後半部分を設計者たる二郎と戦闘機のパイロットとの交流を描いていたと思います。勿論、菜穂子なんて登場させません。途中でゼロ戦が空を飛ぶ実録の映像を挿入していたかもしれません。ゼロ戦に搭乗し、出撃していった人間の心情のひとつくらい、描いても良かった筈です。菜穂子の姿が空に溶けていく最後の場面を観たとき、「そりゃないだろう、宮崎さん」と思いました。ゼロ戦に乗って最期を遂げた多くのパイロットの命よりも、結局はひとりの女の方が大事だったのかよ、との怒りにも似た感情が込み上げてきました。宮崎駿監督はこの映画を観て、泣いた、とのことですが、私は、退屈さの余り、欠伸が止まらず、おかげで目に涙が浮かんできました。この映画はおそらく全世界で公開されるのでしょうが、宮崎さん、なんとも恥ずかしい映画を撮ってしまったものです。
宮崎さん、この映画をご自身の最後の映画とせず、本気で、あと一作、渾身の一作を撮り上げて下さい。是非、死に花を咲かせて下さい。
感想文
悪くはない。観る人でかなり分かれる。
個人的な感想は、まとまり損ねた印象を受けた。
後期黒沢映画の風潮のように、好きなように作ってみた。といった意味で、監督の感じたままに作ったのかもしれない。
戦争映画好き向けでもない。
ロマン映画好き向けでもない。
歴史映画好き向きでもない。
夢を与える映画でもない。
本当にあのころに生きた一人の技師の叙述詩といったところか。
「今」を生きるボク達へ。
本作の意図は『現代よりも更に苦境にあった1920年代を生き、「夢」という希望のために精一杯生きた人を描くことで、その人達の生き様から何かを得て欲しい、考えて欲しい』ということです。
だから「難病モノ」「ラブストーリー」「ノンフィクション」などを期待して見に行った人は期待外れでがっかりしたと思います。なぜならその各々のファクターやエピソードは、テーマやメッセージを伝えるための一要素に過ぎないからです。
例えば後半で二郎が寝ている菜穂子に「たばこを吸いたい」というシーンがありました。きっとみなさんの中には「愛している人が病気なのに、その人がいる場所でたばこを吸うなんて彼女を蔑ろにしている。一分一秒でも菜穂子が長生きできるようにするのが二郎のすべきことだろう」と思った方もいらっしゃるはずです。怒りを覚えた方もいらっしゃるはずです。
ですが、宮崎監督はこの時代の人達をこうとらえています。
「昔の人は生き方が潔い。必死に生きようともがく感じではなく、与えられた時間を精いっぱい生きている」(パンフより)
このとき、菜穂子の願いは「良き妻として、できるだけ二郎といたい」ということで、
二郎の願いは「飛行機を完成させたい」ということでした。
だから菜穂子は必要もないのに二郎のために毎日化粧をし、二郎も仕事に打ち込んでいます。
けれど二人には時間が残されていませんでした。
もちろん菜穂子に残された時間も少ないですが、実はそれは二郎も同じです。
作中で宮崎駿がカプローニに代弁させるように「人が創造的なことができるのは10年」です。すなわち、彼がクリエイターとして真に創造的であることができるのは10年だという縛りがあります。
そして彼がプロダクトチーフになった時点で入社5年が過ぎていますから、残りは5年を切っています。
つまり言い換えれば、飛行機設計者としての彼の余命も5年なのです。だから菜穂子が倒れたという電報を受けて汽車に飛び乗ったときも、涙でぐしょぐしょになりながらも設計の手を休めることはしません。
そしてまた、作中のセリフに「両立は無理だ」「男は仕事だ」とあるように、「妻のために仕事を置いて付きそう」ことと「飛行機の設計を続ける」ことは両立できません。
しかし、彼らはそこを無理して両立しているのです。その姿が彼らの同居です。
そして、つまりお互いに無理を承知で、なおかつ互いの願い(夢)を妨げてはならないとお互いにわかっているから、二郎は彼女の手を握りながらたばこを吸って仕事を続け、菜穂子はそのことを咎めないんです。
つまり、この彼らの姿こそが宮崎監督の言う「必死に生きようともがく感じではなく、与えられた時間を精いっぱい生きている」1920年代の人の姿なのです。
おそらくこの何気ない姿も現代人に宛てられたメッセージなのでしょう。(まあ、監督インタビューの最後でも思いっきり触れられてることですが)
さて、正直、映画を見終わるまで私は「宮崎監督はあざといな」と思ってました。「『難病』や『悲恋』なんてファクターは、零戦を作るというだけの話だと集客力が弱いから挿入したサイドストーリーなんだろう」と。けれど、映画を見終わって「いや、どうもそういう意図で作られてないな」と思い、パンフレットまで買って読んだら私の邪推は全くの検討はずれでした。いえ確かに、この美保子とのラブストーリーと難病と悲恋には商業的な意図もあったと思います。ですが単なる金儲けではなく、宮崎監督はそこにきちんとテーマを込めています。予告とはだいぶ違った本編に対し期待を裏切られた方は多いと思いますが、決して斜に構えて見ないでください。ラピュタの時のようにテーマをセリフで語るのではなく、一見バラバラに見えるエピソードやシチュエーションを通して語っているからわかりにくい作品になっているだけです。
本作のメッセージは「苦境にある現代の人達に夢や希望に向かって懸命に生きて欲しい」ということ、ただそれだけです。
蛇足ですが、だからこそ娯楽性のあるフィクションを描くのではなく、実際に過去の苦境を生きた人をモチーフにとったんです。
どっちか一つに
理想の設計士や理想の嫁を描きたかったのなら主人公を犬や土竜にでもしておけば良かった。
なまじ人の形をして実在の人物を名乗っているもんだから物語に現実が割り込んでくる。
意図を理解しようと物語の背景を知れば知るほど「二人に敬意を捧ぐ」って言葉が嘘臭く思える。
人生を語るならありのままを描けばよかったのでないか、何故改変する必要があったのか。
理由次第じゃ、故人の生き様に対して非常に冒涜的な作品じゃなかろうか、コレ。
どうにも他人の人生の気に入らないところに加筆修正を加えてるように思えてならない。
ちなみに物語の最後はまるであの世のような風景ですが、現実の堀越二郎は戦後も生き続け三菱重工に在籍し、その後東大と防衛大学で教鞭を取っていたようです。
高評価は、ジブリ教の信者か?
良かったのは、ラストで、零戦が沢山飛んでるシーンは、天使たちが、天国に向かい、一直線に飛んでるようで涙が出ました。
印象深かった言葉は、「飛行機に爆弾を乗せなくて良い時代が来たら、人を沢山乗せる事が出来る」と、「機関銃を外せば、もっと早く飛べる」です。
恋愛物語と監督の飛行機オタク趣味を無理矢理一つの映画にした、残念な映画でした。
映画の中でも、イタリア人の飛行機設計家に、「良いデザインを産み出せるのは、仕事を始めて10年間だ」と言わせているのに、監督自身が、あまりにも長く監督を続けているのが、矛盾しています。
それにしても、登場人物のほとんどが、タバコばかり吸っている酷い映画でした。
『風立ちぬ』というより、『宮崎駿去りぬ』という感じの映画でした。
小学生には、タイトルの堀辰雄の『風立ちぬ』の言葉の意味も解りません。高校の古文法で習ったと思います。
ジブリは好きですがこの映画は不可
私にとって本作品の第一印象は、トレーラーにて関東大震災とその直後の混乱を極める東京の描写と、そこで流れている「まことに生きるのに辛い時代だった。」というテロップでした。そこで早くも疑問が沸きました。過酷な現実を大部分度外視したファンタジーを得意とするジブリが果たして闇を描けるのかということです。
実際に観てみると悪い予感は的中していました。主人公の堀越二郎は汽車乗車中に関東大震災に遭遇し、偶々乗り合わせていた里見菜穂子を実家に送り届けることになります。そこまではいいのですが、その後、二郎本人の生活に焦点を当てた場面が皆無なのが大問題です。銀行の取り付け騒ぎを友人と目撃する場面があるものの、彼らはまるで他人事のように眺めているだけです・・・。東京の復興についても二郎の妹である堀越加代が上京したときに、これまた自分たちには関係ないことであるかのように語っています・・・。もちろん、彼らの生活は磐石なのか、金銭的な厄介事はこれっぽっちも出てきません。挙句の果てに妹が医者になりたい旨(特にこれといった理由もなく)を言い出す始末です。
この時点であの予告編は一体何だったのかと問いたくなります。主な登場人物たちに、「まことに生きるのに辛い時代だった」という表現は全く馴染みません。
関東大震災の描写はここまでで終わりです。これまでのシーンで重要な伏線となって後半に影響を及ぼすことはありません。関東大震災がいつの間にか収まると、知らない間に二郎は三菱重工に就職が決まっており、ここから更に庶民感覚とは無縁な生活が始まります。
設計士として二郎は職務に邁進し、留学を重ねて会社において一目置かれる存在になっていきます。そして、別荘地(軽井沢とのこと)で菜穂子に再開します。二人はすぐに恋仲になり、二郎はあっけなくプロポーズまでしてしまうのですが、ここで菜穂子は自分が結核であることを告げます。ここから先はよくあるお涙頂戴の話なので割愛します・・・。
ちなみに本作の思想としては当然反戦なわけですが、登場する大日本帝国の軍部やドイツ第三帝国のドイツ人に特に酷い人物が登場するわけではありません。ヒトラー政権のことを「ならずもの」と批判する人物がいますが、この批判は個人的には浅薄だとは思いますが、一般的には妥当なところでしょう。
しかし、本人が意図したかどうかとは無関係に、主人公たちは軍需産業の人間として、軍部と癒着し、兵器を開発していたのです。それをはぐらかすようなやり口は非常に気に入りません。この映画を観ていると、技術には非がなく、使う人間が悪いという思想が垣間見えます。特に誰かを槍玉に挙げているわけではありませんが、それも主人公たち、戦闘機設計士を擁護するためのように感じざるを得ません。
この映画はこのように掴みどころがありません。極限に置かれた人間が取る必要ではあるが汚い手段は全く無視し(生活苦の描写がありません)、そして戦争に関しては脇役を使って反対の旨を主張させているくせに、その戦争に大いに加担している主人公たちには罪がないように観客に思わせてしまっています。庶民と軍部の二項対立で考えるならば、主人公は確実に後者に属しているのです。それなのに映画全編に溢れるフワフワした反戦の空気は一体何なのでしょうか。私には皆目理解できません。
感動!
今回の作品は娯楽作品という感じがなかった。だから少し難しいが感動できるものがあった。ちょっとした会話の間や、こういってるけど実はこういうことを二郎は言いたいんだろうなっていうことがあった。少し今回の作品は小説に近いのかもしれない。
映画ならでは
とにかく現実逃避できる映画。
上手く行きすぎるストーリー(笑えます。)
でもそこが良い!!
やっぱり映画は現実逃避できるから良い。
娯楽とはそういうものだと思う。
見終わった後、あ~良い夢を見させてもらった。
と思った。
宮崎さん夢を見させてくれてありがとう。
これでまたリアルな現実世界を生き抜く事ができます。
生きねば・・・・って?
主人公二郎、映画から伝わってくる感じでは
それほど挫折もなく、また裕福で苦労してるようには見えない。
それ故に、どうも感情移入ができない・・・
お話自体は、僕にはあまり魅力的ではなかったのが
素直な感想です。
ただ、底抜けなほどの青い空や海上を飛ぶ飛行機・・・
こういうキラキラした映像はさすがでしたね!
すばらしい色彩感覚やなぁって思った。
あと、徹夜明けの旦那さんに布団を掛けてあげるシーンで
二郎の頭をまるで子供のようにナデナデするところ・・
こういうちょっとしたことが、監督の経験とかが出てくるんやろうな〜
このシーン、すごく共感できてしまった・・・
パンフレットを見てて
「生きねば!」って筆文字のコピーがものすごく
違和感があった。
この激しさは二郎の口から発するような文字ではない。
このお話はそれを言いたかったの??
どう見ても、作者以外の人のワークって印象。
まあ、いつもの小判ザメプロヂューサーの仕業だと思う・・・
あの人は好きになれんなぁ・・・
感動
なんかこの映画はよかった派と悪かった派に分かれていますが、僕はス五億よかったと思いますよ。
あの最後のシーンが泣ける。サバのところとかこいつ変人か!とか思いました(笑)
ジブリによくある主人公をサポートする役の人、今回はあの外国人と同僚(名前忘れた・・・アハハ)ですかねぇ。二人ともすごく重要でジブリ名言がたくさん生まれましたね。あと恋人も。
風立ちぬを楽しく見るための6つのポイント
この作品はジブリということもあり入口は広い。しかし、他のレビューを見るとかなり極端に評価が分かれているようだ。
私はとても楽しませてもらったので、これは何故なんだろうと考えてみた。
悪い評価の方の多くは、ジブリ作品が好きでそれに対しての自分なりの概念がしっかりと出来上がっている人が多いようだ。今回の作品は、今までのジブリ作品のように受け手の目線に合わせた表現方法を執っていない。そして淡々と物語りは進行していく。低い評価の方はそこに違和感を覚え拒絶してしまったのではないだろうか。
また、大正から昭和初期の風情を実写やCGよりある意味リアルに描き出している故、現代の社会を是とし過去は暗黒であるという考えの方もこの作品に良い評価を与えないだろう。その匂いだけで辟易し拒絶反応を起こしてしまうだろうから。
そして、これは主題にも絡んでくるので最も重要だと思うのだが、自分で夢を持ったことが無く、ゼロから何かを創り上げたことが無く、その楽しさと成功後の寂莫とした感覚を知らない人は、主人公に感情を移入することは難しいかもしれない。
そこで、これから見られる方にアドバイス。”風立ちぬを楽しく見るための6つのポイント”
1、見る前に、これから見るのは”ジブリのアニメ”ではなく単に”作品”という目で見ることを自分自身に言い聞かせましょう。
2、大正、昭和にかけての街の風情、匂い。障子の桟までぬくもりが感じられる実写を超えたリアルな感触を楽しみましょう。
3、他国の場面ではその国の においまで感じられます。その技術力と製作者の粋を楽しみましょう。
4、カプローニがでてくる夢は夢、そこに現実との空間的連続性を求めてはいけません。教条的象徴的意味合いを考えて見ましょう。
5、当時の家屋、道端の木々、草花、トタン屋根等の、これでもか!どうだ!というまで書き込まれたスタッフの方々の心意気美意識を感じましょう。
6、主役は堀越二郎です。彼に感情移入できるかできないかが非常に大きなポイントです。もしそれができれば、他の登場人物たちの立ち位置が芋づる式に理解できます。
以上。もっとあるかもしれないが、とりあえず今書ける事を書いてみた。
そして、変な色眼鏡をかけずに、まっすぐに、とりあえず見て、聞いて、感じてみれば、きっと感動して、泣いて、元気になれると思う。
商業的に成功するかしないかは、その作家活動の持続性に影響はするかもしれないが、その作品の本質とはまったく別の物であろう。
創造されたものの意義は、万人が理解できるかできないかに左右されるものではない。難解なものでも素晴らしく永久に賛美されるべきものはあるし、万人に理解されても陳腐な即座に消滅してしまうものもある。
そして、本当に感動したければ、感動できるような作品を感動できるように、自分自身に準備をさせるべきであろう。それが、作品を味わう作法である。
本来そこまで大上段に構えなくても、これは十分にやさしい作品なんだが....。
祭りの後の寂しさを知っている方、自分が書いている図面に涙の跡が付いた事がある方、世の理不尽さに涙しそれでも一歩でも前に進もうと気力を振り絞ったことがある方。
そんな方は、この作品をなにも意識しないで楽しめることと思う。
自分にとっては最高でした
ジブリファンが見ると評価が分かれているのが良くわかりました。実際映画館でも面白くないや、がっかりしたという声が聞こえてましたし、レビューでもあまり良い評価がついていないサイトが多い様です。
しかし自分には最高の映画でした。
時代背景や設定を有る程度知っていて、飛行機やこの時代に興味のある方であれば最高の映画になると思います。知っていなくても登場人物を描いたストーリーとしても良作です。
楽しめないという意見もわかります。でもそれはこの映画がだめなのではなくてその方にとって面白くないというだけのことだと思います。
ジブリの中でといった何位といったような先入観をのけてみればとても良い映画、良作に違いないと思いますし絶対に映画館で見る価値があると思います。
自分には衝撃の、そして最高の映画でした
あなたを生かす風となる
宮崎駿の作品に対しては幼少の頃ちょっとしたトラウマがあって、
『ハウルの動く城』あたりからようやく観られるようになった自分。
そんな訳で宮崎駿作品は半分程度しか観たことがないし、
その他のスタジオジブリ作品となると、驚くなかれ、皆無です。
なので過去作との比較などというおこがましい真似は
決して出来ないのだが、本作を観終えて感じたのは、
『なんて美しくて優しい映画だったろう』という気持ち。
確かに子どもと一緒に楽しめる映画ではないかもだし、
堀越二郎という人物の事をさらっと予習しておかないと
理解の難しい部分もある。
また、二郎の心情描写は丁寧だが、時代背景を巡る描写は淡白だ。
現代に通じるテーマであるという事を示すためにも、
大震災や不況の描写にもう少し時間を割いて欲しかった気もする。
歴史の流れについても軽く予習しておいた方が良いかな。
けど、それらの敷居の高さを乗り越えてでも
本作は観る価値はあると思う。
柔らかく温かな色遣い、
しゃしゃり出ずに物語に寄り添う優しい音楽、効果音。
個性も表情も豊かなキャラクターの数々に、
画面の端から端まで生き生きと躍動する背景。
この映画には手作りの温もりがある。
物語と、この世界と、そして登場人物への深い愛情がある。
ついでながら二郎役の声優さんについて色々意見あるようだが、
そこまでこだわりの無い自分としては、むしろ素朴で素直な声は、
作り込まれた声を当てるよりも人間の体温を感じる。
真っ直ぐな心を持った二郎、夢に対して快活なまでに貪欲な
カプローニ、魅力的な笑顔で辛辣な皮肉を飛ばすカストルプ、
終始しかめっ面だが実は部下想いで情熱家の黒川さん等々、
キャラの魅力を挙げればきりがないのでここではやめる。
二郎が夢に向かう姿から受けた感銘についても、他の方に譲る。
「飛行機は呪われた夢」というフレーズも非常に興味深いが、
文章が長大になるのでやっぱりやめておく。
ここでは別の事について書いてみたい。
映画の冒頭で引用される言葉。
『風立ちぬ。いざ生きめやも』
(風が吹いている。生きようと試みなければ)
妙な言葉だ、と鑑賞中にずっと引っ掛かっていた。
風が吹いたら、なぜ我々は生きようとしなければならないのか。
観終えてから思い出したのは、終盤の菜穂子の姿。
彼女が無理を押して二郎のもとへと向かったのは、
二郎に逢いたいといういじらしい想いが第一だったと思うが、
菜穂子は彼の夢の妨げになりたくなかったからこそ、
彼の傍にいたかったのではないかとも思える。
けれど何より……自分が傍にいれば二郎の力になれる
という自覚が彼女にはあったんじゃないだろうか?
病床の菜穂子に生きる力を与えたのは二郎で、
挫折した二郎を再び浮き上がらせたのは菜穂子だった。
互いが互いにとって必要な存在だと彼等は知っていた。
自分に生きる力を届けてくれた人への深い愛情と尊敬の念があった。
最後、カプローニは菜穂子のことをこう呼んだ。
「まるで美しい風のような人だった」と。
二郎が飛行機を空へ飛ばす為の風だったなら、
菜穂子は二郎を空へ飛ばす為の風だったんだろう。
風立ちぬ。
風とは、あなたを空へ飛ばそうとしてくれるもの、
あなたの夢を後押しし、「生きて」と願ってくれる人、
あなたに生きる喜びを与えてくれた人。
だから生きねばならない。
風を届けてくれた人への感謝を込めて。
ポール・ヴァレリーという作家が語った言葉の
元の意味なんて知らないが、本作から感じたのはそんな事。
僕らも後ろに色々なものを遺してきた。
愛した人、いつか見た夢、数多くの見知らぬ人たち。
けど消えてなお彼らは、僕らに今を生きる力をくれる。
僕らは遺してきたもの達の為に、前に進まなければ。
「少年よ! まだ風は吹いているか?」
立ち止まって、耳をすませ。
あなたに向けて、風はいつでも吹いている。
暗く重たい今の時代を生きる僕らにエールを送り、
前進する力を与えてくれる、清々しい風のような映画だった。
この作品を作ってくれた方々にも、感謝と敬意を感じずにいられない。
〈2013.07.20鑑賞〉
なぜ褒める人がいるの?
技術者・堀越二郎の話では弱いから、余命ものをくっつけてお涙頂戴にしたら、かなりの人はイチコロですよ。
と、ジブリのブレインはそろばんを弾いた。
宮崎駿は飛行機を描かせてもらえるなら、なんでもOK。
そうして仕上がった、ジブリ映画史上、ワーストな作品。
軽井沢ホテルで休暇をとる主人公と、そこで避暑に来た令嬢。
戦争に突入してゆく庶民の苦しみなんか一切ナッシン。
もういい。突っ込むのもイヤになる。
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