風立ちぬのレビュー・感想・評価
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真っ直ぐな思いと夢
息子と二人で見に行きました。
ジブリ作品だけは、どうしても劇場で見たかったので、今週末までと知りあわてて行きました。
今回の宮崎駿映画は、いつもと違う違和感はありました。実在の人物像をモデルにしたからでしょうか。
子供向けのファンタジーという要素は少なく、ただしひたむきさ、純粋さ、夢というものを時代背景のなかに強く描いた様に思います。
現代の日本が不景気であることで、監督のメッセージは映画の背景と重ね、失われつつある何かを訴えたかったのかもしれません。
奈穂子の思いは、私自身の思いと重なるものがあり、しかし、私が貫けなかった愛が映画のなかにはありました。
主人公次郎の一貫とした奈穂子への愛、飛行機への情熱に感動し、胸が詰まりました。
世界大戦へ突入していく当時の背景の絵が美しくも懐かしい感じもしました。祖母から見せてもらった戦時中の写真を思い出します。
人間は逆境の極限でしか、純粋にはなれないのでしょうか。現代は、夢や愛ですらも何か大切なものが忘れられようとしている気がしてなりません。
真っ直ぐに生きることを再確認させられました。
今までの見方が通じない
映画として、またアニメーションとしての今までのルーチンを気持ちいいくらいに無視した作品です。興業としての映画、要素の集合としてのアニメーションではない、正真正銘ジブリの仕事でした。
「風立ちぬ前」と「風立ちぬ後」という認識が生まれる予感がします。最近のアニメと比べて技術で5年、完成度で10年は先行しています。予備知識や期待は持ち込まない方が得るものが多いと思います。変な評論が多いのは今までの見方が通じないところに全ての問題があるように思います。なので、これ以上レビューを読まないことをお勧めします。
今までは要素を楽しんでいれば良かったものがそう単純ではなくなりました。具体的に言うと要素から紡がれる全体を解釈を加えずに受け入れろという事です。
噛み砕くなら「考えるな、感じろ」ってとこでしょうか。
なんにしろ、観に行くべきです。
若者には退屈
感動しましたがずっと単調な感じ。ジブリは全部DVD買ってましたがポニョからは買う気が失せ、もう観てすらいません 笑
風立ちぬは原作を読んだ事もあったし、ニュース特集で宮崎さんが「はじめて自分の作品で泣きました」っていってたので観たものの…何とも言えない気分。
オリジナルとか、えっ何でって感じた。
最近初期の頃の壮大なスケール感が消え失せましたよね…。
もう次回作も期待しません
最近は懐古趣味?
ジブリの映画、最近は懐古趣味的な作品が多いですね。
これは嫌いでないので、期待して観に行きました。
が、何かぼそぼそ・・・・の感じです
宮崎氏は子供が分からない映画でも良いとの様な事を言っていたとラジオで聞いてのですが、その通り。
隣の小学生の集団は楽しみにして来ていた様でしたが、直ぐに飽きてしまい、携帯で時間確認ばかり・・・・
映像はきれいでしたが、思いが伝わりません。
ただ、当時のエリートや特権階級を中途半端に描いたとしか思えませんでした。
余分かもしれませんが、いつもの事ですが声優さんの選定も今一つ。
懐かしい
「美」を専一に追いかける事にはリスクが伴う。
倫理や社会性、良識や法律が、「美」の探求者に時として強烈な掣肘となる。
まして、それが戦時下ともなれば。
宮崎駿監督の「風立ちぬ」に描かれているのは、戦時下に美を追い求める男の物語である。彼には一切の躊躇いが無い。 草叢を無視して空を行く紙飛行機をキャッチする際にも、肺病の恋人にキスをする時も、禁じられている区域に歩み入り小型飛行機に近づく時も、ゾルゲを思わせる外人スパイと思しき人物との無防備な接触にも、
そして、殺人兵器である高性能戦闘機のデザイン(設計)においても。
二郎は戦時下という制約の中、幼い頃からの夢、美しい飛行機をひたすらに追い求める。
冒頭夢の中で、手製の飛行機で少年時代の彼が故郷の空を飛ぶシーンが描かれる。
堀越二郎自身の著書にも、このような夢を頻繁に見た、と書かれていたが、これは宮崎自身の、少年の頃の、夢でもあるのに違いない。
映画の構造は夢に始まり夢に終わる。
ラストの廃墟の中で二郎が夢見るのは、ただひたすらに追い続けた二つの美しいもの。
冥界へと向かう空の彼方の夥しい機影と、絵を描く恋人。
つまりは、この映画は全てが少年が、そして宮崎が見た一幅の夢に過ぎなかったということなのだろう。夢の中では善悪も無ければ、真実と誤謬の区別も曖昧だ。そこでは我々の行動に掣肘も無く躊躇も無い。ただ単純に欲しいものを追い求める。
荒井由実の「飛行機雲」の歌詞との奇妙なレゾナンス(共鳴)は、歌詞の中の少年が映画の中の主人公そのものと思い至れば得心が行く。帝大を首席で卒業しようが、大不況の最中、三菱重工のエリート技術者になろうが、彼は少年のまま日々を過ごす。
巨匠と呼ばれる白髪白髭の原作者も、自らをそのように定義しているのではないか?
切実に欲しいもの、それは許されざるものである。許されざるものだからこそ、切実さが募る。美しい流線型の殺人兵器。死病に冒され、切ない一時の美しさを永遠に留める美少女。
それを望み得るのは、無垢で恐れを知らない少年。それを描き得るのは、一瞬の輝きを、時を止めず暗闇の中に溶かして行く映画。
宮崎監督自身、戦闘機への偏愛と戦争への嫌悪の相克に悩むという。この映画はその矛盾を、矛盾のまま映像化した作品である。注意深く、倫理や歴史の澱(陰謀・差別や悪意)といった夾雑物が排除されている。だから美しい。
この映画を見る正しい姿勢は、その美しい夢を共にすることである。
無防備に、愛惜の念を作者と共にして。
夢と呪いとそれを紡ぐ「作り手」
何を描きたかったかと思うか、と聞かれたらやはり僕は「作り手の夢と呪い」ではないかと答える。
イタリアの飛行機設計者カプローニは夢の中で「飛行機は美しくも呪われた夢だ」と言った。この言葉は飛行機に限らず全ての作り手にあてた言葉だ。
描かれていたのはファンタジーではなく、物の作り手のリアルな姿だった。夜遅くに病の床に就く菜穂子の横で手を握りながらも仕事を優先して図面を描き、挙げ句の果てには彼女の病を心配しつつもその病人の横で煙草を吸う。彼こそがエゴを突き通すリアルな作り手の姿である。
彼女を心配してたばこをやめるようなファンタジーを描かなかったのが、今回の宮崎駿という作り手だ。タバコを吸う弱さ、情けなさにあふれるシーンをとうとう宮崎駿は描いた。かつてのファンタジーは無い。
堀越二郎は作品中誰よりも戦争に近い場所にいたにもかかわらず、誰よりも遠い場所で誰よりも戦争を感じていた。
作り手は常に客観的に、時には冷酷でなければならない。
この矛盾に似たものを作り手としての宮崎駿も持つ。宮崎駿は戦争が大嫌いだが戦闘機が大好きだ。
だからこそ宮崎駿はこの作品を、堀越二郎を、客観的に描いている。それが先のシーンのタバコであり、宣伝で使われる「かつて、日本で戦争があった。」という他人事のような一文だろう。
今作はエンターテイメントとしての完成度を最優先にせず、消費者の手にあらゆる要素を依存させる形でエゴイスティックに伝える事を宮崎駿は初めて選んだ。だから悪評も多い。
堀越二郎の声をエヴァの監督庵野秀明が担当している。共通するのは「夢を作る、形にする仕事」という事であり、同時に「呪われた物を作る」仕事に就いているという事である。片方は飛行機という夢を形にする事で殺戮の道具を生み出したし、もう片方は人の夢となる物語を描いた事で庵野が後に否定する「信者」という怪物を作りだした。
こういった背景含めて作品を振り返ると、やはり庵野秀明の起用に関して僕は大成功だと自信を持って言える。庵野は最初から演技する事を放棄して作り手というタグを二郎と共有することで、一人の人間として堀越二郎をスクリーン上に生かしていた。フィクションとしての要素が加えられているとは言え、実在の人物をモデルにした今作ではそれこそが大正解だったと言える。
庵野起用による成功を確信したのは発話の生々しさを感じた時だ。虚構の中の人間が、現実との狭間を越えて僕の前に一人の人間としてすっくと表れるのを本当に人生で初めて体験した。
特にラストシーンの二郎から菜穂子に向けた「ありがとう…」という最後の台詞の発話の素晴らしさは絶対に聞くべきだ。
堀越二郎は庵野秀明であり、そして堀越二郎は宮崎駿だ。
では作り手の宮崎駿にかかる呪いはなにか。
それは配役を含めてこの作品を取り巻く現在の状況だ。やはり作り手が作品を他者の中に旅立たせたら逆風は必ず吹く。
作り手の紡ぐ夢は呪いと表裏一体。
誰かを傷つけたり、不快にさせる可能性を必ず孕んでいる。
その上でどうするかが重要だ。
恐れて夢を紡ぐのをやめるか、覚悟して夢を紡ぐか。
宮崎駿の答えは「風立ちぬ いざ生きめやも」と、そしてラストシーンで菜穂子がボロボロになった二郎にかける「あなた…生きて…生きて!」という言葉だろう。
少なくとも実際の堀越二郎は作り手として生き続け、その後戦後初の国産旅客機を作った。
全員が10点出す映画より半分が20点、もう半分が0点を出す映画の方が絶対傑作であり、風立ちぬはまさしくこれだ。
恐らく物を他者の中に解き放ち、多数の他者が織りなす世間の中で自身が評価されたりけなされたことがある人の多くが好評価をつけている。
庵野秀明は「72歳を過ぎてよくこんな作品が作れたな、と感動した。宮崎駿が地に足のついた少し大人に近づいた映画を作った。」と評価した。
今作はリーマンショック後にファンタジーを書きにくいと悩み、得意技のファンタジーを捨てて作った宮崎駿の遺言だ(鈴木プロデューサーの発言より)。
この遺言は今まで子供向けに書いてきた宮崎駿作品の中でどれよりも難解であるが、プロデューサー室の女性曰く「子供はわからなくてもわからないものに出会うことが必要で、そのうちにわかるようになるんだ」との事だ。
僕はこの作品を見たいつか大人になったときの子供の感想とあとは海外の感想が気になっている。
とりあえず72歳のおじいちゃんからこうして言われると結構納得させられたり考えさせられて、「世界の」という言葉が頭に付くおじいちゃんはかなり凄いな、と今更ながら感心&感動させられた作品だった。
最後に。
九試単戦のテスト飛行の成功という開発者としての堀越二郎の人生最高の瞬間の筈なのだが彼はそんな事よりただただ妻を感じている、というシーンとそれに続くラストシーン。
これこそが原点で頂点だ。
二郎も菜穂子も自分の人生に妥協していない
真剣に生きるとはどういうことかをひしひしと感じさせてくれる映画でした。二郎、菜穂子さんが何かに直面した時にとる行動がとても好きでした。教養があり、正しい選択ができる人たちだと思いました。菜穂子さんのあの決断は苦渋であったと思いますが。
一番好きな作品になるかもです。とても感動しました。
じわじわと心にしみる
ふとした瞬間に、思い出して涙がこぼれ、たまらなくなります。
観ているとき、観終わったとき、数日経ったとき。いつまでも消えることなく、むしろ時間が経つほどに心にしみて、泣けてしまう。こんなにも余韻の残る作品は、初めてかもしれません。
物語終盤、黒川夫人の「美しいところだけ、すきな人に見てもらったのね」という言葉を聞いたとき、どうしようもなく涙が止まりませんでした。
結果として二郎は菜穂子よりも夢をとったけれど、菜穂子のこと、本当に心から愛していたと思います。彼女の先が短いこと、今が限られた幸せであることを理解していて、それでもお互いに辛い面は見せずに生きていて。だからこそ、二人の気持ちを考えるととても切ないです。
黒川家を出ていく前日、眠ってしまった二郎にふとんをかけ、メガネを外し、二郎の寝顔を見つめている菜穂子のシーン。二度目に観た時、菜穂子の気持ちを想像してたまらなくなりました。
菜穂子もゼロ戦も失ったその後の二郎の人生は、絶望的だったのでしょう。美しいところだけが記憶にある、というのは、あるいは辛いことなのかもしれません。
それでもラスト、夢のなかで再会して、菜穂子が二郎に「生きて」と言ったこと、それに対して、顔をくしゃっとして「ありがとう」と二郎が言ったこと。何だかとても、ぐっときました。
私は今まで二度観たのですが、一度目よりも二度目の方が、こみあげてくるものがありました。きっと、回数を重ねるごとに深みの増す作品なのだと思います。
他にも書きたいことはたくさんありますが、きりがないのでこのあたりでお終いにします。最後に、賛否両論ある庵野さんの声、私はとてもよかったと思います。
後味の悪さを感じるシーン有
当方が足を運んだ映画館内に未成年者が多いのに、喫煙シーンが多く、未成年者への影響が気になる。特に肺結核患者の傍での喫煙シーンにはあきれた。病気悪化の要因になるリスクがある。この様なアニメーションには、喫煙シーンを取り入れて欲しくない。 以上
ああ、貴女は自分の才能が好きなんですね。
この映画は結局、宮崎駿監督の自己の肯定・礼賛に過ぎないのだと思った。
堀越二郎をとおしてのね。
ポニョで津波のシーンをかいたら、この映画の関東大震災のシーンをえがきおえたら、東日本大震災が発生して「時代に追い越された」とか言っちゃうのでも、それは明白であってね。
歳いってこう言うことやり出したら、何か惨めだよねぇ・・・
キャストについては、主役に限らず、脇も声優を専業しているわけではない。
がしかし、そこは俳優。ジブリっぽくなるように、そつなくこなしていた。
ただね・・主役がねぇ・・・
好青年として描かれている主人公・堀越二郎のキャラクターと
演じる男のギャップが激しすぎてw
低くこもった声じゃ、合わないよ。感情もこもってないし。
それが気になって、ストーリーどころじゃなかったよ。
字幕があれば、良かったかなw。
悲しいとしたのは、ひとつの才能が終焉を迎えたという意味で。
美しかった。
本当に美しく、素晴らしい作品でした。
簡単にではありますが、私が感じたことや魅力を綴ります。
まず、子供が飽いてしまう理由ですが、宮崎駿監督の代表作の一つである『もののけ姫』や『風の谷のナウシカ』、『千と千尋の神隠し』などのような盛り上がるシーンは皆無だからだと思います。
この映画は堀越二郎という人物の半生を淡々と物語にしています。そこを間違えないでいただきたい。
故に、「面白い」と言える作品ではないのかもしれない。「面白い」というよりも「素晴らしい」、そんな一言が実によく合う。
観た後に何かが心に残る、一日や二日経ってからじわじわ良さがにじみ出てくるようなそんな作品。「あのシーンのあの人は、こんな想いだったのだろうか。」、そんなことを考えてしまう映画。
美しい飛行機を追い求めた堀越二郎。彼を死ぬまで愛し、想い続けた里見菜穂子。
堀越二郎の目的は美しい飛行機を作ることであり、戦闘機を作ることではなかった。
美しい飛行機、美しい想い、美しい妻。美しいものを追い求める堀越二郎に熱く想いを寄せた里見菜穂子。山での治療よりも、命を削ってまで堀越二郎との時間を選んだ彼女の美しい想い。美しい時間と追い風を堀越二郎にしっかりと送り、黒川家と堀越二郎に心配をかけることなく消えた彼女はどんな想いだったのでしょうか。きっとそれは美しくも儚いのでしょう。
自分の飛行機が美しく空を舞った時、彼はきっと感動したでしょうが、手を挙げて喜びはしなかった。周りが歓声を上げ、手を大きく挙げて喜んでいたその時、堀越二郎は物悲しそうな表情をしていた。最愛の人である里見菜穂子の死を悟り、自分の10年に終止符が打たれたことを実感し、全て手に入れたと同時に全て失ってしまったようにも思える。
最後の、カプローニと堀越二郎の夢のシーン。
「あれが君のゼロか。」と問うカプローニと、「でも、一機も帰って来ませんでした。」と話す堀越二郎。本当に切なかった。
全てを失った堀越二郎、そしてそんな堀越二郎への「生きて。」という里見菜穂子からの一言。とても重く、美しい一言であると感じました。
作中で堀越二郎はあまり感情を表に出しません。賛否両論ありますが、庵野さんの声は堀越二郎の性格によく合っていたと私は思います。優しく温厚で、しかし熱い想いを胸に抱き、夢を追い続ける堀越二郎。そんな彼が、里見菜穂子から「生きて。」と言われた時、「…はい。」と目をぎゅっと閉じ、感情を露わにして答えます。
「君は生きなければならない。」
カプローニからの言葉。全力で生きてきた10年。堀越二郎の想いはきっと大きく、重いものです。
「少年よ!まだ風は吹いているか?」
作中で何度もカプローニが言うこのセリフもまた、堀越二郎にとっての風になっていたことでしょう。
「風立ちぬ いざ生きめやも(風が立った。生きることを試みなければならない。)」
生きることを試みる。それがどんなに困難なことか。
しかし風が立っている。それは愛する妻、里見菜穂子から送られた風であり、夢の師匠であるカプローニから送られた風であり、厳しくも優しい上司、黒川からの風でもある。
たくさんの人からの風を受け取って、自分はまた前に進まなければならない。どんなにつらく困難な人生でも、生きなければならない。
この映画のキャッチフレーズである、「生きねば。」
それを酷く痛感する作品でした。
震災や戦争の様子が詳しく説明されるシーンはない。堀越二郎はきっとものすごく苦労し、葛藤しただろうが、頭を抱えて苦悩する堀越二郎は見受けられない。故に登場人物の心情を思い描くことが難しいものとなったのだろうが、宮崎駿もまた、細部に渡って美しさを追い求め、一つの作品にした。彼には本当に頭が上がりません。
いろいろなものを贅沢に詰め込んだせいで、わかりづらいシーンがたまにありました。例えばこの映画がもっと長いものだったら、きっと今以上に深く思うことがあったかもしれません。
本当に素晴らしい作品でした。
大切な人とこの作品を観ることができて、私は本当に幸せです。
まだ観ていないという方は、是非大切な人とこの作品を観てください。
きっと今まで以上に、その人との時間を大切にしたくなる。誰かとの一日を大事にしたくなる。自分の一秒が美しくなる。
綴りたい想いは溢れているのに、文章にするのは難しいですね。笑
しかしながら、例えば私のこの文章が、これを読んだあなたの風になればと思うのです。
あなたには、風が吹いていますか?
アニメだからこそリアルさを感じられる逆説的作品
ジブリ作品としては非常に評価が分かれる作品だと思います。
火垂るの墓と同様、戦時中のリアルで過酷な現実を背景に描いた作品ですが、火垂るの墓のような直接的な戦争表現は一切排除しています。
(関東大震災の描写に関しては東日本大震災の被災者の方への配慮もあったとは思いますが・・)
それでも、昭和初期の活気にあふれながらも常に戦争の影を不穏な空気として感じさせる緊迫感をアニメの空気の中に漂わせる表現はさすがの一言です。
主人公と恋人との愛情表現のシーンも非常に日常的でものすごくリアルですがその分生々しい感情が伝わって来ます。
総評すると、CG等使えば夢のシーンも含めてすべて実写映画か長編ドラマにそっくり代えることができる作品(アニメの実写化などもう辟易とした感がありますが)ですが、あくまでこの作品はジブリのアニメ作品としてのみ本当にリアルな世界観と生きている人間の生の感情を感じられる作りになっており、私は劇場で見られたことを非常に喜ばしく思いますが、DVD等でもう一度見ようとは思わない一期一会的な稀有な作品でもありました。
深い深い 名作なのだろうけど
「生きねば」という言葉がこの物語の中心となっているはずなのに
自分には未だ理解できていない。
宮崎さんが描き伝えたかった半分も理解し得ていない自分に憤りとむなしさを感じます。
夢に没頭する生き様、「この世でたった一人」と想え会える相手との出会い、そして別れ。
すべてが尊くかけがえのない事柄なんだけど肝心の核の部分を理解できないまま見え終わってしまった。
だからもう一度見たい。何度も何度も理解できるまで、DVDでいいけど。
地震や戦争の恐ろしさを独特のタッチで表現していたのがとても印象的でした。
なんとなく二郎の朴訥な雰囲気を素人庵野さんのセリフ回しが上手に表現しているなっ
なんて感じましたが。。。いやいや、プロとして声優という職業がある以上いろんな人に失礼かなとも思いますよ
愛する人とはずっと側に居たいし、愛する人が欲していることはすべて叶えてあげたい
だから、「いいの、ここで吸って」なのである
あの手を握って仕事をするシーンにいっぱいいっぱい愛を感じた
もちろん、長く長く一緒に時を刻んでいられるに越したことはないが
一緒に過ごした時間の長さだけではない、かけがえのない人との濃密な時間が
二郎と菜穂子の人生を豊かにしたのだと思う
若い人へ
夢想と現実が並列され、物語ることよりも作者の思いを視覚化することが重視されている。
フェリーニの「8 1/2」を連想した。
ボブ・フォッシーの「オール・ザット・ジャズ」やウディ・アレンの「スターダスト・メモリー」でもいい。
主人公は堀越二郎+堀辰雄ということになっているが、明らかに宮崎駿自身の夢想的自伝だ。
ただ、上に挙げた作品は自閉した芸術家のナルシシズムやマスターベーションの趣が強いのだが、
宮崎の「風立ちぬ」には、カート・ヴォネガットの「スローターハウス5」に近い社会への切実な思いがある。
この映画を深く受け止められるのは年配の観客だと思うが、若い人たちにこそ見てほしいと思う。
小学校高学年から中高生ぐらいまでの間に、こういう作品に触れることは意義がある。
こういう映画もあるのだ。
起承転結だの伏線だのといった語りのテクニックでは伝えられない思いもあるのだということ。
セリフに不自然な抑揚をつけて型通りのメロディーをつけることが決して「良い演技」ではないということ。
そういうことを知ってほしい。
よく分からないけど、何か深いものがある。
そう感じられた若いあなた、あなたのような観客の未来を祝福するために、宮崎駿はこの映画に精魂を込めたに違いない。
2回観たあとの感想
一回目は☆4の評価でした。しかし今の☆5の評価と比べれば一回目は☆2が正解だったかもしれません。というのも、一回めは主人公の声優の棒読みに耐えきれずに、内容にあまり集中できなかったからです。しかし一回目の最後の最後でこの声優のあまにも棒読みな素のままの声が、主人公そのものであるような感覚が味わえたので、これは案外2回見たらいけるのではないかと思って見たところ、大当たりでした。
私はこの映画の堀越二郎という人間が、多くの人が言うような冷たい人間であるという印象は全く受けませんでした。むしろ日本を変えた本の一握りの天才たちが持っている桁外れの情熱や熱中力が周りの世界を見えなくしているだけで、ナホコに対する愛情を見れば、彼はむしろ普通の人間よりずっと温かい心を持っていると言えるのではないでしょうか。
たしかにナホコは病院にいれば少し寿命を伸ばすことができたかもしれません。しかし愛する人といる時間を削って孤独な時間を少し長く生きて何になるのでしょうか。残された時間がわずかだと知っているからこそ、二人で今を大事に生きることが何より大事なのです。
それなら仕事をやめろと言うかもしれませんが、飛行機の設計も彼の命そのものであり、設計士の10年という短い寿命を全力で生きなければなりません。
どちらかを取れと言われても、それは不可能でしょう。彼の命はナホコと飛行機設計の両方に捧げられており、一人の人間の命を分割できないように、
どちらかを片方だけというのは出来ないのです。
もちろん彼の飛行機に掛けられているのは彼の夢だけでなく、国や国民も含まれています。
自分の奥さんと見に行く物じゃないです。一人で泣こう。
映画の殆どの時間を割いて、イタリアやドイツから学ぶ飛行機造りの創意工夫を描き、そうやって作り上げた「一機目の傑作機」が完成した所で観客はピークを感じる。場面は暗転し、戦後なにもかも失い、すべてをそぎ落とされた主人公が、最初の夢の草原に戻る。そこに現れるのは、自身の代表作になった世界の何処にもない、シンプル極まりない全ての無駄を「そぎ落とした」飛行機。この映画は、既存の物に比べれば説明も脚色もボリュームがない。でも、無駄をそぎ落とす、ないし失ったからこそ、持たざる者だからこそ見える美しさがある…。
上記がたぶん最初のプロットなんだと思う。でもここに愛を失ってしまう風立ちぬの物語を重ねるのは反側。消化出来るものじゃないし、簡単に消化して良い物でもないでしょう。考えさせられるんだが、理屈じゃ結論が出ない…。宮崎駿自身が、良いカミさんをもらったんだろうなぁ…と感じるのは、「耳をすませば」の牢屋でヴァイオリンを作る、ヤコブ・シュタイナー以来2度目♪(シュタイナーこそ世界一で、そのシュタイナーはクレモナ留学に失敗してたりする)シュタイナーのバイオリンも全てが壊れてしまって、殆どが残ってないな…その辺もゼロ戦に似てるのかも。
ジブリっぽくはないけど良いね!
関東大震災や恐慌時代の取り付け騒ぎの様子などちょくちょく歴史的背景が観られたのは感心。現役大学生の自分としては、二郎が「本郷の大学に行く」とさらっと言うところに「かっこいいなぁ」と思ってしまった(笑)
恋人との関係性がとてもリアルで、夢見がちでなく、心が浄化された。戦争美化がどうこうと言われていたのを何かで見た記憶があるが、そんなことは全く感じない。二郎は飛行機を造ることに没頭し、戦争がどうだということは作中言っていない。そんな職人気質な二郎に惚れ惚れ。
作中の一言一言が重い。どれも聞き漏らしてはいけないと感じる作品に久しぶりに出会った気がした。
ジブリっぽくはないかもしれないが、すごく良い作品で在る事に疑いは無い。
Le vent se lève, il faut tente
劇場での4分間の予告編と、バックで流れていたユーミンのひこうき雲を聴いて、とても観たいと思い映画館へ観に行きました。
正直な感想は
【共感できず、楽しめなかった。】
です。
物語は実在する航空設計士をモデルとし、関東大震災から第二次世界大戦後迄をメインにその半生を、実在する作家の恋物語で味付けして描いたもので、ジブリ映画では珍しく大人の恋愛も絡んできます。
大震災と世界大戦があった時代背景。
ゼロ戦の設計に携わった主人公、二郎の夢と希望と苦悩と挫折。
重い結核の治療を中断してまで二郎のそばに寄り添い、彼を支え成功へ導いた恋人の菜穂子。
…このあたりが見どころでしょうか。
関東大震災や第二次世界大戦といった史実、航空設計士という特殊な職業とモデルとなった人物、元となる物語と現代では完治可能な結核という病。
これらについて、知識がある、もしくは事前に予習している人はこの映画の素晴らしさを十分に堪能できるのかもしれません。
しかし残念ながら、史実については授業や教科書レベルでの知識しかなく、モデルとなった人物やその職業について、また元になった物語の知識は皆無、結核についても当時は不治の病だったという事くらいしかわからないあたしには共感できる部分が少なく、あまり楽しめなかったです。
更に劇中で度々出てくるドイツ語のセリフなどには一切訳が入らず、登場人物の背景も主人公以外は全く説明がないので、状況を見て自分で想像し、解釈するしかなかったのも物語に入り込めなかった理由のひとつです。
これまでのような子供から大人まで楽しめるジブリ映画を期待する人や、子ども(12歳未満くらいかなぁ?)にはオススメ出来ない作品かと思います。
【以下ネタバレ注意】
落ち着いて映画の内容を反芻し、あれこれ考えた結果からのこじつけのような感想。
主人公が作りたかったのは空飛ぶ芸術品であり、大量殺戮兵器ではないという事。
しかし、時代と運命には抗えず戦闘機を作らなければならなかった苦悩や、貧しい時代と遅れた技術で思うようなモノが作れず失敗を繰り返し挫折、
加えて愛しい人が不治の病に冒されている事が発覚、と二郎の人生は散々たるものです。
菜穂子の結核が最早手遅れで治らない事は、恐らく二郎も菜穂子本人もわかっていたのでしょう。
ふたりに残されたわずかな時間を無駄にしない為、菜穂子は治療を中断し二郎の元へ嫁ぎます。
いちばん大変な時期だった二郎の心ををそばで支え、成功を見届け、最期の苦しむ姿は見せまいと手紙だけを遺し療養所のある高原へ帰った菜穂子の一途な様は、心を打たれました。
結局、二郎の作った飛行機は一機として戻らず、日本は敗戦を迎え、彼は何もかも失ったかのように見えます。(この時点で菜穂子は既に他界している)
しかし夢の世界で、初めてふたりが出会った時と同じに菜穂子が風を携え、二郎に逢いに戻り「生きて」と伝え(ここに今回のテーマの「風立ちぬ、いざ生きめやも」が集約されている気がします。)
彼女に感謝の意を述べる二郎の姿を最後に物語は終わります。
で、自分なりの勝手な解釈ですが今作にはつまり、豊かになり恵まれていても命を簡単に諦めてしまう現代人への激励の意味が込められているのかな、と。
命に限らず、現代人は僅かな挫折で何でもをすぐに諦める傾向にあるし。
現代でも主人公たちと同様に大震災の被害を受けましたが、この時代のふたりはその後の戦争でも多くを失い、更なる絶望を見たはずです。
それでも強く生きようとした姿を、脆弱になってしまった我々は見習わないといけないなぁとあたしは思いました。
テーマとなっている【風立ちぬ、いざ生きめやも】は
【まだ可能性はある、諦めず足掻いてみよう】ではないのかと感じた映画でした。
【2013.08.07/劇場鑑賞】
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