風立ちぬのレビュー・感想・評価
全550件中、201~220件目を表示
動きの乏しさ
庵野秀明の声にも違和感はなかったし、菜穂子が花嫁衣装を来て渡り廊下を通る瞬間は美しかったと思います。だけど、どこか違う気がするんですよ、今回の映画は。
この映画を見て思ったのは、改めてこれまでの宮崎駿の映画には、動き、躍動感があったということ。『ナウシカ』のオームの行進もそうだし、巨神兵がのそりと立ちあがる姿もそうだし、『ハウル』の城の歩みもそうだし、『千と千尋』の八百万の神々にも、動きがあった。しかし今回の映画には決定的にその動きが欠けていたように思うんです。主題である飛行機の飛ぶ様子でさえ、それを感じられなかったのは、なぜだろう? 宮崎駿は飛行するものをとてもうまく描いてきたように思うのに。そして何より決定的だったのは、戦争シーンを描かなかったこと。もちろん戦争映画ではないのだろうし、美しいものを作りたいという二郎の純粋さ(それを表すための夢の挿入は説明的にすぎたと思う)と、大人の愛(とは思わなかったけど)を描きたかったのだろうけれども、映画としては戦争シーンを描かなかったことで、最も重厚であるはずの動きが欠如してしまったように思う。今回の映画で最も目を見張ったのが関東大震災の街が揺れるシーンだったのは、そうした動きの映画全般にわたる欠如の裏返しなのだと思う。
そして、こうした動きの欠如と反比例するかのように、どこか狙った感じのする構図が増えていたのも気になりました。たとえば、二郎が野原を歩んでいくのを、足元だけローアングルから映している構図があったように思いますが、これまでの宮崎映画にはこういう撮り方はあまりなかったような気がする。
宮崎駿監督には数々の感動を与えてもらってきたし、彼の作品に触れることは小さい頃からの自分の喜びだった。できれば引退などと言わずに、またあの動きに溢れた世界を描いてほしいと思います。
大人むけ
ジブリ映画の最高傑作…?
庵野の声よりも
「崖の上のぽにょ」以来の宮崎駿作品で
自分の中のハードルが下がっていたのか思いのほか楽しめました。
ゼロ戦設計者の堀越二郎氏をモデルとした作品だと思っていましたが、
後に、同時代の文学者・堀辰雄氏の半生をあわせてストーリーが作られていることを知りがっかりしましたが、映画館を出た後も心に残るそんな映画です。
賛否両論ある主人公(庵野秀明)の声ですが、私は菜穂子(瀧本美織)のわざとらしさの方が気になりました。
好き嫌いはある
美しいもの
超ロングラン!
子供は見てもわからないよ
公開前から色々と話題で(4分予告とか庵野秀明声優起用とか) 試写レビューも賛否両論だったよう。
そんな情報はなるべく見ないようにして臨んだ本作。
原作が別にあるが、 これは監督宮崎駿が自分自身の事を描いた自伝的性格を持った映画と感じた。
戦争は反対だが飛行機や戦闘シーンを描くのが何より好き、そんな監督自身に重ねあわしたような主人公の行動原理。
理系で興味ないことにはきわめて淡白だが、好きな事には徹底してこだわり突き進む。
地震のシーンなどの激しさや空を飛ぶ疾走感は相変わらず凄いが、淡々としたシーンの味わい深さが良い。
働く男たちが実にうまそうに煙草を吸う。
悲劇になってしまうことを予感しながらも一直線な愛情とけなげさが胸を打った。
庵野秀明の声はあれで正解、あの下手さが必要だったのだと思う。
ほー
過去のジブリ作品はほとんど観たことないのですが、観てみました。
地震のシーンではあまりの迫力でとっさにもののけ姫を思い出しました。
タバコのシーンは喫煙者が観るとかなり吸いたくなっちゃいます。
大切な人の分まで「生きねば」と、とらえました
今尚、風は吹き続けて
とても楽しめた。
どうして低い評価がついているのか。全く理解できないが、それ以前に理解されていない、又は理解しようとしていないのではないかと思うとどうにも悲しい。
この作品は宮崎氏を投影した作品である。主人公堀越はどこまでも宮崎氏の意識の中で夢を見ていた存在である。夢の中の宮崎氏といってもいいのかもしれない。現実はここまで夢に忠実に生きる事は出来ない。他に色んな制約がかかり、時には夢を捨てる事もしなければならない。けれど、堀越はそうならない。挫折し、壁にぶつかりながらも、最後には夢を叶えてしまう。
たとえそれが大きな犠牲の上に成り立っていたとしても。気付かず、気にせず、堀越は夢の中で、満足げに歩いていく。生きていくのだ。
そんな事はこれまで数々の名作を生み出してきた宮崎監督にもできはしないだろう。戦況が悪化した事を告げる新聞にくるまれた部品をただ手にとって、それには意も介さず、再び設計へと戻る。それは普通の人には決して出来ない事、そして宮崎監督自身も出来ないと認めてしまった。出来なかったし、これからもしないだろうと思ってしまう。だから、堀越氏に託したのではないかと思う。自分の意識の中で渦巻いていた。こうしたい、ああしたい、といった理想の姿。そういった意味で、堀越氏は宮崎氏自身だと言えるのではないか。
ただ、それには語弊が伴う。前述の通り、宮崎氏の過去だとか、青春だとかそういったものを投影しているわけではないのだ。あくまで夢の中の存在。自身の意識の中だけの存在なのである。
単純に、風が吹いているのだから、生きると。素直に愚直に不器用に夢を追い続けてきていたら、私はこんな姿になっていたのか。理想をただ追いかけた姿は、こんなにも美しく、脆く、哀しいのか。
監督の涙とは、こういった意味だったのではないかと私は考えている。
全550件中、201~220件目を表示