劇場公開日 2013年7月20日

「モノを創ることに没頭する男の言い訳」風立ちぬ CRAFT BOXさんの映画レビュー(感想・評価)

3.0モノを創ることに没頭する男の言い訳

2014年10月31日
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鑑賞方法:映画館

楽しい

はっきり言って、面白くない。

「美しい風」を描きたい宮崎駿の自己満足感たっぷりの描写の連続だ。その点は、とても美しく素晴らしい。そこは良かった。
また、本作は、細かい描写や分かりやすい説明的な表現をせずに、全体を演出している。そういう意味では、ある程度の素養を求められるのかもしれないが、だからといって雑な描き方をしている訳ではない。逆に、子ども向けの演出に縛られない自由な宮崎演出が見られて貴重とも言える。

一方で、本作の本質的なテーマは要するに「モノを創ることに没頭する男」が夢を追う物語という所だろう。だかこそ、主人公は、堀越次郎でもあり、宮崎駿でもあり、そんな「モノを創ることに没頭する男」の象徴として庵野秀明が声優に選ばれたんだと思う。
主人公が妄想にふけるシーンの連続は、創造する人間の特徴だ。軍人との会議と、研究者たちの勉強会を、ともに「研究会」として描写しているシーンなどは、まさに「モノを創ることに没頭する男」と、そうでない人間を対比している。そして、主人公のような人間にとって、その創ったものが結果的に戦争の道具になり、たくさんの悲劇を生んだとしても、創ることの欲求を抑えることはできない。その象徴として、堀越次郎は主人公に選ばれている。
もちろん、宮崎駿は反戦主義者だ。それと同時に、戦車や戦闘機を描くことが好きで、自らの作品の中で戦争の描写を描き続けてきた。そこに、堀越次郎と共感するモノがあったのではないだろうか。

しかし、残念ながらそんなものは、「モノを創ることに没頭する男」の言い訳でしかない。あるいは本作を「モノを創ることに没頭する」業界人達が絶賛し合うのも、同じく自分たちの心情が描写されていることの共感でしかない。
その一方で本作は、「モノを創ることに没頭する」ことに共感できない人間を切り捨てている。何度も妄想にふける世界観を描きながら、その世界観を共有していない観客が、妄想にふける快感を共感できるほどの描写がない。残念ながら、多くの人間は、宮崎駿や庵野秀明や、あるいは主人公・次郎のように、妄想の中に没頭しながら生きていくわけにはいかないのが現実である。
つまり、本作だけに限って言えば、宮崎駿は極めて内省的な動機で作品を創っており、多くの観客を置いてけぼりにしている(もちろん、それでも成立する作品はある)。

そして、「美しい風」と「モノを創ることに没頭する男の言い訳」を2時間延々と描くために、主人公と妻の恋愛物語を挿入しているのだが、それも全く面白くない。そこは、決定的にダメなところ。この恋愛パートは、堀辰雄の小説『風立ちぬ』を下敷きにしているものの、そこだけを抜き出したら、素人が書いたケータイ小説程度のレベル。

さらに、野暮を承知であえて言えば、やはり零戦がどんなに秀逸な機体であろうと、どんなに美しい創造物であろうとも、そこには、零戦という戦闘機による多くの死者の存在があるのを忘れてはならないって点だ。仮に、現実や仮想世界の中で、原爆がどんな正当化される理由があっても、オッペンハイマーがどれほど高潔な人物だったとしても、そこに原爆で死んだ人のことを忘れてはならないことと同じ。零戦はそういう負の歴史を生まれながらにして抱えていることを、本作がちゃんと伝えられているのか、そこを抜きにして評価をすべきじゃない。だとすると、基本的な構造が観客を置き去りにして展開している本作は、その点を伝えきれていないと言わざるを得ない。

ということで、「宮崎駿の遺作」とも言われる本作。出来が悪いって事はまったくないが、それでもやはり残念な作品だったとしか評価できない。

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CRAFT BOX