「殺し屋というより眠らせ屋」ジャッキー・コーガン 浮遊きびなごさんの映画レビュー(感想・評価)
殺し屋というより眠らせ屋
ブラッド・ピットが『ジェシー・ジェームズの暗殺』に続いて
アンドリュー・ドミニク監督と再タッグを組んだハードボイルド作品。
レビュー書けていないが、『ジェシー・ジェームズの暗殺』は
長尺で淡々とした語り口ながらも不思議と飽きのこない、
哀愁漂う秀作だった(判定4.0〜4.5くらいかな)。
なので、本作も楽しみにしていた自分だったのだけど……
緊迫感溢れる賭場強盗のシーンや超スロー銃撃シーンあたりまでは良かったと思う。
だが、だらだら続く会話、不愉快な登場人物、
いっこうに着地点の見えない展開に付き合わされる内に意識が遠退いてきた。
ジェームズ・ガンドルフィーニ演じる落ち目の殺し屋がホテルの部屋で
自分の自堕落さを正当化するべくだらだら話し続けるシーンで、
「もうこんな奴の話どーでもいいや」と考え始めた途端に危うく眠りそうに……
いや、嘘はいかん。正直に言います。私、その辺りからしばしば意識飛んでました。
断片的な記憶を辿りつつキャラクターを回想すると……
ブラピ演じる殺し屋は「命乞いする姿を見てられないから優しく殺す」とか言ってたが
手下を使って標的をボコボコにしたり銃殺も乱雑だったり、口先だけは一丁前の嫌な野郎。
犬拐(さら)いのフランキーはもっと口先だけの、無礼で性根の悪い間抜け。
ガンドルフィーニは先述通り、どーでもいい。
レイ・リオッタはただただ不様なだけの役回りで哀れ。
まあ揃いも揃って面倒臭くてイライラする連中しか思い出せない。
特に、フランキーが麻薬でトリップするシーンのイライラ度合には参った。
『ズームアウト+フェードアウトと共に意識が遠のく』
という演出を私は一体何回観せられればよろしいのですかと正直ウンザリ。
あのシーン辺りで僕は本作に愛想を尽かし始めていた気もします。
ぶっつりと唐突に終わるラスト。
結局この映画は何がやりたかったのか。
『アメリカは共同体、みんな夢と希望を信じていい』なんてのは理想主義者の戯言だ。
人は所詮個人の為にしか動かない、信じていいのは自分と現金(ナマ)だけだ……
それがテーマ? そんな聞き慣れたニヒリズムを聞く為に不愉快な自己チュー連中と
バラク・オバマの演説と経済ニュースを延々90分も見せられたワケ?
まさか、違うよね。
何かもっと深いテーマはあるのかも知れないが、そんなことを考えるのも面倒なくらいに、退屈だった。
〈2013/4/27鑑賞〉