ジャッキー・コーガン : 映画評論・批評
2013年4月17日更新
2013年4月26日よりTOHOシネマズみゆき座ほかにてロードショー
アンドリュー・ドミニク演出の嫌味がきわめて痛快
そうか、その手があったか、頭いい、と頷いてしまうのが、悪党どもが内輪でひらいている賭場を胴元がチンピラを使って、自ら襲撃し金を奪うという大胆な手口である。当人は襲撃される側にいて驚いてみせるわけだから、とりあえず、アリバイは完璧。アリバイといっても対警察ではなく、同業者相手だ。こっちのほうがやばく、命にかかわる。1回しか通用しない薄氷プランだ。みんな、どうもへんだな、と胴元を疑いつつ、まあいいか、マーキー・トラットマンはいいやつだし、あいつが笑うとなにもいえねえ。しかし、その賭場に問題多いチンピラ2人が押し入るという同様の強奪事件が発生、今回は無実なのに、もはやマークをだれも信じない。どうする? この落とし前、というか落としどころ。そこに登場するのが、組織の殺し屋ジャッキー・コーガン(ブラッド・ピット)であった。
胴元マーキーに頬のザラザラ感が愛しいレイ・リオッタ、また、コーガンが呼び寄せた殺し屋ミッキーには肥満に磨きがかかるジェームズ・ガンドルフィーニ(「ザ・ソプラノズ/哀愁のマフィア」)、が扮するが、これがグデングデンで役に立たない。ちょうど、初めての大統領選を戦うオバマのキレイゴト演説が、もうひとりの出演者並みに画面に流れ、それに合いの手を入れるように、底辺に集うやつらの汚い経済活動、人減らし仕事がブツブツ言いながらも進行していくあたりのアンドリュー・ドミニク演出の嫌味がきわめて痛快。原作のジョージ・V・ヒギンズには他に「エディ・コイルの友人たち」がある。
(滝本誠)