「天晴」嘆きのピエタ クリストフさんの映画レビュー(感想・評価)
天晴
冷酷冷徹、悪魔とさえ罵られるガンド。
そんな彼に、面影も知らない母親が現れたからといって、
何が変わるのかと思ったら、全く逆の真人間になるという、
ホントにそんなのアリ?とは思いましたが、
それだけミソンの愛情は大きかったのです。
母は偉大だと本気で思いました。
ところが、ガンドが夢精するシーンが2回あるのですが、
2回目はミソンが「手伝って」、手に精液が付いてしまいます。
ここでミソンは手を洗うのですが、
その顔の険しいこと、ここで「おや?」と思うのです。
「こいつはひょっとして・・・」という振りでして、
その後ガンドの誕生日(ミソン曰くなので多分でたらめ)に、
ガンドにケーキを買ってこさせといて、
ミソンはいつも編んでいたセーターを持って出かけてしまいます。
更に「おやおや?」となってきます。
この「おや?」の増幅が話を引っ張ります。
遂にミソンは最後の「大芝居」に出ます。
これが自作自演のホントに「大芝居」で、
ガンドはなんで気づかないのか不思議なんだけど、
それもミソンの前振りがよく出来ていたからなんだと思います。
そう、ガンドの母、というのも「芝居」だったのです。
何故そんな「芝居」をミソンはしたのか、
やはり、母は偉大だ、と言わざるを得ません。
ラスト直前の廃墟のシーンで、
ある債務者の母親が出てきたシーンは「まさか!」と思いましたが、
そこも見事に裏切られました。
導入からはここまでミステリーになるとは考えられず、
結論良い話に着地するとは思えない展開には、
日曜の朝並の「天晴」を進呈したいです。
コメントする