「映画「メリー・ポピンズ」は歩み寄りの産物だった」ウォルト・ディズニーの約束 マスター@だんだんさんの映画レビュー(感想・評価)
映画「メリー・ポピンズ」は歩み寄りの産物だった
渋々ハリウッド入りしたトラヴァースがホテルの部屋に入ったシーンが笑える。
誰もが子供に戻ることを歓ぶと信じて疑わないウォルト・ディズニーと、子供時代の苦い思い出を足枷に生きてきたトラヴァースでは水と油、根本的に合うはずがないことが、このシーンだけで観る者に伝わる。
ミュージカル化を嫌い、アニメの挿入を拒むのは、そもそも彼女にとって「メリー・ポピンズ」が神聖なものだからだ。誰にも踏み込んでほしくないし、作者の真の意も汲まず茶化すなどもってのほか。
このトラヴァースの役、最初はメリル・ストリープだったらしい。彼女は好きな女優のひとりだが、これはエマ・トンプソンになってよかったと思う。もしメリル・ストリープが演じていたら、映画化を拒否する喋り方が、もっと理屈っぽく押し付けがましく聞こえたかもしれない。
エンドロール中に貴重なテープを聴くことができるが、トラヴァース本人の肉声とエマ・トンプソンの「No,no,no…」がそっくりだ。
トム・ハンクスも、若作りを狙ってか、それともウォルトの気さくさを出すためか、目尻を吊り上げたメイクで健闘。
けれども、この作品一番の立役者はコリン・ファレルだろう。酒に溺れる父親だが、幼いトラヴァースに想像する楽しさを植え付ける貴重な存在で、社会的なダメぶりと夢見る繊細さの両面を熱演。
この作品を観ると「メリー・ポピンズ」の見方が変わりそうだ。
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