さよなら渓谷のレビュー・感想・評価
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真木よう子が出演しているので見ようと思った。 大森立嗣監督の作品も好き。 原作者が芥川賞作家の吉田修一というのは後で知った。 楽園(2019)、怒り(2016)、悪人(2010)を見たことがある。
動画配信で映画「さよなら渓谷」を見た。
2013年製作/116分/R15+/日本
配給:ファントム・フィルム
劇場公開日:2013年6月22日
大森立嗣監督
吉田修一原作
真木よう子(尾崎かなこ)
大西信満(尾崎俊介)
鈴木杏(小林杏奈)
大森南朋(渡辺一彦)
井浦新
新井浩文
鶴田真由(渡辺の妻)
木下ほうか
三浦誠己
薬袋いづみ
池内万作
木野花
瀧内公美
なるべく予備情報なしで映画を見ます。
予告編も見ない。
知っておきたいのはどんな役者が出ているのか、
監督や原作者。
その方が映画を楽しめると思うので。
真木よう子が出演しているので見ようと思った。
大森立嗣監督の作品も好き。
原作者が芥川賞作家の吉田修一というのは後で知った。
楽園(2019)、怒り(2016)、悪人(2010)を見たことがある。
尾崎夫妻の燐家の女、立花里美が自分の子供を殺した容疑で逮捕された。
里美の証言によって尾崎も警察の自称聴取を受ける。
仲のいい夫婦に見える尾崎夫妻だが、
尾崎が燐家の犯罪に関与しているような描写はない。
これはミステリーかサスペンスなのか?
映画の中盤で尾崎夫妻がそれぞれ犯罪の加害者と被害者であることがわかる。
ああ、そういうことか。
やっと腑に落ちた。
尾崎が15年前の犯行に及んだ心理状態の描写がまったくないのがイライラした。
尾崎夫妻のそれぞれの心の葛藤の描写が続く。
ラストシーンは意外だった。
吉田修一の原作はやっぱりすばらしい。
満足度は5点満点で5点☆☆☆☆☆です。
原作は面白いのかしら
男が考える合理性とファンタジー、って感じ。自分をレイプした相手と結婚すれば、過去を隠すこともない、ビビることもない。合理的な考えですが現実には無いだろうなぁ。ある意味、ファンタジー。
それにしてもレイプした男がナイーブ過ぎる。ここまでナイーブな人は、レイプなんてできない気がする。どんなに酔ってても無理。自我がなくなるほど酔ってたら、違う理由で無理。あと、真木よう子は、どれを見ても演技が上手いと思ったことはない。何を演じても、真木よう子。濡れ場の無い映画には無用の「ボディ役者」なんだろう。
大森南朋の奥さんもようわからんし、置手紙一つで出ていく真木よう子もわからん。
まぁ、「女は不可解」ってことが、映画のメッセージなのかな。
原作は面白いのかしら? 読まんけど
渓谷の綺麗さが
二人にしかわからない関係
「憎しみか、贖罪か。それとも愛か。」というコピーは秀逸に思える。不可解な行動に言い様のない不穏さを感じながら、俊介とかな子、言葉少ない二人の内に隠された思いを感じる、絶妙なバランス。
ラストシーン、俊介は記者・渡辺との会話に真っ直ぐ顔をあげて答える。「必ず彼女を探し出す」と。
「さよなら」とだけ残して去ったかな子、いや夏美と、今までとは違う形で一緒に生きるために。
それは、長い年月を共に過ごすことで生まれた、少し歪だけれど確かな愛の答えだ。
一緒にいると決めたときから、二人の事を決めるのはかな子の権利であり、かな子の人生を歪めた俊介が望んだ事だ。
「私が決めることなのよね」と呟いたかな子は、「かな子」という仮の人生と「夏美」という悲劇の女性を終わりにすることで俊介の本当の気持ちを確かめたかったのだと思う。
この関係が、憎しみをぶつける為のものなのか、罪の意識を癒す為のものなのか、それとも確かに沸き上がった安らぎの為のものなのか。
隣に住んでいた哀れな少年を思う俊介の言葉、「あの子に何かしてあげられたのかな」という言葉は、俊介の優しさを感じさせると同時に、俊介がかな子といる理由は彼女の感じていたものとかけ離れているのでは?という疑問をかな子に抱かせた。
確かに初めは「一緒に不幸になる」事を望んでいたかもしれない。あの日凌辱された「夏美」ではなく、「かな子」になることでしか生きていけないと思っていたから。
あの日あったことを「なかったこと」に出来なかった苦しみは、夏美を幸せにすることを拒んだ。隠しても、さらけ出しても、常につきまとい怯え苦しむ人生を強要した。
あの日の自分を、あの日の出来事を隠す意味も必要もない、安心して愛せる男。それが俊介だ。
あなたは、あの日の事を「なかったこと」に出来るの?あの事がなかったら、私と一緒にいてくれないの?
愛を確かめるために、いなくなることを選択してしまうかな子は不器用だと思う。
しかし俊介の気持ちを確かめるためには、もう一度「幸せ」を取り戻すためには、それしかなかったのも納得できる。
人生を捧げると決めた彼女を「必ず探し出す」と答えた俊介は、もう「彼女が決める」人生を歩んでいるわけではない。
ほとんど喋らなかった俊介は、全てを知った渡辺に自分の感じたことを素直に語っている。
涼みに来たお気に入りの場所、新しいテーブルのこと、小さな幸せはほんの少しのお金で手に入れられるという思い。
彼女に捧げる人生の、その意味が変化していた事を彼女はまだ知らない。
でもきっと知ることになる。
何をしても怒らなかった俊介は、彼女を探し出したとき「心配したんだぞ」と怒るだろう。そして二人は同じ家に帰る。新しいテーブルがきっと二人を待っている。
一緒に不幸になろうと約束した男と女
レイプされた女とレイプした男
辛い長い年月を超えて、同居している。
仲のいい夫婦のように、スーパーの袋を持ち、
女の作ったチャーハンを食べる。
一つのレイプ事件が2人の男女の人生を変えた。
有望な野球選手だった大学生。
男は集団レイプ事件の後で大学を中退して、レールから外れた。
女は結婚話が纏まりそうになると昔の話が知られて、
破断になる。
自殺未遂。
そして女を見舞った男は、
【一緒に不幸になると約束して暮らしている】
決して面白い映画ではない。
2013年。原作は「悪人」「怒り」が映画化される吉田修一。
監督は後に『MOTHER/マザー』を撮る大森立嗣。
モスクワ映画祭最優秀特別賞。
許されない罪の十字架を案外平静に受け入れているレイプ加害者の
大西信満が心に残る。
男を許さない被害者女性を真木よう子。
面白いだけが映画ではない。
ロケーションが素晴らしい。
海に続いて落ちていきそうな坂道。ガードレール。
2人がビールとラーメンで朝飯を摂る全面ガラス張りのレストラン。
アパートの隣の女が幼い息子を殺して、
その女と関係があったとして男は勾留される。
チクったのは女。
男は釈放される。
しかし女は出ていったと男は言う。
「必ず見つけ出しますよ」
「それで幸せですか?」
記者の大森南朋が質問を投げかける。
男は怒りの表情で記者を見る。
幸せとか不幸せとか、
そんな限界を超えてしまった風に思えた。
【”一緒に不幸になるなら、と彼女は言った。”学生時代の赦し難き女性への行為を行った男とその被害者である女性との数奇な運命を描いた作品。男であれば女性は尊ばなければと改めて思った作品でもある。】
■ある渓谷で起きた幼児殺害事件で、実母が容疑者として逮捕される。
その実母と隣家に暮らす尾崎俊介(大西信満)が不倫関係にあり、それを証言したのが俊介の内縁の妻・かなこ(真木よう子)であると知った週刊誌記者の渡辺(大森南朋)は、事件を追い続けるうちに15年前に起きた集団強姦事件にたどり着く。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・ハッキリ言って大学試合に将来を嘱望されていた野球部員でエースだった尾崎俊介の当時の愚かしいシーンは観ていてキツイ。
ー だが、その後同罪だった3名はのうのうと社会人として生活している。特に俊介の同輩
である男(新井浩文)のふてぶてしい態度。無理やり感はあるが、この俳優がその後行った愚かしき行為がダブル。-
・尾崎が、証券マンとしてある程度の地位を築きながら、ナツミ(=かなこ)のその後の悲惨な人生を知り、全てを投げ打って彼女に贖罪する姿には、微かな希望を感じる。
ー 彼女が一緒になった男(井浦新:好きな俳優なので、あのような姿は見たくはなかったな・・。)から彼女の過去の事を知り暴力を振るわれ、自らリストカットする姿は矢張り観ていてキツイ。-
・尾崎は全てを投げ打って、ナツミと共に旅をする。そして、共に民泊する事になった時にナツミが宿帳に記した名前は、自身が暴行を受けてる際に、その姿を見て逃げた女の名前であった。かなこ。
<今作は、作品自体の存在は知ってはいたが、(原作は読んでいる。)内容的に鑑賞するのを逡巡していた作品であるが、観賞すると若き真木よう子の哀切なる演技と最近姿を見ないが、過去行った事を深く後悔する男を演じた大西信満さんがラストシーンで言った”見つけますよ、必ず”という言葉が響いた作品である。>
不思議な渓谷
隣の女立花里美が逮捕され、取材陣が大勢外にいるというのにセックスに明け暮れる尾崎夫妻。
尾崎俊介の周辺を取材するよう命ぜられたウィークリープレスの渡辺(大森南朋)。さっそく彼が大学で過ごした野球部を取材し、退学後に就職した証券会社を当たる。その退学の理由を探ると集団レイプ事件が浮かび上がってくる。その被害者女性水谷夏美のその後の悲劇も同僚の小林(鈴木)から聞かされる渡辺。尾崎に対して過去の汚点を諭すように伝えるのであった・・・
尾崎はまた警察からの事情聴取を受ける。これはかなこからの情報で、立花による殺害の殺人教唆で立件しようと警察は動く。そして、無理やり自供・・・
やがて尾崎の妻かなこはレイプ被害者水谷夏美と同一人物じゃないかと気づいた渡辺と小林。そして尾崎とかなこの意外な関係を知るのであった。
レイプ事件の加害者の一人と被害者。一緒に暮らすようになるものだろうかと思いつつも、回想シーンによって自然な流れになっていることがわかる。立花とも一切関係のなかった尾崎はすぐに釈放され、かなこの元に帰る。幸せになろうという意思のない二人。最後に渡辺は尾崎に問う・・・もしあの頃に戻れるなら、事件を起こさなかった人生とかなこに出会った人生のどちらを選びますか?と。答えようとする寸前でタイトルバックが描かれエンディング。
不安定な真木よう子を堪能
深淵を覗き見る
レイプ犯と被害者に関するありえない状況設定にもかかわらず、そこに至る経緯と心理が説得力をもって描かれる。
しかし、その状況はやがて終わりを見せる。どうしてなのか、と主人公かなこの気持ちに思いを巡らすことになるのだけれど、よく考えてみれば、この幕切れは必然だと気付く。描かれた2人の状況の中で、しあわせな生活が続くとすれば、物語は嘘になってしまうのだ。
実は、見る側が望む幕切れであり、同時に登場人物が自ら動きだしたとき自然に物語が進んでいくその先にある必然の展開なのだ。つまり作者も含め、誰もの心の中にある自然な心の動きが、この幕切れを生み出している。
もしかしたら、この幕切れが常識や正論と言われる側のものなのだろう。
しかしかなこは、そうではない心理に突き動かされてもいる。つまり、常識や正論からはずれた衝動。非常識も含めた反常識と呼べるような心。と同時に、彼女は常識的な判断もする。矛盾した2つの心のグラデーションを、揺れながら生きているのだ。
そのように、かなこの心に気付いた時、実は自分の心を投影してかなこを見ている。かなことは、自分のことに違いない。
だから、かなこの矛盾を平明な言葉で納得してはいけない。そうした深淵をのぞき見ながら、受け入れていくこと。人を理解するとは、そうした営みなのかもしれない。
問題のあるレストランなんかと全く違う真木よう子。でも、聖性を帯びて...
異常な男女関係
生意気で申し訳ないけれど、私ならこう作らない
女の痛いほどの人生。決して癒えない傷。溢れるほど迸る若さゆえ抑えきれなかった欲で その傷を付け、自分の人生をも棒に振った男。
二人は、お互いの不幸を 確かめ合うため だけに 一緒に暮らした。
その二人の過去を追うジャーナリスト。
彼だけが二人の幸せを願ったのに。
渓谷に架かる橋の上。女は透き通るような白い足から、片方のサンダルを落とした。自分の身の代わりというように。
私は原作をこう解釈した。
この映画は 何かが違った。
捻り足らず
オーソドックスなサスペンス。
ただ動機が複雑で不可解なので、
その説明部分(話の後半)が長くなってるのが残念。
説明台詞は少なくて当てつけがましいところは無かったが、
不透明決着も多い。
15年前の事件の契機がやや理由が薄い。
俊介とかなこの関係も、こちらはもっと深読みして、
「実はかなこは昔の女の身内で、それを俊介は知らない」とか
思ってたら、そーでもなくて・・・。
あと自分の頭の悪さからか時系列の把握が難しかった。
それと、アンチラブシーン派としては、ちょっと濡れ場が多すぎ。
しかもノービーチク。そこはさらせよ。
タイトルがラストに直結してるのとか、
しかもあのラストとか、あの質問もどーかと思うが、
もっと捻って欲しかったです。
さすが吉田修一としか言いようがない。 監督も見事。すごく見入った。...
さすが吉田修一としか言いようがない。
監督も見事。すごく見入った。
奇妙な関係、どうなるのか先が全然読めずただただ考えさせられるばかり。
結局真木は大西を許したんだと思う。
もう十分不幸な大西を見て、何をしても自分を見捨てず責めない大西の優しさや反省を感じ、これからは自分という不幸から解放され幸せになってほしい、そう思い大西の元を去ったんじゃないかな。
真木から大西への好意も多少感じられた気がする。
そして大西もただ償いの為だけに行動をともにしていたけど、次第に好意を抱いたんだと思う。
加害者と被害者、これを同居させ、最終的に被害者が加害者の幸せを願うように持っていくなんて、吉田修一の構成力に全力で脱帽。
そして最後の大森の質問が過酷すぎるしまさに究極。
真木の幸せか自分の幸せか。
大西がまたいい表情してた。
大西ほど責任感のある男にとってあれはほんと究極の選択。
どちらを選ぶか気になったけどどちらを選んでも正解ではないし、あのまま終わったのは逆に救いだったかもしれない。
悪人も最高だったけど、これも同じ、いや越える、、、いやホント甲乙つけがたい。
これは本当に良かった!!!
大西って上川隆也と西島秀俊を足して2のような感じだな。
とくに上川隆也によく似てる。
いくらなんでも
ちょっと男性の妄想の度がすぎる様な作品でした。原作未読なので映画だけの評価になりますが、レイプ犯の事はいくらなんでも好きにはなりませんし、女性は男性の自己愛を満たす為に生きているのではありません。邦画の女性の描き方は割とどんな変な男性をも許す聖母的なものが多いと思うのですが、私からすると女性の描写が惨めに感じました。
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