「これは日本の『クラウドアトラス』だ!」千年の愉楽 Ryuu topiann(リュウとぴあん)さんの映画レビュー(感想・評価)
これは日本の『クラウドアトラス』だ!
私は、若松孝二監督の作品をここ数年制作されたものしか観ていないので、彼の作品についてあれこれと語る事は出来ないが、しかし本作を観る限りでは、若松監督自身は彼の無意識下では、これが彼の映画監督としての遺作になる事をまるで知っていたのかと思わせる程の、人の生と死と、更に人間の根底に流れる善悪を越えたところにある、人間を生成する生きる根源の力としての、性の姿を浮き彫りにした本作こそは若松監督のこれまでの作品の集大成だったのではないだろうか?と思わせる説得力が有り、これで、彼が考えていた、映画で伝えたい人間の姿と言うものが完結したところで、喜んで神の元へと旅だったのかも知れないと本気でそう思わせるような、力をこの作品は持っていた。
誕生から、そして死の繰り返しの中で、人は日々過ちを犯し、その過ちを悔いて尚、また同じ過ちを繰り返してやがて死に絶えるが、しかし一人一人の個人の死を越えた処で、人類と言う種は延々と生き延び続ける。
そして、人間の目には決して変化には気が付く事が出来ない程の微細な変化ではあるけれども、人の魂は進化して行っているよと、若松監督が言っている様に、感じられるのだった。
その人の生の営みと、性の営みを只只,見守る、寺島しのぶ演じるおばあと、佐野史郎演じる坊主の、この2人の姿を観ていると、先頃公開された「クラウドアトラス」に通じるものを感じずにはいられなかった。
ピンク映画から出発した、若松監督ではあるけれども、彼の作品の多くは反体制的な作品が多数あると言うけれども、常に人間の中には善も悪も一体に混在し、常に内部にあらゆる矛盾を抱え込んで多面性の感情の渦の中で、生きている。その生きている事だけで、人の命は尊いと優しく総てを受け入れて、見守ってくれているように思えるのだ。
お産婆さんのおばあは、赤ん坊をとりあげる時に、この世に生れた生命は、どんな子供でも、生きてくれているだけで、尊い存在で、生れて来ると言う事が、仏の慈悲に因って誕生したのだから、それだけで、尊い存在で、その後はその命が素晴らしく輝きを放して、生きる様に只見守る事だと手を何度も合わせるシーンがある。
人は、生命が誕生する様に、男女の交わりの行為自体は可能であるが、人間の力では、生命そのものを誕生させる事は出来ないのだ。
昔は、子供は神様の授かり者と言っていた。それが何時の間にか計画出産になって、子供は自分達で作るもので、生命のサイクルを自分達で可能にする事が出来る様な時代になったと錯覚してしまっている現代人も多数いるのではあるまいか。
やはりこの世の総ての生命は、人智を超えた、自然の見えない力によって与えられているのだろうと、この映画を観ていると特にそう感じるのだった。
この映画に登場した俳優達は、それぞれに皆素晴らしかった!高良健吾もこんな遊び人の役を演じるのかと驚いたが、しかし良かった。寺島しのぶと言う俳優も日本だけの俳優にしておくには本当に勿体無い体当たりの度胸のある素晴らしい俳優だ。吉行和子を越える味の有るベテラン俳優へと何時までも育って欲しい今後が楽しみな俳優だ。