「遺された愉楽。」千年の愉楽 ハチコさんの映画レビュー(感想・評価)
遺された愉楽。
中上健次の原作短編集は読んだことがないが、
彼の生い立ちを読んでいたら、まるで自分をモデルに
しているかのような世界観だったことが見えてきた。
今作では、被差別部落のことを「路地」と呼んでいるが、
三重県尾鷲市の須賀利という集落をロケ地にしている。
奇しくも監督は、昨年交通事故で急逝した若松孝二。
彼の遺作となってしまった本作だが、こちらもまるで
監督が何かを見通していたかのようなラストの余韻が残る。
不思議な縁と巡り合わせにより完成した本作になるが、
好き好きや評価はかなり分かれると思う。
最近になって観た彼の他作と比べて明らかに勢いが乏しい。
俳優たち(有名・無名)を合わせて、彼らの血に通じる演技の
世界を楽しめる作品にはなっていたと思う。
時代を無視したかのような背景(昭和初期なのか現代なのか)
電線や舗装された道路にガードレール、トラックが走る坂道、
かと思えば、階段を下駄ばきで洗濯板片手に走るオバの姿。
まともに観てしまえば何だこれは?となりそうなこの世界も、
そこが「路地」であることをやたら醸しているように思えてくる。
現代でありながら現代ではない、何かが手に入らない、仕事も
ない、与えられるのは血で繋がれた美貌と性だけであることの
証明がこのちぐはぐな世界観で、ここに生きる人間の不条理な
倫理に彩られているような気がしたのだ。狂っている、と吐いて
捨ててしまえば済むほどの狭い部落で、産婆であるオバまでも、
オンナの対象として見られているのが殊のほかおかしかった。
「中本の血」といわれる、先祖から伝わる拭いきれない色欲と性。
まぁ、ここまで強烈ではないにしても、
それは普通の親子間に伝わった伝達遺伝子のことを指す。
子供を見れば、その親が分かる。というように、
本人がどう思おうがどう生きようが、まさかと思うほどに
親と生き方が似てしまうということはよくあるもんだ。
幸せならばいいが(もしその親がまともな生き方をしてないなら)
子供だけは真っ当に生きて欲しいとオバでなくても願うだろう。
妻以外の女がその中本の血族を何人も何人も産んで、
その子をオバが何人も何人もとり上げてきたのだ。
そんな風に生まれてきた子供の、やはり皮肉な宿命なんだろう。
原作者・中上健次もそんな生い立ちを背負っていたようだ。
冒頭から最後まで延々と流れる中村瑞希の歌が、心に沁み渡る。
バンバイ、バンバイ、と歓びながら潰されていく「運命」をこんな
鎮魂歌みたいな流し方で聴かされると、あまりに辛い。辛いけど
奥底まで沁みる歌なので、もっと聴いていたい。不思議である…
中本を継ぐ俳優の渾身の演技は(良い悪いの評価でなく)お見事。
オバの寺島しのぶと夫の佐野史郎はほぼ語り部にまわり、
美貌の男たち(ということになる)井浦新、高良健吾、高岡蒼佑を
支え続ける。(あ、ゴメン、染谷くん^^;)
山本太郎もチョイ役で出演していたが、高岡と合わせて良かった。
私生活がどうあろうと、才能がある人間は簡単に干さないで欲しい、
捨てる神あれば…ってこういうことだと思う。頑張ってほしい。
若松監督がいかに俳優たちに愛され、作品に愛されたかが分かる。
原作者も監督も志半ばであっという間にこの世を去ってしまった。
が、遺した作品は千年でも二千年でも人々を愉しませてくれる。
(舞台挨拶つき上映が観たかった~だってそれこそ愉楽ですもんね)