劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 新編 叛逆の物語のレビュー・感想・評価
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愛が過ぎるとこうなるのかな?
ほむらちゃんの愛が重たい映画でした。
一番は?と思ったのが魔獣(?)を囲んで歌い出したシーン。
何の儀式だよこわ。
戦闘服に着替えるシーンとかその歌ったシーンは
ファンサービスだと思った。
町の外へ行くためにバスに乗るシーン千ちひぽかった。
発想が凄いと思いました。ヤンデレ怖いお。14.5.3
個人的にはとても良かった
10年以上前、テレビ版まどマギを観て以来の鑑賞。
もっと早く観ておけば良かったな、と思った。
テレビ版のストーリーをうろ覚えなので、きちんとまた観直す必要がある。
正直、それを観たうえでも完全に理解できるか、分からない。考察サイトなどを見てみようかなと思っている。
ほむらをまどかが迎えに来るシーンで結構感動していたのに、あそこからあの残り時間でどんでん返しがあるとは思わなかった。(おそらくあのあたりは賛否両論なのだろうと思う)
イヌカレーさんの魔女空間が本当に好きなので、映画館で観たら最高だろうなあ。
みんなそれぞれ出番があって、キャラクターをより好きになれた。
ファンタジックでダークでゴシックでユリチックで萌えチック で悲哀と狂気が浮かぶ世界観
2013年10月頃劇場で見てその表現に圧倒され感動し、その後、2018年頃見直してほむらの悲劇へのカタルシスに浸り落ち込んだ時にその都度好きなシーンを見直し(特にdespairいう名のBGMが流れるシーン)、2021年12月となってマトリックスリザレクションへの失望の元、再度見たい欲求に負けて呪術廻戦0は後回しに見直す事とした。何度も見た為、感動は薄れてはいるが、思う事はあまり変わっていないようだ。しかしもう8年もたったのだという事実に郷愁を感じるし、次作ワルプルギスの廻転への期待を感じながらの視聴となった。
劇場で見た当初の感動は私がこの映画を思い出す時に思う言葉、『遊園地感』という一言につきる。この映画はエンタメとしてイヌカレー空間、梶浦由記によるBGM、虚淵玄による人間の本質に迫るシナリオと象徴的にくっきり分別されたキャラクタの性格、蒼樹うめによるキャラクタデザインが完全にマッチして何の違和感もなく渾然一体となって視聴者にすべてを突きつける。マトリックスリザレクションやシン・エヴァンゲリオンであったような監督による最終回答、『現実に戻れ』は無く、単純にエンタメを突き詰めて提供しようという姿勢をそこに感じる(メタ作品を批判しているわけではない)。
今作のテーマに対するほむらの回答は、『愛』ではなく『執着』である。それを『愛』と言い切るほむらとそれにより生じる世界事象改変、その映像表現には度肝を抜かれた。ほむらの回答は、道徳的に間違っている。よって、創作物の意図を社会常識や自分と区別できない低年齢の者は見てはいけないとは思うし、非常識を選択する人物にフォーカスした作品への抵抗感のある常識的な人たちにとってもこの作品は嫌悪するものとなるかもしれない。しかしながら、ほむらの回答が道徳的に間違っているとはいったが、この作品のテーマ性はTV版から変わらず間違っていない。つまり、インキュベーターによる人類(魔法少女)からのエネルギー搾取に対するほむらの怒りと抵抗、叛逆は間違っていない。
この作品のターゲットは芸術が好きな人、創作物の中の人物の現実社会では発揮できない感情の発露、究極の選択を楽しめる人、そこに価値を感じ取れる人だろう。この作品は一般的なアニメの物語性からは逸脱しており、イヌカレー空間の表現やBGM、シンボルの多様において、アート性の方が際立っている。このような芸術作品を提供してくれた人々に喝采を送りたい。最後に、最近とある猫動画を見ていて感じた事を今作にも言える事だと思い思った事がある。可愛さとホラー、笑いという感情が同時に感じられる作品は強い影響力、視聴者が感じる満足感があるということだ。『萌え』るキャラが存在する日本のおたく文化は彼女らがいるだけで実写ドラマに対して優位な立場にある。そこに恐怖や笑い、人の温もり優しさ等の感情を人に喚起できる作品は今後も需要はあるだろう(岡田斗司夫が言っていたように、そういう作品には油っこさを感じ、時に受け付けないこともあるのだが)。
怒涛の展開!
まずはじめに。魔法少女とは、かくあるべし!みたいなもの見れて最高。題名を聞いて思ってたのはこれだよ。みんなが協力し、可愛い変身シーン、日常では仲良くワイワイと、序盤のこれを見るだけでもとても価値がある。俺が報われる、、、。
とまぁ、実は〜みたいな流れがあるんですけど。
とりあえずマミとホムラのバトルシーンはすげぇな。魅入ってしまうよ!
だんだんとわかる真実、みんなの気持ち、、良き!!!
まどかも、やっぱり辛かったんやね、、、、
悪魔ホムラからの流れは、俺には完全に理解は出来なかったけど、愛の力は無限大ということで。なんだかんだみんな一応幸せで終わったのでは?理には反しているだろうけど、、。次回作が楽しみ!
萌えアニメで「神と悪魔」の話を描いた意欲作
彼女たちが「暁美ほむら」の世界にいて、ほむらたんが魔女になってしまった(厳密にはなってないけどねw)ことが分かるまででお腹いっぱいだ。
あー、彼女もダークサイドに落ちちゃったか。そりゃそうだよな。根暗だし・・・。
後半は暁美ほむらの個人的な物語が続くのか・・・と思いきや!思いっきり普遍的なテーマを描く方向に舵を切った・・・!
個人的には暁美ほむらの個人的な物語を観ても良かった。
洋画では「神と悪魔」「愛」を語る映画は結構多い。この手の映画は、既に評論家に論じられている。自分もそれを読んでいたりする。だから、本作の結末は正直、わりと安全に着地させたか、という印象がつおい。
しかし、日本のアニメでは、あまりされない試みだと思う。萌えアニメファンではない僕のような凡人でも楽しめる、硬派なテーマを描いている点が超偉いと思う。でもこれって、前作にあった永劫回帰を否定するような気が!
何はともあれ、俺の夏の有給休暇はまどマギにより終わった。明日からまたクソ社会を、永劫回帰的に生きるとするか。。。もっとみんな仕事サボろうぜ。
やっぱりこの三作目だけ評価できる
という意見の人はあまりいないみたいだが。そりゃテレビ全12話が受け付けなければ、続編なんてみないだろからなあ、ふつうは
自分はリアルタイムでテレビ12話みてなかった。この叛逆が公開する半年前かな一気見したのは。
自分はこれでもかなり陰惨なもの、救いようのない話、残忍な作品とかいろいろみてきたし読んだりもしたつもりだが
この魔法少女たちの悲劇性にはすっかりやられてしまい、ちょっとまともな話ではない。なぜ、批判が起きないのか不思議で仕方なく、製作者たちを憎悪したね。
とりわけここまでの目に遇わされるかと思ったのが、美樹さやか。同情がひいきとなったのか、いちばんこの中では好きなキャラ。
というか他の4人はどうも現実味に欠けるというか、キライじゃないが興味があまりもてない。
というキャラに感情移入する作品ではなく物語としての構造そのものを楽しむ作品なのかも知れないが、それは人それぞれだとおもうんだが…
前にみた時は、テレビ編と映画前後編からの流れでこの叛逆〜もあまり高い評価をできなかったが、独立した作品と考えるとこれは素晴らしい。
五人が主題歌に合わせて踊ったり(一人踊ってねーですがw)変身シーンをしっかり作ってファンを楽しませようという意気込みが感じられる序盤。
異変に気づいてほむらが動き出す中盤。とはいえここのながれは某作品を参考にした気もするが…まあ、いいや。
それで問題なのが、ほむらによる改変の終盤なんだろうが、少なくとも自分は蛇足とは思えない。
正直、ほむらのまどかへの偏愛はちょっと理解しずらいが、自らの意志でインキュベーターをも出し抜き、さらに手駒にしてしまうぶっ飛び方には痛快ささえ感じる。
それにもし、ほむらが円環に導かれて終わりの話ではさっき出した参考にしただろう某作品の設定が違うだけの焼直しのようにも感じる、ハッピーエンドとも思えない。
ほむらの病んだ目つきが表すとんでもないことをしてしまった感。もはや半分正気をなくしたかのような雰囲気。いいね。脚本家に踊らされてひどい目に合わされてるだけだったこれまでより、ひとつ突き抜けたかんじ。
ハッピーエンドとは言えないし人によってはバットエンドかもしれないが、いずれにしろ混沌。
珠玉の混沌状態。
ここからどう展開させていくのか、シャフトはいずれは作りたいみたいだが、多分虚淵玄がやりたがらないんだろう。また、おんなじような鬱展開を繰り返すなら願い下げだが、思いもよらない展開があるならみたいけどね。
アニメならではの閉鎖的な世界観
アニメ全話は数年前に観たっきりで、記憶を取り戻しつつ観賞しました。(前編・後編ver.はアニメ全話のアップグレード版と聞いたので観てません)
・ファンシーながらもどこか残酷な、独特の世界観はまどマギならではで良かった
・ただ、ケーキの歌?の捕獲シーンはちょっとファンシー過ぎた感(好みの問題かな)
・ストーリー展開としては、全体的にテンポも良く戦闘シーンも間延びせず、全キャラが適度に個性が出てて可愛かった
・強いて言うなら、ほむらとさやかが虚構の世界の持ち主が誰か話し合うシーンから、持ち主に気付くまでの展開が早くて、あんまりしっくり来なかった
(ほむらのヤンデレな感情/ほむららしい世界要素が端々に見えてから、気付く展開の方が良かったかな)
・あと、さやかは虚構の世界賛成派やったのにいつの間にかほむらを救う側に立ってて驚き
全体的には可愛く、ファンシーで、少し擦れてて奥深い映画でした
名作のテレビ版以上に高く評価されるべき超名作。 幻想の中のまどかを...
名作のテレビ版以上に高く評価されるべき超名作。
幻想の中のまどかを心の底から取り除くことの出来ないほむらは、我々アニメ好きな観客であり、アニメを愛する作り手でもあるのでしょう。
そりゃ敵を利用してでも好き勝手したくなりますよ。
(敵はアニメを意味嫌う世間?もしくはスポンサー?)
あと、さやかが好きになりました。なんだあの万能感。
要素要素が「理由」に乏しい
問題のラスト10分、あれを「付け加えた」理由について、脚本家の虚淵玄は「これではただの続編ではないかと思った」と言われていましたが、それ自体は付け加えた理由にはならないのでは? ただの続編何が悪い? この無闇な毒の吐き方は説明どころか謎でしかありませんでした。
ほむらが悪魔と化した理由についても、「まどかと対になる存在とした」とありましたが、問題は対にする必要がどこにあったのかというところ。その理由についても述べられていません。ただ、「古今東西そういった話はよくある」と言うだけで。
これでは思いつきであの10分が作られたとしか考えられません。あのまま終わればそこそこ王道として良い終わり方であったのに、なんでそこまでして王道を否定しなければ気が済まないのでしょうか、この脚本家は。
とても力のあるライターなのに、ジャンルそのものを撒き餌にしたシナリオを書いたり王道を否定したり、ちょっと残念の度が過ぎます。王道に向かえないのもまた弱点であると思い至って欲しいものです。
まどかの願いを踏みにじったという人もいるけど
TVシリーズを何度も見返して、総集編も劇場まで足を運んで見に行きました。今作も3回ほど見ての感想です。
私は普段映画をあまり見に行かないので、純粋な「魔法少女まどか☆マギカ」のファンとしてレビューを書かせて頂きます。
この映画の結末については、賛否両論分かれているかと思いますが、私個人としては、衝撃的ではあれど、とても否定するような結末ではありませんでした。というか感激しました。ほむらの愛は本物です。
まどか役の声優である悠木碧さんがパンフレットにて、「まどかの願いをほむらには分かってもらえなかった」と発言していますが、決してそんなことはないと思います。
むしろ十二分に理解した上での覚悟の選択ではないでしょうか。
まどかの願いを誰かに踏みにじられることに対するほむらの憤りは、本編を見れば明らかです。にも拘らず、何故まどかを引き裂いたのかといえば、物語後半のまどかとの公園での会話のせいでしょう。
「怖い夢を見た」というほむらに対して、「ほむらちゃんが泣いちゃうような事が、私に耐えられるわけないじゃない」というあのシーンです。神としての記憶も、能力も持たない、一人の少女としてのまどかの言葉が、ほむらをあの結末に導いたのだと思います。
優しすぎて強すぎるが故に、大切な人達と会えなくなると知って尚、正しすぎる選択をしてしまった鹿目まどか個人の幸福を考えるなら、ほむらの行動は正しかったと言わざるを得ません。ほむらにとって、まどかを救うためなら世界なんてどうでも良いのです。それでも秩序を求めるなら、これはもうまどか自身の手でほむらの存在に終止符を打つしかありません。
ところで、TVシリーズ6話中盤で、まどかが母、鹿目詢子にさやかについて相談するシーンがあります。「間違ったことはしていないのに、正しいことを頑張ろうとすればするほどひどいことになっていく友人を助けるにはどうすればいいのか」というまどかに対して詢子は「正しすぎるその子の分まで間違えてやればいい」と答えます。
本作のほむらの行動は正にこれにあたるのではないでしょうか。
ピカデリー
まぁ、なんとも気持ちの悪い始まり方。
この作品は、アニメ全作と劇場版全て見た人以外はみてはいけません!
まどマギを追ってた人にしかわからない、違和感、気持ち悪さが続きます。
キュートでポップな状態であればあるほど、気持ち悪い。
なんの世界なの?怖すぎます。
最後の最後のどんでん返し連発で思考回路がぐるんぐるんして、すごい疲れました。
頭かかえて劇場を後にして、納得出来たような、出来ないような、そんな気持ちで翌日も一日中気持ち悪い。
でも、冷静に、冷静に考えて、ほむらちゃんの望みはたった1つだったこと、それがどんな形であれ叶ったわけだから、これが、このアニメの一番ハッピーエンドだったんだろうな。。。
理屈っぽい
テレビ版をDVDで見終えて見に行った。テレビ版の終盤も、ほむらちゃんが何度でもリトライできる状況に強いインフレ感を抱いた。
まみが死んだ場面に強い衝撃を受けて、このアニメは相当踏み込んだ作品なのだと思ったのだが、リトライできるというのなら、たとえそれが困難を極めるとしても死の重みが全然なくなってしまう。
そして映画版は、また難しい設定が出て来て、しかも時間も巻き戻しできるということに、感情を揺さぶられたところで結局台無しにされるような感覚があり、付き合いきれないと思った。
理屈に理屈を重ねられて、もう理解しきれない。戦闘場面はかっこいいのだが、論理性はなく観念的なもので、しかも何があっても難しい理屈でどうにかされそうな感じもあり、だんだんどうでもよくなり、しまいには眠くなった。
ほむらちゃんの健気なところは好きだけど、全体的にオレには合わなかったです。
この作品を一言で表すと?はい、ナカザワくんっ!!
「えーと、愛の力は書き換えられた宇宙の理をも凌駕するってことですか」
『はい、そうですねっ!行き過ぎた愛は巡り巡って悪魔をも生み出すんですね。きみ〜が笑ってく〜れる〜なら〜僕は悪にでもなる〜♪』
「…中島みゆきですか 先生。それにしても今回もまたインキュベーターが暗躍してましたね」
『そこですっ、ナカザワくんっ!暁美さんは願ってダークサイドに堕ち
てしまったわけじゃないんです!鹿目さんをインキュベーターの手から守ろうとした結果なんですね。この点において暁美さんの行動は
TVシリーズから首尾一貫していますっ!
本当は家族や友達と離れたくないという鹿目さんの偽らざる本心を知って
暁美さんは概念になることを許してしまったことを激しく後悔し動揺します。そして決断するんです。
インキュベーターが作為的に造り出したこの束の間のかりそめの幸せを壊してでも、自己の救済を拒否してでも守りたい。
それと同時に、一緒に居たいという相反した想いも抱くんです。
でもセンセイ、それはそれで愛の形としてありえるのかなって思うんですよ。何もかも壊して、、、』
「(…シャフ度を通り越してエクソシストになってますよ先生)
そ、その何もかも壊してという冒頭の先生の発言で、ここが暁美さんの思想が憑依した、暁美さん寄りの世界なんだっていう伏線が理解出来ましたよ」
『さすがナカザワくんっ!!ワルプルギスの夜を倒し
た後の鹿目さんと暁美さんのあのやりとりは名シーンでしたからね、、、
今回は美樹さんと佐倉さんが指をからめる恋人つなぎも描かれていて、
もうセンセイ男性は諦めて百合百合するのもいいかなって、、、
巴さんのおっぱいもとっても豊かで柔らかそうですし禁断の先生生徒百合も、、、』
「あ、あと、この世界が誰かの願望によって創りださ
れたもの、という設定は押井守監督"うる星やつら ビューティフル
ドリーマー"にも似ていると思うのですが」
『それはセンセイじゃなく虚淵玄に訊いて下さい!!』
「プリキュア変身シーンみたいなところと、現代アートてんこ盛り
のような画面はちょっとクドかったです」
『ナカザワくん!ニチアサをディスるんですか!?』
「い、いえ、決してそんなことは!あ、あと梶浦由記さん
の音楽は、今までの音楽をモチーフにしてあったり新作も大変よかったです!」
『シリーズを通して主題歌を作詞作曲した渡辺翔さんの"カラフル"
も良かったですね、、、POPな曲を歌っていてもClariSさん
の歌声はなぜかもの哀しさを感じてセンセイ好きなんですよ、、、』
「ラストをどう解釈したらいいのか、イマイチよくわからなかったんですけど、、、相反した存在になってしまった自分を憂えて
の行動?あのキュゥべえの姿は?」
『鑑賞した人に多様な解釈を呈示すること、鑑賞した人同士あれこれ
語り合うのも映画の楽しみのひとつですよ! …センセイには語り合う人はいないですけどね、、、』
「せ、先生!続編はあるんでしょうか!?」
『神と悪魔の最終決戦はデビルマンでしたね。
鹿目さんと暁美さんの決戦なんて悲しすぎて見たくありませんが…平和的な解決があれば別ですが…。
コホン、初期の構想ではあるようなことを伝え聞いてますが、それは虚淵玄に訊いて下さい!!
え〜、それでは最後に 皆さんに転校生を紹介します♪』
(全員)「(今度は誰だよ?)」
対の物語
TV版についてもネタバレしてますので、未視聴の方はお戻りください。
冒頭でさやか、杏子らがマミと一緒に戦ってるのを見たとき、これは円環の理が発動した後の世界であることは判った。ただ一点、何故そこにいないはずの人がいるのかというとんでもない違和感を伴っていた。
それはストーリーが進むに従って明かされていく。
今作の主人公は暁美ほむらだ。TV版であの感動を与えてくれたあの少女だ。TV版は魔法少女が魔女になるという圧倒的な絶望をまどかが救う話でもあったが、一方ではあれだけ頑張ったほむらの願いは無視されていた。
キューベーによりまどかの潜在能力がとてつもないものであることは語られていたが、実際ほむらの能力もまたある意味無限という、神に近しいものだった。
まどかがキューベーとの契約で魔法少女を救済する願いを叶えた時、まどかに魔法少女になって欲しくない、一緒にいたいというほむらの願いは叶わぬものとなった。はずだった・・・。
しかし思い出して欲しい、TV版の10話で果てしない絶望に対し果てしなく繰り返し立ち向かったほむらを。
そう、ほむらも強い願いと意思を持つ者だった。
まどかは魔法少女「たち」の運命を変え救済に向かったが、ほむらの願いはもっと狭く身近で個人的なものである。
それがどうなったかは映画を観てほしい。映画は言われているほど難しいものじゃない。世界の構築は上手くできているし、TV版を観ていればほむらをああ扱わなくてはならなかったのも良く解る。
新キャラは円環の理により救われた魔法少女たちの象徴であり、あの扱いでいいと思う。
さやかがある意味救われたこと、これもまた重要かと思う。
ちょっと甘いかもしれないが、満足できたので5点にします。
複数回みてわかった、超々名作ですよこれ・・・、ネタバレを見てからの方がいいかもです(笑)自分的にはTVシリーズを超えています。ほむら、がんばれ
乱文ですいません。
私の主観が多すぎて参考にならないかもしれませんが、投稿せずにいられなくなりました。
まず、感想から、・・・良かったです。
てか、現在進行形ですごく面白い作品です。
何度も見て、麻痺したんでしょうかw
深夜TV放送時代からのファンです。
あえて、ネタバレを見て、冷静になってから見たほうがいいかもしれません。難しく考えないほうがいいです。
初めて見た回⇒なんで金を払って不愉快にならないといけないんだ、金返せ馬鹿ヤロウ、てな感じでして(意味不明な物語じゃんこれ、製作者は土下座しろぉと本気で思いました)
もう幻滅・・・しばらくはこれに係りたくなかった気分でした・・・
・・・が、数日後、
2回目、
誘われ付き合いでしかたなく見に行くことに・・・
疑問点を補填(ここでラストを理解?)・・・納得したというか繊細でよく練られている脚本ではないですか・・・すごい・・・いや~、すごい・・・ポカンとあっけにとられていた友人の横で、恥ずかしげも無く泣いてしまいました・・・切ない・・・
3回目・・・最初から最後まで感動だらけでした・・・深い・・・
それがいまだに続いています・・・すでに4回目、5回目です・・・
いやぁ、何度お金をだして見てもいいですね・・・
・・・一番の疑問点だった
ほむらの悪魔化は・・・そうか、まどかの心を汲んでのものだったのですね・・・
初めて見たときは物凄い演出にあっけにとられて判りませんでした・・・
円環のシーンまでが面白く、まとまっていたので
「ええ話やな~~~、・・・イヤイヤ、まだこれで終わるわけがない・・多分、ドンデンがあるな」と勘ぐり、構えていたのが失敗でした・・・。
そのときはもう・・・想像の(遥か彼方)斜め上をいくラストで、我を失ってしまいました・・・
多分、ほとんどの方がそうだったと思います。もう、あそこは音、映像、演出が素晴らし過ぎて、逆に違和感を感じてしまうんですよ、本筋がかすみます(笑)
初めて見たときは、1番お気に入りのキャラがほむらだっただけに、残念、ゆるせない終わり方に感じましたが・・・
再見で理解、劇中で、きちんと、まどかの本音、心情に向き合った結果だったと描かれていたのですね・・・理解できずにゴメンねです。やさしい話なんですね。
病んだ表情のインパクトが強すぎて、台無しですが(笑)まぁ、そこがなんとも絶妙でいいです。
前作をふまえ、更に超えてます、いいです・・・
ラストは
わたし的には続きがあるにせよ、無いにせよ
ほむらがインQベーターをボコッて(仕返しでw)、まどか(図らずでしょうが、その他のキャラの救済も)のため、自殺という解釈しています。単純です。
まぁ悪魔という概念なので死ねないのでしょうが・・・
そういえばトカゲ・・・ここから蛇足の意味でしょうか?(笑)
そんなメッセージだとしても、そんなことなかったですよ。
映像、音、脚本、演出、最高でした・・・
DVD、BDで何度もみて欲しいです・・・
映画向けじゃないのかもしれない・・・
ただ・・・私の人生に影響がある作品ではないですが
物凄く繊細で、人の想い、優しさ(人を憂う方?)を感じる
超々名作でした・・・
離れていった人もDVD、BDで少しでも戻ってきて欲しいですね・・・
自分はこれで完結で文句ありません。
円環の世界より生還できました・・・いや、はまったのかな(笑)
曼荼羅
原作は観てないんですが、面白かったです。
面白い の定義や基準は人それぞれだと思うんですが、個人的に「後をひく映画」=「面白い」と考えているのでこの映画は〇ということで。
完全に背景もキャラ設定なんかも知識0なのでファンの方は素通りしてくださいね。
映像はテリー・ギリアムのコラージュのようなアニメーション+今の日本のアニメというのが単純に綺麗でした。ただちょっと情報量が多くて辛かったんですが「悪い夢」を表現しているならぴったりです。
お約束で現れる敵。ヒロイン達が討伐。が出だしから2回続きますが、ちょっとリズムが崩れてじわりと違和感を感じさせます。(歌のシーンもつまづいたり)
日常が少しずつズレて綻びから魔が現れるのはホラー映画でしょうか。
変わらぬ日常と思い込む仲間の中、綻びに気づいた少女が原因を探しに――というのが起承転結の起承。
この下よりネタバレ含みます
さて素人がこの映画を適当に直感で分析。
最初自分は、原作で仲間の未来を救うために自分を犠牲にしてヒロインが消え去るという終焉に納得がいかない観客(いたのかどうかは分からない)を救い上げる為に作り手が提示したもう一つの終わりの話なのかなと考えました。(エヴァのアニメ版と劇場版の関係)
けれどそれだけじゃないメッセージがあるんですよね。
誰も救われてないし!
観客がそこまで惹かれるには潜在的に共感できる部分が物語に落ちているはず。
ほむらのあそこまでの愛ってなんだろう。と考えたとき自分の頭から出てきたのは昔話「三まいのおふだ」のおにばば。
(おにばばは子離れできずに執着する母親像でもあるって小澤氏が言ってたような気が…うろ覚え)
では
ほむら=母 まどか=子 と見ると意外にスッキリする。
もちろん物語の中ではまどかの家族父母と弟もいるし、ほむらは家族でもないはずなんだけど。
映画『ブラックスワン』で母親の過剰干渉と期待に精神を病んだヒロインと、無理やり作り直された世界を再び生きる(生かされる)まどかの揺らぐ様はちょっと重なる気がした。
潜在的に共感できるかどうかは・・。
以上勝手な分析というか見解。
愛情は行き過ぎて溢れると呪いになるってのを再確認するにはいい映画でした。気を付けよう。
なんか作り手から溢れた愛をかけられた気がします。
は!原作も観なければ・・・
まどかを支配するつもりなのね!!!
TVシリーズ「魔法少女まどか☆マギカ」、劇場版「【前編】始まりの物語/【後編】永遠の物語」を経て完全新作として公開されたのが劇場版「魔法少女まどか☆マドカ【新編】叛逆の物語」である。
物語は鹿目まどかが残酷な運命から魔法少女達を解き放った後、まどかへの思いを抱きながら暁美ほむらは一人戦い続けるが・・・
本作は少なくとTVシリーズか劇場版【前編・後編】を一度は見ていなければ内容を理解するには難しく一見さんお断りのものとなる。
自分は初め正直、まどマギの絵柄(萌え的な)やコラージュ技術があまり好きな部類に入らなかった為、リアルタイムでは見ていませんでしたが一話、また一話と見ていくうちに作品に引き込まれたクチです。
単なる主人公達が敵を倒し成長してく過程をアニメにしたのではなく、突如魔法少女になるという契約に課せられた代償やそれに苦悩する残酷さが苦いけど面白くて見てしまう。
本作を観た多くの人達が思うように、魔法少女まどか☆マギカの主人公は実は暁美ほむらだった思う。そして、それはまどかに対する「友情」や「後悔というか十字架(助けられなかった)」を越えて「妄執」というか「執着に似た愛」がテーマとなる。
まどかは全ての人達に対する自己犠牲だけどほむら完全にまどかへ対してのみの自己犠牲でありベクトルは交わらない。
結局のところ、まどかをキューベー達に支配されまいとほむらは「魔法少女」から「魔女」になり「悪魔」になるが、ほむら自身がまどかを支配する様な立場になってしまう。
まあ、自分的にはまどかと一緒に「円環に理」一部になってハッピーエンドになるかと思い気やこの展開は・・・面白い。
(劇場版やTVシリーズのラストのほむらの黒い背中の羽はこのための布石だったのかと納得)
色々と情報量が多くて考えさせられる場面は多いとは言え劇中は5人で戦ったり、さやかと杏子の共闘シーンなどファンが見たかったはずと思わせるシーンがあちらこちらにちりばめられていてサービス精神は豊富なものとなっている。また、来場特典も嬉しい。(フィルムとか)
ファンなら観るべきであり、劇中の映像美やバトルシーン(特に、ほむらvsマミ)は劇場の大迫力のスクリーンと音響で観る事をお薦めします。
これで完結するかについて、ほむらvsまどかは見たくないのでこの苦々し感じで幕を閉じるのもありだと思います。(笑)
初見に分かりにくいがよく出来ている映画
合計4回見たあとのレビューです。
お話はすこし展開が2転3転あり、キャラが意味深につぶやくシーンも多々あり、回想も一瞬のカットを含めると多いです。
かの漫画家吾妻ひでお氏も「よくわかんなかった」とツイートしています(笑)私も初見ではお話がいまひとつわからない部分があり、腑に落ちないけどほむらやったね!って気分になれはしましたっていう程度の満足度。
ただし、さすがの演出力。新房さんのファンではなくむしろ幾原ファンだった私でも映像に関しては90点以上の評価が付けられると思います。事実、かわいいから、動きが気持ちいいからもう一度映像を体験したいと思って2度3度4度と劇場へ足を運んだ次第です。
映像に関して一つ言及すると、日常パートの「浮遊感」が焦点になっているのではないかと考察します。というのは、ほむらの空想ですから、それを表現しようとして走り方もガッツリしたダッシュではなくいかにも女の子らしい(といったらジェンダーにひっかかりそう…)振る舞いをしますし、パステルカラーから真実へ近づいていくごとに背景の色彩は濃く暗くなっていきます。このあたりはよく出来ていると感心します。
それから、ほむらの空想の世界でのさやかとべべの演出もちょっとした工夫があり、観賞者にヒントをくれています。
それは、おそらく絵コンテの段階で決着が付いています。緑髪の少女のナイトメア退治をしたあと5人が丘の上で日の出を眺めるシーンで起こりました。5人の魔法少女が画面に対し左よりに位置し、右斜め上に視線を向けているカットが5人分1人ずつありますが、さやかだけが体を
左に向いています(他の4人は体は右向き視線も右)。
これは舞台演出のテクニック的にさやかは優位な立場にあることの暗示だと思われます。そして見事にそのとおりになっていますお見事。
べべの演出に関してはまず新キャラであるから重要なのは当然というのはおいといて、ほむらに首根っこ掴まれて「ワカラヌ」などと言ってる字幕が出ているシーンで起こります(ヒントがあります)。音です。べべが「キューベー」に近い音を発しています。しかし、字幕はこの音に対して出てきません。「ほむら気づけよ!」と言いたくなるシーンでした。
そんなこんなで、ちょっとした工夫もこらしてあって丁寧に作られていて、全体的な話の流れも無理がない程度に自然で(悪魔爆誕のとこはフックが効いていますが)いい脚本でいい映像をよく作ったなと思います。初心者向けでないことがネックとなり星はマイナスつけてますごめんなさい。
結末に対する好みの問題かな
理解出来ないとかじゃなく理解した上で納得出来るかどうかが評価の分かれどころ?
だから低い評価と同様に評価が高い方が多いのも尤もであると思います。
この後に更なる新作があるというならそれを観た上で評価が変わる可能性はある。
だけど現状この劇場版で完結ならば私個人はこの評価となってしまいます。
もっと王道的にハッピーエンドで良かったんじゃないかなと感じてしまった。
というよりもあのキャラに対するイメージが劇的に書き換えられてしまった事が‥。
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