「廻天プレビュー、叛逆からの相互補完による永久機関の実現か?」劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 新編 叛逆の物語 井筒考庵さんの映画レビュー(感想・評価)
廻天プレビュー、叛逆からの相互補完による永久機関の実現か?
叛逆は序破急の破。設定・脚本・構成・物語・美術表現、いずれも高いレベルでバランスが取れていて・・喩えるならロマネ・コンティ。
2026年2月に「廻天」を控えていますが、こちらも観る前にマイ基準で⭐︎5確定。以下に理由を記しておきますが、
1) 予告編、キービジュアルから、廻天を序破急の「急」として、特に、キービジュアルのポスターは、物語としての完結だけでなく、作品の世界観を象徴的に完結させていると見ています。それはざっくりと、陽(まどか)と陰(ほむら)による相互補完、それによる世界創造。(←西洋的な二項対立でなく東洋的な相互補完)
2) ほむら推しなので、反逆からの流れでほむらがほぼセンターになりそうなので、結果はどうあれOK。(←私情バイアス)
3) ダークファンタジーなので、1960年代〜1970年代のアメリカン・ニューシネマ(ニュー・ハリウッド)のような鬱展開は所与〜バッドエンドでも文句が出ない〜として、これが逆にハッピーエンドに着地するようであれば、祭り状態が起こり得ます。(←減点要素に乏しく潜在的に加点要素が大きい)
4) 検索エンジンのAI さんが頑張っていて、「まどマギ ほむら 最後」で検索すると、ほとんどそうだろうというネタバレが出てきてしまう。この作品は予習がmustなので外れていたとしても参考になります。(←ネタバレ注意)
5) 結末が想像できるとして、そこにどう着地させるかは、脚本と構成、各場面での演出。結末に至る過程としてキービジュアルのポスターで注目しているのが、キュゥべえの座っている位置かな。
本作の映像表現、SF設定については追って私見を加筆します。
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追記です。
1) 映像表現〜美術作品。マニエリスム、シュールレアリスムの系譜。
・まず、劇団イヌカレーの映像表現、これは系譜的にオリジンが実写でもアニメでもなく、「美術」にあると観ています。かなり好みなのですが、好みは分かれるところでもあり、シュールレアリスム系に抵抗が無ければ受容し得る映像表現・・代表的にはマックス・エルンスト。
・ (続き)アニメでは、ロシア・チェコの作品の影響を受けているようですが、具体的にはおそらくユーリ・ノルシェルティの「霧に包まれたハリネズミ」@1975、ヤン・シュバンクマイエルの「アリス」@1988辺りか。
・ (続き)シュールレアリスム作品を含めてそれらのオリジンを遡ると中世後期の「マニエリスム」・・ミケランジェロをルーツにフォンテーヌブロー派やエル・グレコ。 (次回作「廻天」のキービジュアルはジュリオ・ロマーノの「神々と巨人族の戦い」を思い起こさせます。)
・ 実写に寄せていくアニメ表現のCG化は大きな趨勢ですが、むしろ、精細な背景xデフォルメされた2Dキャラという表現の組み合わせの方が好みです。ほとんどアートと言っていい水木しげるの「妖怪画談」シリーズを思い起こさせる。
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2) SF設定〜宇宙論的には「宇宙の熱的死」がベースシナリオ。ただし、ファンタジー設定として「対称性」を組み合わせながら進めると、「廻天」で物語の劇的転換が起こりそう。
・ 初期の頃、作品の設定を全体的にファンタジーと捉えていたので、「叛逆」を観終えるまでSF設定についてあまり考えてこなかった。
・ 【エントロピー】付け焼き刃になりますがハードSFファンの1人として考えてみると、まず、ベースシナリオで問題となるのは宇宙全体での「エントロピー」。(キュゥべえ達の対策は、エントロピー増大には目を瞑り、熱的平衡を先送りするための絶えざるエネルギー供給の方。)
・ もし宇宙が「孤立系」ではないと設定すると、エントロピーの「捨て場」を新たに持ち込めることになって、キュゥべえ達の懸念も存在意義も不要に。
・ 【願いと代償】エネルギーを消費するとエントロピーの発生を免れないというのは、典型的には希望に対する絶望、まどかの「救済の魔女」(←エネルギー)に対する「絶望の魔女」(←エントロピー)。「円環の理」を発動させると副作用/反動を免れないわけです。
・ であれば、絶望の魔女をよそで吸収してしまえばいい・・それができるのはもう1人の神であるほむらであって、「叛逆の理」(仮称)によってそれを行なった時、今度はまどか同様に副作用/反動を免れない・・それが「舞台装置の魔女」(ワルプルギスの夜)、もう1人のほむらということに。
・ 【陰と陽の対称性】であれば、絶望の魔女とワルプルギスの夜を倒してしまえばいい(かなりテキトー)。相打ちにさせるのもありだけど、まどかvs裏ほむら(ワルプルギス)、ほむらvs裏まどか(絶望の魔女)・・これだと予告編での「世界は“彼女”を許さない」の辻褄が合うし、「叛逆」でのほむらの台詞(まどかとほむらが敵になる)も理解可能。
・ 【相互補完・永久機関】まどかとほむらが戦いを終えた後で「円環の理」と「叛逆の理」(仮称)を作動させると、まどかからのエントロピーをほむらが吸収するか、理想的にはこの2人による仕組みが「永久機関」であればエントロピーは大域的に発生しない。
・ 【ホログラフィック原理】最後に、まどかもほむらも世界の書き換えができるということは、それぞれ神です。SF設定として世界の書き換えは「ホログラフィック原理」によります。3次元空間であれば宇宙の果ての2次元の事象平面に書き込みを行う、余剰次元込みで10次元であれば9次元の超曲面に対して・・林檎の皮に書き込むと等価/双体の関係で林檎の中身が変えられる。(←アーサー・C・クラークの「2010年宇宙の旅」@1982、同「3001年終局への旅」@1998、レオナルド・サスキンドの「ブラックホール戦争」@2009)
・ 【陰と陽の対称性(補足)】アルティメットまどか、悪魔ほむらはそれぞれ神。二項対立的な神と悪魔ではなく東洋的な陰陽の関係と考えておきます。ただし、神をもってしても願いと代償の原理を免れず、まどかからもほむらからもそれぞれ一対の魔女が派生。自身の鏡に対して単独では対処できないので、まどかとほむらとが一対を成して解決するというファンタジー構成のイメージです。
・ 【神身分離?】(続き)クラークの設定では、銀河系を勇躍する魁(さきがけ)族は、既に肉体を持たず、例えるなら林檎の皮に自身を埋め込んでしまっている情報生命体/精神生命体。ホログラフィック原理の設定でいくなら、まどかもほむらも神々の機能と肉体とを「分離」することで、神として永久機関を回しつつ、人として仲良く暮らすことができます。(←ハッピーエンドシナリオ)
