「ファジー・コスモス」オブリビオン きのてつさんの映画レビュー(感想・評価)
ファジー・コスモス
オブリビオンを和訳すれば「意識が薄れ過去を忘れかけた状態」である。
ロールプレイングゲーム「オブリビオン」は、別次元の世界からの地球世界を破滅へ導く陰謀と侵略を阻止する戦闘コンピュータゲームであり、この映画の引用元だと思った。
鑑賞後、最も印象に残ったのは、「曖昧なプロット」であった。60年前の戦争は、
・スカブ(エイリアン)が水を求めて地球を侵略したのか?
・あるいは、地球人同士の戦争で地球が壊滅状態になったのか?
・あるいは、意志を持つロボット(コンピュータ)が人間に勝利したのか?
それさえ曖昧であることに気付く。
いくつかのテーマも中途半端にちりばめられている。
1つには、愛情の問題がある。
・クローンの愛とは、「現実」の中か「記憶(記録)」の呼び戻しや共有か?
・クローンの愛が生じ成立する世界は、「現実世界」か「仮想空間」か?
・クローンの愛の喜びは、「肉体の感覚」か「精神の高揚」か?
このような欧米的二者択一の問い掛けが随所に見られる。
僅かに記憶の備わったクローンであるジャック(トムクルーズ)49号、52号は、その記憶の量や質に応じて人間ジュリア(オルガキュリレンコ)と深い愛情を交歓できるのか?
では、残り1,000体近い修理屋ジャックがジュリアと会えばどうなるのかという疑問が残る。
その愛の可能性と到達点は、三角関係どころではない。マルチコンプレックスが果てしなく生じていくことになる。
2つには、人間がどこで終末を迎え、どのように消え去るかという尊厳の問題。
例えばカプセルに「ピーチ(モーガンフリーマン)」を格納した理由は、何だったのか?
3つには、タイムトラベルの可能性。
4つには、ネット社会(コンピュータ)でのパラダイムシフト、等々。
鑑賞後、もう一つ印象に残ったのは、空気感溢れる風景描写であった。
・近未来のスカイタワーやバブルシップの無機質な静謐感
・夕日に輝く別荘や廃墟と化したエンパイアビルやスタジアムの美しさ
これらの対比は、見事である。
ドローンとバブルシップの戦闘シーン、荒廃したモニュメント、ラストシーンなどから連想される映画は、スターウォーズ、猿の惑星、インデペンデンス、デジャヴ、2001年宇宙の旅 等である。 これらを集約したようなアクションとロマンスを楽しめる娯楽性の高い秀作であった。
すべてが中断して終焉を迎える諸体験の本質は、遂に顕在化されず、黄昏時の廃墟の中にばらばらに放置されたまま、やがては過ぎ去った郷愁と共に忘却の中に埋没していく。
映画「オブリビオン」のテーマ、「ファジー(曖昧)な魅力」の所以であろう。
続・ファジー・コスモス
曖昧なプロット、余韻を残す中途半端な結末。直ちに続編が予定されていると感じた。
本編終盤でアンドリュー・ワイエスの名作、ニューヨーク近代美術館所蔵の「クリスティーナの世界」が確か2度アップされる。この絵画は、下肢に障害を持つ女性が必死に前に進もうとする不安に満ちた世界を描いたものである。次回作を暗示しているようだ。
続編があるならば「エイリアンの再来」といった単純なものではなく、人間存在の本質に迫る深淵な作品をコジンスキー監督に願ってやまない。
本編で提起された問題でスッキリしていない第1のテーマは、
クローン(又は人造人間)の自己同一性(アイデンティティ)の検証である。
記憶が差異を生み出すならば、廃墟と化した地球上のエントロピーは、刻々と増加していく。
解決には、ロボットから微生物に至る生物多様性を生かす共生思想が手掛かりとなろう。
地球がカオスから再生し、愛に満ちた世界に生まれ変わるスケールの大きな展開を望みたい。
続編に期待する第2のテーマは、タイムトラベルの可能性である。
量子力学では、現段階で不可能とされている。
現在、国際リニアコライダー計画により背振山中に加速器の建設が検討されている。
超対称性粒子が発見され、膜宇宙論や超ひも理論が更に精緻化されれば、ジュリアやピーチの時間の謎も解明され、「ターミネーター」での壁抜けやワープも現実味を帯びてくる。
「11次元宇宙でのノスタルジックな彷徨。個性豊かな無数のジャックが色とりどりの動悸を感じ、人間の全的生を捉え、遂に真理や愛のイデアと邂逅する」そのような結末は如何であろうか。
「2001年宇宙の旅」を超える作品を期待したい。