「ウォールフラワー」ウォールフラワー fさんの映画レビュー(感想・評価)
ウォールフラワー
映画日記的に、自分に向けて書いているもので、読みづらかったりわからない部分があると思います。
人を判断するのはやめよう、
i'm trying to be judgemental.
僕も入院の件で判断されたら嫌だしね
i hate for her to judge me based on i use to be like
ざっと聞き取った感じで文法とか間違ってるかもしれないんだけど。
ポパイの映画特集で誰かがオススメしてたんだよな、これ。よくこの映画の名前聞いてたし次見よう次見ようって思っててなかなか見れてない作品の1つだった。先日ファンタスティックビーストを見に行って、エズラミラーの虜になり、過去作品を調べたところ本作の名前を発見。
登場人物みんながいろんな形で問題を抱えていた。変わっているけどみんな魅力的。チャーリーは地味で平凡な男の子で友達がなかなかできない、、のかと思ったら彼にも暗くて重い過去が。、、、、
うーん、前書きみたいなのを書こうとしたけどなんだかうまくかけないしめんどくさいのでこのままにしておきます。
以下感想。
冒頭で引用したところが、素敵だった。
私は簡単に人を判断すまいと、正しく判断しようと心がけている。しかし本作を鑑賞して、「判断的にならない」という選択肢もあることに気付かされた。私が悩んでいたことの1つに、望んでやっているわけではないけど同心円状(このイメージが適切だと思う。自分を中心に)に人を並べてしまう感じがある。好きとか嫌いとか、尊敬するとか、綺麗とか、そういうことで。ピラミッドから進化してこの形のつもりだった。そういう考え方をしたくないと思い続けてやっとこの感じになったと思った。でもやっぱり外側の人とかできちゃうんだよな。判断的で自分の判断に対して自信過剰だったと思う。別に他人にそれを強要しているわけではないから、気を悪くしないでほしいし誤解しないでもらいたい。ただ私がなりたい人間像について話しているだけで、人があるべき人間像について話しているわけではない。
こうやって書くことでも神経をすり減らしてこんなことまで書いているのも、書くことは全人格がかかっているからで、書かれたもの、私の人格が表れているそれで私が「判断」されると思っているから。判断的で自信過剰なところが良いと思う人に論破されるのが怖くてこんなアホみたいな付け足しをしたんだ。
もうそんなにビクビクしないでいいんじゃないか、判断的にならなくてもいいんじゃないか、みんなの存在を私が受け入れれば全て済む話なのかもしれない。外に置いたり近くに置いたり、近くにいた人を外に追い出したり、入れ替えたり、そうやっていつもめんどくさいことをしているから人間関係を面倒臭く思ってしまうのかもしれない。
このタイミングでこの映画を見たのも何かの縁だと思う。対人観を見直したい。
あと
どうして優しい人はみんな間違った人を選ぶの?
その人が自分に相応しいと思うから。
みたいな、みたいなとこ、ああって思った。
本当の価値を教えるには?
試してみればいい。
エズラミラー美しすぎる。ずっと見てたい。
クレイジー?ちょっと変わってる役似合ってるね、ファンタスティックビーストでもそうだったけど。
それにしてもアメリカの高校って実際にもこんなに過酷なんでしょうか。いつもこういう高校青春モノを見るたびにひどいカーストがしかれているんだけど。。。それとも日本でもあるところはばっちりカーストあるのかな。母校が特殊だったのかな。