「自民党独裁政権の賛否と被った。」NO Socialjusticeさんの映画レビュー(感想・評価)
自民党独裁政権の賛否と被った。
面白そうなのですぐ飛びついた。それもチリが舞台で現地語スペイン語を使うからオーセンティックで、観る気が何倍も増す。
最初に字幕で『15年間の独裁軍事政権後、ピノチェット政権は国際社会のプレッシャーを感じた。政権は1988年6月のPlebiiscite!一般選挙を。国民の賛否により、ピノチェト政権が、もう8年間続けられるか決まることになる。選挙戦は二十七日間で、毎日15分間、夜、賛否両論のコマーシャルをそれぞれテレビに映せると。国民直接投票の結果で大統領を降ろして、民主的な大統領選挙ができるかどうかきめられる。』と。外国の映画にはこのような説明があると正直いって助かる。
かっこいい!映画!!
興奮するのは国民投票で政権維持の是否(Sin, No)が決定すること。それにマスコミも長期政権に毒されてるはずなのに、、ピノチェット政権はコマーシャルで『広告3分』の機会を与える。それに日本の2021年衆議院選挙というより、自民党独裁政権が長く続くことにより数々の問題点が出ることとかぶった。(中国、ロシアなど各国の独裁政治も含める)首相が変わっても同じ政権が長く続くことにより、専制主義になり軍事意識が強くなり貧富の差も広がるようだ。それに反対するものは単に共産主義だと思われるところもまるでこの映画と同じ。虹をマプッチェ族の旗だとか言ったり、ホモセクシャルのマプッチェ族?コミュニストのホモセクシャル?これらの発想は理解に苦しむが!! ところでマプッチェ民族は参政権があったのか?
また、勝敗が決まっているからと考えて投票に行かない人々もいれば、全く興味のない人々もいる。そこで、多様的な人々に受けようとしているが、、、、モデルも出てくるわ、、、農民も主婦も、、、、しかしなんか????当時、1988年の多様性だからねえ? マプッチェ族は話題だけでいないいね。
NO キャンペーンはカルメンのようなお手伝いさんや年配女性も説得しようとするが、、ここが面白い。カルメンは 『Sin』に投票するつもりで、『殺されたり、虐殺されてり、消えてしまった人々のことはもう過去のこと。今の世の中は民主主義だと軍部の人が言う』と。 年寄りの為政者の考える民主主義はと、レネ。カルメンは自分の意見を持つどころか人のいいうなりで、大勢に飲まれてしまっている。今までの不正は過去のことと考えているのとおんなじじゃん。 それに、息子は大学生だし、娘は働いているからと。自分の家族のことだけ考えていて、社会に目を向けない。
ここでは野党共闘の新しい大統領に決まる訳だが(本人)、、、日本ではそのシステムが作動しなかった。なぜって?問題意識が少ないから? 政権政党に巻かれろだから?
私のレビューに賛否両論もあろうが、勝敗を決めるのは国民なのだがコマーシャルというマスコミ媒体の威力にも脅威を感じだ。それに政権に牛耳られぱなしでいるマスコミもある。 音楽はコマーシャルソング、ジングル!
こんな風に観賞したから、この映画はあっぱれで満点だと言えるだろう。 しかし、レビューを書くのは難しい。政治だけでなく、主人公レネ(ガエル・ガルシア・ベルナル)の心の中や、家庭の問題にも触れたいし、職場についても触れたい。
この映画は日本で再公開するべきだ。少なくてももっとメディアに載せて欲しい。ガエル・ガルシア・ベルナルのファンが多そうだから、もっと観客を増やせると思う。それに、ガエル・ガルシア・ベルナルにつられて映画を観にきた人も何か社会の問題点に気づくと思う。これが、政治映画の醍醐味だ。レネが友達でコミュニストと言われているウルティア側につくのを止めさせようとする、ボス、グスマン(アルフレド・カストロ)。二人の会話は電子レンジから、コミュニスト、 ソ連がバックについているか? アメリカだ! アメリカは賛成はさ。。。。。これらを静かに交わすシーンが好き。白熱しそうな会話を抑えて話す。ボス、グスマンがレナの前妻、ベロニカ(アントニア・セヘルス、パブロ・ラライン監督の伴侶)を監獄から助け出してくれたシーンから、グスマンのこの選挙に対する見解が徐々に変化していってる。上司だから当たり前だと言ったが、レネの実力と人柄をかっているのがよくわかる。と言うより、倫理的に現在の政権に疑問を感じ始めてきている。
レネについて:
レネ(ガエル・ガルシア・ベルナル)の最後のスピーチは単純で短いが『チリは将来を考えられる』と大切なことを言っている。また、この勝利を導いた仲間の一人だと、反対派(Sin)をサポートしたボスが語って、レネを紹介したところも好きだった。この二人はこれからのチリの将来を見ているから。この直接選挙の結果はレネの広告マンとしての自信にも繋がっていくと思う。
それに、勝敗が決まって、レネは大喜びしないとこことが、本当に不思議。仕事以外で自分のことを表現するのが上手ではなく内気な性格だというより、自分自身の感情をすぐ出さず、周りの人々の感情や意見を見たり聞いたりしてからゆっくり自分を出している。NOの勝利のインタビューを受けなかったレネがここで広告会社の社員でなく市民として、その場を離れて、市道にシモンとのまれていく。レネの一般市民の喜びを観察しながら歩いていて、やっと実感が湧いて微笑む。圧巻。いいシーンで大好き。
息子シモンについても、レネはああしろこうしろと言わず、あるがままをシモンに見せる姿勢が好きだった。催眠ガスだから目閉じろと言ったこと除いて、レネは息子の感覚で、事実起きていることを見させた。はっきり言って子供扱いして育てていない。個人的にだか、私の子育てに似ているので、好感をもった。
それに、前妻ベロニカが最初に逮捕された時、レネはただ、『ベロニカ』と呼んでいるだけで、助けなかった。
前妻ベロニカともっと接近して行ったのは、NO広告の話題になった時からだ。ベロニカの言葉で『チリ人はこんなに背の高い人じゃないよ。デンマークからの人を使った? 歌ったりお祝いしたりするけどさ。どの国を夢見てるの。コピーコピーじゃないか。チリの現実をみよ』と。ここで、レネはベロニカの意見に同意してるんだよね。二人が一線に立ってるように見えるけど、レネの方が想像力だけのようで、ベロニカの方が現実的だと私は理解した。
ベロニカような前衛的な人の存在は大きい。行動的で現実的でもあるのでこれからのチリをみられる存在の人にもなれる。当時のデモや国政の参加者を見るとわかるが、女性の存在はあまり強くなかったから、私はこの人に魅力を感じた。レネとの関係がうまくいいっていないが、ある夜、レネはベロニカに『愛している』と言わなかった。まるで、息子シモンのために戻ってきてくれと言っているようだった。
ベロニカを愛しいているのがレネの表情から伺えるシーンが何度かあるのがきつかった。最後の方のデモのシーンではシモンを車の中に置いてまで、ベロニカを助けようとしたが、新しい伴侶に遮られた。この選挙戦でレネはベロニカに対してより愛情を感じていたが、ベロニカは他の男性の妻になっていた。レネと前妻の関係が思想的にも近づいていっているようだが、この映画の焦点ではないし、私の理解が追いつけなかった。
完全にこの映画を理解しているとは思えないが、レネの表現の仕方が好きだった。広告マンとしてより、一人の人間として。私は自分の言いたいことを言うという、表現力、行動力の必要な世界に住んでいるが、レネも表現力や行動力があるが、なんといったらいいか???奥ゆかしい動きや表現をするんだよね。好きだ。