劇場公開日 2013年10月26日

  • 予告編を見る

「危機的状況下においても対話し考え抜くこと」ハンナ・アーレント h.h.atsuさんの映画レビュー(感想・評価)

4.0危機的状況下においても対話し考え抜くこと

2020年8月11日
iPhoneアプリから投稿

20世紀を代表する政治哲学者、Hannah Arendtの1960年代前半を中心に描いた作品。

彼女は多くの名著を残しているが、本作では「エルサレムのアイヒマン」を描く前後の物語。実際のアイヒマン裁判の映像を織り交ぜ、まるでドキュメンタリー映画のように淡々と描いているところが、かえって作品のテーマ(“悪の凡庸さ“)を重く伝えている。

アイヒマン裁判の傍聴レポが雑誌で発表されると、アイヒマンの立場を擁護したと世界中の同胞者(ユダヤ人)から大バッシングを受ける。彼女は決してアイヒマンの行為自体を許していないが、彼が世間がみているような世紀の大悪人ではなく、ヒトラーの指示に忠実に従う単なる小悪人(悪の凡庸さ:the banality of evil)とみていた。

ヒトはひとたび思考不能(無思想性)に陥ってしまうと、「法」に従うマシーンと化してしまう。ナチスの暴走を招いた、一部のユダヤ人指導者にも同じ状況に陥っていたことを指摘している。

事の大小は異なるが、企業や官僚の不祥事でも同じようなことが繰り返される。
(深く考えずに)今あるルールや慣習に従うことは楽なことではあるが、もしかすると間違ったことをしている可能性に気づいていない可能性がある。

「思考とは自分自身との静かな対話である。考えることで人間は強くなれる。危機的な状況であっても考え抜くこと。」彼女のメッセージは現代の私たちにも強く突き刺さる。

社会の同調圧力の濫用に安易に屈することなく、言うべきことがきちんと言える社会の大切さ。

彼女は大学の講義のシーンで、決してアイヒマンを許すのではなく、私たちには「理解する責任」があると述べている。彼女のコメントからオウムの高級幹部の裁判を思い出す。なぜ彼らが麻原彰晃を盲目的に信じて、あのような暴挙に走ったのか、きちんと整理・理解することを行わず、結論(判決)を急ぎすぎてしまったのではないか。

atsushi