「最後の大学講義の演説は必見」ハンナ・アーレント 月野沙漠さんの映画レビュー(感想・評価)
最後の大学講義の演説は必見
2015/10/05、DVDで鑑賞。
先日観たクロード・ランズマン監督の『不正義の果て』でゲットーにおける長老(この映画で言うユダヤ人の指導者のことだと思う)の役割と苦悩は知っていた。その映画でインタビューに答えていた唯一生き残った長老ベンヤミン・ムルメルシュタインはアイヒマンを残酷な悪人ではなく、凡庸な役人だったと評したハンナ・アーレントのことをひどく非難していた。直接、道具として使われていたムルメルシュタインと裁判を傍聴していただけのハンナ、どっちの評価が正しいのだろう?道具として使われていたムルメルシュタインは相当な憎しみを抱いていただろうから、正当な評価を下せなかったかもしれないし、さらにはアイヒマンが残虐な人間でないと自分の立場が悪くなるという立ち位置でもある。ハンナはアイヒマンの裁判の証言しか聞いていないのでアイヒマンの本音の部分には触れていないかもしれない。
アイヒマンが本当に反ユダヤ主義ではなかったかは証明できないと思うが、ハンナが映画の最後に行う大学講義で語っているように、命令に盲目的に従い考えることをやめることは、人間であることをやめることであり、人間をやめたならどんな残酷なこともできてしまった、というのが本当というところではないでしょうか?
彼女の講義の「ソクラテスやプラトン以来、私たちは”思考”をこう考えます、自分自身との静かな対話だと。人間であることを拒否したアイヒマンは人間の大切な質を放棄した。それは思考する能力です。その結果モラルまで判断不能となりました。」という発言ががとても印象に残りました。彼女が映画の最後に行うこの講義はとても感動的でしたが、ナチスへの恨みに頭がいっぱいの人には伝わりません。思考を止めることによってモラルを失うのは加害者だけではなく被害者も同じなのです。
この映画を観た後で『不正義の果て』をもう一度見たくなったなあ。