「概して心地良い混線」劇場版銀魂 完結篇 万事屋よ永遠なれ 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
概して心地良い混線
「新訳 紅桜篇」に次ぐ『銀魂』2度目のアニメ映画。今回は原作者である空知英秋の監修したオリジナル脚本が展開される。
小噺チックなメタ描写(映画泥棒のくだり)がシームレスに物語の本流(時空渡航SFサスペンス)へと接続されていくという突飛な物語展開を何の説明や留保もなくすんなり受け入れられるのは、やはりこの映画が「銀魂」だからなのだと思う。
銀魂はメタ描写こそ多いが、それを決して特権化させない。物語世界の天井に穿たれたメタ位相は、眼下の物語を冷静に分析したり批評したりしない。いや、それどころかメタ位相のほうがかえって物語位相に飲み込まれてしまうことだって多々ある。この映画の冒頭のように。銀魂におけるメタ描写とは、下ネタや天丼ネタと同様に、素朴なコメディの手段の一つに過ぎない。
いや、もっと言えばコメディすら手段の一つなのだ。銀魂においてコメディとシリアスは厳格に弁別されていない。しょうもない話題から死人が出たり、殺伐とした剣戟の最中に間の抜けた笑いがあったり、要するにすべてが緩やかに繋がっている。何か一つが特権を有することがない。全力の脱力、それが銀魂だ。
このトーンは本作でもしっかり踏襲されており、心地よいメタと下ネタと涙と剣戟の応酬が展開される。時空渡航というコテコテのSFサスペンスをも問答無用で私物化してしまう「銀魂」文脈の力強さを改めて実感できるだろう。
とはいえ真選組から吉原から攘夷志士までメインないしサブメインキャラクターたちがこれでもかというほど登場するのでややカロリー過多であることは否めない。ラスボスも単なる悪のイデアとしてしか機能しておらず、その点においてカタルシスも薄い。
コメディとシリアスの混線こそが銀魂の妙味ではあるのだが、それにしたってもう少しコメディに振ってしまってよかったんじゃないかと思う。ラスボスにボケさせるとか。
ラストでは世界線是正の影響で登場人物たちが一人一人消えていくのだが、いくら元の世界で再会できるとはいえ、ここでしんみりした雰囲気に全く陥らないのは本当にすごい。その程度の物語的暴力では俺たちゃ痛くも痒くもならねェぞ、という登場人物たちの剛気を感じた。