許されざる者のレビュー・感想・評価
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久々に出来の良い邦画を観た。
丁度今観ている八重の桜と重なる時代背景なので深く作品を理解出来ました。渡辺謙、柄本明、佐藤浩市、柳楽優弥、小池栄子の好演は期待を裏切りません。特に今回は、謙さんの背負ってしまった罪の重さと手放したシアワセに、対する深い悲しみと、一皮剥けた柳楽君のいつもとは違うタイプを演じた、哀しみを背負い生きて来て、今後は罪を背負って生きていかねばならぬ青年の姿には心揺さぶられるものがあります。是非映画館で観ていただきたいオススメの作品でした。
キャスト・ストーリーに違和感が
許されざる親。
オリジナル版がイーストウッドの最高傑作西部劇!なんていう
評論家も数多いけど(なんせアカデミー賞をとってますからねぇ)
個人的にはイーストウッドの作品なら他にもいいのありますけど、
なんて思ってしまう実にひねくれたクチでして、ゴメンなさい。
確かに物語としては面白いけれど、いかにもだ~と思う場面が多く、
さらに呆気ない最後のシーンなど(観た方は分かると思いますけど)
ラストに余韻を感じるか否かは人それぞれ…でしょうかねぇ。
(セルジオとドンに捧ぐ…は泣けますけどね。人物像被ってますし)
で、その原版にほぼ忠実に北海道で再現化を図っている本作。
台詞といい、役回りといい、あ、ソックリ!と思うほど同じなので、
懐かしい~とか、あ~そうだったそうだった、という箇所が多い。
時代をほぼ合わせ、アイヌを絡ませたことで人種間のモチーフも
万全、主役と相棒に連れ添う若手という筋立てもしっかりと同じ。
渡辺謙が主人公になったことで、少しだけ幼い子供達の父親感が
出たのは良かった。オリジナルじゃどう見ても、あれは孫なのだ。
何でジジイがパパなんだ??と思いながら、馬に乗ろうとして落ち、
あ~もう!なんてブツクサ言っているイーストウッド卿を今観ると
(J・ウェインを想い出しつつ)
のちのジジイシリーズ傑作誕生への道のりが伺えて面白いですが。
オリジナルで保安官を演じたG・ハックマンを、今作では佐藤浩市。
巧い役者でいうことないのに、何故かカリスマ性がまったく足りず、
娼婦や十兵衛に憎まれるほどこの町を守ろうとする理由が見えない。
相棒の金吾(柄本明)は文句なくM・フリーマンでまったく違和感なし。
要となるキッドをアイヌの五郎(柳楽)に据えたので、どうだろう?と
思って観ていたのだが、彼が意外と大健闘していて観応えがあった。
暴力を賛美する作品ではないのだけど、殺さざるを得ないという
切望感が拭えない者たちのドラマなので、どこにも正当な善者は
おらず、悪くいえば総てが悪者達の対決。皆が許されざる者なのだ。
だから若手の五郎と顔を切られた娼婦なつめが、復讐をすることは
どういうことか、人間が殺し合うとはどういうことかを、しっかり
見つめて、観客側にそれを伝えなければならない(重要な役どころ)
五郎が(キッドが)初めて人を殺して腰を抜かしてしまうところや、
殺しは嫌だと泣きわめくところがとても重要な場面になってくる。
なつめが自分の復讐のせいでどれだけの人間が犠牲になったのか
を、恐れ慄く表情でこちら側に示さなければ伝わってこないのだ。
そのあたり、若手の二人は(演出がイマイチだけど)まずまずだった。
ボコボコ担当の國村隼、R・ハリスの両氏、本当にお疲れさまでした。
命あってのものだね。
しかし惜しむらくはあのラスト。
オリジナルの飄々とした(いかにも西部劇風)感覚とはまるで違う。
人斬り侍にはああいう末路が似合う、とでも言いたいのは分かるが
子供達にはいいのか、あれで。
(かなり長い間お留守番してましたけどね、あの幼さで。すごいわね)
中身のない映画
道具立てやキャストには力が入っているが、ともかくプロットが悪い。
主人公の十兵衛は、子供のことを考えて行動を開始するが、自分の行いが、どんな結末をもたらすかも考えず、最後には自暴自棄に陥るような人格で、『論語』でいう下愚とは、このような存在かと思わせる。子供が父親と会えなくなる悲しさを理解できない男なのだから。いくら金を渡しても子供の心は癒えない。非常に単純な人格なのである。
こうした人格を見せられても反面教師にすらならず、何も学ぶことがない。
さらに一蔵は、傷害事件を馬で肩代わりさせる理不尽な男で(あるいは女郎屋のオヤジから賄賂を取ったのかもしれない)、またお金で殺人を依頼した女郎たちに裁きを下さない。公平な立場になら、お梶も金吾と並んで拷問を受けているのが筋だろう(これにも裏があるのか?)。法の番人たるべき一蔵は、公平さもない悪人だが、十兵衛よりは複雑な人間かも知れない。
女郎に憐れんで(感情移入して)プロット展開を考えたのだと思う。その気持ちは分かる。可愛い「なつめ(女郎)」を傷つけた奴を許さんぞ。それは分かる。ただ、その情念に流されて他の事が見えなくなり、平板なプロットになってしまった気がする。へたをすると学生が自己満足で作った映画のようになってしまう。
エンターテイナーは、自分の描きたい世界を描く自由を持っている。それと同時に、お金を出して見に来てくれる観客に学びと満足を与える使命もある。もちろん、これは人それぞれの感想であるから、この映画について断定するつもりはないが、個人的には学ぶことは何もなかった。
こういう作風は、かつてデカダンを標榜する映画にも見られたが、
最近は少なくなり、日本映画が隆盛を取り戻しつつある。だが、意味なき芸術主義がはびこると、再び冬の時代が来ると危惧する者である。
イーストウッドの精神は本作にもしっかり生きています
みんな自業自得で共感できない
元ネタは観ていないので、作品そのものの感想です。
終始納得がいかず共感もできず、お金を返してほしいのが正直な気持ちです。
そもそも女郎が客に失礼なことをしたから斬られた、当然なことで。佐藤浩市の喧嘩両成敗的な判断も、刀ダメって言ってるのにルールを破る者へのお仕置きも、理不尽に感じないので彼が悪者に思えません。
むしろ金の為に嘘までついて十兵衛を巻き込み、挙句途中でとんずらの金吾のほうが理不尽、拷問されても自業自得なのでは。十兵衛にしても、はるばる女郎屋まで来たのに殴られ放題、何しに来たのこの人は?金の為に手は貸すけど、人殺しはしたくないな、、そんな甘い考えで小さい子供残して来たのか?
とにかく十兵衛にしろ金吾にしろ、心情が説明不足すぎて、意味不明の行動に見え納得できない。逆に職務を全うしてる警察たちがなぜ殺されなきゃいけないの。
重厚感だけじゃなく、心情や人間性も丁寧に描くべきだと思う。
リメイクは難しいですね
クリント・イーストウッド版は大好きな作品でしたので、どうしても比べながらの鑑賞になってしまいました。
見終わったとき今一釈然としなかったので、改めてハリウッドバージョンも見た上で書いております。
この映画のテーマは正直まだ漠然としか理解できてなくて、でも両方から同質のメッセージを受け取ったように感じます。
表現してみると、「過去に行った事は忘れる事も無視する事も許されず背負っていかねばならないが、縛られることはない、ということ。そして法(ルール)では許されても人として許されないことがある」と今は理解しておりますが。
今回のリメイクは、出演者の質はある程度高く、十分に鑑賞に堪える出来と思いました。
あと、エンディングはこちらの方がよりテーマに沿った内容かもしれませんね。
ただ、改めて見直してみて、やはりイーストウッド版の方が話運びも自然でスムーズ。リメイクにあたり変更した点・加えた点がほぼ全て余計なものとなっており、筋立てやらキャラやら色々なところに軽い破綻が見受けられました。
特に、柄本明演じる古い相棒の設定がかなり変更された結果、拷問で責め殺されても「非道い!」と感じる心が非常に薄れてしまいました。「自業自得」がしっくりきてしまう。
前作では、モーガン・フリーマン演じる同役は確かにかつて悪人でしたが、既に引退して妻と平穏に農業を営んでいたところを主人公に引っ張り出され、いざ人を殺そうとした時に、「もう人を殺せない自分」に気づき旅に出た事を後悔していました。なのに捕まって拷問され、さらし者にまでされたからこそ、「なぜ彼が・・・」と感じ、主人公の怒りにも共感できたのでしたが。
アイヌの方々が受けた苦難を多少なりとも描いたことは評価すべきと思いますが、全体としては成功したリメイクではなかったかな~。
久しぶりにしっかりした邦画を観た
イーストウッドの同名作品(1992)と、筋書きや台詞がほとんど同じだが、初めてこの作品に触れる人は存分に見応えがあるだろう。とくに極限の中で生き抜く力を一本の刀に懸けた男の生きざまは魂を揺さぶり、邦画の醍醐味を十二分に味わわせてくれる。
ほとんどオリジナルに近いと書いたが、本格的に開拓が始まったばかりの北海道を舞台に、髷を落として間もない元武士階級のいがみ合いと、和人移住の増加に伴い北海道の先住民であるアイヌの生活や文化が破壊されていく様子を絡めて、邦画としてリメイクした価値を高めている。
一度、刀を封印した男が再び刀を振るうまでの葛藤は、さすが渡辺謙、奥が深い演技を見せる。
幼い子たちの糊口を満たすために立ち上がってはいるが、この時点で本気で刀を抜く気にはまだなっていない。刀でケリをつけなければならないところまで追い込まれた男の凄みを出すところまでじっくり見せてくれる。
このケリをつける意味合いがアメリカ版と日本版で微妙に違う。アメリカ版は腐った人間どもを町から排除する意味合いが強く、本人は意識していないかもしれないが町を救った“英雄”という言葉がちらつく。いっぽう本作は、男の眠れる魂に火を着けたのは友への憐憫であって、そこには“情け”という言葉が似つかわしい。したがって、自ずとラストから受ける印象は異なる。
イーストウッドのオリジナル版よりも黒澤映画を意識した作風に見えた。
これで、渡辺謙以外の役者が、声のトーンをもう少し落として、気持ち台詞をゆっくり喋ってくれたら作品がもっと落ち着いた。
また、女郎たちと賞金稼ぎの接点がまったく描かれていない。そもそも何故、男たちが遠く鷲路まで集まってきたのか説明がない。賞金の噂を流布する手立てが描かれていないため、話が唐突に進む。オリジナルの真似をすることはない。
開拓時代の北海道が、アメリカに見えた
もちろん映画でしか知らないのだが、アメリカの開拓時代のことはそれなりに思い浮かぶ。それは西部劇のおかげ。しかし住んでいる北海道が、どんな風に開拓されたか映像として描かれたものを見るのは初めてかもしれない(実際には僕が見ていないだけでいくつかあるだろうけど)
そこには、西部劇のように、「馬」がいて、「ライフル」があって、「焚き火」があって、「ならず者」がいて、「女郎宿」があって、「賞金稼ぎ」がいて、「貧乏」があって、「差別」があって、「殺戮があって」・・・・
たかだか150年前のことなのに、今とはずいぶん違う。
北海道を舞台に西部劇をリメイクした着眼点はナイス。
北海道が、開拓時代のアメリカに見える。
ストーリーが大味な感じがした。
十兵衛がまた殺人を犯すには、もっと葛藤があってもいいと思うかな
見事でした。
何故、イーストウッドの名作のリメイクでなければならなかったのか
実に評価が難しい作品である。
一本の映画としては見応え充分。
演出はどっしりと構え、役者も熱演。
アイヌや明治初期の背景を絡め、巧く日本の風土に溶け込ませている。
雄大な映像も素晴らしい。
だけど、やはりどうしても払えきれない違和感が。
何故、イーストウッドのリメイクでなければならなかったのか。
オリジナルは至高の名作。いくら才ある日本の映画人が尽力しても、太刀打ち出来ない事は分かり切っている筈である。
ならば、日本オリジナルの時代劇として作った方が、絶対に評価も上がった事だろう。(実際、サブエピソードで描かれるアイヌの悲劇をメインに据えたオリジナルの時代劇の方こそ見たいと思ってしまった)
設定が似ている点についても、オマージュを捧げた事にすれば、イーストウッドと渡辺謙は繋がりがある訳だし、それすら敬意として評価される。
リメイクにした時点で、この映画は自らハンデを背負ってしまったのである。
演出も演技も悪くはないが、かと言って手放しで絶賛には至らない。
まず、演出面。イーストウッドの演出はドライで緊張感溢れ、格調高く深淵なものだった。李相日の演出も緊張感はなかなかだったが、感情をなぞる。これは日本人の感性に合わせたものなのだろうが。
渡辺謙は静かに怒りがこみ上げる熱演を見せてくれるが、伝説の人斬りの過去を背負った枯れた佇まいにはちょっと乏しい。
佐藤浩市は暴力的な狂人にしか見えなかった。ジーン・ハックマンは善と悪の不条理を感じさせたが。
役者陣では、柳楽優弥が印象に残った。
駄作ではないし、決して“許されざる映画”でもない。むしろ、好きなタイプの映画である。
でも…。
さっきから良いと言ってみたり否定してみたり、意見がふらつき大変恐縮だが、感じた事を思った通りに書いたまで。
なので最初に記した通り、評価が難しいのである。
(それでも、来年の日本○カデミー賞では高く評価される事だろう。ほとんどの部門でのノミネートはまず間違いない。それどころか、大量受賞も…?)
リメイクの宿命で、どう捉えるかは見たアナタ次第。
誰が許されないのでしょうか?
さすが「悪人」の監督です。
元の映画の記憶が観客に残っている年数しか経っていないのに日本映画として
勝負を挑み、それを実行した自信には敬意を覚えます。
元の雰囲気を壊さず、題への解釈をより深めた感じを受けました。
確かに、この方が題に忠実なような気がします。
絵は、面白い事になんか原画を日本画にしたような気がしました。
何故なんでしょうか。
バターの味付けでは無く、味噌・醤油の味付け。
ただ、やはり銃は、日本映画に合わないような気がします。
時代考証として無理が無いのは理解してます。
がしかし、刀だけでストーリーを組む事は出来なかったのでしょうか。
いやしなかったように思えます。
黒澤監督の「7人の侍」を「荒野の7人」でウエスタン調にリメイクできたわけで、この監督なら可能な気がします。しかもどちらも名作です。
リメイクでありながら、水準をキープしている作品はめったにお目にかかれません。
作品としては申し分ないのですが、この点を原点ー1としました。
数少ない日本映画の名作「切腹」「十三人の刺客」を破壊したリメイクを実行した監督の選択とは、大きく違います。
人間の内面の浮き彫り
リスペクトを感じる
イーストウッドのこの名作に対する李監督のリスペクトを強く感じた。
「許されざる者」は、僕のNo1フェイバリットだから、
ストーリーはもちろん、その映像の細部までしっかりと頭に入っている。
そのディテールでいえば2つのシーンが強く心に残っているのだが・・・。
2つとは、賞金を求めて3人が荒野を行くシーン。
オリジナルでは太陽と川と風がきらめくように描かれていた。
水面に太陽がゆらゆら、その中を3人の乗った馬が走り抜けるシーンは
詩情性にあふれていた。
北海道に場所を移しても、真っ白な雪山の世界に、
見事な大自然を捉えていたを捉えていた。
もう一つは、長年の相棒がリンチにあって殺されたと聞いたときの、
主人公が、長年やめていたウィスキー(酒)に手を出して、
ごくりと飲み干すシーン。
そのときの戦慄といったら、息が止まる思いがしたのだ。
ここも重要なシーンとして、とらえていたことに満足を感じた。
だから、そのほかのところがオリジナルとは違っていてもしかたないと思う。
たとえば、日本版キッド役により重きを置いたことも、
残された子供をサポートするのが、違うものたちになったことも、
それはそれで、よく考えてのことだったような気がする。
だから、僕はこの映画について悪く言うつもりはないのだが。
完璧に近い作品をリメイクするといったとき、
この批判は織り込んでいただろう。
それでも、作りたかった。やりたかった。描きたかった。
このどうしようもない欲望は抑えられなかったのだと思う。
それが映画監督といおうか、アーティストだから。
役者たちもそのプレッシャーによく耐えていると感じた。
そこには、日本映画としての甘えは全くなかったと思っている。
ただ、オリジナルには到達することは難しかったというべきだろう。
オリジナルに思いを馳せてしまうな
折角のリメイクなので比較したくないけど、やはりストーリーとキャラクター配置が同じなのでついオリジナルが浮かんでしまった。というか、リメイクは凡庸で退屈な日本映画だったな、と。北海道の風景、美術など見所はあれど、まったく面白くない。
脚本、よくないですね。何がどうあっても女郎の顔刻む男と刻まれる女から始めなきゃ、だと思う。
枯れて、軽やかで、残酷なオリジナルを、若い監督が深刻に作り直して惨敗した感じです。
『十三人の刺客』とかリメイクでも本家を凌駕できるリメイクもあるんで、多分よくないリメイクだと思う。そもそも本家はアカデミー賞はとってますが、言ってみればそう大層な話でもないので、何をそんなに深刻ぶった芝居と深刻ぶった音楽つけてんのか理解に苦しむ。たぶん製作者側にイーストウッドのファンはいないんでしょうね。何度となく撮り慣れた宿場町を軽やかにさばくイーストウッドと、アカデミー賞作品を日本に翻案しようと若手監督が必死でやっている本作(監督初の時代劇?)、考えてみれば、「イーストウッドによる最後の西部劇」とえらい違うものをよくぶつけたな、と。
まあ、リメイクなので、ほかの楽しみを見つけられればと思っても、オリジナルがチラツイてしょうがなかった。こんなつまんない話だっけ?と何度も思った。
芭蕉じゃないけど、「わび」「さび」のあとのあとの「軽み」の境地の西部劇によく挑んでしまったな。
ラスト方面の改悪エピソードを見ながら、「若過ぎ」と思いました。
重い・・・
俳優4演出2脚本1足して3で割る、辛口評言いきり御免
リメイク映画は、常にオリジナル作品と比較される為、その映画自身を白紙の状態で観る事の難しさを痛感。
この映画がもしも、邦画版「許されざる者」でなかったのならば、普通の賞金稼ぎの元侍十兵衛のアクション娯楽活劇・復讐劇として充分に見応えの有る作品だったに違いない。
俳優陣は、邦画界のスター俳優を出演させ、ベテランも若手俳優も豪華キャストだ。
文句無く俳優の芝居は、観客にも相当な熱気が伝わってくる素晴らしいものがあった。
全体には、良いのかも知れないが、あの「許されざる者」の日本版と言う期待が大き過ぎて返ってそれが仇となり、拍子抜けした感じがどうしても拭えない。
それは何故か?どんなに芝居が素晴らしくても、登場人物が何故このセリフを吐き、この行動をとるのか?と言うその根本の部分で人物像の人間性が、深く描かれていない。人間を行動に駆り立てる為の根源的な動機の設定が、不十分なのだ。チャンバラ活劇には、動機は、それ程重要では無く、只アクションの見せ場を作れば良いだけなのか?
しかし、それでは観客はシラケテしまう。
特に私は小池栄子が大好きなので、彼女が体当たりの芝居を見せてくれるのは嬉しかったのだが、このお梶のセリフも、当時の女郎として、おかしな発言が際立っていた。
柄本明も素晴らしい老いぼれ金吾を熱演していればこそ、彼の本心をもっとより深く掘り下げたならば、ドラマとして更に良い作品になった事を思うと、無念でならなかった。
そして十兵衛が亡き妻との約束を死守しようと耐えに耐えるが我慢ならず、最後に怒りをぶちまけるところまで、ズーと引っ張るのは、ドラマを劇的に演出する上で巧い運びなのだが、十兵衛もいやにセンチメンタルなだけに見えてしまうのは、人物の掘り下げ不足が原因で無念だ。
大石に至っては最悪で、彼が何故、あの地で、どうしてあの仕事に就いているのか?何を考えて生きているのか?彼の極悪非道な残忍振りが良いと、宣伝では言っているが、動機不十分で、説得力に欠ける為、大石の人間性を今一度描いて欲しかったのだ。それ故、余り悪者に写らない気がした。佐藤浩市の表情および、その他の芝居自体は問題が無い。
北海道の広大な荒野もそれだけで、このアクション映画を面白くさせる素晴らしいロケ地だった。雪に閉ざされたファーストシーンは素晴らしかった!
何度もしつこくリテイクを繰り返し撮影が行われた事が、ニュースに因ると記されている。どんなに良い器と旨い素材を取り揃えても、その素材が一番活かされる調理手法や、味付けを板前がしていなければ、美味い料理は提供されない。それと同様にどこかの国の旨い料理を真似ても、日本風土と日本人の味覚に合った料理として誕生させるに充分な研究が疎かであれば、作る意味が無いのと同様に、この作品は総て良い条件が揃っているだけに残念な作品だった。監督の次回作に大いに期待する。彼ならもっと良い作品が撮れる筈だ。
リメイクとしての意図
一部変更や追加はあるものの、終盤近くまでは意外なほどオリジナルを忠実になぞっている印象で、最後までこの調子か?と不安になったが、ラストであえて追われる(であろう)身へ自分を追い込むことで、贖罪とも取れる形で締めくくったところに、リメイクとしての意図を感じ、なるほど、これはこれでありだなとも思った。
キャッチコピーの「人はどこまで許されるのか」、死ぬまで許されない罪を
背負って生きていくしかない、ということなのだろう。
そのためか、終盤の襲撃シーンは映像も音楽も叙情的。
一方のオリジナル版では、鬼と化したマニーが「女子供も動くモノは迷わず撃ち殺した」とためらいも無く過去の自分を語るところから、星条旗を背に「さもないと、皆殺しだ」と告げて去る場面まで、情感的な演出は一切なく、ただ人が人を殺すシーンでしかない。
どんな事情があろうと、暴力は暴力、人殺しは人殺しでしかないということを印象づけたオリジナルに比べると、どうしても弱い!と感じざるを得ない。
渡辺謙は頑張ってはいる。いるのだが、ここぞというところで、過去に散々人を切ってきた男の凄みがもう少し欲しかった気もする。
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