遺体 明日への十日間のレビュー・感想・評価
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忘れてはいけない
現場では何があったのか支援物資の足りない人や物、それし生かされた人達がやらなければならないこと。
それを教えてくれる映画です。
自分の意見など
そしてボランティアとは聞こえはいいが震災近くに住んでいる人達もいくら被災している地域では無いかもしれないがボランティアをしていただいている上で被災者の為に尽くしているにも関わらずボランティアは自分で食事を調達しなければならないのは改善する必要がある。
行政では足りない部分を補ってもらっているからこそ人々は助け合わなければならない。
今では色々な方法で1人でも多くの命を助ける努力を国が行なっているがまだまだ改善すべき点はある。
最前線で支援を行った人や被災者方に耳を傾けて国や県、また各管轄が知識や知恵を出し合い今ある物で最善を尽くすそうすれば、いずれ災害が起きても最小限に止めることができると自分は思います。
【東日本大震災発生後、遺体安置所の様を描いた作品。そして、ルポルタージュの実写化の危うさを知った作品。】
■私は、東北に所縁がある。
故に、今作は震災後2年経たないうちに公開されたので、とても見れないと思い足を運ばなかった。
東日本大震災をテーマにした映画を観始めたのは、2020年の「Fukushima 50」と「風の電話」からである。
今作は、釜石市の民生委員だった男を主人公にしている。
福島ご出身の西田敏行さんは、遺体安置所に次々に運び込まれる津波に呑み込まれた泥だらけの遺体を前に、茫然とする人達の前で懸命に遺体及び遺族に対し丁寧に接する男を見事に演じている。
一番、グッと来てしまったのは多くの遺体を前に読経する僧侶を演じた國村隼さんが、読経の途中で、何度も涙を堪えるが故に読経が続かなくなる姿である。
涙が出そうになる。
だが、私は、ある事実を岩手県庁に勤めている大学の友人からこの映画が公開されて、だいぶ経つ頃に教えられたのである。
もう、良いだろうと思って観たのだが・・。
<今作は、邦画の名だたる且つ気概ある俳優さん達が集結した映画である。
2013年公開の映画に出るだけで辛かっただろうと思うのだが、皆さん流石の演技である。
只、映画と事実は別物である、と言う事は十二分に分ってはいるのだが、多くの名シーンを持ってしても、のめり込む事が出来なかった作品である。>
このような方々がいたからこそ、最期の別れができたのだろう
泣いた
10年前の映画だとは知らなんだ
初期対応、準備がこんなに大変だとはね。
ある程度マニュアルがないと現場は混乱するわ。
西田敏行さんの安心感……。
あのような方がいてくれたら亡くなった方もさらに救われた気持ちになる。周りも。
地震のあとすぐ、次の日にはご遺体を目の当たりにして、それも多くのご遺体を。
その中であのような対応ができるか自信ないよなあ。
亡くなった方に対して、丁寧に、優しくしたいと思う。
ご遺体をすぐに見せるのではなく、特徴を記載してから会わせたり、
ブルーシートではなく綺麗な毛布をかけ直したり、祭壇を設けたり、
震災後の混乱のときはそこまで気が回らないし、映画を見ていても、そこまで頭回らなかったと気付かされた。
ライフラインが断絶してるからもちろん火葬場も動かないし、そもそも火葬場が破損してるかもしれない、
お棺を安置所まで持っていかないといけないし、お棺自体の手配も必要。
ひとつの安置所だけでこの混乱で、この状況で働く方がいたからしっかりと悲しむこともできるんだなと。
被災者の気持ちになりがちで、
行政の方やボランティアの方の気持ちになかなかなれないので、ハッとさせられた。
できる限りの寄付やボランティアをしていこう。
そして祈ろう。
22.12.10 DVD
災害時に実際に起こったこと
大きな災害の時に、死者何名、身元不明何名、とニュースで流れる。その時に、亡くなった人のこと、家族のこと、対応した人たちのことを具体的に考えたことはなかった。
災害時の、非日常の中でも、悲しみに向き合い、大切な人に最後のお別れを伝えなければならない。
石井さんが実際に取材した内容に基づいて、本当にあったできごとを丁寧に描いた作品。
フライング
震災後にもっとも早くリリースされたメジャーな映画がこれだった──と思う。
亡骸を丁寧にあつかうことを励行しているひとの話だった。なんとなく要領を得なかった。被災者ではないゆえ、無責任な発言になってしまうが、厖大な災害時には感傷よりも効率が必要になる気がした。のである。
亡骸を丁寧にあつかう──それは殊勝なことだが、どちらかといえば、独自性の高いこだわり──だと思えた。もちろん涙腺へ誘っている気配は露骨にあった。率直に言ってインチキ臭かった。
先般(2020年7月)映画のモデルとなった人物が少女たいする強制性交で逮捕された。
かれのこうばしいひととなりを述べた住民たちの話もあがっていた。屍体愛好癖で仮設安置場所をうろうろしていたかもしれない男が、いいように誤解され大資本のメインストリーム映画のヒーローになった──わけである。
もちろん、それを予見したわけでない。ただそうなってみると映画にあった違和感がストンと腑に落ちた。
その顛末を知るとき、プロダクションが悲劇を探していたことが分かる。
監督は踊る大捜査線シリーズを手がけた商業監督であって、こうなってみると指名はいい迷惑だったろうが、映画はお涙頂戴とはいえ、その職人手腕に支えられ、悪くない。
しかし。なぜこの人物が脚光したのかといえば、悲劇を探していたからだ。あらんかぎりの悲劇が横たわっていたあの震災の後で、よりにもよって変態に脚光してしまった。
──悲劇は探すものではない、とはそういうことだ。
悲劇が見つからなければ、悲劇はいらない。あるなら、へたに脚色しなくていい。
映画は単体で評価していいものだと思う。
それが嘘でも、ねつ造でも、あるいはキャストやスタッフが犯罪にかかわっていても、楽しんでかまわないと思う。またそれらを知らなくてもいい。
ただエンタメを鵜呑みにしない批評精神はあっていい。
慰安婦や抗日を信じるならわれわれはたんなる色情狂である。
それを考えたとき、まっとうなうらづけのある題材を見つけてくるプロデューサーのしごとも、映画の構成要素だと思った。
個人的には、東日本大震災の映画は早すぎると思う。Fukushima50も早すぎる。進行中の話を感動に仕立てるな──というたんじゅんな理屈であり、これなんか完全なフライングだった。フライングだったからこそ誤謬が発覚したのだ。
遺体明日への十日間
2,3年前まで 敢えて観たいと思いませんでした!たまたま娘がDVD持っていて あっ、持っていたんだという感じ、9年目 まさにあの時の忘れかけていた五感で感じた色々な事が蘇って来ました、
この映画、製作された時期でしか、分からない小さな事細かい感情が描かれています、当時行方が分からない親戚や友人を探して安置所、何十ヶ所も探し歩いた時の感覚が蘇って来ました、今見るともっとリアルな表現でも と言うところもあるが、この作品が作られた時期はこれで良かったのかなーとおもいました。安置所の床の日が経つにつれて綺麗になって行く様子良く描かれていました。
今、新たにコロナウィルスの脅威の中薄れてゆく震災の記憶再度蘇えさせる映画です!。
忘れられない映画
2020年2月11日
#遺体明日への十日間 鑑賞
東日本大震災発生から10日間、岩手県釜石市の遺体安置所となった体育館で苦悩しながら奮闘する、ボランティア、市役所職員、医師、歯科医師を描いた作品。
大震災においていろんな人がいろんな形で活躍されたと思うけどしっかり記録に残すべきだと思った。
原作ファン
映像化したという努力は良しとして、
そこに西田敏行とか佐藤浩市、柳葉敏郎とか、
名だたる役者揃えちゃったら、
もう完全に「ドラマ」。しかも「君塚ドラマ」。
「聖人:西田敏行」の「ドラマ」でしかなかった。
その割に、主役の西田敏行なんか、
しばらくしないと何やってる人か分からない。
震災の説明のテロップとか付けるなら、
役名の肩書きとかも登場したところで付けないと、
(どこに住んでる誰とか、市役所何課の誰とか)
何するべきの人かさっぱり。
描いてる場面も震災後の10日間なので、
伝えるメッセージも薄いモノしかない。
そもそも西田と國村隼を並べちゃマズイだろ。
こんなとこにヤ○ザがいるぅぅぅ!、てなっちゃう。
役者では、方言の徹底さは無かったが、
志田未来と勝地涼は良かったかな。
ただ勝地が心変わりするきっかけとか脈絡とか、
全然分からんかったけどね。
過度な演出を控え真摯につくられた映画
体育館に仮設した遺体安置所の2ヶ月間を画く。フィクションでノンフィクションを描く難しさをどうしても考えた。役所の人たちが真っ白の上着を着ていたのがなにか象徴的だった。切羽詰まった現場の空気、怒号がどこともなくあちこちで。言葉にできない想いをお辞儀をすることで表す姿が日本人ぽい。刻一刻と変化する状況と構築してゆく全体的なシステム。声に詰まる住職のお経。元葬儀社、役場、医者、歯医者、消防士、警察官、捜索人、それぞれの立場の人たちがそれぞれの仕事を全うする。
だいぶ原作よりも様子がソフトに描かれているように思う。 でも、そう...
だいぶ原作よりも様子がソフトに描かれているように思う。
でも、そうでもしないと映像化できなかったのだというのも伝わってくる。
全員が使命感責任感を持ちながら遺体安置所での役割を粛々とこなしていると思いがちだが、その悲惨さから精神的に不安定になったり、顔見知りの遺体を見て動揺する方がごく自然である。
なんとかラジオで津波の様子を知ることができるも、自分の置かれた場所のことをこなすことで精いっぱいで、安置所以外の場所でも混乱が容易に想像できる。
これがDVD化されたらmust buyだ。
●頭が下がります。
3.11。そう記号のようにいうのだけれど、そんなもんじゃなくて。
壮絶さの一端を垣間見る。
日々整えられていく遺体安置所。毛布が支給され、祭壇が用意され、棺が届く。津波がおきて数日でだ。
そこには、地元の方々の不断の努力と想いがあり。壊れてしまう人もいる中、ホント頭が下がる。
私事だが、地震から数ヶ月して炊き出しに参加した。なんの役に立ったんだか、自己満足だったと恥ずかしくなる。それでも、せめて彼らの心に寄り添えるよう、いまも自分のできることをするしかない。
そう。やるべし。だ。
亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りします。
現実。
どこまでリアルに描かれているか私には知る由がない。と言うか計り知れない。
お坊さんとは良い職業だと思う。あれだけ絶望的な状況で、お坊さんがお経を唱え始めると一気に空気が変わる。それまで救いを求める場所がなかった人々が縋るように拝む。つい自分も手を合わせてしまう。
原作の方が良かった
原作が素晴らしいノンフィクションだったので、期待したのですが、名シーンをつなぎ合わせただけになっていました。
西田敏行さんの演技は良かったですが、他のキャストは豪華な割に、見せ場が少なすぎた。
もちろん震災の時に釜石で何が起きていたかは伝わるし、意義は大きいと思います。
ただ、劇映画でやる意味があまり感じられなかった。
豪華な再現VTRというと言い過ぎかもしれませんが、映画の力を感じさせる内容ではなかったです。
あの時、起こっていた事実の一つ
2011年3月11日、14時46分に発生した東日本大震災。およそ2万人の人が犠牲になった。
本作は、その東日本大震災で被災した岩手県釜石市の遺体安置所の数日間を、ジャーナリストが取材したままにドラマとして再現した作品である。
釜石市だけで死者・行方不明者は1000人以上になる。そうした遺体が運ばれてくる遺体安置所。カメラはそこからほとんど離れず数日間を描く。
東日本大震災で100人以上が犠牲になった市町村は、岩手県・宮城県・福島県の3県で22市町村ある。あの時、あの数カ月間、22市町村それ以上の各地で、本作に描かれていたような遺体安置所の姿があったはずだ。
遺体安置所だけではない。沿岸部の被災現場、遺体捜索の現場、原発、避難所、病院、福祉施設、市役所、ありとあらゆるところで、非常に厳しい状況があった。もっといえば、被災した一つひとつの家庭にもあった。
僕らがこの映画から、あるいは大きな震災から何を感じるべきか。少なくとも、あの時に起きた事を忘れないでいる事だと思っている。それは、東日本大震災に関わらず、日々の出来事をちゃんと意識していく事の大切さに繋がるはずだ。
なお、本作が震災から2年という段階で作られた事に対する批評は様々だ。釜石の地元の人に限らず、多くの被災地で本作を見た人から「今見たくなかった」という声を直接に聞いた。しかし、一方で、震災からたった2年で、被災地以外では震災のことが忘れられそうになっているなか、当時の現実を映像化した事への評価もあった。
個人的にはもう少し時間を置いても良かったかもしれないと思いつつ、東京で震災への関心が低くなっている事を実感するたび、やはりこういう作品を送り続けていく事の大切さも感じるのである。
ニュースでは伝わらない部分・・
劇場でみました。
劇場から出ても胸が締め付けられる思いでした。
最愛の父を亡くしていますが
悲しみにくれ葬儀で父を見送った時の事を
振り返りました。
でも被災地の方は大切な人を亡くしても
悲しみにくれている事、それすらままならない悲惨な現実
そして日本人の思いやり・・温かさ・・強さを見た作品でした。
俳優さんの演技は素晴らしいです。
ニュースだけでは伝わらない部分です。
忘れてはいけない。
沢山の方に見てほしいです。
真実とは何か。。
この手の映画は苦手です。
ニュースなどで僕が見てきた物以上の「悲惨さ」や「被災者の苦悩」などは伝わってきました。神奈川在住の僕でも何か行動できたのかな、と考えさせられたほどです。
ただ、演劇である以上少なからず”演出”があるのかなと思ってしまいます。1%の漏れも無く忠実に再現してるかもしれません。だけどもし、一番心に刺さった場面が脚色されているとしたら、僕は許せません。
ノンフィクションの力
民生委員でもあった主人公を西田敏行が丁寧に好演。回りを固める主役級の役者(佐藤浩市、柳葉敏郎、筒井道隆、緒方直人等)や、若手(酒井若菜、志田未来)等、個性をあえて消して、現実のように演じている。大きなドラマもないが、フィクションを越えるノンフィクションの力を発している。
海水に、下水やガソリンが混じって凄い臭いで・・
映画「遺体 明日への十日間」(君塚良一監督)から。
3.11(東日本大震災)を題材にした映画をこれまでも何本か観てきたが、
私は、この作品の取り上げ方が一番納得できた気がする。
当時の津波映像が使われるのは、あまりにもリアル過ぎて、
被災者のフラッシュバックを考えると賛成できないし、
かといって、お涙頂戴的に、妙に「絆」を強調する作品は、
映画とわかっていても、リアル感が感じられない。
今回の作品は、今までマスコミなどがスポットを当てなかった
「遺体安置所」という場の設定と、徹底取材にも基づいた、
五感をフル活用した台詞などが、私を驚かせた。
マスコミは、津波映像に代表されるように、視覚を中心に「3.11」の悲惨さを
伝えようとするが、視聴者にはなかなか伝わってこないのが現実。
だからこそ、津波現場から戻った人の台詞は、重たかった。
「海水に、下水やガソリンが混じって凄い臭いで・・」という嗅覚や、
(遺体に向かって)「寒くないですか?」と話しかけるシーンや、
「暖かいお茶、ありませんか?」と触覚を通して寒さを伝えるシーン、
さらには、日蓮宗のお上人さんが、悲しみや辛さからかお経に詰まり、
お経独特のリズムが崩れるといった、聴覚で表現した悲惨さが、
視覚からもたらされる映像以上に伝わってきた。
東北の人たちは、当時のことを多く語らないけれど、
「海水に、下水やガソリンが混じって凄い臭いで・・」の台詞で、
頷く人たちも多いのではないだろうか。
実は、この表現された臭い、1つひとつは想像できるのだが、
混じった臭いが、なかなか頭の中で想像つかないのは、
私が視覚ばかりに頼っていたからに他ならない。
視覚以外に訴えた「3.11関連作品」、図書館で探してみようと。
P.S.
番組冒頭に「2016 いわて国体」と書かれた「のぼり旗」を発見。
そうか、あと3年後は「いわて国体」なんだな。
亡くなられた方々への尊厳と敬意を込めて
自分は福島の人間なので、あの日の事は生涯忘れないだろう。
被害状況が分かるにつれ、亡くなられた方の人数もみるみる増えていった。
我々はそれをTVのニュースを通して、ただの“死者数”としか認識していない。
死者が発見されたという事は、収容されたり身元が確認されたという事である。
そこにはどんな思いがあったか。
そんな知られざる現状を描いたのが、本作。
津波で深刻な被害を受けた岩手県釜石市の遺体安置所を取材したルポルタージュ本を基に映画化。
人によっては見るのが辛い映画でもある。
かなり生々しいシーンもある。
次々と死者が運ばれ、安置所は大混乱。怒号すら飛び交う。
現場に漂うのは、絶望、悲しみ、戸惑い、怒り…。
地獄絵図のような中で、尽力する人々がいた。
亡くなられた方は死者ではなく、ご遺体。生きている時と同じく、優しく語りかけ、接する。
彼らもまた同じ被災者。運び込まれてくる中には、友人やお世話になった顔もある。これは酷な事だ。
しかし、悲しみに暮れる暇はない。誰かがやらなければならないのだから。彼らの尽力が、遺族との再会と、遺族の心のケアにも繋がっていく。
震災関係の映画は決して少なくはない。
でも、そのほとんどが、“訴え”の映画である。園子温の「希望の国」は、過剰過ぎて嫌いだった。(真っ正面から挑んだ意欲は買うが)
震災そのものも原発事故もだが、もっと忘れてならないのは、不条理に命を奪われた方々の事。
悲しみを思い出させる映画を何故作った?…という非難の声もあるだろう。
辛い部分もあるが、ただ悲しいだけの映画ではない。
亡くなられた方々への尊厳と敬意を込めた真摯な人間ドラマである。
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