フタバから遠く離れてのレビュー・感想・評価
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電力会社からの被害だけではなく、国のエネルギー政策の間違い。残念ながら今も変えていない。
『もう、帰らなくていいや。そうはいかない?』
『そうはいかないだろうね』
この映画の感心できた唯一無二の会話。
フタバ町長の見解の間違い。
『長崎も広島も被爆したが、人が住んでいる。たから、我々も町に帰りたい』色々な意味で、余り良いたとえではないと感じた。かたや戦争である。また、広島と長崎の被爆と福島県の被爆の程度は全く違う。また、行政は他人事のように言い逃れをする。なんと醜いことだろうか。
結局は政治的なパフォーマンスが姿を表す。それにこの頃は『民○党』だったから、今の与党が住民を応援する始末。さて、子供達をこの街に返すべきなのだろうか?そして『カシコミ、カシコミ』と言って、過去の出来事と称して、あの『水たまり』と同じ位の『冷却水』を海に流そうとしている。海に流せばあれは希釈されるが、海には生態系があって、食物連鎖が存在する。つまり、あの水俣事件の様な悲劇を繰り返す可能性がある。
単純な計算で、この地に踏み込める時期は二億年先の事である。だから、韓国が騒いでいるんじゃないかなぁ。それを自由と民主主義の国日本は風評被害と言っている。さて、どちらを信用するか?
原発について
インタビュー中心に双葉町の住民の声を描き出す。東電のおかげで発展した町ではあるが、危険性については何も説明を受けていなかった・・・まさに巨大企業の横暴が彼らの背後で蠢いていたことが窺える。映画のタイトルからも推測できるように、原発というものといかに共存すべきか、考えさせられる作品でもある。
遠きにありて思ふもの。
映画の印象'悲しい'、複数の意を包含している。
それは、故郷を失った彼の地の人間の悲しさであり、我々外部の者が感じる感情であり。
我が国のエネルギー戦略の未来が暗いことへの悲しさ、費用対効果の定かでない除染を検証なく続ける政府しか持たない悲しさ、避難所で飼い慣らされる悲しさ。
今後の日本の縮図(超高齢社会の更なる進展)は地方にあり、また、限界集落は如何に撤退するか、ということへの試金石でもあるかもしれない、とフタバをみて感じる。
金は有限であり、反対を押し退けてもやるべきことはあるのでは?と正直に言って思う。
都会の人間のエゴだ、と言われるかもしれないが、田舎に住み続けることもエゴの一形態では?
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