舟を編むのレビュー・感想・評価
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辞書作り=文化の礎・記録を作ること
2枚看板は、松田氏とオダギリ氏だよね。
宮崎さんじゃなく。
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レファレンスブックの世界では厳密にいえば、「辞書・辞典」と「事典」「字典」の定義が違うことはご存じだろうか?そんなニュアンスもすでに遠くになりにけりなんだろうな。
ピンポイントに明示してくれる電子媒体は便利だ。紙媒体だと、目指す単語に行き着くまでが煩わしい。余計な単語や用例が目について寄り道したり、いらいらしたり。そして目指す単語に行き着いても周りに拡がる同音異語、似たような言葉。電子辞書がプールなら、紙媒体は四面に拡がる海。ついつい目的地を見失い、言葉の海の中で迷子になる。(国語や英語の教室にはそんな海でおぼれたり、不思議の国へ遊びに行ってしまったり、フェードアウトしている子が何人いることか)そんな中で自分にふさわしい言葉を自分の感性を頼りに拾いださなければならない。
利用者からすれば、そもそもどの辞書を手に取るかからしてすでに冒険は始まっているのだ。「無印の言葉こそがその辞書の個性を決める」のであり、紙の手触り・匂い、言葉と言葉・解説と解説の行間すら、いろいろな刺激をくれる。
辞書をキーワードにしたこの物語の題名『舟を編む』。なんて含蓄のある題名なのだろう。私達は、実際には辞書の編集はしないけど、頭の中には自分なりの辞書を編集している。
「日本は基礎研究にはお金を出さない」辞書編集にまつわるエピソードしかり。だが、辞書は自分の国の言語感覚を記録していく基礎資料。使われなくなった言葉でさえ、そこに生きた証の記録。目先の派手さ、周りの環境に振り回されるのも良いけど、芯がなければただ浮遊しているだけ。地に足付いた・腰の据わったゆるぎないものがあればこそではなかろうか。
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この映画はそんな仕事を軸に展開する。
ああ、だけど、辞書編纂(特に国語辞書)て、出版社の中でもエリート社員が請け負うものだと思っていた。緻密で正確さを求められる、そのくせ時代性と普遍性のバランスがなければできない、しかも力量・信用がないとできない事業だもの。このレビューを書いている時だって、ATOKで表示される意味・用法にどれだけ助けられているか。
原作未読。
鑑賞後は、心に小さな灯が燈ったような、静かな暖かさに包まれる。
馬締は人づきあいが苦手な”変な奴”という設定だけど、本当の人づきあいって何なのだろうか。結果的に西岡の心に「こいつの為なら」と火をつけてしまった馬締。タケばあさんしかり。それほどの関わりができる人ってそうそういない。
人たらしの西岡がプロポーズする場面、人生に覚悟を決めたんだとカッコ良かったですね。ある言葉の”用例”になっちゃっていたりするけど。あんな場面にあの言葉を使われると、その言葉もそのうち誤用されるようになるのかな?なあんてね。言葉は生きている。その場その場でいろんな意味・気持ちが上乗せされる。
前半は馬締の恋が、後半は大詰めの編集部の様子が描かれる。でもラストから察するにタケばあさんの視点になるような馬締の成長譚?
視点がぶれて今ひとつ定まりきれておらず、ちょっと物足りない。
映画の中では、複数のより糸がよりきれなかった…。
前半は西岡との出会いと別れ、その間の二人の変化。そして馬締の恋を場面は少ないけど丁寧に描き見応えあった。
でも、後半はもう少し描き込んで欲しかった。
特に最終稿チェックでのミス発見。もっと息詰まるようなパニック感が欲しかった。万単位のチェックだよ。どれだけ完成期日が遅れるか。営業・経理(バイト代捻出)との確執等あってもしかるべきと思うけど、意外にあっさりクリア。
松本先生の為にと逸る心と、でも言葉を大切にしてきたこれまでの仕事(=松本先生の教え)とどっちを取るかという本当に正念場での決断なのに、ちょっと軽かったかな?
期日に最終入稿できなければ、営業に迷惑かける。辞書編纂反対勢力からの格好の攻撃材料にも成りかねない。反面、適当なものを出したら、出版社そのものの信用が失墜する。どっちを取るか決断を迫られる場面。
前半の恋の場面を削ってでも、12年後のこのあたりを、松本先生、荒木、佐々木、西岡、村越、香具矢を絡めて描いて欲しかったなあと惜しい。
原作を読まれた方の不満は、もっと言葉に関しての感覚を映画に反映させてほしかったみたいな。要所要所には出てくるんだけど、確かになおざりかな。
とは言え、芸達者な役者達の饗宴、安定感で魅せてくれる。
八千草さんの表情だけで、何が起こったのかわかる。
酔った加藤氏の顔。加藤さんご自身は、お酒を嗜むことはないと聞いたけど。それだけじゃない。芯の固い部分と、悪ノリする場面、ファーストフード店に通うような洒脱な一面。そんな両面をもった好人物ってこの方しか演じられない。
オダギリ氏もいい。この映画を馬締と西岡の先輩後輩バディ物語に絞って見たかった気もする。
宮崎さんは恋文→詰め寄りの場面は出色でした。でも、12年後が…。
池脇さんも何気に良かった。
鶴見氏は新鮮だった。
小林氏、渡辺さん、伊佐山さんは、相変わらずの安定感。
馬締が恋していることが分かった途端に、お店に予約を入れる佐々木女史。あの間。伊佐山さんだからこそ!(笑)そんな悪ノリに、西岡・佐々木女史だけじゃなくて、松本先生や荒木までもがついていく。どんだけ愛されているんだ、馬締!
黒木さんの使い方は勿体ない。
そんな役者さん達が揃って、自然だが、唸りたくなるような演技が程良くかみ合った映画。
(松本先生以外の、男性陣の髪型・服装センスは吹き出しましたが)
一生の仕事を見つける。先が見えないけどやりたい、そんな心意気が大切なんでしょうね。
「舟を編む」というのは辞書の編纂に関わる心意気として出てくるけど、思えば人生なんて先が見えない航海に出ていくようなもの。その中で深海に埋没しそうな日々の事にどれだけ意味(光)を見いだせるか、で、人生が満ち足りたものになるのかが決まってくるんだなあと日常が愛おしくなりました。
観終わった後、もっと丁寧に生きていきたいなあとほんのりしました。
淡々と進む
知らない世界を覗けたのは良かった。が…
冒頭の「右を説明出来るか?」との問いで、
掴みはOKだった。
そんな事考えた事も無かったからね。
しかし、正に気が遠くなる様な地道で緻密な仕事ですね。
先生の様に完成を見届けられない事も往々にしてあるだろうし、
完成したとしても次々に新しい言葉や使い方が生まれては死んでいくので、その改訂作業。
ひぇー!
辞書作りという、知らない世界を覗けたのは良かったです。
ですが、
西岡(オダギリジョー)や岸辺(黒木華)が辞書作りに魅力を感じていく過程がお座なりで、
異動しなければならない無念の気持ちや、華やかな雑誌編集部から辞書編集部に染まって行く描写に違和感を覚えました。
特に馬締とかぐやの尺が短過ぎて、一体何処に惹かれたのかさっぱり伝わって来ず、
私も好きですって言った瞬間、関西人でも無いのに「何でやねん⁉︎」って突っ込んでしまいましたよ。
結局、最後まで二人の気持ちが通じ合っている様には自分には感じとれず、最後の台詞で再び突っ込んでしまった…。
辞書作りという仕事に絡めた長い年月の物語なので、登場人物の気持ちや心の描写の面でちょっと映画の尺では厳しかったのでは?
そんな感じ。
日本的な作品
日本語大好き
面白かった!
タイトルなし
変人が偏屈な作業を続けるだけの話。
松田龍平の表情の抑えた演技
タイトルなし(ネタバレ)
松本先生いわく。「言葉の意味を知りたいということは、誰かの考えや気持ちを正確に知りたいということです。それは、人と繋がりたいという願望ではないでしょうか。」
卍すとんと落ちた。
言葉は生き物だから、ずっと追いかけていきたいと思います。世界は発見と喜びに満ちている!
地道な作業。
何かに打ち込むということ
世の中には、なんでも器用にそつなくこなす人と、ある特定の分野だけに特異な能力を発揮するが、他分野では平均以下、という人と2種類がいる。これは、能力差ではなく興味の幅が広いか狭いかの違いではないか、と最近思う。限られた集中力を分散させるか、ひと所に集中させるかによって、結果が変わってくるのだ。
本作品のまじめさんは、まさしく後者の人間だ。彼は、文字で書かれたことばにだけ強い興味を示し、その仕事に打ち込んだ。作中で、彼が人の悪口を言ったりする場面は一つもなかった。それが彼の信念だから、というより、人より抜きんでたいという欲求には一切興味がなかったから、そこに注ぐ注意力の一切はことばに向けていたのだろう。結果として、彼は誠実で謙虚な人間として描かれている。出世欲からの仕事人間ではなく、仕事そのものに打ち込む仕事人間が格好良いと思うのは、このようなカラクリからではないかと思う。
静かな空気感
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