「異国に集う異邦人。」最終目的地 Chemyさんの映画レビュー(感想・評価)
異国に集う異邦人。
人は皆「いい人」になりたいと思っている。ワガママな気持ちを押さえつけて相手のことを考える。しかし本音はそんな美徳とは真逆の欲求でいっぱいだ。だから人は皆、正しいと思う道に中々進めず停滞してしまうのだ。本作は南米ウルグアイの片田舎で停滞する人々が、それぞれの最終目的地を目指し歩み始めようとする物語だ。
朽ちかけた邸宅に集うのは、自殺した作家ユルスの妻キャロライン、ユルスの愛人アーデンと幼い娘ポーシャ、ユルスの兄アダムとそのゲイ・パートナーであるピート。そこへ作家の伝記を書くための承認を得ようとやって来たオマー。彼らは様々な理由でこの地にたどり着いた異邦人でもある。ドイツ系移民のアダムとユルス、様々な国を渡り歩いた後にユルスに拾われたアーデン、14歳でアダムに拾われたピートは徳之島の生まれ、そしてアメリカからやって来たオマーはイラン人だ。この異国に留まる異邦人たちが、様々な葛藤に苛まれながら少しずつ自分を見つめ直す姿が繊細に情感豊かに描かれる。
国際色豊かな名優たちが織り成すアンサンブルが見事だが、とりわけピートを演じる真田広之が良い。力仕事をこなす逞しさと、細やかな気配りを併せ持つ人物を若々しくセクシーに演じ、名優ホプキンスと対峙してもひけをとらない。ピートの行動力と前向きさは、停滞する人々の中で程よい潤滑剤となっているのだ。
物語の主軸は、オマーとアーデンの恋とキャロラインの再生だが、私はどうしてもアダムとピートの関係性に注目してしまう。年老いたアダムは息子ほど年の離れたピートを解放するための資金調達を画策する。口では「老人のために人生を無駄にするな」と言ってはいても、アダムはピートがいないと物質的にも精神的にも何も出来ないのは明らかだ。アダムもまた「いい人」でありたいと思いながら、ピートを離したくないというワガママな本音と闘っている。そんな彼にピートはストレートに言うのだ「(アダムのいない)他の人生なんて考えていない」と。彼には“アダムと2人で”この土地を最終目的とする計画がとっくに出来上がっているのだ。本音を言えない人々の中で、ピートの率直さ、素直さ、正直さ(裏社会に顔が効くのも本音で生きているからだ)がダイレクトに胸にくる。2人の関係性を明確に捉えた見事なショットがある。昼寝をするアダムに全裸で寄り添って眠るピートのショットだ。セクシーなショットに違いはないのだが、アダムの足を抱えて眠るピートの無邪気さがとても印象的だ。一瞬だけのそのワンショットで、ピートがアダムを心から信頼していることが解り、胸が熱くなった。
人は皆「いい人」でいたい。相手に恋人がいるのなら自分が身を引かなくちゃいけない。夫の若い愛人(しかも彼女は自分が産めなかった子供を産んでいる)に嫉妬をするなどみっともない。しかしそんな表向きの顔はこの土地には必要ない。新しい一歩を踏み出す土地は皆に拓かれているのだから。
ウルグアイの手つかずの自然の美しさと、けだるい音楽、長年連れ添ったパートナー、マーチャントを亡くしても、アイヴォリー監督らしい知的で上品な格調高さは変わらない、いやそれ以上ともいえる。上質な人間ドラマは、後からジワジワと心に沁みてくる。そのエレガンスさにいつまでもいつまでも酔いしれていられる・・・。