劇場公開日 2013年2月23日

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草原の椅子 : インタビュー

2013年2月20日更新
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佐藤浩市、新たな代表作「草原の椅子」で得た手ごたえと確信

「草原の椅子」に、佐藤浩市が登場していないシーンは皆無に近い。まさに、主演俳優のだいご味といえる。東京に始まり瀬戸内海、そして日本映画では初となるパキスタン・ロケと、撮影を積み重ねていくことで50歳の主人公・遠間憲太郎に息吹を与えていった。「僕なりにやりきった感はある」と振り返る通り、ぬくもりと希望に満たされた2時間19分。成島出監督ら同世代の映画人らとともに築き上げた人生賛歌の魅力に迫った。(取材・文/鈴木元、写真/堀弥生)

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リストラ、育児放棄といった現代社会が抱えるテーマを内包しながら、生きることそれ自体の大切さ、喜びをつむぎ出す「草原の椅子」。だが、宮本輝氏が原作となる小説を執筆したのは15年ほど前。阪神大震災で自宅が全壊した半年後、シルクロードを旅した体験を基に書かれたものだ。映画化に当たり時代を現代に置き換え、舞台も大阪から東京に移された。

「宮本さんが過ごされてきた時代の50代と、成島監督や僕が過ごしている今の50代にはちょっと隔たりがあるんですよ。そのあたりの部分は原作とアプローチを変えている印象があったので、成島監督とも話をして、原作の方向性を変えるのではなく我々が感じる『草原の椅子』でいいよねということで合意していたんです」

佐藤が演じる遠間は、カメラメーカーの局次長という典型的な中間管理職だ。妻とは離婚し、一緒に暮らしている大学生の娘の心中も推し量れない、いわばオヤジである。役づくりにあたっては、そのあたりの悲哀を意識してアプローチをしていったようだ。

「世の中や若者に対して厳しく叱咤(しった)するという原作の遠間よりは、叱咤される部分を強く、小さなウソもつくし浮気もする。だからといって決してすべての人間を幸せにするために生きているわけではなく、皆が幸せになるよう頑張るという非常に凡庸な人間としてできないかなと思いました」

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佐藤も現在52歳。だが、50歳になったとき“大台”に乗った感慨めいたものはなかったという。

「30代になる時も40代になる時も同じで、もうちょっと大人になっていると思ったら案外そうでもなかったというのを2度通過しているので(苦笑)。多分、50歳になってもそうだろうなって。多分、人生のスパンが変わって平均寿命ものびたせいか、今の50歳って数十年前のやっと40歳かなというくらいですね」

遠間はある日、取引先のカメラ店社長・富樫(西村雅彦)の窮地を救ったのをきっかけに、「親友になってくれ」と懇願される。半ば強引に親友となったことがきっかけで、人生にさざ波のような変化がもたらされていく。さらに魔が差して!? 陶器店を営む貴志子(吉瀬美智子)に淡い思いを抱き、育児放棄などで心を閉ざした4歳の少年・圭輔(貞光奏風)と出会う。これまでの人生でなかった経験にとまどい、オロオロする姿は滑稽にも映るが、父親として、男として、そして1人の人間としての生き方を見つめ直していく。とりわけ、演技経験のない貞光との関係性を築くことが重要なポイントとなった。

「現場は大変でしたよ。圭輔担当の助監督は途中で泣いていましたから。でも、どこかカメラに慣れたような子役ではなかったからこそ成立しましたね。それがこの映画のある種の生命線でもあったので、なだめたりすかしたり怒ったりしながら圭輔との関係性を、僕だけではなく現場が築いていったので、最後のパキスタンでの撮影はウソ偽りなくできたし、僕は情として圭輔とつながれたと思うので変なお涙ちょうだいにもなっていない。しっかりとした人間同士として、映画の中で非常に良心的にできたのではないかと思いますね。圭輔が来たおかげで、この映画の大事なパーツのひとつはきっちり埋まりましたよね」

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富樫、貴志子、圭輔の3人もそれぞれに悩みや葛藤を抱えている。そして4人は、これまでの人生を払しょくし、新たな一歩を踏み出すきっかけをつかむため世界最後の桃源郷といわれるフンザに向かう。パキスタンの首都イスラマバードから陸路でほぼ丸2日かかる移動には悩まされたが、7000メートル級の山々に囲まれたフンザをはじめ、カトパナ砂漠など雄大な自然には圧倒され、演技には好影響を与えたようだ。

「多分、映画でなければ訪れることはないだろうし、砂漠のロケも、世界にあまた砂漠はあっても、その向こうに雪山が見える風景はここにしかないんだなって。5分に1回流れ星が流れる流星群のある夜空を見上げることももうないだろうし、本当に貴重な体験でした。役者の芝居なんかがとてもかなうものではない風景の強さがあって、そこに違和感なく3人の大人と1人の子どもがいて、もう1回未来を信じて生き直そうとする場面には必要な絵だったと思いますし、それが成島監督のテーマでもあったんでしょう」

そして映画と同様、佐藤もフンザでクランクアップを迎えた。すべての登場人物が遠間を媒介としてつながっているため、日本での撮影から出演シーンがないといっていいくらい出ずっぱりだった。感慨もひとしおだったのでは?

「僕なりにやりきった感はありましたね。ほとんどのシーンに出ているので、尺が縮まるってことは、結局僕が出ているところが縮まるんだよなって(笑)。最初は2時間40分あると言われて、そりゃそうだよなと思いつつも、うまくそいでいくことでよりソリッドになる作品ではないけれど、ゆる~い流れの中でひとつひとつのシーンが見えやすくなってくれればいいと思っていました。確かに起伏のない2時間19分ですけれど、すべてがドラマとしての必然で人間同士が重なり合っていくという、そういう見応えのある2時間19分になったと思います」

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西村は誕生日が2日違いの同い年で、成島監督は1歳年下の同世代。加えて、撮影の長沼六郎監督とは、故相米慎二監督の「あ、春」(1998年)以来の顔合わせで、成島監督も相米組の助監督を務めていたという縁も奏功したといえる。ゆったりとした時間の流れは観客にさまざまな思いを喚起させ、遠間が娘の弥生(黒木華)に自らの思いを話す脚本で5ページに及ぶシーンなどは、固定カメラで1カットという、映画ならではの面白さが凝縮されている。

「現在のような素材(カット)を積み重ねていく映画の作り方もあるけれど、成島監督は全くそうではないところにいる。それは多分、見慣れない人たちには見にくいかもしれない。カットを割るということは観客に見やすさ、方向性を示してあげることだから。不親切かもしれないけれど、観客がちゃんとシーンの意味合いをくんでくれるかどうか投げかける撮り方は、僕たちが若い頃からなじんできた映画なので違和感はありませんでした。作り上げてきたものがちゃんと結実しているし、確かに長いと思われる方もいるかもしれませんが、僕は漠然とだけれどかなり多くの人たちが、この映画と同じ時間を映画館で一緒に過ごしてくれると思っています」

宮本氏も、自身の原作の映画化では「道頓堀川」(1982)以来の出演となった佐藤に対し「あの時20歳だった佐藤さんが、50歳になったのかあって。冒頭のシーンで、彼が会社に出社した時の後ろ姿が、行くのがイヤだなあっていうのがすごく出ていた」と最大級の賛辞を送る。これには、「宮本さんから見れば、はねた小僧がいつの間にか大人になったかなと思っていらっしゃるんでしょうね」と照れたが、まんざらでもない表情を見せた。

昨年は「草原の椅子」以降も、「許されざる者」「清須会議」と映画出演を重ねた。その成果は、今年続々と披露されるので期待が高まるが、まずは、「草原の椅子」が新たな代表作の1本に加えられると確信した。

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