情熱のピアニズム : 映画評論・批評
2012年10月2日更新
2012年10月13日よりシアター・イメージフォーラムほかにてロードショー
才能と障害と快楽の複雑な関係。強いタッチのドキュメンタリーだ
信じられないほど打たれ強い人、はたしかに存在する。頭の芯にからみついて離れない姿、もたしかに存在する。
15年ほど前に「クラム」を見たとき、私はそう思った。つい最近、「情熱のピアニズム」を見て、私は似たような感想を抱いた。ロバート・クラムは自分の精神が牢獄になっていたが、ミシェル・ペトルチアーニの場合は、自身の肉体が牢獄だった。
ペトルチアーニは生まれつき骨がもろく、身長が1メートルぐらいしかなかった。痛みは絶え間なく、自力では歩くこともむずかしい。
だが、彼には絶対音感があった。映画を見ればわかるように、手首や指は健常者の10倍も速く動いた。4歳でデューク・エリントンの演奏に反応し、早熟なジャズ・ピアニストになった。
それだけではない。ペトルチアーニは生来の快楽主義者だった。女とジョークが大好きで、生涯に5人も6人も同棲相手を替えた。かかわりを持った女たちは、だれひとり彼の悪口をいわない。むしろ、懐かしんでいる。
監督のマイケル・ラドフォードは、そんな男の肖像を原寸大で描いた。節度を失わぬドキュメンタリー、というべきだろうか。過度の賛美や感傷を避ける一方で、いたずらな神話破壊にも向かわず、36年間の人生を「150パーセント生き切った」ペトルチアーニの姿を静かに見送っている。
手法も複雑ではない。音楽と私生活。2本の柱をしっかりと立て、彼の周囲にいた人々の証言をこまめに採集するという方法。これで十分だろう。ペトルチアーニの最大の魅力は、快楽も悲惨も全身で受け止め、死を少しずつ導入していくハートの大きさにあった。彼のピアノは、手首が折れるほどタッチが強い。ラドフォードは、そのタッチを踏襲した。障害や快楽との綱引きを描きつつ、その才能を大文字で特記した叙述には好感を持てる。
(芝山幹郎)