未知との遭遇 ファイナル・カット版のレビュー・感想・評価
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公開初日に日比谷の有楽座の初回を観て以来
1978年2月25日の日本公開初日の初回、70mmの日比谷 有楽座で観て以来、実に41年ぶりの再会でした。当時は入れ替え制ではなかったので、観ようと思えば何度も観られたはずですが、のちに公開された特別編を観る事も、テレビ放映もビデオも観ないままでした。
今回はファイナル・カット版という事でしたが、どこが違うのか正直よくわかりませんでした。
劇中『ピノキオ』の「星に願いを」のメロディが2箇所ほど流れるのを発見しました。あの5音はコダーイだったのか!とか。ディズニーランドもなく、クラシック音楽にも興味のなかった頃なので気がつかなかったのでしょう。
宗教的な場面が少し出てきて、信仰を持つ者よりも少年の心を持つ者が選ばれるというのも興味深かったです。
とても面白い
クライマックスが圧巻
未知との遭遇
コダーイとの出会い。
SFの古典的作品をファイナルカットヴァージョンで鑑賞。
これだけの有名作品にかかわらず、何の予備知識もなく見始めた。
いきなりメインキャストにフランソワ・トリュフォーの文字が。え?スピルバーグの作品ではなかった?混乱していると、スクリーンにフランス語を話す科学者として、トリュフォーその人が登場。
なんだか意味が分からないまま映画は進み、小さな子供が消え去り、電気技師が車でUFOと遭遇するくだりの画は、子供のころから見てきたスピルバーグ映画のそれに違いない。
トリュフォー扮するフランス人科学者が宇宙人との交信の糸口にするのが、ハンガリーの作曲家コダーイの手話による音階。これはたまたまこの音階方式が宇宙人と共通だったというのか、それとも宇宙人とコダーイは何らかの接触を持っていたということなのか。その辺のことがよく分からないまま、そして、全体として状況がどうなっているのかあまりよく呑み込めないまま、主人公の電気技師が宇宙船のなかへと消えていく。
宇宙人のほうも、地球人のほうも、お互いに敵意なくコミュニケーションをとろうとするところが70年代という時代。未知の他者との友好関係という夢が描けた。現実世界では冷戦の真っ最中で、いつ核戦争が起きても不思議ではなかったのにである。
現在の映画に出てくる宇宙人は地球を侵略する。それに対する地球人も攻撃的だ。地球の人々(あえてアメリカの人々とは言わないが)もずいぶんと好戦的な存在となったものだ。
なんにせよ、映画の中でコダーイという音楽家との出会いは、「ポンヌフの恋人」の冒頭で流れる無伴奏チェロ以来。
あれ?こんなのだっけ?
圧倒的な何かがやって来ている
総合60点 ( ストーリー:55点|キャスト:65点|演出:75点|ビジュアル:75点|音楽:70点 )
何かが起きていて何かが来ているけれど、それが何なのかわからない。でもそれは人知を超える、光り輝く圧倒的なものだ。接触した人たちは何もかも放り出してでもそれに近づかなければ気が済まない。そして訪れる邂逅の瞬間は神々しい。宇宙への憧れや神秘の世界への入口を見せてくれる。
だけど何の取り柄もない一般市民が招かれていたり軍の操縦士が長い不在から突然帰って来たりで、彼らが何をしたいかさっぱりわからない。結末の部分までは、ありきたりの一般人がただ山を見つけて登るだけなのが物語の中心になっているのもいただけない。宇宙への憧れと雰囲気だけが突っ走ってしまっていて、設定や物語がおざなりになっている印象。
普通の「未知との遭遇」をかなり昔に観たけれど、E.T.みたいなのが宇宙船から出てきたかどうか記憶にない。もしかすると登場はこの版だけかな。後の「E.T.」はこの宇宙船から地球に置いてきぼりにされたのかと思わせるような姿だった。
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